ツーリング日和20(第22話)花見

 楽しい夜の食事だったけど、あははは、なんにも起こらなかった。バーで飲んで電車で帰っただけ。あれからも何回か行ったけど、メシ食って、酒飲んで、楽しいおしゃべりをしてサヨナラだ。

 二人の間の距離こそ縮まったけど、ハグやキスどころか手さえつないでない。マナミだってバツイチとはいえ独身だから手ぐらいつないだって良いじゃないの。じゃあ、瞬さんに恋愛感情が無いかと言えば、これがわかんないのよね。

 ああやって誘ってるから好意はあるのは間違いない。嫌いな相手を誰が誘うかって話だ。問題は好意の質だ。ライクなのかラブなのかがさっぱりわからん。でもここの見切りは重要なんだ。

 ラブならこっちから突撃するのもありだ。そうやって最後の一線を突破する戦術だ。だけどね、ライクだったら自爆になりかねない。だってそうでしょ、恋愛感情のない相手に突撃されたって断るしかないじゃない。

 じゃあだけど、突撃して断られたらどうなるかって話だ。男女の関係って微妙と言うか、繊細な部分があるのよ。ここを恋愛感情がなければ友情で、あれば愛情って言えなくもないけど、今まで友情と思ってた相手に恋愛感情があるとわかれば元には戻れないところはあると思ってる。

 これって逆の立場ならすぐわかるでしょ。ただの男友達と思っていたのに、実は恋愛感情があるってわかったら、お付き合いを断ってもシコリが絶対に残るもの。男だって、断られたからっていきなり友情に戻れるはずないじゃない。

 とりあえず瞬さんと過ごす時間は楽しいし、瞬さんだって楽しいからマナミを誘ってるはずだ。ここまでは良いのだけど、ラブとライクの見極めをしくじったらすべてを失ってしまう。そうなのよ、たとえライクであってもこの関係は手放したくない。

 それに今はライクであっても、どこかでラブに変わるか可能性があるのが女と男だ。突撃するのはラブと見切れた時のみだ。ヘタレと言われようが今はそうする。待つのだって恋では重要な時間だ。


 そうこうしているうちに春が来た。ツーリングシーズンの再開だ。まだ肌寒いけど、春と言えばお花見だろう。花見も名所はたくさんあるけど、とりあえず吉野は遠い、遠すぎる。あんなとこに行こうと思えば大阪を乗り越え、奈良の南の方まで行かないとならないじゃない。

 同様の理由で京都もパスだ。清水寺なんてバイクで行ってどうするんだの世界だもの。他の京都市内の桜の名所も同上だ。バイク乗りなら、バイク乗りに相応しいお花見をするべきだけど、具体的にどこだと言われたら困るな。

 条件としたら桜が綺麗なのはもちろんだけど、そこが混雑してない方が良いな。混雑してるところはクルマで行っても大変だけど、バイクならなおさらの時がありそうじゃないの。だってだって、バイクを停めようと思っても駐車場が受け付けてくれるかどうかは、それこそ行って見ないとわかんないものね。だからと言って路駐はできたらしたくない。

 あれこれ頭を捻って考えてはみたけど思いつかないな。だってだよ、さらにモンキーでツーリングに行って楽しいが入るものね。そうこうしてるうちに桜の季節は終わって行く。これはおかしいか。桜前線が北上して神戸の桜が終わりそうだぐらいだよ。

 そうしてたら瞬さんからやっとツーリングのお誘いがあったんだ。どこに行くのだろうと思ってたのだけど、

「黒井です」

 それってどこだ。なんか腹黒そうな地名だな。どうするのかと思ってたらいきなり六甲山トンネルだ。でもそうだよな、桜前線は北上してるから北に行かないとないもの。六甲山トンネルから六甲北有料道路を走り抜けたら三田だ。フラワータウンを通り抜け国道一七六号に入ったところで、

