ツーリング日和6(第16話)華風の香凛

 香凛の花いけバトルロイヤルへの参加は大きな反響を呼んだんよ。

「そんなレベルじゃなくて話題沸騰みたいになってたよ」

 久しぶりの華道家の参戦つうだけやなく、華仙流みたいな大きな流儀の、しかも家元の孫娘やんか。それこそ流儀の名誉を背負っての出場になるからな。

「受けて立つフラワーアレンジメント側も物凄い気合だったもの」

 この辺はどうしても世間的な評価では、フラワーアレンジメントは華道の下風に見られがちなとこもあるからやと思う。香凛に勝ってフラワーアレンジメントの力を見せ付けたいのと、

「これだけ有利な競技設定で、なにがなんでも負けられないのもあったと思うよ」

 競技会の雰囲気は、いつもやったら華やかなイベントつうか、どこかお祭り騒ぎの空気が濃いのやけど、香凛の参加した大会はまるで巌流島の決闘みたいに異常な緊張感が張り詰めとった。

 参加者の衣装はそれなりにオシャレしとるけど、実態は作業着そのものやねん。でっかい花瓶にでっかい作品を短時間で作らんといかんし、そのために花とかが置いてある場所を素早く何度も往復せんとあかん。靴かって滑らへん靴や。

「そういう作業現場も競技会の見せ場の一つよね」

 会場には参加選手が順番に呼ばれて登場するんやけど、

「香凛の衣装からして度肝抜かれたんじゃない」

 なんとやで、香凛は華やかな振袖に草履やってん。

「勝負を投げたんじゃないかの声もあったもの」

 コトリもユッキーもその時の動画見たけど、香凛だけ完全に場違いやったもんな。競技は六人で争われるんやが、

 ・全員参加の一回戦
 ・一・三・五位と二・四・六位の二つのグループに分かれての二回戦、三回戦
 ・ここまで上位四名の四回戦
 ・四回戦の上位三名による五回戦
 ・さらに上位二名の決勝戦

 一回戦ごとに審査投票が行われて、そのたびに結果は発表されるシステムや。とにかくスケールが大きいもんを後になるほど作るさかい、ノコギリで木を切る作業も出てくるぐらいやねん。

「凄かったね」
「あんなん初めてやろ」

 振袖に草履のハンデをものともせず、

「あれ後から思ったんだけど、香凛がハンデあげてたんじゃない」

 そういう評価が出るぐらいのぶっちぎりの圧勝劇やった。それもやで、香凛の作品は、

「あれって華道の生け花よね」

 他の選手がこれでもかの盛り付けでゴージャスさを競いあってたけど、香凛のはすっきりした上品さやった。

「すっきりじゃないよ。内に籠ったパワーが強烈に噴き出す感じだよ」

 言い方は悪いけど、あれだけの手練れを相手にしとるのに、香凛の作品だけがプロの作品に見えたとすればエエかもしれん。

「はっきり言うと、他の作品が素人臭く見えたもの」

 それぐらいの実力差を見せつけたんよ。この日のあまりの惨敗は、

『日本のフラワー・アレンジメント界の暗黒の日』

 こうまで呼ばれるぐらいになった。

「ジェノサイドとか嬲り殺しみたいな声まであったもの」

 これだけでも十分すぎる活躍やってんけど、なんと香凛は翌年も参加したんよ。

「伝説の大会であり、史上最悪の大会とまで呼ばれてる」

 リベンジに燃えるフラワー・アレンジメント側は歴代優勝者をまず送り込んどる。これ以上は無い選り抜きの最強メンバーや。それだけやったら問題あらへねんけど、運営サイドにまで手を回したんや。

 選手は競技会場に入ってから使える花や木を確認するとなっとるけど、実は観客を入れる前に会場の下見をやっとるんよ。この辺は実際の競技のシミュレーションをさせとかんと、まったくの初見やったら混乱が生じるからな。

 その花と木やけど、実際の競技が始まる前に全部入れ替えてもたんよ。それも明らかにフラワーアレンジメント側に有利なものにや。

「その入れ替え内容も、事前にフラワー・アレンジメント側に知らされて準備してたんだよね」

 さらにステージと花や木の置き場所を遠くし、その間だけやなくステージも、

「すっごく滑りやすくしてた」

 もちろん、それ対策の靴もフラワーアレンジメント側は準備しとる。

「サクラまで使ってたものね」

 さすがに全員やなかったけど、観客二百人のうちの五十人やったんはわかってる。競技が始まる前にインタビューがあるんやけど、香凛も花や木の入れ替え、草履で歩くには滑り安すぎる状況見て取って、

