ツーリング日和7(第8話)コウのピアノ

 コウが演奏を依頼されたのは伝承館。南部の曲がり家の中にピアノが置いてあって、庭で聴く感じかな。それにしてもコウも遠野物語に詳しかったな。

「まあね。演奏する場所に合わせて曲を選ぶのも重要だから」

 へぇ、そんなことを考えてたんだ。単にその日に思いついたのを弾いてると思ってた。

「シチュエーションによってはそんな日もあるけど、ある程度は調べてるよ」

 さすがはプロだ。でも遠野に合ったピアノ曲ってなんだろう。まさか、童謡のふるさととか、

「あれはあくまでも去ってしまった故郷を懐かしむ曲で、遠野には合わないよ」

 言われてみればそうだ。遠野と言えば妖怪だよな。妖怪だったらゲゲゲの鬼太郎とか、

「ちょっと違うかな」

 だったら妖怪大戦争。

「どんな曲だよ」

 コウが弾き出したのは・・・これをピアノで弾くの。でもなんて美しい、これはバッハのG線上のアリアじゃない。でもこの風景にメロディーが溶け込んでる気がする。次は、次は、ああこれもバッハだ。主よ人の望みの喜びよだよ。

 なるほどこういう合わせ方をコウはするのか。でもなんて美しい響きなんだろう。魂に響くとはまさにこういう事かもしれない。今日はバッハ・シリーズかな。うん、次はバッハじゃないぞ。このメロディーは、えっと、えっと・・・思い出したぞ。エリック・サティのジムノベッティだ。

 ふと見ると庭は満員じゃない。そうなるよね。コウのピアノが聴こえれば引き寄せられちゃうもの。それにあれだけ集まってるのに声一つしない。もう聴き惚れてるよ。そうなるのがコウのピアノだもの。ピアノであんな音が出せるの不思議で仕方がない。

 次はシューマンのトロイメライだ。もうたまんない。こんな贅沢な時間が過ぎていくんだよ。ずっと聴いていたい。そしたらコウは立ち上がって、

「ストリート・ピアニストのコウです。今日はこんな素晴らしいところでピアノを弾かせて頂いて幸せです。名残りは尽きませんが、次で最後にさせて頂きます」

 ずっとここで弾いてられないものね。でも最後はなんだろう。これはユリも知らないぞ。でもなんてドラマチックな曲なんだ。でもこのメロディーの作り方は、元は歌謡曲かも。こうやって聴いていると、どこかで耳にしたことがあるような、ないような。コウはそれこその拍手喝采を受けて演奏が終わった。

「ユリ、お昼にしよう」

 もう昼だ。お腹空いたものね。ここで食べるのか、

「ああギャラのうち。ユリの分もあるよ」

 やったぁ。遠野と言えばジンギスカンとか、

「らしいね。でも郷土料理だよ」

 そっちも良い。だってジンギスカンなら六甲山でも食べれるもの。えっとこれは、ひっつみっと言うらしいけど。

「これってスイトンの元祖みたいなものらしい」

 戦後の闇市を彩る料理ぐらいは知ってるし、貧乏食の代名詞みたいなものだけど、美味しいじゃない。どうしてあれだけ貶されたんだろう。

「すべては食糧事情だろう。元はこんなに美味しいのに、戦後の食糧事情では作れなかったぐらいしか言いようがない」

 ユリだって本でしか読んだこと無いけど、とにかく腹に入れば満足みたいな時代だったらしい。そんな時代は二度とゴメンだ。他はなめこそばと山菜か、

「これデザートみたいだけど・・・」

 けいらんって言うらしい。見た目そのまま鶏卵だけど、小豆の漉し餡を餅粉の皮で包んで茹でたものらしい。そうだ、そうだ、最後に弾いた曲はクラシックじゃないよね。

「あれは映画の主題歌だよ」

 やっぱり歌だったんだ。それも怖ろしく古い歌じゃない。よくそんなものコウが知ってるものだ。

「前にユリに話したけど・・・」

 ストリート・ピアノを弾いていたコウを拾い上げたのがエレギオンHDの小山前社長。とにかく猛特訓を施してジュリアード音楽院に留学させてくれたとか。

「小山前社長がこの時代の曲が好きで、練習の合間に弾いてくれた」

 高山で弾いた千本桜もそんな曲の一つで良さそう。でも会社の社長がそんなにピアノが上手だったのかな。

「そうだね。リストのマゼッパをあれだけ楽々と弾いた者を未だに見たこと無いもの。今のボクでもまだ及ばない」

 ひぇぇぇ、そんなに上手なんだ。それにしてもコウのレパートリーの広さは舌を巻かされる。クラシックはもちろんだけど、ポピュラー音楽でも知らない曲がないんじゃないかと思うぐらい。

 そりゃ、ストリート・ピアノ上がりだから、ポピュラー音楽のレパートリーが広いのは当たり前かもしれないけど、とんでもなく古い曲を知ってるのだもの。

「古い、古いって言うけど、クラシックなんて物凄く古いじゃないか。ポピュラー音楽でも、時代を越えて生き残った曲はいつまでも色褪せないよ。良い曲はいつの時代でも人の心を揺り動かすよ」

 なるほどね。クラシック曲だって、全部生き残ってるわけじゃない。膨大に作られたもので時代を越えて生き残ったものが今でも演奏されてるんだものね。

「そういうこと。いつの時代にも音楽の天才は誕生する。今に残るクラシックが作曲された時代は、天才が群がって作っていた。でも今の天才が群がるのはポピュラー音楽だ。ここに歴史に残る曲が生まれるのは当然だ」

 そっかそっか。モーツアルトは天才だけど、モーツアルトの時代にポピュラー音楽はないのか。いやこれも違う。あの時代のポピュラー音楽だったんだよ。もし今の時代にモーツアルトが生きていれば、

