学会を作ろう5

シリーズはなんと5になりました。他にネタが無いかと言われそうですが、言われればその通りだと思います。それでもネタの質自体は悪くないと個人的には考えていますから、今日もまたこれまでのサマリーから、

  1. では、医療事故に対する専門家による公平な第3者機関として医療事故防止学会を作ろうでした。
  2. では、学会を作るのは簡単ではないので既製の学会で近い路線のものは無いのかと言うものです。現在のところまだ見つかっていません。
  3. では、どうも既製の学会に相応しいものは無さそうなので、実際に作るならどこから手をつけるかを考えました。学会自体は自由に作れそうですが、問題は学会の信用性で、信用性を得るためには、有力な発起人を集める必要がある事がわかりました。
  4. では、学会を作る原動力の機関として、「周産期医療の崩壊をくい止める会」を活用したらどうかの提案を実行した事です。
今日は昨日の後半部分を受けての続きです。学会設立の具体的な成否は当面「周産期医療の崩壊をくい止める会」からの返事待ちです。一片のメイルで動いてくれるかと言われれば、疑問符はたくさんつきますが、現在思いつく限りでは他に有力な手段は無く、「ダメだったら」はその時にまた考える事にします。

机上の空論の極致かもしれませんが、ある程度理想的に出来上がったらの活動目標を考えてみたいと思います。昨日の後半の話と重複しますが、医療訴訟で医者側が思わぬ敗北を喫するのは、裁判での検察側証人にトンデモナイ鑑定書を書く医者の存在が挙げられます。割り箸訴訟でも、心筋炎訴訟でも、「俺なら見抜けたし、救命は可能」と豪語する医師の存在です。また「家族との信頼関係を築いていたら訴訟は起こらない」と浮世離れした理屈を公表して恥じない医者の存在です。

医者からみれば、そういう意見は少数派の異端の意見です。異端であるにもかかわらず、訴訟の場においては医学常識として取り扱われ、判例として確定すれば、以後は同様のケースがあれば先例として何の考慮も無く引用されていきます。司法の場において先例とか判例と言うのは非常に重く、一旦確定すれば不変の真理として使われてしまいます。

こんな訴訟社会において医者の恐怖は日々高まっています。トンデモナイ鑑定書が作り出した医学常識を鑑定書どおり遂行できる医師や医療機関は、現実的には無いか、あったとしても非常に限られた数しかありません。限られた数とは片手も無いということです。それ以外の医師や医療機関ではそのような症例に遭遇した瞬間に、被告人になるしか道が残されていないと言えます。

そんな地雷原を歩くような世界に医者はウンザリしつつあります。私のような町医者でも、いつ降って湧く様な災難に遭遇するかはわかりません。ましてやもっと高度な医療に従事している医者ならなおさらです。不測に近い事態でも、「近いだけで不測でないから医者が悪い」との鑑定書が重視される世界は「もう堪忍してくれ」という本音がついに噴き出しています。

ある弁護士の言葉に「正しい医療をしている限り、事故は起こらない。事故が起こったからには絶対にどこかにミスがあるはずだ」があります。現実の訴訟現場ではその言葉の通り動いています。どこかおかしい、そんな馬鹿な事は無い、医療とはそんなものであるはずがないの医師の声はどこにも届いてくれません。

今回提唱している医療事故防止学会の真の目標は、臨床の現場で働く医師が定義する「正しい医療」を作り出すことです。現在横行している「正しい医療」は医者に神のような無謬性と予見力を要求しています。人間相手という不確定要素が莫大な職業においてこれが要求され、いかなる努力を払おうが結果と言う証文で神でない人間の医師を断罪します。

我々医者は医者が決めた「正しい医療」を手に入れる必要があります。ある一定水準以上の医者であるなら出来ることが当然とされ、それを守れないものは水準以下の治療をしたとして断罪されてもやむを得ないと納得できる「正しい医療」です。これには高度の専門性に基づいた議論が必要であり、その決定の信用性を裏付ける組織が必要です。またその決定に反する訴訟などがある時には一丸となって抗議する能動性が必要です。

「正しい医療」は素人の裁判官が決めるのではなく、専門家である医者が決めるものです。専門家の医者であっても異端の少数派の意見を重視するのではなく、現場の臨床医の多数意見が尊重されるべきです。間違っても研究一筋の医者であるとか、半分引退状態の医者が決めるものではありません。臨床をやっている最前線の医者の現実的な意見で決定すべきものであると考えます。

こういう役割は本来医師会が主導してやるべきものだと思います。ところが良くご存知の通り、医師会がそういう事にイニシアチブをとる事が出来なくなっているのは、医師ならよく知っています。肥大化し、官僚化した組織はこの医療の危機にまったく身動きが出来ていません。また既存の学会も主導すべき組織です。しかし学会も細分化され、学会同士が連携して大きなムーブメントにするには非常に大きな困難を伴います。

だからこそ新たな能動的な組織が必要なんです。従来の学会の枠を超えた新たな組織、すべての臨床医が参加でき、活発に論議を交わし、団結して能動的に活動出来る組織です。ここでの決定は参加する医師はまず尊重しなくてはなりません。司法の場で覆す動きがある時には、全国ストライキでこれに応じるぐらいの過激さが必要です。それぐらいの行動力、実行力があって初めてこの組織の発言力は世間に認知され、尊重されると考えます。

医者のマナーとして上に挙げた行動は常識を外れるところはあると思います。あると思いますが、それぐらいのインパクトのある組織で無いと、現在の医療への止め処ない要求に対抗する事が出来ないんじゃないでしょうか。

ただしこれだけの存在感のある組織にするには、日本中の臨床医が参加するほどの規模が必要です。この組織に逆らえば、日本の医療が機能麻痺を起すぐらいの圧倒的な存在感が必要です。もちろん組織の方もそれに応える高い倫理観と信頼性を培う必要性があります。

医療事故防止学会、いくら書いても机上の空論ですね。構想は雄大でも現実はこのブログの中でこね回しているだけ。砂上の楼閣ですらありません。唯一の現実的な設立可能組織である、「周産期医療の崩壊をくい止める会」からの返事が来るまで、学会を作ろうは一休みします。