「オレンジフェリーを使おうと思うんやが」
反対。あれってどこから出ているのか知って言ってるの? 大阪南港だぞ。大阪南港って大和川の河口じゃないの。大和川を渡ったらそこは大阪市を越えて堺市だ。なにが悲しくて下道で大阪市を北から南まで縦断しないといけないんだよ。
「そやけどナビ上で四十キロぐらいやんか」
そうだよ、四十キロもあるじゃない。どう考えたって一時間半ぐらいはかかるじゃないの。郊外の四十キロなら快適だけど、神戸からならひたすら市街地ツーリング、いや大都市内ツーリングにしかならないよ。
ツーリングの仇敵は都市部の走行だ。それも大阪市内だぞ。もっと言えばコータローのプランだったら国道四十三号を延々と走ることになるじゃないの。それにだぞ、二十二時の出航で二十時からの乗船もシャレにならないよ。
夕食との関係で二十時に乗り込みたいのは理解するけど、そのためには十八時ぐらいに神戸を立つんだぞ。それも平日だなんて狂気の沙汰だ。国道四十三号を舐めるな。
「そこだけ頑張ったら・・・」
千草だってコータローの言いたい事はわかるよ。今度の計画は愛媛に行きたいし、愛媛に行くフェリーとなるとオレンジフェリーしかない。オレンジフェリー自体は千草も魅力的だと思うし、フェリー泊はバイク乗りのロマンだ。
だけどだ。神戸から芦屋、西宮、尼崎、さらには大阪を十八時から走るのはあまりに無謀だ。これは市街地走行も大きいけど、さらなる悪条件も加わる。そんな時刻から走り始めたら日が暮れてしまう。
モンキーだってヘッドライトはあるし、ヘッドライトはLEDだ。ヘッドライトだけじゃなくウインカーも、ストップライトもLEDだ。その点ではモンキーの灯火類は今どきなのは知っている。
千草もモンキーを手に入れるまではヘッドライトも明るいはずと期待してんだ。けどさぁ、けどさぁ、実感として暗すぎるんだよ。
「ヘッドライトが暗いのは認める。あれってホンマに点いてるかどうか不安になることがあるもんな」
千草もそう思った。神戸市内なら街灯はだいだいどこでもあるけど、街灯があるだけでヘッドライトがどこ照らしてるのかわかんないんだもの。信号待ちで後ろのクルマがライトを点けたりしたらなおさらだ。
「トンネルかってそうやもんな」
そうなのよ。暗いトンネルなのにヘッドライトの存在感が本当にないんだもの。あれは正直なところ怖かったもの。千草も調べたことがあるけど、モンキーのヘッドライトは従来のハロゲンランプ程度ってどこかに書いてあった。
ハロゲンランプってLEDが出て来る前の高性能ライトのはずだけど、そんな理屈を超越するぐらいモンキーのライトは実感として暗いもの。
「そやからフォグランプを付けたり、ヘッドライトのバルブを替えてるのもおるもんな」
この辺はなんだかんだと言ってモンキーはバイクだし、しかも原付二種だ。クルマと同等と考えるのは良くないだろうし、自転車よりマシと思わないといけないのかもしれない。イキがってあの暗さで走るのがバイク乗りってやつもいるだろう。
それでも暗いのは暗い。あんな暗い代物で千草は夜道を長時間走るのはゴメンだ。コータローは千草が事故って欲しいのか。それで死んだら保険金を手に入れる算段でもしてると言うのか。
「愛する大事な大事な千草の保険金なんか誰が欲しいもんか。そやけどな・・・」
なんと言われようが、あんな時間帯に大阪南港を目指すのは却下だ。味噌汁で顔を洗って出直して来やがれ。
「う~ん・・・」
ここも誤解しないでね。コータローが千草のために計画を練ってくれるのはとっても嬉しいのだから。千草とコータローは愛し合ったから結婚してるよ。新婚生活だって予想していたより百倍も千倍も楽しいもの。
夫婦になるって結婚式が頂点で、そこからは醒めて行くのが多いって誰かが言ってたけど、コータローは違うと思う。なんかさ、夫婦になってからの方がもっと楽しいとしか思えないもの。ノロケと思っても構わないけど、今だって新鮮だし、一緒に暮らしてるのが夢みたいなんだ。
そうなってる理由だってわかってる。コータローがどれだけ千草を愛してくれてるかビンビンに伝わるのよ。次のツーリング計画だってそうで、徳島ツーリングがいまいち盛り上がらなかったのをコータローがどれだけ悔しがることか。
だからこその今回の意気込みは千草だってわかってる。それでも十八時から大阪南港を目指すのは却下だ。千草を愛してるなら他の案を考えなさいよ。
「モンキーで四国に行くのはルートが限られてるんよな」
それは思った。クルマなら淡路ルートもあるし、瀬戸大橋ルートもある。でもどちらも使えないのがモンキーだ。たとえジェノバラインで淡路に渡れても大鳴門橋は渡れないのよね。
「瀬戸内海沿いに西に走るのも難儀なんよな」
だって明石、加古川、高砂、姫路、相生、赤穂だ。坂越に牡蠣を食べに行くツーリングに行ったけど、
「姫路市内はどうしようもあらへんかったもんな」
行きは稲美町を抜けて行ったけど、帰りは国道二五〇号をひた走りだったのよ。思ってたより空いてたけど、
「一度走ったらお腹いっぱいや」
あそこからさらに西へとなると、
「国道二五〇号でJR赤穂線沿いに走るぐらいやと思うけど」
考えただけで遥かなるになるし、行けば帰らなければならないのが逃れられない宿命だ。
「その辺は距離もあるけど、土地勘が無さすぎるからな」
そこも大きい気がする。たとえば久美浜にも行ったけど、あそこって但馬の隣ぐらいじゃない。但馬だって遠いけど、なんとなく土地勘があると言うか、
「頭の中の地図の延長線の感じはあるものな」
それに比べると西へのツーリングは、
「明石越えたら異世界や」
異世界は言い過ぎだけど、子どもの時から親しみがないとこなのよね。故郷は田舎町だけど西にはまず向かわないところだもの。
「加古川も大きな街やけど神戸に行くもんな」
もっともこの辺の感覚は少しずれたらだいぶ変わる。
「そうやねんよな。小野まで行ったら加古川に普通に行くみたいや」
高校の友だちの感覚はそうだったもの。これは住んでないからわからないけど、小野まで行けば神戸までの距離と時間が長くなるし、加古川にはJR加古川線があったり、クルマでだって近い感覚なんだろうな。
でもさ、ツーリングって旅なのよ。旅の醍醐味は見知らぬ土地を訪れる経験じゃない。それがしたいから人は旅に誘われるのよ。任せたぞコータロー。