「あははは、途轍もないヒット・メーカーになってるんじゃないかな」

 ユリでさえそういう面があるけど、クラシックを学んだ連中は、どうしてもポピュラー音楽を下の物として見てしまうところがある。クラシックを演奏する事こそが音楽の王道であり、ポピュラー音楽は邪道と言うか、色物ぐらいとして低く扱ってしまうぐらい。

「まあ、多いよ。ボクだってそんな感覚はあったぐらいだ。でもね、小山社長に鼻で嗤われた。音楽に上下はない。あるのは歴史を越えて残れるかどうかだけだってね」

 時代が変われば音楽も変わる。ある時代にマッチして大ヒットした曲でさえ、時が過ぎれば古臭い曲として見向きもされなくなることはある。でも一方で、時が過ぎても色褪せない曲はある。今の最新ヒットを追いかけてる子たちでさえ、

「ウソだ。そんな古い曲のはずが無い」

 こういうものね。ユリだって、ナツメロと紹介されても、これのどこがナツメロなんだって思う曲があるもの。今聞いても素晴らしいメロディーだし、歌だって聴き惚れちゃうものはある。

 曲とは五線譜にマークされた音符だけど。名曲とはそこに記された不滅のメロディーだよ。だってその組み合わせは世界でただ一つじゃない。そうだ、そうだ、コウにとっての不滅のメロディーは、

「そうだね。あえて一つ上げると・・・」

 なんだその曲、聞いたこともないぞ。

「かもな。でもそんなに古い曲じゃないよ。そうだな、ユリが二歳ぐらいかな」

 それでも二十年ぐらい前なのか。でもコウでも小学校ぐらいじゃない。

「そうなる。さすがに小学校の頃は、単なるヒット曲ぐらいにしか感じなかったよ。でもね、それから大きくなるに連れて耳にこびりついて離れなくなってしまったぐらいだ」

 コウがそこまで言うのなら聴きたいな。

「あははは、探してもユーチューブにないよ」

 どうして。たった二十年前でしょ。それなりにヒットしていればカバーぐらいはあるはず。

「カバーもない。だからこそ、もう一度聴きたいと願っている」

ツーリング日和7(第7話)遠野物語

 翌朝は眠ったと思ったらコウに起こされた。一緒にシャワーを浴びて着替えと荷造りだ。つうのも秋田到着が五時五分なんだ。秋田ではフェリー到着と共に下船が始まるから、それまでにスタンバイしておかないとならないんだよね。

 ボーディング・ブリッジから下りたんだけど、ありゃ、これは殺風景だ。秋田っぽいとこなんか、なんにもないじゃない。

「フェリーターミナルなんて、どこもこんなものだよ。それにいきなりなまはげが出てきて歓迎されたらビックリするだろう」

 たしかに朝っぱらからなまはげに歓迎されたら腰抜かす。フェリーから下りたら東北ツーリングの始まりだけど、まずは朝食よね。

「そうなんだけど・・・」

 コウに言わせると、とにかく早すぎるそう。たとえばフェリーターミナルにも食堂はあるそうだけど七時からでまだ開いていないんだって。これは秋田市内も似たり寄ったり状態つうか、日本中どこでもそうだろう。あるとしたら二十四時間オープンのところぐらい。

「だから盛岡に行く」

 秋田市内でストリート・ピアノを弾くにも早すぎるものね。早朝の秋田市内を抜けて秋田北ICから秋田自動車道に。協和ICで下りて、国道三四一号からさらに国道四十六号を走り、道の駅協和に。

「ちょっと休憩」

 道の駅は開いていない。そりゃそうだ。まだ六時過ぎだもの。ジュースとトイレ休憩を済ませて出発。角館も通ったけどまだ早すぎるから通過、田沢湖もパスして一時間ほどで道の駅雫石あねっこ。ここもトイレ休憩程度、だってまだ七時過ぎぐらいだから開いていないんだよ。

「あれが駒ケ岳で、あっちが岩手山だよ」

 そうなんだ、でもさすがに腹が減った。でも開いていないものはどうしようもない。朝食は盛岡で良さそう。やがて盛岡市内近づいたところで、えっ、市内じゃなく盛岡ICから東北道なの。北に走って滝沢中央ICで下りて、しばらく走ると開いてる店があるじゃない。

「ここで朝食にしよう」

 へぇ、月が丘食堂って言うのか。中に入るとここはセルフなのか。思いの外にメニューは充実してるじゃない。コウはこの店を知ってて秋田から走って来たで良さそう。ユリは朝定食にしたけど、

「ここのカレーも美味しいよ」

 コウは朝カレーだ。一口食べさせてもらったけど美味しいよ。コウは食事をしながら、

「こういう朝はしっかり食べたいだろ」

 まだ八時過ぎだけど、起きてからなら四時間ぐらいだものね。コウによると、今度のツーリングで秋田にフェリーで行けるのはメリットとだけど、とにかく到着時刻が早いのはネックだって。ツーリングでも早朝出発は良くあるけど、さすがに五時出発はないものね。

「今日は盛岡で弾くの」
「いや遠野だ」

 遠野って民話の故郷。

「ボクも初めてだから楽しみだ」

 盛岡でストリート・ピアノを弾こうにも十時ぐらいまで待たないと無理だって。まあそうだろうな。でもって遠野では依頼演奏みたい。九時には月が丘食堂を出発して再び東北道に。花巻JCTで釜石自動車道に乗り換えて遠野ICに。

「東北も自動車道が整備されてて助かるよ」

 盛岡から一時間程だものね。でも遠野は楽しみだ。ユリも遠野物語は好きなんだよ。その舞台の地に行けるなんて夢みたい。コウの演奏まで時間があるから遠野巡りだ。

「ユリが遠野物語に詳しいとは意外だね」

 まあね。遠野物語は柳田国男の代表作の一つだし、柳田国男は日本の民俗学を確立させたとまで言われてる。遠野物語自体は遠野の民間伝承を集めた本だけど、

「当時は西洋流の合理主義が強かったそうだね」

 今でも強いんだけど、当時は民俗学なんか無用の長物とか、日本の発展に不要なんて風潮があったのが時代背景なのよね。だから当時も民俗学として見る人は少なくて、奇譚集みたいな見方をされて、評価もされたけど島村藤村や田山花袋からは、