『華仙流の神髄をお見せすることをお約束します』

 こういうや否や、パッと襷をかけたんや。

「でもそれだけで、振袖も草履もそのままだったよね」
「そやったな。そやけどあの襷は本物の本気を見せるサインやった」

 競技は始まったけど、数々のハンデなど存在せんとしか見えへんかった。香凛の動きはまるで風のようやった。それも単に早いだけやのうて、

「あれは舞よ、華やかな風の舞よ」

 そうとしか言えんわ。他の選手が土木作業のようにドタバタしてるのに対して、優美な舞を見るように作品を次々に作り上げていったんよ。会場はもう香凛の動きと出来上がる作品に陶酔状態やった。

「サクラまで裏切ったのが出たものね」

 決勝はタイマンになるんやが、相手の得票は三十票ぐらいしかあらへんかった。そうやねん、サクラさえ香凛に投票してもたぐらいやって、

「前年がジェノサイドなら、この年は完全抹殺だよ」

 この時の余りの圧勝劇に対して、香凛に付けられた呼び名が、

『華風の香凛』

 これで伝説の大会になり、香凛は伝説の人になったでエエと思う。

「生け花で、あれだけの相手に、あれだけの誰の目にも見える差を付けるなんて異常だよ」

 史上最悪の大会となったのは、数々の不正が大会後に次々と暴露されてもたんや。運営サイドは真っ赤になって燃え上がり翌年から交代になっただけやなく、運営会社自体が倒産してもとる。

「フラワーアレンジメントの業界団体も大揺れなんてものじゃ済まなかったもの」

 不正に加担した幹部連中は最初は関与を否定しとってんけど、あからさまな証拠や証言が次か次へと噴き出す状態に耐え切れずに辞任。

「辞任じゃ済まなかったものね」

 ああそうやった。追放を叫ぶ声が業界に広がってもて、辞任で責任を取ったとして話を終わらせようとした新任の幹部と対立し、

「ごっそり退会者が出て新たな団体が出来ちゃったもの」

 ちなみにまだ新旧二つの団体は未だにゴタゴタしとる。業界団体のことはともかく、香凛の二年連続の勝利は他の華道流派からも一目置かれることになり、華仙流の地位と人気も高まり、華仙流の入門者は激増や。

「香凛を日本一とする人も多いよ」

 香凛は生け花の天才や。それもタダの天才やない、あれこそ世紀の天才やろ。

ツーリング日和6(第15話)花いけバトルロイヤル

 生け花の優劣を競うのは難しいんよ。

「と言うか芸術で優劣をつけるのは簡単じゃないもの」

 華道でも同じ流儀内やったらコンクールもある。これは流儀で評価すべき技術ポイントとか、表現ポイントが決まっとるからな。ここも言うてしもたら、そういう違いがあるから流儀として成立しとるぐらいの生命線みたいなもんや。

 だってやで複数の流儀が集まってコンクールなんかやってみい、審査結果で血見るで。ましてや日本選手権とかワールドカップなんかやろうものなら収拾がつかんようになるわ。

「誰を審査員にするかだけで話が終わっちゃうよ」

 そやけど、それをやっとる競技会がある。花いけバトルロイヤルや。名前からして安っぽいけど、あれに近いイメージの競技と言えば、

「料理の鉄人」

 誰も覚えとるかい。そやけど近いのは近い。ただ最大の違いは審査員が全員素人やねん。会場の観客全員に一票ずつ与えての審査や。

「あれも割りきりよね」

 ああいうスタイルで多いのは素人審査員の他に玄人審査員も並立させて、票の按分も玄人を多くするパターンがほとんどや。それを素人審査員の得票数オンリーにしとる。あれやったら、たとえ負けても、

『素人には理解してもらえなかった』

 こういう弁明の余地が残されるぐらいやろ。つうか、こうでもせんと生け花の競技会なんか成立せえへんもんな。

「でも案外な権威に成長してる」

 権威になったんはバトルロイヤルが人気になってもたからや。人気番組で勝てば選手の名も売れるし、ショップとか教室もっとったら人気爆発みたいになるんよね。逆に惨敗でもしようものなら商売に響いてまうぐらいや。

 そうなると地位と名誉もある人間は避けたくなる。そりゃ、勝っても当然と思われるだけやし、負けようものならこれまでの名声が地に落ちかねん。出るだけ損みたいなもんやからな。

