ツーリング日和7(第8話)コウのピアノ

 コウが演奏を依頼されたのは伝承館。南部の曲がり家の中にピアノが置いてあって、庭で聴く感じかな。それにしてもコウも遠野物語に詳しかったな。

「まあね。演奏する場所に合わせて曲を選ぶのも重要だから」

 へぇ、そんなことを考えてたんだ。単にその日に思いついたのを弾いてると思ってた。

「シチュエーションによってはそんな日もあるけど、ある程度は調べてるよ」

 さすがはプロだ。でも遠野に合ったピアノ曲ってなんだろう。まさか、童謡のふるさととか、

「あれはあくまでも去ってしまった故郷を懐かしむ曲で、遠野には合わないよ」

 言われてみればそうだ。遠野と言えば妖怪だよな。妖怪だったらゲゲゲの鬼太郎とか、

「ちょっと違うかな」

 だったら妖怪大戦争。

「どんな曲だよ」

 コウが弾き出したのは・・・これをピアノで弾くの。でもなんて美しい、これはバッハのG線上のアリアじゃない。でもこの風景にメロディーが溶け込んでる気がする。次は、次は、ああこれもバッハだ。主よ人の望みの喜びよだよ。

 なるほどこういう合わせ方をコウはするのか。でもなんて美しい響きなんだろう。魂に響くとはまさにこういう事かもしれない。今日はバッハ・シリーズかな。うん、次はバッハじゃないぞ。このメロディーは、えっと、えっと・・・思い出したぞ。エリック・サティのジムノベッティだ。

 ふと見ると庭は満員じゃない。そうなるよね。コウのピアノが聴こえれば引き寄せられちゃうもの。それにあれだけ集まってるのに声一つしない。もう聴き惚れてるよ。そうなるのがコウのピアノだもの。ピアノであんな音が出せるの不思議で仕方がない。

 次はシューマンのトロイメライだ。もうたまんない。こんな贅沢な時間が過ぎていくんだよ。ずっと聴いていたい。そしたらコウは立ち上がって、

「ストリート・ピアニストのコウです。今日はこんな素晴らしいところでピアノを弾かせて頂いて幸せです。名残りは尽きませんが、次で最後にさせて頂きます」

 ずっとここで弾いてられないものね。でも最後はなんだろう。これはユリも知らないぞ。でもなんてドラマチックな曲なんだ。でもこのメロディーの作り方は、元は歌謡曲かも。こうやって聴いていると、どこかで耳にしたことがあるような、ないような。コウはそれこその拍手喝采を受けて演奏が終わった。