『粗野を気取った贅沢』
『道楽に過ぎない作品』

 こんな酷評も受けてるぐらい。だけど柳田国男が目指したのは、こういう民俗に基づいた伝承の収集が目的であり、たまたま文才があったから文学作品としても受け入れられたぐらいと見た方が良いと思う。序文でも、

『・・・鏡石君は話し上手に非ざれども誠実なる人なり。自分も亦一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり』

 余計な虚飾をなるべく排したとしてる。さらに、

『国内の山村にして遠野より更に物深きところには又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ。此書の如きは陣勝呉広のみ』

 秦末の陳勝呉広を例えに出してる辺りに柳田国男の心意気が示されてると思うんだよね。遠野物語の成立には佐々木善喜の功績が大きいのだけど、この人も数奇な運命の人になる。最初は岩手医学校に進み医師を目指すも中退し、次に哲学を学ぶために東洋大学に、さらに文学を志して早稲田の文学科に進んでる。

「作家としては芽が出なかったんだよね」

 それは結果論だけど佐々木が東京で活動中に知り合ったのが柳田で、柳田は佐々木の知っている遠野の伝承に興味を持つことになるんだよね。ここも偶然があって、佐々木の祖父が語り部として良いほどの知識があり、これを柳田に伝えることが出来たぐらいかな。

 佐々木は結局のところ作家としてはヒットに恵まれなかったから、民話や民間伝承の蒐集に力を入れて、日本のグリムと呼ぶ人もいるぐらい。

「金田一京助の評価だよね。でも多額の負債で家財を整理して仙台に移ってるよ」

 佐々木みたいな人生を送る人は数えきれないぐらいいるけど、それでも佐々木は幸せかもしれない。遠野物語がこの世に残る限り、佐々木のペンネームである佐々木鏡石も残るものね。それだけの名を遺せる人も殆どいないもの。

 遠野も広いと言うか観光名所が散在してるみたい。全部回ってたら一泊二日となってるぐらいだって。そりゃ、見れるものなら全部見たいけど、どこかに絞るのなら、

「遠野の物語を訪ねる 伝承の小道 散策コースにしよう」

 これでもチャリで約二十七キロ、四時間とは結構なもの。バイクだから早くなると思うけど、まずは遠野郷八幡宮。ここは頼朝の奥州征伐ぐらいが起源になってるけど、それより遠野物語の、

『ゴンゲサマというは、神楽舞の組ごとに一つずつ備われる木彫の像にして、獅子頭とよく似て少しく異なれり。甚だ御利生のあるものなり』

 ゴンゲサマは火伏の神様で今でも正月十五日に拝殿で見ることが出来るそう。次はキツネの関所だ。

「これは日本中にある話だね」

 旅人が美女に誘われるままに風呂と酒を御馳走になると翌朝には肥溜めで寝ていた類のお話。そういう意味では次の常堅寺の裏のカッパ淵もそうかもしれない。遠野物語の五十五話から五十九話がカッパの話だけど、

『この話などは類型全国に充満せり。いやしくも川童のおるという国には必ずこの話あり。何の故にか』

 こうしているぐらいだもの。ただカッパの顔は青いというか緑が多いと思うのだけど、

『外の地にては川童の顔は青しというようなれど、遠野の川童は面の色赭きなり』

 遠野のカッパは赤いとしてるのよね。このカッパだけど滅多に見れないというか、稀に現れるものじゃなく遠野物語には、

『川の岸の砂の上には川童の足跡というものを見ること決して珍しからず。雨の日の翌日などはことにこの事あり。猿の足と同じく親指は離れて人間の手の跡に似たり。長さは三寸に足らず。指先のあとは人ののように明らかには見えずという』

 それぐらいいたとしてる。それと、さっきのカッパの顔が赤いと言う話も伝承は伝承なんだけど、佐々木喜善の祖母の目撃談にもなっているのよね。

「ここがカッパ淵なの?」

 橋がかかってるけど五メートルぐらいかな。カッパ伝説の地だから観光整備されてるのはわかるけど、ここまで整備されるとタダの小川だね。往時は鬱蒼としてたんだろうけど贅沢言っても仕方ないか。カッパ淵から移動して、

「ここがデンデラ野だよな」

 これも有名なところだけど、実は遠野物語には出て来ない。どうなってるかだけど、

『山口、飯豊、附馬牛の字荒川東禅寺および火渡、青笹の字中沢ならびに土淵村の字土淵に、ともにダンノハナという地名あり。その近傍にこれと相対して必ず蓮台野という地あり。昔は六十を超えたる老人はすべてこの蓮台野へ追い遣るの習ありき』

 これからわかることは、ダンノハナは複数ヵ所あって、そのダンノハナにセットのように蓮台野があったことになる。この蓮台野がいわゆる姥捨て山になる。ここも遠野物語では姥だけやなく爺も六十を越えたら捨てられたとなってるのよね。

「良く言えばケアハウス」

 良く言い過ぎだよ。たぶん掘っ建て小屋ぐらいは建てていたと思うけど、

『老人はいたずらに死んで了うこともならぬ故に、日中は里へ下り農作して口を糊したり。そのために今も山口土淵辺にては朝に野らに出づるをハカダチといい、夕方野らより帰ることをハカアガリというといえり』

 六十歳は当時では高齢やけど、元気な人もいたはず。お腹が減るから蓮台野から里へ下りて農作業の手伝いをして、いくばくかの食べ物を与えられてたんだろうな。でも決して家には上げず、