「でも人気って怖いよね」

 そうやねん。出んかったら、出んかったで逃げとるとか、勝つ自信が無いの批判が押し寄せるぐらいや。人によっては余計な競技会が出来たもんやとボヤいとるやろ。

「無名の新人にはチャンスだけどね」

 そやけど華道家は競技会が始まった早い段階で忌避しとる。

「華道家には不利な競技設定だものね」

 競技は会場の中央に設定されたステージで行われる。観客はその周囲を取り囲むような階段席で審査することになる。そうなると作品と観客の距離があるんよ。

「近づいて細かなところを見る競技やないのよね」

 それどころか審査時間はたったの一分や。もっとも作品の製作途中から全部見るから、

「それでも製作時間は五分だよ」

 とにかく審査時間は短いし、審査員席から離れてるから、作品は大型になる。そりゃ、見栄え勝負になるから、小さなところに技巧を凝らしても見てくれん。

「かなりフラワー・アレンジメント寄りの競技設定よね」

 使う花や木なんかもすべて運営側が用意したもんで、会場に入って初めてどんなものがあるのかわかる仕組みやねん。

「花瓶もね」

 即興性と手際の良さが重視されとる競技ぐらいやろ。華道家が嫌がる気持ちはわかるわ。

「とくに流儀背負うぐらいの立場の人間なら出れないよ」

 ここでやけど、華道もフラワーアレンジメントも花を綺麗に盛り付ける技術やけど、若干趣が違う。細かい違いはあれこれあるけど、

「水墨画と油絵ぐらい差がある」

 なんやその例え。そんなものでイメージ出来るやつはおらんわ、よう言われとるんは、

 ・華道は引き算の美学、フラワーアレンジメントは足し算の美学
 ・華道は空間を活かす美学、フラワーアレンジメントは空間を埋める美学

 これは和風の美学と洋風の美学の差でエエと思う。

「それでもわかりにくいよ」
「ユッキーの例えよりマシや」

 もうちょっとわりやすい差をあげると、華道は上達すればするほど玄人受けする作品になる。そうなるのも華道のシステムにあって、たとえば池坊やったら入門したら、

 入門→初等科初伝→中等科中伝→高等科皆伝→師範科助教華掌

 こんな感じで階級が上がっていく。ここまではお弟子さんの階級で、この上から師範、つまり弟子に花を教えられる資格になるけど、

 脇教授三級准華匡→脇教授二級准華監→脇教授一級准華綱→准教授三級華匡→准教授二級華監→准教授一級華綱→正教授三級総華匡→正教授二級総華監→正教授一級総華綱→准華督→華督→副総華督→総華督

 目眩がしそうやろ。池坊は歴史も古いからとくに多いんやけど、それでも道を究めたい人間は登っていくわけや。この登る時に誰が審査するか言うたら、自分より上の階級の人間やんか。そういう連中が認める玄人受けする作品になる以外あらへんやん。

「師範でも階級が高い方がお弟子さん集め安そうだものね」

 そこも大きいと思うわ。華道家が食べる大きな手段に華道教室の経営があるねん。そうやって玄人受けする作品になり、

「これも大胆に言い切っちゃうと、華道家の生け花が飾られるのメイン・ステージは床の間よね」

 これに対してフラワーアレンジメントは、結婚式場とか、イベント会場の飾りつけがメインの仕事になりやすい。華道家にもおるかもしれんが、フラワーアレンジメントの方が多いし、そういうところで名を売っているのが一流とされるはずやねん。

 ここで一番の差やけど、フラワーアレンジメントは誰を意識してるかやねん。結婚式場にしても、イベント会場にしても見るのは素人や。素人にどうやってアピールするかを常に念頭に置いてるし、どうやったら素人受けするかもよう知っとることになる。

 花いけバトルロイヤルの参加者にとくに資格はあらへんみたいやけど、会場も含めた競技方法の設定はフラワーアレンジメントを念頭に置いたもんでエエと思う。人前での派手なパフォーマンスもそうや。

「初期の頃は華道家の参加もあったけど、勝てなかったものね」

 勝負の土俵が華道家に不利過ぎるもんな。これだけ条件が違えば、同じ花の飾り付けでも、ボクシングとプロレス、柔道と空手ぐらい差があるからな。バトルロイヤルで負けても華道がフラワーアレンジメントに劣るわけやないけど、わざわざ参加して恥かくだけ損や。

「でも香凛は出たのよね」
「ああ腰抜けるぐらい凄かった」

ツーリング日和6(第14話)日本三秘湯

 悲劇の舞台を訪ねたら、

「ロープーウェイ!」

 これ上がらんと八甲田山に来た意味あらへんやろ。さすがの展望やな、陸奥湾まで一望やんか。

「トレッキングに行くで」
「レッツ・ゴー」

 ゴードラインていうらしいけど、八の字型にコースがそうなっとるかららしい。まずは陸奥湾展望台か。道もよう整備されとるし木が低いから気分よく歩けるで。こっちに行ったっら湿原展望台か。