「モーニングにしましょう」

 コメダだ。この辺で休憩は欲しいものね。トーストとコーヒーを楽しんで出発。篠山には行かないのか、

「篠山城の桜も見事ですが、人も多いですからね」

 篠山より北を走るのは初めてなんだよな。トンネルがあるけど鐘ケ坂トンネルっていうのか。そこを抜けたら下りになって街に入って来たけど、

「柏原です」

 そう言われたってピンと来ないんだよ。市街地を抜けて行くと大きめのロードサイド店が並んでいるような交差点で、

「右に曲がります」

 右って福知山、春日ってなってるけど福知山って京都だよな。春日はさっぱりわからないけどね。それと水分かれ公園ってなんだ。そもそも水が分かれるってなんなんだ。

「分水嶺のことですよ」

 なるほどって言いたいけど、分水嶺ってなんなんだ。そしたらまたトンネルがあっていきなり田舎に出たぞ。それでもこの辺の桜は満開みたいだ。しばらく走って、

「左に曲がります」

 この信号か。この辺が春日ってところみたいだけど、黒井はどこなんだ。橋があるけど・・・なんて桜並木だよ。川の両岸に桜が植えられていて、それが川の方に垂れ下がってアーチみたいになってるとでも言えば良いのかな。

「この辺に停めさせてもらいましょう」

 そうさせてもらおう。路駐はマナーとして良くないと思うけど、花見のお客さんは少ないな。というか、近所の人だけじゃないのか。こんなに見事な桜並木なのに見に来る人はホントに少なそうだ。でもこれは立派だよ。こんなものが神戸にあれば、

「バーベキューでもしてるかもです」

 それはすぐに禁止になると思うけど、屋台の一つぐらいは出るだろ。お花見を楽しんだら腹減った。

「道の駅があります」

 こんなところにあるんだ。バイクで少し走ると、あったけどおばあちゃんの里って名前か。人気があるみたいで広い駐車場が満車に近いじゃない。さてどこにバイクを停めるかだけど、

「あそこに並んで停めてますから、そうしましょう」

 広めの通路の片側にずらっと停めてるところだな。そこから歩いて行ったのだけど正式の駐輪場もあった。あったけど、

「屋根もありますけど、これだけでは・・・」

 あれじゃあ、五台も停められないよ。いつもながらのバイクへの扱いだ。駐車スペースに停めたって良いのだろうけど、ここがバイク乗りの微妙な心理と良識はあると思う。空いてるところなら迷わずそうするけど、混んでるところなら駐車スペースはなんとなくクルマ優先なんだよな。

 理想は駐輪場だけど、これがどこでもあるものじゃない、あってもどこにあるかわかりにくいことが殆どだ。というかさ、この道の駅の駐車場もこれだけ広いのに駐輪場はあれだけだもの。

 バイク乗りなんて例外的だって考えてるのが丸わかりなのよね。今さらって話だけどね。それよりこの辺の名物ってなんだろ。丹波だから黒豆はあると思うけどこっちにしよう。

「丹波赤鶏からあげ定食」

 ツーリングは腹が減るんだよ。瞬さんが教えてくれたのだけど、桜並木があった川が黒井川で、後ろの山に黒井城ってのがあるんだって。そのお城に黒井弾正って人が頑張ってて、明智光秀が攻めてきた時にも何度か撃退したらしい。たぶん郷土の英雄ってことになってるはずだ。だからここを黒井って呼ぶし、JRも黒井駅になってるらしいけど、どうして春日とも呼ぶんだよ。

「ここはもう一人歴史的有名人が生まれたところなのです」

 春日局ってどこかで聞いたことがあるぞ。誰だっけ。

「三代将軍家光の乳母で、大奥で権勢を揮った女性です」

 その女がここで生まれてるのか。だからここは春日町になっているで良さそうだ。

「今は丹波市ですけどね」

 丹波市って鐘ケ坂トンネルを越えてここまで全部そうだって言うの。

「いえいえ、ここから京都府に入るまですべて丹波市です」

 それって広すぎだろうが。ま、宍粟市もそんな感じだったけど、そこまで広域合併してまで市になりたいのかな。それでもこの辺だって少子高齢化してるだろうから、それぐらいしないと生き残れないのかも。

「ところで次のツーリングですけど武田尾に行こうと思ってるのですけど」

 武田尾は聞いたことあるぞ。あそこは温泉があったはずだけど、他には廃線敷のハイキングコースもあったはず。だったらハイキングでもするのかな。

「あそこの温泉は・・・」

 瞬さんは子どもの時に家族旅行で来たことがあるのか。

「行ったのだけは覚えているのですが、他は何も覚えていません。ですが妙に訪れたくなったのです」

 そうだそうだ、瞬さんのお父さんは中学の時に亡くなられているから、瞬さんにとって家族そろっての楽しい頃の思い出なんだろうな。そうでなくても子どもの時の思い出は懐かしくなる時はあるもの。