「冬が来たら死ぬしかないな」

 このデンデラ野は遠野駅から十キロぐらいのところだけど、

「川向いに見えるあたりがダンノハナになるよね」

 ダンノハナは、

『ダンノハナは昔館のありし時代に囚人を斬りし場所なるべしという。地形は山口のも土淵飯豊のもほぼ同様にて、村境の岡の上なり』

 これに対して蓮台野は、

『山口のダンノハナは大洞へ越ゆる丘の上にて館址よりの続きなり。蓮台野はこれと山口の民居を隔てて相対す』

 見えてるのが山口川だからまさにここになる。民居が当時どれぐらいあったかはわからないけど、佐々木喜善の生家はすぐ近くのなのよ。こういう場所に住むのは被差別民のパターンもよくあるけど、佐々木の家は富農なんだよね。富農だから東京に遊学してるし、後年は村議会議員から村長までなってるもの。

 つまり普通の民家を挟んで目に見える距離でダンノハナとデンデラ野があることになる。姥捨て山がこんなに近いのに驚かされる。

「楢山節考の世界とはイメージが違うよね」

 ユリも姥捨て山とは、自力では戻って来れないような山奥にあるイメージだったもの。それなのに遠野のは民家のすぐそばなのよ。これは捨てると言うより、追放宣言みたいなものになるのかな。

 姥捨て、爺捨て宣言されてしまえばデンデラ野に行かされちゃうんだけど、一度宣言されてしまえば、自分の家も、他の家も決して受け入れてくれず、一緒に野良仕事をして食べ物は恵んでも、戻るべきところはデンデラ野しかないって掟だったんだろうな。

「これって七人の侍の世界に近いかもな」

 あの映画でも村と姥捨て山が近い場所の描写があった。えっと、えっと久右衛門の婆さんだったっけ。そりゃ志乃とか勝四郎が握り飯を届けたりするぐらいだからな。黒澤明は遠野物語の描写から、あの映画の村の姥捨て山の設定を考えた気がする。楢山節考だったら遠すぎるものね。

「生の世界と死への世界が隣り合わせだったってことになるね」

 今とは死生観が違う世界と言えばそれまでだけど、

「宗教観の根っ子が違う気がする」

ツーリング日和7(第6話)初体験

 コウとの待望のツーリングだけど五時出発ってなによ。フェリーは九時半出航じゃない。

「出航は九時半だけど、その一時間前には乗船手続きを済ませなくちゃいけなんだよ。神戸から敦賀まで走り続けて二時間半はかかるからね」

 九時半出航なら八時半までに乗船手続きを済まさないといけないのか。これも八時半ギリギリに敦賀到着じゃ無理があるから八時ぐらいに到着したいになるよね。電車じゃないから余裕を見ると片道三時間と見て五時出発か。

 なるほど、フェリーの九時半出航ってそういうシステムなんだ。でも、そうかもしれない。出航時刻には乗客やクルマ、もちろんバイクも乗船終えてないといけないものね。だから、それこそ日の出とともに神戸を出発。

 休憩も挟みながら阪神高速、名神、北陸道を快走だ。時刻も早いから空いていて快適だよ。敦賀のフェリーターミナルに着いたら乗船手続きを済ませて、バイクが並んでいるところで待機。立派なフェリーだな。

 誘導員の指示に従ってボーディング・ブリッジを渡り船内に。へぇ、こうやってバイクは固定するのか。荷物を持って三階に上がったんだけど、内装が立派なのに驚いた。これって豪華客船みたいじゃない。乗ったことないけどね。

 フロントで部屋のカードキーをもらったんだけど、なんと三階から五階まで吹き抜けになってるんだよね。それに船なのにエレベーターまである。

「ユリはフェリーが初めてだったね」

 そうなんだよ。ツーリング・サークルで四国とか九州のツーリングがあったんだけど、あの時は例のエッセンドルフ騒動で行けてない。ひたすら感心しながら五階にエレベーターで上がって、廊下を通って部屋に行ったんだけど、カーペットまで敷いてあって完全にホテルだよ。

 部屋に入ると・・・これは広い。もう完全にホテルそのもの。ツインのベッドに、ソファがあり、専用デッキまであるじゃない。こっちはトイレとバスか。まずは荷物を片付けたんだけど、こりゃテンション上がる。

 そこからはレストランにランチに行ったり、オープンデッキで海を見たり、カフェでお茶したりして優雅な船旅を満喫と言いたいけどさすがに長いよ。だって、朝から船に乗って明日の朝まであるんだもの。

 フェリーから見える夕日を楽しんだら夕食。お昼と同じところで、そうだねファミレスぐらいの感じだけど、バイキングなのが楽しいかな。でも日が暮れ来るとドキドキしてきた。だって、だってだもの。

「ユリ、お風呂はどうする」

 部屋にもバスはあるけど、まだ恥しすぎる。フェリーの大浴場に行って、いつもより丹念に体を洗った。あるはず、今夜はあるはず。これで無い方がおかしいでしょ。そう思えば思うほど胸が高鳴るし、手だって震えてる。

 大浴場から部屋に帰る時には足まで震えてる。部屋に入って、次に出てくるときはユリは経験していることになるものね。嫌じゃないし、その相手はコウしかいないと思ってる。求められること自体は嬉しいのだけど、初めての怖さは別物だ。

 覚悟を決めて部屋に入った。コウは浴衣に着替えて待っていてくれてる。あのベッドだよね。あそこでユリは初体験をする。痛いのよね、初めては痛いってのは聞かされてる。コウは立ち上がりユリの目を見ながら、

「ユリ、愛してる」

 ユリもそう。もう後戻りは出来ないし、する気もない。コウはユリをしっかり抱きしめてくれた。そしたらますます胸の高まりは激しくなる。そんなユリに優しい口づけがあって、