「これすごいね」

 これが田茂萢湿原か、予想しとったよりエエやんか。コースは田茂萢湿原を回って行くんやが、木の道になっとるのが嬉しいわ。ほんでここが高原植物展望台やな。ここから登りやな、なるほど湿原展望所の向かいに見えとった丘やな。

「ここも綺麗。向うに見えるのは陸奥湾じゃない」

 かなり壮大やな。八甲田山の雄大な景色を堪能したら十和田ゴールドラインや。この道は青森から八甲田山の西側から南側を回って十和田湖に行く道やねん。ロープーウェイから酸ケ湯温泉の地獄沼、さらにまんじゅうふかしや。

「まんじゅうふかしは来たかったんだ」

 ここは入浴するんやのうて、服着たまま木のベンチに座って温泉の蒸気を楽しむとこやねん。ついでに睡蓮沼も立ち寄って、

「ついに来たよ日本三秘湯」

 ちなみに残りの二つは北海道のニセコ薬師温泉、徳島の祖谷温泉やそうやけど、理由は知らん。そう自称するならそれでエエぐらいや。この辺やったら酸ケ湯温泉が有名やねんけど、ユッキーがそっちを蹴って谷地温泉にしよった。ユッキーが望むんやったらそれでヨシや。

 宿は秘湯らしく林道の奥や。建物は気合入っとるな、山小屋風と言ってもコテージみたいなオシャレな感じやのうて、富士山とかアルプスにある山小屋風や。まさか中までと思たけど、さすがにちゃうか。部屋はこんなもんやろ。

 風呂は上の湯が女風呂で、下の湯が男風呂か。珍しいな。こういうとこやったら逆になりそうなもんやのに、

「入れ替え制だよ。五時半から八時半が下の湯が女風呂になるよ」

 なるほど下の湯の方が霊泉として有難がられてるんか。それやったら夕方は下の湯入って、朝は上の湯に入ればエエんか。二つの湯の違いは、下の湯の方は床から温泉が湧いて来るらしい。そろそろ五時半やから下の湯に行くで、

「今日も当たりだ」

 ユッキー好みの木の床の木製湯船、段差無しやもんな。ヒバ作りになってるんか。湯は白濁しとるか硫黄泉やな。ちょっとぬる目やけど疲れを癒すのにちょうどエエ感じや。夕食はお食事処で岩魚づくしや。

「宿の前に生簀があったものね」

 岩魚の塩焼き、岩魚の天ぷら、岩魚のフライ、そして、

「岩魚の骨酒お代わりください」

 今日は完全に山の幸やな。青森で日本酒言うたら田酒がまず思いつくけど、陸奥八仙もあるし、豊杯もあるな。

「コトリ、今回のツーリングおかしいと思わない」
「どこがや」
「順調すぎるよ」

 ほとんどノン・トラブルやから、ほぼ予定通り回れてるもんな。ロング・ツーリングでこんなに平穏なんは初めてちゃうかな。

「だから変よ」
「そんなんもあっても悪ないやん」

 そしたらユッキーが悪戯っぽく笑って、

「美女と野獣の美女を思い出した」
「誰やねん」
「華仙流の孫娘」

 それって瑠璃堂香凛のことか。言われて見れば似とるわ。着物姿しか見たことがあらへんかったから、なかなか結び付かんかった。そやけどなんで秋田までツーリング、それもソロツーで来てるんよ。

「それを考えるのが楽しいんじゃない」

 華仙流は華道や。華道いうたら池坊とか、草月流とか、小原流が有名やけど、流派だけやったら三百ぐらいあるとされてる。華仙流は新興で香凛の祖父の大拙が開いたものや。大拙も池坊や草月流を学んだんやが、

「お花の才能もあったけど、同じぐらいビジネスの才能がある人よね」

 マスコミに上手いこと入り込んで、新たな華道の旗手みたいにもてはやされて、今や華仙流は華道界の一方の雄みたいに大成長を遂げてるぐらいやからな。

「スタンスとしては小原流のさらにモダン・バージョンかな」

 小原流も文明開化によって入って来た西洋の花に対応しようとした流儀で、盛花を確立したぐらいが有名かな。生け花やったら必須の道具の剣山を普及させたんも小原流やとなっとるねん。華仙流はさらに西洋流のフラワーアレンジメントを大胆に取り入れたぐらいでエエと思うわ。

