「たらい回し」から少し考える

「たらい回し」問題を考えてみます。東京での出来事はさすがにショッキングであったらしく、様々な対策が唱えられています。その中で個人的に目に付くのは、

    断るな!
つまりいかなる状況であっても断りさえしなければ「たらい回し」は解消できるとの主張です。誠にもっともな主張で確かに断らなければ「たらい回し」は発生しません。断るなの主張の延長線上に、
    満床であっても受け入れて当然
これもわりと幅を利かせている意見です。民主党山田正彦衆院議員は影の厚労相であるそうですが、

「ベッドが空いてない、医師がいないなどの理由で安易に受け入れを断らないでほしい。緊急対応策をぜひ考えてほしい」と訴えた。

個人的に私は「押し込み理論」と呼んでいます。押し込み理論は満員電車であれば適用される理論と考えます。ぎゅうぎゅう詰め状態であっても、力づくでも押し込めば電車は目的地に向って走ってくれます。これは電車に期待する役割が目的地に運ぶ事であり、乗車さえ出来れば目的を果たすのに近い意味を持っているからです。

医療で同じ理論を適用すればどうなるかですが、少しでも理性的にものを考えられる人なら次の疑問が出てくるかと思います。

    病院に押し込んだ後はどうするんだ?
病院は電車と異なり押し込まれただけでは目的を果たしません。電車はどんな状態であろうとも乗車する事が目的を満たす手段に近くなりますが、病院は建物の中に入っただけでは目的を満たせません。誰でも分かることですが、病院内で医師以下の医療スタッフの治療を受ける事が目的であるからです。満床であるとか、山田議員が「安易な理由」とされる「医師がいない」は患者にとって最大の目的である治療を受けられない事を意味します。つまり病院内に強制的に押し込んでも目的はなんら満たされない事になります。

患者にとって一番重要な目的は病院に入ることではなく、病院に入って治療を受ける事です。「たらい回し」問題で搬送を受け入れられない(搬送拒否)とは、受け入れても患者にとって有効な治療を行なえない状態を表示している事になります。そんな状態で「押し込み理論」が適用される事が患者にとって利益のある事かどうかはよく考えなければならないところです。


医療問題について本当に崩壊しつつあるのか、そうでないのかまでの議論があるのは知っていますが、そういう議論の根底に現在の医療側の医療供給能力を誰も詳しく知らないがあると考えています。「たらい回し」問題もその一つの現われと考えています。医療全体となると医師であっても全体像を把握しているとは言えません。厚労省であってもどれだけ把握しているか大いに疑問です。

医療供給能力と医療需要の関係は、

    需要 = 供給
これでは実は満たされません。この条件で満たされるのであれば「たらい回し」問題を問題視してはならないことになります。「たらい回し」が起こっても「どこか」には収容できているわけですから、需要を満たしていると考えられるからです。「治療が遅れて問題ないとは何事ぞ」の指摘は当然出てくると思いますが、「たらい回し」を発生させない、さらに短時間で治療を開始するの条件のためには、
    需要 < 供給
こうなる必要があります。

広い劇場で空席を探す時の事を思い浮かべてもらえればと思います。空席が多いときにはすぐに席が見つかり短時間で座れます。ところが満席近くになれば探し回らなければなりません。探す時間が長くなっても「需要 = 供給」です。短時間で常に空席を探し出すためには、ある程度以上の空席が常に確保されていなければなりません。もう一つ重要なのは、ある程度の空席があっても経営が成り立つ収入も必要です。

ここでなんですが、医療経営は現在のところ空席が発生するのを許されない構造になっています。黒字経営の病院は少なくとも90%以上、実はこれでも甘くて95%〜100%近い運用が求められています。またこれだけ埋めても入院している患者の質とか条件によっては黒字が出ません。この辺は病院の特性によって様々なので一概には言い切れませんが、おおまかにはそんな状態です。


医療問題の解決を考えるのなら、まず現在の医療供給能力を正確に提示する事が必要です。現在の医療問題に対する議論のおかしさは、供給能力を誰も正確に把握していない状態である事です。誰もよく知らないので「(余力があるはずだから)押し込め」みたいな主張が大手を振って出てくると考えています。この情報を提供するのは医療者の責任でもありますが、医療者個人は残念ながら見えている範囲は極めて狭いものであるのが実情です。

医療者も協力しますが、やはり監督官庁である厚労省が責任を持って提示するべきかと考えます。このデータがないと本当は何も議論する事が出来ないはずです。もちろん厚労省もデータ蒐集をしていなかったわけではありません。おそらく日本で唯一とも言える資料を作成し公開しています。有名な医師の需給に関する検討会報告書です。発表されたのは平成18年7月付けとなっていますが、このデータの内容がどういうものは今さらしません。

今さらしませんが、誰でも知っている大きな問題があります。統計データは「作られる」と言う大きな問題です。厚労省だけでも幾つあるか分からないほどの「○○会議」とか「○○委員会」もそうですし、国会でもそうですが、データは物事を決めるために重要な判断材料となります。今は金融危機からの大不況への対策が急務とされますが、対策を立てるにはデータが必要です。漠然と「危機だ」だけの根拠では何もできません。具体的にどういう影響がどういう方面に出るかを考えるためのデータが必要です。

そういうデータは官僚が作成しますが、作られ方はデータを積み上げて結論を導くのではなく、先に結論を決めておいてデータを作り上げる手法が取られます。よく言われる「結論ありき」と言う奴です。この作成技法に長じる事が官僚にとって重要な項目とされます。そのため作成されたデータは必ずしも実態を反映しないものになります。

実態を反映しないと言ってもデータの基礎数値に嘘はありませんから、提示されて「おかしい」と感じても論破するのは容易ではありません。医師の需給に関する検討会報告書にもその方向性を決定付けているデータである、医師の需給推計について(研究総括中間報告)が添付されています。非常に詳細そうなデータですが、詳細そうに見えるだけでこのデータを再検証する事ができない構造になっています。再検証に必要な基礎数値はすべて隠蔽されている構成であるということです。

そんなデータでも公式に提示されれば絶対の根拠となり猛威を振るいます。危機を本当に克服したいのなら、そんな「結論ありき」の手法で作られたデータではなく、再検証の批判に耐えられるデータの提示が必要です。そういうデータが提出される日が果たして来るのかと言う問題は、暗い影を常に落としていると感じています。