「ユリ、欲しい」
「初めてなの。優しくしてね」

 コウが少し驚いてた。ユリの歳なら少し遅いかな。この歳での初体験は・・・お母ちゃんがいなくて良かった。こういう知識は誰よりも詳しすぎる。つうか聞かされた。今の平均は十九歳だとか。

「もちろんだ」

 ついにベッドに。コウは優しくユリの服を脱がせてくれた。そして始まった。恥しいけど、そうやって愛し合うのが男と女。ユリのすべてが愛されていった。これも最初は声を出すのを我慢してたけど、すぐに我慢できなくなった。こんなもの我慢できないよ。

「ユリ、ユリ」

 コウも興奮してる。コウの指が、唇がユリを興奮させる。コウがユリの足を割って覆いかぶさってくる、ついについに、コウが来る。

「あっ」

 来た。ユリの扉にコウが来た。そして進ん来る。コウの腰が動くたびにユリに進んでくる。こんなの耐えられない。でも我慢しないと、これが初体験。でも、でも、これは、あまりにも、

「痛い!」
「だいじょうぶ」

 コウは優しい。ユリが痛がるたびに待ってくれる。そしてユリが落ち着くとまた進んでくる。どこまで、ユリが受け入れたら良いの。

「行くよ」
「あっ」

 鋭い痛みが走った。ついに、ついに、ユリは受け入れた。後は無我夢中だった。コウの激しい動きに反応するしかなかった。どれだけ時間が経ったかわからないけど、コウの動きが一段と激しくなり終わった。

 ユリはもうグッタリだ。でもちゃんとコウの相手を最後まで出来た。これが男と女の究極の愛の行為。ユリは変わった。コウによって変えてもらった。変わったのは下半身の疼きでよくわかる。

「ユリ、もう離さないよ」

 ユリだって離すものか。ユリの体はコウの物、コウの体もユリの物。気が付いたら汗だく。うん、アレってこんなに運動量が必要って初めて知った。シーツもびしょ濡れ状態だったから、

「こっちのベッドで寝よう」

 さっきのベッドにはユリの初体験の証が見えた。それを隠してもう一つのベッドでコウの腕枕で眠らせてもらった。初体験は聞いてた通りに痛かったけど、それでも途轍もない満足感にも満たされてる。

 初体験はコウとの距離を一切なくした。距離どころか、完全に密着状態になっただけでなく、コウをユリのすべてで満足させることもできた。コウは逞しい。体のすべてが逞しい。

「ユリの肌は綺麗だね」

 ユリは色白。それも、どうも日焼けしにくい体質だ。でもこの肌は白人女の白さじゃない。お母ちゃん譲りの日本人の肌だ。

「ユリは、どこを取っても本当に綺麗だよ」

 嬉しい。コウがユリのすべてを気に入ってくれてる。もちろんユリもコウのすべてを受け入れても大好きだ。今日はまだ痛くて、辛かったけど、きっときっと、そうじゃなくなるはず。その見本が家でエロ本を書いている。

「死ぬまで一緒だよ」
「当たり前だ。ユリ以外を誰も愛せない」

 女になってボンヤリ考えてたのだけど、男と女も体の相性はあるそう。コウとの相性だけど、悪くない気がする。そりゃ、ロスト・ヴァージンは痛かったけど、最後の方は単に痛いだけのものじゃない、何かがあった気がする。

 だって、痛かったけど、もうゴメンだって気になれないもの。さすがに今すぐ欲しいまでは思わないけど、また求められたら受け入れる以外に考えられないよ。受け入れているうちに、ユリだってもっと感じるはず。

 そうやって感じ方が高まって行くうちに、どこかでイクかもしれない。きゃぁ、恥しい。コウに抱かれてるままでイッっちゃうの。それもその姿を見られちゃうとか。でも、そうなれたら嬉しいかも。

「愛してる」

 嬉しい。ユリの体を愛するのはコウだけだ。そう思える相手が出るまでやらなかったもの。コウこそユリの唯一の男だ。

「そうなってるよ。ユリが卒業したら婚約から結婚まで一直線だ」」

 その初夜だ。とりあえず今夜は寝よう。ユリの記念すべき夜を噛みしめよう。

ツーリング日和7(第5話)コウ

 ユリにも恋人がいる。お母ちゃんとの話に出て来たコウだよ。コウはね、そりゃもうの美男子なんだよ。髪は銀色に染めてる。もちろん若白髪じゃないよ。顔は絵に描いたように端正。でもね、男性アイドルの甘いマスクと言うより、クールでキリッとした感じかな。

 背も高い。これもユリ的にはポイントが高い。そりゃ、女は背の高い男が好きだけど、ユリの場合は自分の背が高いと言うのがある。ヤリチン種馬親父の遺伝だ。そんなユリでも釣り合いが取れるぐらいコウの背は高い。

 スタイルはシンプルには細マッチョ。贅肉なんかどこにもない引き締まった体だ。それでいて余計なマッチョ感は一切ない。ここも男に誤解されやすいのだけど、女は強い男が好きだけど、ムキムキ・マッチョ男は避けられるところがある。

 もちろんマッチョ好きはいるけど、ムキムキになるほどモテるもんじゃない。言うまでもないけど、だらしなく肥えてるのは好かれない。そうだな、水泳部の逆三角形ぐらいが一番人気があるかもね。

 コウのスタイルは惚れ惚れするほど素晴らしいけど、見かけだけじゃなく、喧嘩も強いそう。今のコウからは想像もつかいないけどヤンキーでブイブイ言わせた時代があったんだって。ちなみにコトリさんやユッキーさんは、その頃からコウと知り合いだったって聞いた。

 さらにコウは物腰も言葉遣いも品がある。そうジェントルマンなんだ。それも付け焼刃じゃない、筋金入りのジェントルマンだ。これには理由がある、コウの本名は、

『北白川紘有』

 ヒロアリと読むのだけど、今どきの名前じゃない。ユリなんかシロアリの一族と思ったぐらい。こんな古臭い名前の秘密は苗字の北白川にある。お母ちゃんのペンネームと同じだけど、コウの北白川は本物の北白川。