「反発する人も多かったけど、若い子にとくに受けたよね」

 そんな感じや。華道の改革者なんて評価もあったぐらいやもんな。ちなみにコトリは池坊、ユッキーは嵯峨御流や。

「あの頃はそれぐらいしかなかったし」

 そやったな。なんとか流言うより、生け花を習ったぐらいの感覚やもんな。とにかく華仙流は今のトレンドに乗っとる大流儀になっとるわ。

「そやけどなんでやねん」
「単純にはバイク好きでツーリング好きになるけど・・・」

 それで説明出来たら苦労せんわ。華仙流は新興やけど三大流派に肩を並べるぐらいの隆盛を誇ってるねん。それにやっとるのが華道やからとにかく香凛のイメージはお淑やかなお嬢様や。コトリかって見たことあるのは着物姿だけやもんな。

 そんな香凛がバイクに乗っとるなんて想像も出来へんぐらいや。普段の香凛なんて知らへんし、香凛かって年がら年中、着物着てるわけやないとは思うけど、さすがにバイク、それも秋田までフェリーで来てソロツーはさすがに想像を絶するわ。

「そうよね。香凛は事実上の後継者だものね」

 大拙の後継者は息子の講平やし、腕も悪ないらしい。まあ大拙みたいなカリスマの後継なんか誰がやっても苦労するやろうけど、

「講平には華が乏しいかな」

 そないに簡単に大拙みたいな華が出来るかいな。そやけど、

「でも香凛の評価は大拙さえ越えてるよ」
「それは言える」

ツーリング日和6(第13話)死の彷徨地巡り

 県道四十号の近くに青森高校があるんやけど、あそこは青森第五連隊の駐屯地があったとこやねん。そこから六時五十五分に日の出を合図に二百十名は出発して、この道を歩いて八甲田山を目指したんや。

「それって八甲田山の」

 そういうこっちゃ。この辺が田茂木野か。駐屯地から七キロぐらいやから九時前ぐらいやろか。ここで住人から田代に行くのは無理やと進言されてる。

「道案内も断ったのよね」

 小峠までも十キロぐらいやから三時間かかってへんはずや。ソリ隊が遅れたから大休止を取ったとなっとるから十一時か十一時半ぐらいやろな。

「ここから遠いの」
「いやここで半分ぐらいや」

 残り十キロぐらいやったんが判断を狂わせたんやと思う。それでも小峠で大休止しとる間に天候は急変、猛吹雪になる。ここでも引き返すかどうか議論になっとるねん。結果は続行やってんけど、時刻もまだ昼やし、ソリ隊こそ遅れ気味やったけど徒歩組には余裕があったんやろ。

「津軽連隊への対抗心もあったはずよね」

 まさに生死の境目やったことになる。小峠から大峠までは数百メートルやけど、

「小峠まではまだなだらかだったけど、大峠になるとかなり急よね」

 山道ってそんなもんやけど、後半の方が格段に厳しうなっとる。それでもゴリゴリと押し進み馬立場まで進むことになる。

「その馬立場が歩兵第五連隊第二大隊遭難記念碑のあるところなのね」

 冬やから日の入りは十六時四十四分や。悪天候やから日の入り頃には暗かったはずやねん。それもあって田代への道を見つけられへんかってん。そやからやむなく、

「馬立場からさらに進んだここの平沢で露営や」
「ここから田代まではどれぐらいなの」

 二キロ程としてる資料も多いけど、ここに疑問がある。青森第五連隊が目指したのは田代であり、田代の中でも田代新湯としとる説が多い。雪中行軍やから温泉を目指しても不自然やあらへんけど、田代新湯に宿泊施設があったかどうかやねん。

 田代新湯には今でも温泉が湧いて、手さえ入れたら入浴が可能な浴槽もあるそうや。そやけど温泉旅館があった記録が見つからへんねん。湯治場的な建物があった可能性はあるが、二百十名も収容できるかと言えば疑問が残る。

 それよりなにより平沢の露営地からまだ遠いんよ。当時の道がどうなってかやけど、県道四十号は当時の田代街道でエエと思う。そやけど田代新湯は田代街道からかなり北側に入り込んだ駒込川の近くにある。

 今やったら平沢の露営地から東に二キロ弱ぐらいのところから林道に入り、一キロ半ぐらい林道を進み、その終点から歩いて十分ぐらいやねん。

「まだまだ遠いじゃない。それに宿泊施設もないところに押しかけても露営しなくちゃならないじゃないの」

 田代の謎は後でもう一度考えるとして、平沢で露営をしたものの、マイナス二十度の露営や。寝たら凍死みたいな状況になり、午前二時にようやく撤退の決断が行われて午前二時半に出発や。露営地におられへん判断は間違っとらへんけど、