「ユリ、お昼にしよう」

 もう昼だ。お腹空いたものね。ここで食べるのか、

「ああギャラのうち。ユリの分もあるよ」

 やったぁ。遠野と言えばジンギスカンとか、

「らしいね。でも郷土料理だよ」

 そっちも良い。だってジンギスカンなら六甲山でも食べれるもの。えっとこれは、ひっつみっと言うらしいけど。

「これってスイトンの元祖みたいなものらしい」

 戦後の闇市を彩る料理ぐらいは知ってるし、貧乏食の代名詞みたいなものだけど、美味しいじゃない。どうしてあれだけ貶されたんだろう。

「すべては食糧事情だろう。元はこんなに美味しいのに、戦後の食糧事情では作れなかったぐらいしか言いようがない」

 ユリだって本でしか読んだこと無いけど、とにかく腹に入れば満足みたいな時代だったらしい。そんな時代は二度とゴメンだ。他はなめこそばと山菜か、

「これデザートみたいだけど・・・」

 けいらんって言うらしい。見た目そのまま鶏卵だけど、小豆の漉し餡を餅粉の皮で包んで茹でたものらしい。そうだ、そうだ、最後に弾いた曲はクラシックじゃないよね。

「あれは映画の主題歌だよ」

 やっぱり歌だったんだ。それも怖ろしく古い歌じゃない。よくそんなものコウが知ってるものだ。

「前にユリに話したけど・・・」

 ストリート・ピアノを弾いていたコウを拾い上げたのがエレギオンHDの小山前社長。とにかく猛特訓を施してジュリアード音楽院に留学させてくれたとか。

「小山前社長がこの時代の曲が好きで、練習の合間に弾いてくれた」

 高山で弾いた千本桜もそんな曲の一つで良さそう。でも会社の社長がそんなにピアノが上手だったのかな。

「そうだね。リストのマゼッパをあれだけ楽々と弾いた者を未だに見たこと無いもの。今のボクでもまだ及ばない」

 ひぇぇぇ、そんなに上手なんだ。それにしてもコウのレパートリーの広さは舌を巻かされる。クラシックはもちろんだけど、ポピュラー音楽でも知らない曲がないんじゃないかと思うぐらい。

 そりゃ、ストリート・ピアノ上がりだから、ポピュラー音楽のレパートリーが広いのは当たり前かもしれないけど、とんでもなく古い曲を知ってるのだもの。

「古い、古いって言うけど、クラシックなんて物凄く古いじゃないか。ポピュラー音楽でも、時代を越えて生き残った曲はいつまでも色褪せないよ。良い曲はいつの時代でも人の心を揺り動かすよ」

 なるほどね。クラシック曲だって、全部生き残ってるわけじゃない。膨大に作られたもので時代を越えて生き残ったものが今でも演奏されてるんだものね。

「そういうこと。いつの時代にも音楽の天才は誕生する。今に残るクラシックが作曲された時代は、天才が群がって作っていた。でも今の天才が群がるのはポピュラー音楽だ。ここに歴史に残る曲が生まれるのは当然だ」

 そっかそっか。モーツアルトは天才だけど、モーツアルトの時代にポピュラー音楽はないのか。いやこれも違う。あの時代のポピュラー音楽だったんだよ。もし今の時代にモーツアルトが生きていれば、

「あははは、途轍もないヒット・メーカーになってるんじゃないかな」

 ユリでさえそういう面があるけど、クラシックを学んだ連中は、どうしてもポピュラー音楽を下の物として見てしまうところがある。クラシックを演奏する事こそが音楽の王道であり、ポピュラー音楽は邪道と言うか、色物ぐらいとして低く扱ってしまうぐらい。

「まあ、多いよ。ボクだってそんな感覚はあったぐらいだ。でもね、小山社長に鼻で嗤われた。音楽に上下はない。あるのは歴史を越えて残れるかどうかだけだってね」

 時代が変われば音楽も変わる。ある時代にマッチして大ヒットした曲でさえ、時が過ぎれば古臭い曲として見向きもされなくなることはある。でも一方で、時が過ぎても色褪せない曲はある。今の最新ヒットを追いかけてる子たちでさえ、

「ウソだ。そんな古い曲のはずが無い」

 こういうものね。ユリだって、ナツメロと紹介されても、これのどこがナツメロなんだって思う曲があるもの。今聞いても素晴らしいメロディーだし、歌だって聴き惚れちゃうものはある。

 曲とは五線譜にマークされた音符だけど。名曲とはそこに記された不滅のメロディーだよ。だってその組み合わせは世界でただ一つじゃない。そうだ、そうだ、コウにとっての不滅のメロディーは、

「そうだね。あえて一つ上げると・・・」

 なんだその曲、聞いたこともないぞ。

「かもな。でもそんなに古い曲じゃないよ。そうだな、ユリが二歳ぐらいかな」

 それでも二十年ぐらい前なのか。でもコウでも小学校ぐらいじゃない。

「そうなる。さすがに小学校の頃は、単なるヒット曲ぐらいにしか感じなかったよ。でもね、それから大きくなるに連れて耳にこびりついて離れなくなってしまったぐらいだ」

 コウがそこまで言うのなら聴きたいな。

「あははは、探してもユーチューブにないよ」

 どうして。たった二十年前でしょ。それなりにヒットしていればカバーぐらいはあるはず。

「カバーもない。だからこそ、もう一度聴きたいと願っている」