 なんとだよ第二次大戦後に皇籍離脱するまで、北白川宮っていう宮家だったんだよ。つまりは天皇家の親戚。コウはそこの跡取り息子。今は一般市民だけど、やっぱり名門だし、セレブのお家柄。子ども時から礼儀作法は厳しく躾けられたはずだもの。

 そんなコウの職業はピアニスト。ジュリアード音楽院を主席卒業で、今は超が付く有名かつ人気ピアノスト。ラ・カンパネラを弾かせたら世界の何本かの指に数えらえるほどの超絶技巧の持ち主なんだ。だからリサイタルとかコンサートを開くとプラチナ・チケットになるぐらい。


 セレブの家の息子で、世界的なピアノストであるコウと出会ったのは、コトリさんに連れられて行った濁河温泉だった。あの時にユリはもちろんだど、コウも一目惚れ状態になったんだよね。

 そこから交際を深めて今に至るなんだけど、そんなに簡単じゃなかった。コウの家クラスのセレブになると釣り合い問題が途轍もなく大きくなるんだよ。コウもかつて結婚まで考えた恋人もいたんだよ。

 コウが結婚できなかった元カノも社長のお嬢様だったんだよ。世間的に見れば立派なセレブのお嬢様だったけど、ケチを付けられたのが元カノの実家の会社の職種。中堅クラスの人材派遣業だったのだけど、

『口入屋風情の娘』

 口入屋ってなんだと思ったんだけど、江戸時代の人材斡旋業ぐらい。ただし、江戸時代には今の人材派遣会社みたいなところもあった一方で、地方の百姓を騙して娘を安く買い、売春宿に貸し出し売り上げをピンハネする者が横行してたとか。

 そういう商売だからヤーさんとの関係も深くて裏の商売、いかががわしい商売とされてたらしい。だけどさぁ、それって江戸時代の話じゃない。今の人材派遣業と同じにするのはおかしいと思う。

 だけどコウの家だけでなく親戚連中から総スカンを喰らったそう。これでもかのバッシングを喰らった元カノは逃げちゃった。そりゃ、そうだろ。そんなとこに嫁いでも超弩級の嫁イビリが待ってるとしか思えないもの。

 この釣り合い問題になるとユリはマイナス材料の団体さんみたいなもの。片親どころか私生児だし、ハーフで外見はモロ白人。さらにお母ちゃんの商売はエロ小説家。別にセレブの家が相手でなくてもあんまり良い顔なんかされないぐらいはわかる。

 コウは家を捨てて駆け落ちまで口にしてたけど、この釣り合い問題が一挙に雲霧消散したのは、ユリが侯爵になってしまったこと。笑ったらいけないけど、これでユリの方がセレブ連中の解釈では格上になるそう。

 本当にアホらしいのだけど、皇族の出だと言っても今はしょせんは『元』。言い切ってしまえば一般市民になる。それに対してユリはバリバリの正式の貴族。それも小国とはいえ宮廷序列ナンバー・ツーの最高位貴族になる。

 公国だから待遇は王族と同等扱い。まあ、血筋だけは前公爵のカールの娘だし、異母だけど現公爵の妹だものね。ついでに言えば継承順位も二位だ。こんな妙な肩書を持った女なんて日本じゃそうそういないはず。

 ユリにしたら鬱陶しいだけの侯爵だけど、コウとの釣り合い問題を解消してくれた点だけは感謝してる。そりゃ、もう現役侯爵は凄い威力で、コウの実家にも挨拶に行ったけど上座がユリだものね。あいつらの感覚おかしいよ。

 それでもって、ユリのとコウの関係は婚約状態。これはユリがまだ学生だから。卒業を待って正式の婚約発表ぐらいのスケジュールかな。でもさぁ、でもさぁ、婚約してから結婚までも大変そう。

 結婚式の準備も大変だろうけど、北白川家は古い家じゃない。そういう名門旧家は結納とかの儀式もコッテリのはず。つうかひたすら長い儀式になりそう。これは今から覚悟してる。まさか、三日三晩の結婚式なんてやんないよな。


 ここまで深まっているコウとの仲だけど、まだ重要な事が済んでいない。そうなんだよ、お母ちゃんが冷やかしまくるけど、未だにユリはヴァージンのまま。ユリが嫌がってるわけじゃないよ。

 こうなってしまってるユリの原因としては、例のエッセンドルフ訪問に備えて宮内庁に缶詰にされたり、缶詰にされて学校を休んでいた分のレポート地獄に突き落とされたりはある。ついでを言えばハインリッヒ来日のお供も加わる。お母ちゃんに言わせれば、

「ラブホで一時間もあれば済むじゃない」

 かもしんないけど、初めてじゃない。やるのだけが目的ならそれでも良いけど、少しでもロマンチックにしたいんだよ。ヤリマンビッチのお母ちゃんと絶対に違うからな。

「一発目だけの話なのに」

 実の母親が言うセリフか! これにコウの事情も加わる。コウの趣味というか生きがいみたいなものにストリート・ピアノがある。全国各地にあるストリート・ピアノを訪ね歩いてパフォーマンスをやること。

 これに加えてみたいなものだけど、地方での演奏依頼を積極的に受けてるのがある。この各地のストリート・ピアノ訪問と地方の演奏依頼を組み合わせてツーリング旅行をコウは常にしているところがあるんだよね。

 コウほどの人気ピアニストなら、東京とか大阪みたいな大都市のリサイタルとかで収入としては十分なんだよ。だけどコウは地方演奏を重視してるんだ。そうやって本物の音楽を一人でも多くの人に聴いてもらいたいのが信条なんだよ。