「後手も良いところよ。悪天候の夜道の行動なんて・・・」

 ここから死の彷徨が始まる。道に完全に迷うてもたんや。田茂木野で案内人を断っとるから地図とコンパス頼りになるけど、夜やったら地形も見えへんしコンパスも凍って動かんようになったんよ。

 まず馬立場を目指したんやが、方向を完全に間違えて北側にある駒込川まで入り込んどる。そこから崖をよじ登って脱出したりして実に十四時間半も迷い続け、

「さっきあったやろ鳴沢の第二露営地までしか進めんかってん」

 わずか七百メートルぐらいで馬立場にも行けんかってん。露営したって眠ったら死んでまう状況は昨夜と一緒や。いや昨夜から不眠不休で動き続けて、第二宿営地だけで七十名が凍死したとされとる。

 部下がバタバタ倒れて行く状況にまたもや午前三時に出発するやんけど、猛吹雪の夜間行軍や。そやけど前の日の二の舞を続けるしかあらへんかった。この辺で軍隊としての集団行動は無理になり、兵士も発狂するものが次々に出て来たとなっとる。

 バラバラになった生き残りが三日目の露営をしたのが馬立場を越えた中の森の第三露営地やけど第二露営地から二キロしか進んでへんねん。この時に午前一時で点呼を取ったら三十名ぐらいとなっとる。

 四日目はようやく晴れた。そやけど部隊はバラバラで田茂木野を目指す状態になってもとる。気力も体力も尽きてるなんてものやなく、最後の生き残り部隊が賽の河原近くまで進んで露営したとなっとるけど、これかって第三露営地から距離にして一キロ程度や。

「後藤伍長ね」

 五日目に田茂木野にそれでも進んでいた後藤房之助伍長が立ち往生のようになっているのを救援隊が発見して、雪中行軍隊の遭難が初めてわかることになる。ほいでもって生き残ったのがわずか十一名やった。

「雪さえなければこんなに近いのにね」
「ああ雪山は行くだけで怖いし、猛吹雪の中を夜間行軍した結果がこれになる」

 青森第五連隊が目指した田代の問題に戻るけど、田代に宿泊施設があったとの記録があるねん。これは遭難を報じた東奥日報の記事で、捜索隊の動向を記したものやが、工兵第二中隊は田代に到達して、先着していた第一中隊とともに、

『長内文治郎方に宿営せし』

 この工兵第一中隊と第二中隊は二月三日に長内家に宿営したけど

『四日、天気が悪く同家に滞在した』

 天気が悪かったから次の日も泊まってるんや。二月五日になって、

『百六十名の滞在は難しいので七十名を出発させることとした』

 長内家に百六十名も宿泊しとった事になる。ここから考えると青森第五連隊が二百十名やったんは長内家の収容能力を考慮したものやった可能性が出て来るんよ。

「平沢の第一宿営地から二キロぐらいにあったのが長内家だったってこと?」

 長内家やけどかなりの規模やったんはわかる。百六十名を二泊させとるし、食事もそれなりに提供しとる可能性がある。それは記事にも、

『糧食は殆ど盡るに垂んとし且つ宿舎に貯蔵せる米も六七斗に過ぎさることとなれば』

 この記事でもう一つ注目して置いて良いのは、長内家を宿舎とし長内文治郎舎主と書いてあることや。つまりは宿泊施設やった見れるんよ。青森第五連隊がソリで悪戦苦闘しながら食糧を運んだのは、長内家は宿泊は出来るが、二百十名の食事を提供させるのに無理があったもありそうやねん。

「その長内家って今でもあるの?」

 完全に所在不明やし長内文治郎もこの記事にしか確認できへん。長内家の不思議は弘前三十一連隊にもある。弘前隊は三本木、つまり今の十和田市から田代を目指し、こっちも悪天候に悩まされながら青森に下り無事生還しとるねん。

 青森隊と弘前隊は八甲田の反対側からアプローチしてるんやけど、田代で落ち合う予定やった。そうなると長内家には青森隊の二百十名に加えて弘前隊の三十八名の合計二百四十八名が宿泊する予定やったことになる。

 そやけど弘前隊も長内家を見つけることが出来てないんよ。弘前隊は常に道案内を雇っていたし、危険を察すると臨機応変の対応をしたとなっとるが、そんな弘前隊でも長内家には到達出来とらへんねん。