 マナミもそんなところに行ったもの。温泉じゃないけど東条湖。あそこは子どもの時に何回か連れて行ってもらったんだ。遊覧船も乗ったことあるし、遊園地のループコースターだって乗ったことがある。

「東条湖ならきよみずスポーツガーデンも行かれたのじゃないですか」

 もちろん行ったよ。夏はプールで冬はスケートだ。だけど無くなっちゃったんだよね。東条湖だって遊覧船の乗り場があるあたりは寂れてて廃墟みたいだったもの。それでも東条湖ランドはおもちゃ王国で頑張っていたのは嬉しかったな。その武田尾ってまだ温泉はあるの。

「あります。今だって温泉旅館は営業しています」

 そうなんだ。瞬さんのノスタルジックツーリングみたいなものだろ。もちろんご一緒させてもらうよ。

ツーリング日和20(第21話)もう一杯

 スペイン料理を満喫したら予想通り、

「せっかくですから、もう一杯いかがですか」

 来たぁって思った。もちろん待ってましただ。その先だって準備万端だぞ。なんだって来てみやがれ。スペインバルを出て東門街を少し上がり、右に入ったな。でもって次の角も右だから海側に下るのだけど、どこに行くつもりかな。

 考えてみれば食事の後にもう一杯ってどんな店にするのだろ。学生の頃だったらカラオケが多かったけど、このシチュエーションで行くだろうか。長いこと行ってないし、二人っきりで歌うのは嬉しくないな。

 そうなるとスナックか。スナックは苦手なんだよな。社会人時代に何度か連れて行ってもらったけど、何が楽しいのか最後までよくわからなかった。それとスナックだと水割りになるだろうけど、あれもあんまり好きじゃない。

 お酒自体は大好きなんだよ。今日だってスペインワインを堪能したし、まだまだ飲める。だけど水割りは好きじゃない。これだってウイスキーが嫌いなわけじゃなくて、水割りって飲み方が好きじゃないんだよね。

 その延長線じゃないけど焼酎もあまり好きじゃない。焼酎だって芋焼酎とか、黒糖焼酎のオンザロックぐらいならまだしもなんだけど、お湯割りとかの割ったのは好きじゃないんだ。もっともどこでだって今夜は付いて行くけどね。

「ここです」

 扉を開けて入るとやっぱりスナックか。いきなりカウンターだもの。だけどなんか背が高い椅子だな。ハイスツールってやつだ。カウンターの向こうもなんか雰囲気が違うぞ。スナックならキープのボトルが並んでるはずだけど、どれだけの種類の酒瓶が並んでるんだよ。ベストをビシッと着込んだマスターが前に来て、

「何にいたしましょうか」

 ここって噂に聞くバーじゃないのか。それもお触りでバーじゃなく正統派のオーセンテック・バーってやつ。初めて来たよ。でも困ったな。バーで飲むならカクテルだろ。マスターが聞いているのはどんなカクテルだって意味のはずだ。

 カクテルって言われても何があったっけ。それにだよ、カクテルには口当たりがよいのに物凄く強い酒があるはずなんだ。それを騙して飲ませて、酔い潰してホテルに連れ込むのは定番中の定番だ。そうだそんな舞台になるのがここなんだ。

「それは言い過ぎですよ。あの話でスクリュードライバーを飲ませるのは、こういう店じゃなくカクテルも出す店です」

 そうなのか。言われてみればお客さんの年齢層が少々高いな。マナミが若い方の気がする。

「バーは大人の遊び場です」

 大人の遊び場って怪しい女と交渉する店だとか、

「東南アジアならありますが」

 行ったことは・・・あるだろうな。それに見たところ普通と言うか、むしろ上品そうなお客さんだよな。それより飲むカクテルを考えないと。あんまり強くなくて、飲みやすいのが良いけど、そんなカクテル知らないぞ。