 コウの考え方はユリも大賛成なんだけど、結果としてコウは年がら年中、演奏旅行で留守状態になっている。ユリだって大学があるから、コウの演奏旅行に付いて行けないってこと。下手に大学を休めば、あのクソ大学、テンコモリのレポート地獄を用意しやがるからな。

 コウの留守が多いから、ここまで関係が深まっても同棲にもなっていない。したって留守番ばかりじゃない。留守番ばかりでも同棲したいけど、安易にやりにくいところもある。それはコウが有名人であること。

 コウの人気はそれこそアイドル並み。そりゃ、あれだけ美男子だから熱狂的な女性ファンが多いのはわかる。ユリだって、その一人だったわけだし。そんなコウとの同棲が発覚したら芸能マスコミの餌食になるのは目に見えている。

 そんなものが報道されようものなら、全国のコウの女性ファンから石を投げられる。いや、もう投げられてる。コウとの交際は、いくら隠しても、やっぱりバレてる部分がある。だからユリの家にもその手のストーカーみたいなのが現れた。

 あれは正確にはストーカーじゃないかもな。ストーカーとは憧れの対象への付きまとい行為だから、ユリにされたのは嫉妬に狂ったコウの女性ファンの嫌がらせのようなもの。そういう行為もストーカー行為になるのだろうけど、警察に相談しても実害が大きくならないと動いてくれないところがある。

 これじゃ、誤解を招くな。防犯対策の相談に乗ってくれたり、パトロールを強化したり、一一〇番登録とかはしてくれるけど、ストーカーを見つけ出して踏ん捕まるとかはしてくれない。警察もそこまでヒマじゃないからね。

 この時ばかりはユリが特命全権大使であるのが役に立った。あの治外法権ってやつ。具体的には外交関係に関するウィーン条約二十二条の2だそうで、

『接受国は、侵入又は損壊に対し使節団の公館を保護するため及び公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止するため適当なすべての措置を執る特別の責務を有する』

 えらく厳めしい文言だけど、ユリの家は正式には大使館で、その家へのストーカー行為は大使館の安寧を脅かす行為になるとか、なんとか。というか。要は日本人同士のストーカートラブルじゃなく、国際問題に格上げされたぐらいで良さそう。

 ストーカー女は張り込み捜査をされ、あっさり逮捕されて一件落着。そりゃ、捕まるよ。ストーカー女が出てくるまで二十四時間体制でエンドレスの勢いだったもの。警察が本気になって動いたら、ああなるって良く分かったぐらい。


 そんなコウから誘われたのが東北ツーリング。五月の終わりぐらいだけど、一緒に行かないかって。こうやって何度も誘ってくれてるのだけど、なかなか行けなかった。でも今回は大学も上手く休めそうなんだ。四年になって少し余裕も出来たものね。頑張って単位取ってるんだよ。

 でも東北と言っても遠いじゃない。飛行機で行くならまだしも、ツーリングとなると、どうやって行くんだ。パッと思いつくのは名神から北陸道を突っ走るだけど、

「新潟まででも六百キロぐらいあるよ」

 ぎょえぇぇ、死ぬ。コウの一七〇〇CCのハーレーならまだしも、ユリの二五〇CCじゃ、事故をしに行くようなものだ。それに新潟まで行ってもまだ北陸で東北じゃない。新潟から山形まで行ってやっと東北だ。

「ボクでも辛い距離だし、ユリにそんな事をさせようとも思わない」

 コウの計画はフェリー利用だった。敦賀から秋田に向かうフェリーが毎日出航してるんだって。フェリーを組み合わせたツーリングってライダーの夢みたいなものじゃない。コウも東北まで足を伸ばすのは珍しいみたいで、

「全部初めてじゃないけど、これまで行けてないとこを中心にツーリングをするつもりだ」

 コウとのツーリングなら、どこに行っても楽しいに決まってるけど、東北はワクワクする。大学のツーリング・サークルでも東北まで遠征しているのは少ないのよね。それに二人で泊まりを重ねたら、当然だけど結ばれない方が不自然だ。お母ちゃんにも言ったら、

「やっとなの。お赤飯炊いて待ってるよ」

 それは初潮の時のお祝いだろ。

「これも忘れずにね」

 コンドームかと思えばピルだった。

「避妊のためもあるけど、生理が来たら悲惨だからね」

 たしかに。これで準備万端だ。

ツーリング日和7(第4話)小説家デビュー秘話

 お母ちゃんはエロだけど人気小説家だ。ユリが生まれた頃にはすでに売れっ子になってたはず。つうかお母ちゃんはエロ小説家として自立していたからシングル・マザーを選べたんだよな。

「ユリは絶対産む気だったよ」

 さすがはエロ小説家でも母親だ。

「だって、このチャンスを逃したら白人とのハーフを産めるチャンスがないじゃない」

 そこかよ。ああ言いながらも、ユリを愛情込めて育ててくれたことは感謝してる。母親としては余裕で合格点なのは間違いない。少々、いや過剰なぐらい物わかりが良すぎる点を除くだけど。とにかく男女関係は無頓着なんてものじゃなかった。

「クレカ話の参考になるかもしれないから・・・」

 お母ちゃんの小説家デビューの時の話だ。小説家の世界も厳しい。芸能界も厳しいと言うけど小説家の方がもっと厳しいかもしれない。だってだよ芸能界なら二世俳優とか女優はいるけど、小説家で聞いたことがないものな。

「小説家になる必要条件・絶対条件は才能だけど、それだけじゃデビューできないのよね」

 才能とか実力を見てもらい評価してもらうには、大昔は出版社の編集者や、有名評論家とかに原稿を持ち込んだりもあったそう。でも現在はほぼシャット・アウト状態らしい。そうなると、