「そうなると長内家は田代街道から離れていたと見るのが妥当ね」

 ここからは推測になるけど、長内家は田代新湯の湯治宿もしとってんやろうけど、田代新湯にあったわけやなく、少し離れたところにあったぐらいは考えられる。田代街道からは少し入るけど、湯治に行くには歩いて行くぐらいの感じや。

 弘前隊はおおよそ田代街道を進んでいたはずやけど、長内家に向かう林道が雪に埋もれて発見できへんかったぐらいや。

「だとすると青森隊が進んでいても長内家には到着はしなかった」

 かもな。そやけど、そやけど、長内家には謎は残る。二百五十名も宿泊できる家はどう考えても大きいやん。鮨詰めで寝かすにしても楽に長者屋敷クラスや。そんな大きな家の存在が跡形もないのはチイと不自然や。

「そんなことはよくあるよ」

 そりゃ、そうやねんけど、田代平は不毛の地やねん。今もなんもあらへんようなものやけど、第二次大戦後に開拓団が入植してるんやが大苦戦させられとる。つまり田代に当時は集落はあらへんことになる。

「そっか。田代新湯の湯治宿だけで、そんな大きな家が本当に存在したかよね」

 ちなみに田代新湯の外に田代元湯もある。田代新湯も田代元湯も駒込川沿いにあるんやが、田代元湯の方が少し西寄りや。この田代元湯に青森連隊の兵士が二人たどり着いて、一人は四肢切断の重傷を負ったが生き残ってるねん。

「そこまで行ってたのに長内家は見つけられなかったのね」

 すべては夜間行軍と猛吹雪のためと説明可能やが今となっては歴史の彼方や。これも結果論でしか言えへんが、長内家までが近かったから、たとえば小峠からでも引き返すより進むほうを選んでしもうた気がするねん。これも最初から田代は雪中宿営で乗り切るみたいな計画であれば引き返したかもしれへん。

「すべてが悪い方に転がる時ってそんなものだけど・・・」

 これもそんなもんやになってまうけど、悲劇の地や。

ツーリング日和6(第12話)津軽ラーメン

 朝食は七時にしてもうて七時半に出発や。今日も走るで、

「今日はついに八甲田山ね」
「八甲田山と言えば」
「死の彷徨」

 死んでどうするねん。その前のチェックポイントが尻屋埼や。竜飛岬、大間崎と並べて青森三大岬と呼んどったのがおったな。快調、快調、八時過ぎには到着や。

「あれが寒立馬ね」

 ここは南部藩の放牧場やったところで、南部馬の血を引く唯一の生き残りかもしれん。

「だからあんなに大きいんだ」

 南部馬は騎馬武者の憧れやった。騎馬武者と言えば坂東武者やが、坂東の馬でも南部馬には及ばなかったとされとるぐらいや。

「山内一豊の妻の話ね」

 そやけど寒立馬は南部馬の血を引くとは言え大きいのは別の理由があるねん。尻屋埼におったんは田名部馬と呼ばれる比較的小柄な馬やってん。これを軍用馬に改良するためにブルトン種と交配させたんが寒立馬になる。そやから寒立馬は日本の在来種には入らへんねん。

 日本馬の起源についてはDNA調査までされて、蒙古馬が対馬を経て全国に広がったことが確認されとるらしい。この調査を疑う気はあらへんが、そやったら南部馬だけ大きく逞しかったの話の説明に足らん気がする。

 半島経由で馬が伝来したのは地理的に疑う余地はあらへん。そこから来たんは朝鮮馬やけど、朝鮮馬は中国馬の系統で、朝鮮馬も中国馬も蒙古馬の系統でエエはずやねん。そやけど古代中国でも北方遊牧民族の馬より小さかった感じがする。

「コトリが言いたいのは、小型の朝鮮馬と別に北方遊牧民族の蒙古馬の血が南部馬に入った可能性でしょ」

 そういうこっちゃ。そういう機会があるかと言えば十三湊や。あそこやったら北方遊牧民族の馬を輸入するのは可能や。他の日本馬より大型と話に残った理由がこれやったら説明できる。

 そやけど南部馬は残ってへんねん。維新後の日本で重視されたのが軍用馬の育成や。近代戦の騎兵が乗るには小さすぎたんや。外国馬をドカンと輸入したらエエようなもんやが、馬は高いし明治政府は貧乏やった。

 そやから寒立馬みたいに在来種と交配させて大型化しようとしたんや。その時に目を付けられたのが在来種でも比較的大型やった南部馬や。そやけど軍馬は第二次大戦ではいらんようになった。さすがに騎兵は不要になってもたんや。