「そうねぇ、昔ながらの同人誌を発行したりもあるけど、投稿サイトの利用も多いかな」

 なるほど。

「後は新人対象の懸賞もあるよ」

 だけどとにかく応募される作品が多いそう。そこを勝ち抜く実力がすべてと言えばそれまでだけど、

「懸賞取ってもなかなかなのよね」

 同人誌にしろ、投稿サイトにしろ、懸賞にしろ、お母ちゃんに言わせると目的は一つで出版社の編集者の目に止めてもらうためだそう。

「他にないじゃない。本を作って売るのは出版社よ。そこに採用されないと何も始まらない」

 本が出版されて売れるためには、

「一に宣伝、二に宣伝、三四がなくて五に広告」

 紙ベースの本がわかりやすいけど、まずは本屋の本棚に並ばないと売れるわけがない。だけど本屋の本棚に無名の新人の作品を並べてもらうには、出版社の後押しがないとまず無理だそう。

「並べられたって売れないの。売れるように並べてもらうところに行かないと返品されて終わりになる」

 たしかに。ユリだって本屋で手に取るのは店頭に平積みで並べてあるとかだものね。本棚の隅っこの無名作家の本なんて手にも取らないし、それ以前に視界にも入らない。そこまで出版社が本気になって、やっと売れる可能性が出てくるぐらいだって。

 でもさぁ、本屋は物理的なスペースの問題が出て来るけど、電子出版なら無尽蔵に品ぞろえ出来るじゃない。

「本屋と一緒だよ。考えようによっては本屋より厳しいところもあるぐらい。だってだよ、一目で見れるのはトップサイトだけじゃない。スマホならなおさらに狭くなる。その他の本をわざわざ探し出す酔狂な人間は少ないよ」

 題名とか、作者まで絞り込んでるならまだしも、たとえば恋愛ってジャンルだけなら、それこそゴマンと出てくる。そこの上位にいないとまず見つけられもしないよな。

「とくにエロ小説となると懸賞なんてないし、投稿サイトも十八禁指定とか、R指定がうるさくて、濡れ場を挟む程度なら良いけど、モロのエロになると使いにくいのよ」

 言うまでもなく完全にイロモノ扱いだものな。

「全国高等学校文芸コンクールなんて門前払いだもの」

 当たり前だ。誰がエロ小説甲子園なんて作るものか。でもそのハードルを乗り越えてお母ちゃんはエロ小説家デビューを果たしてる。クレカに関係するなら自費出版だとか、

「そんなもので売れるわけないでしょ。本屋の本棚にさえたどり着けないわよ」

 自費出版がヒットするなんてあり得ないとしてた。あれはあくまでも書いた人の趣味のもので、友人知人に配って自己満足するために存在してるだとか。だったら、どうやって、

「ユリもエンジェル・ナイト文庫を知ってるでしょ」

 そりゃ、知ってるよ。お母ちゃんの作品の多くがここから出版されてるもの。エロ小説界の大手みたいなところだ。そこに採用されたのはわかるけど、まさか枕営業をやったとか。

「やってないよ。やりたくとも、カールで体が精いっぱいで、時間なんてありゃしない」

 あのな、倫理的な問題を考えたのじゃなくて、やりまくりで時間がなかったって言うのかよ。

「捻って考えなくとも、出版社に作品を売り出してもらえるようにしただけよ」

 枕営業じゃないとしたら、うんと、うんと、そうか賄賂か。

「だから捻って考えないの。カールはね、エンジェル・ナイト文庫の株を二割ぐらい買ってくれたんだ」

 二割って・・・株の世界も良く知らないけど、すっごく多いのじゃない。

「今でも個人なら筆頭株主だよ。大株主様の本だから、そりゃ、力を入れて売ってくれたよ」

 そりゃ捻った売り出し方法じゃなくて、捻り過ぎて真っすぐになった方法だろ。

「エロ小説のマーケットは大きいのよ。エロ漫画とかエロ動画とかの競合は厳しいけど、テキスト・エロはモロの漫画とか動画と棲み分けられてる部分もあるからね」

 その話はそれぐらいにしてくれ。

「とくに中高生なら、モロの動画はかえって引くのも多いよ。まだまだ夢を持ってるからね。生々しいアソコの出し入れとか、喘ぎ声とかは夢を壊してしまう部分もあるぐらいかな」

 良く言うよ。テキストから絶叫が聞こえるとまで言われてるのがお母ちゃんの作品だよ。アレの描写の細やかさは漫画や動画以上とされてるじゃない。

「当たり前よ。そこで張り合えるから生き残ってるの。甘い世界じゃないんだから。常にギリギリの世界で戦い抜く世界だからね」

 これだけは感心するのだけど、カールに捨てられてから、殆どやっていないとしか思えないのよ。少なくともユリの知っている限り男の影さえない。

「まあね。時効だから言うけど、ゼロじゃない。ユリを産んだのは大学を卒業してからだけど、まだ若かったからね。でもね、ポークビッツじゃつまらないし、一発やったら続かないし」

 カールは本当に馬並みで、それは大きいだけじゃなく、回数も・・・まだユリは処女だぞ。こんなもの聞かせるな。

「なんだ、まだなの。いつまでチンタラやってるのよ」

 ほっとけ。そりゃ、ユリだって待ってる部分はあるけど、

「コウさんはインポなの」

 違う。そういう疑惑をユリも持った時期があったけど、たぶん違う。コウは健全なる男子だ。

「じゃあ童貞だとか」

 なはずないだろ。結婚を真剣に考えて家への紹介まで行っていた彼女がいたんだから。たくこいつに純愛ロマン小説なんて絶対書けるものか。

「あら、純愛ロマンだって、結婚すればやりまくるじゃない」

 夢を壊すな。でもお母ちゃんに作品にあったものな。その後のシンデレラとか、白雪姫だとか。どうしてシンデレラが色情狂になったり、白雪姫がSMに走るのよ。

「読んでるじゃない」

 く、悔しい。読んでしまってた。

「ユリもやればわかるよ。何が幸せかって」

 お母ちゃんみたいにだけはなってなるものか。