「バロン西も戦車隊に配属になってるものね」

 さらなる追い打ちが第二次大戦後の農業の機械化や。モータリゼーションの急速な普及もある。

「農耕用にも馬車用にも不要になったものね」

 馬を飼育するのは費用もかかるねん。南部馬も軍用馬への品種改良、馬自体の需要の激減で歴史の中で消えて行ったぐらいになる。その南部馬の系統の最後の生き残りが寒立馬や。

「今は幸せそうだよ」

 かもな。さて、ここはこれぐらいでエエやろ。下北半島から脱出するで。陸奥湾まで出て国道二七九号を南下して野辺地まで一直線や。気持ちのエエ道や一時間ちょっとで着いてくれた。

「買い物や」
「青森のソウルフードの買い込みね」

 こりゃ色々あるわ。しっかり買い込んで宅配も手配して、

「青森も言葉が変わるんだね」

 そうやねん。西の津軽弁と東の南部弁は別系統の方言ぐらい違う。これは歴史的背景があるんよ。南部家は盛岡が本拠地やねんけど、青森県も勢力範囲に置いとってん。津軽の大浦家、これは後の津軽家やねんけど南部家の被官やってんけど独立したんや。

 戦国時代やからようある話やねんけど、江戸時代に青森県の西半分は津軽家、東半分は南部家になってもてん。他も理由はあるんやけど、とにかくこの二つの家は仲が悪かってん。とくに南部家側が津軽家を敵視しまくり、領民までそうなってもたんや。

 津軽家の方が秀吉が小田原に来た時も、徳川家の時代も、さらに戊辰戦争の時も上手く立ち回り、青森県成立の時にも南部家の所領を取り込んだ形で成立してるやんか。

「でも怨恨は延々と残って、青森県の方言は隣り合わせなのに二つ成立してるってことね」

 そういうこっちゃ。今の県民にとっては昔話もエエとこかもしれんが、方言としてかつての津軽家・南部家対立の名残りがあるぐらいちゃうやろか。

「青森通るの」
「津軽ラーメンが食べたなった」

 野辺地から青森まで国道四号で一時間ぐらいやねん。ここでエエやろ、麺道舎ぜくうって色即是空かないな。まあ、なんでもエエわ。いっぱい種類あるな。こういう時には、

「一撃煮干と餃子」
「わたしも」

 へぇ、ごはんがサービスで、この煮干おかかを載せて食べるようや。

「マヨネーズは?」

 お好みやねんやろ。ほぅ、これはこでれでなかなかやん。ラーメンは、

「白く見えるのは煮干の粉末ね」

 ここまで煮干にこだわるスープってことか。津軽ラーメン言うてもざっとしか知らんけど、最大の特徴はスープが煮干なのはわかる。この煮干スープやねんけど一種類やないんよ。

 他の多くのラーメン店はスープは一種類や。味噌と醤油があってもスープは一つや。後はトッピングのバリエーションでメニューが増えるぐらいや。そやそやスープが一つとはスープを作っとる寸胴が一つって意味や。

「あれどうしてるのかな」

 この店のスープやけどコトリらが食べた一撃煮干が一番濃厚のはずやけど、それ以外にもスープの濃さのバリエーションが多彩やねん。それこそ濃厚系からあっさり系までズラリとあるねん。ついでに言うたらスープの濃さで麺まで変わる。

「あれだけのスープを用意してるとは思えないんだけど」

 違う種類のスープを用意するには新たな寸胴が必要になるもんな。そんなんしたら、作る手間はともかく、厨房が寸胴だらけになってまう。業務用の寸胴は巨大やからな。

「濃いのを薄めてるのかな」

 そう考えてまうけど、そんなんで納得できる味のスープなんか出来るんやろか。いやここは逆に考えた方がエエかもしれん。豚骨とかやったら、薄めてもたら味が台無しになってまう気がするけど、薄めても違った味が楽しめるのが煮干スープかもしれん。

「コトリの言う通りかも。濃淡の違うスープを作れるのも津軽ラーメンの特徴かもよ」

 とにかく美味けりゃ文句は無い。津軽ラーメンを堪能したで。あっさり系も試したかったけど、それはまたの機会のお楽しみや。こんだけ濃いの食べた後にあっさりを食べても評価できへんやろし。

「青森市に寄り道した甲斐はあったね」

 青森市に寄り道したんは津軽ラーメンも食べたかったけど、もう一つ目的があるねん。県道四十号で八甲田山に登るこっちゃ。

「それに理由があるの?」
「八甲田山やからや」
「やっぱり死の彷徨」

 なんで死なんとアカンねん。