「さっきはデザートがありませんでしたから甘いのにしましょう。マスター、ロングで甘いのをお願いします」
「フルーツカクテルはいかがですか」

 フルーツのカクテルだって! そんなものがあるのか。黒板を示されたけど、なるほど今日のフルーツって書いてある。どれが良いかな。イチゴにしてみよう。

「かしこまりました」

 なんか格好良いしオシャレだな。カクテルが出来上がったから、

「カンパ~イ」

 今夜の瞬さんはビシッって感じで決まってるな。バイクに乗ってる時とは全然違う。当たり前か、あんな格好で夜の街なんか歩けないのもね。歩いたって逮捕されないけどTPOとしてね。もちろんマナミだってこれでもかの気合を入れてるよ。色々聞きたいことはあるけど、やっぱり無難なものにしておこう。

「バイクの馴れ初めですか?」

 へぇ、学生の時も乗ってたのか。それも四〇〇CCのスポーツタイプだったのか。

「中古でしたが無理算段して買ったのです。ですが若かったですからムチャしましてね」

 峠道で曲がり切れずに飛び出したのか。よく生きてられたな。

「危なかったですよ」

 そこはガードレールも無かったというか壊れてたそうで、

「あったら激突して死んでたかもです」

 無かったから、そのまま道から飛び出し、

「川にドボンです。あのまま溺れ死ぬかと思いましたもの」

 それでバイクもオシャカになり親にもこれでもかと怒られたそう。まあ、そうなるわな。それから乗ってなかったそうだけど、奥さんが亡くなり、会社を辞めて落ち着いた頃に、

「バイク屋の前を通りがかった時にモンキーが目に入ったのです。なにか呼ばれてる気がして、また乗っても良いかなってなりました」

 そして今に至るか。だからあれだけ安全運転なのかも。そりゃ、モンキーだから大型や中型バイクのように飛ばしたくても飛ばせないけど、ホントにゆったり走るもの。ネズミ捕りもいたことあるけど全く問題なしだった。

「そう言えば・・・」

 あったあった。これもよくあると言えばよくあるけど、大きなバイクに抜かれるのよね。それ自体はなんにも思わないけど、あのバイクは抜き去る時になにか怒鳴ってた。

「ドン亀、のきやがれって言ってましたよ」

 そうだった。さすがに感じが悪いと思ったもの。遅いから抜くのは構わないけど、あんな捨てセリフをわざわざ残さなくたって良いじゃないの。バイクがバイクを抜くのだから、そんなに邪魔になってると思えないもの。

「捕まってましたね」

 そうなのよ、しばらく先でそのバイクが警察に停められてた。物凄い勢いで追い抜いて行ってたから、

「免停で済めば良いですね。あの勢いだったら免取だってあるかもしれません」

 スピード違反だけなら最高で十二点のはずだから免取にはならないはずだけど、

「免取になるのは十五点ですが、あの調子なら累積がありそうです」

 そういうこと。それに一般道で四十キロ以上のスピード違反をやれば反則金じゃなく罰金になるのよね。つまりは前科になるってこと。

「さすがに懲役にはそう簡単にはならないでしょうが、アホらしいとアホらしいですよ」

 マナミもぶっ飛ばす趣味はない。だいたいだよ、モンキーなんて見ただけでスピードが出そうに見えないだろうが。これも瞬さんとマスツーしてわかったようなもの。バイクってね、自分が乗ってる姿って見ることができないのよ。

 だからどういう風に見えて走ってるか見るには同じバイクの走ってる姿をみるしかないかな。だけどさぁ、モンキーって滅多に見ないのよね。それでさぁ、瞬さんがモンキーに乗っている姿を見たら可愛いのよね。なんかボリジョイサーカスの熊を思い出しちゃった。

「やはりそう見えますか」

 だって瞬さん、背が高いんだもの。

「百七十八ですが」

 さらに細身じゃないの。太ってるのでもないけど大柄なのよね。

「高校まで柔道やってましたからね」

 黒帯なんだって。でも見れば見るほど良い男だ。渋くて、ダンディで、逞しいじゃない。なんだかんだと言っても女は強い男が好きだもの。さらに頭も良い。話題は豊富だし、それに知性も溢れてる。相手への気遣いも満点じゃないかな。さすがはカマイタチだ。

「カマイタチは勘弁して下さいよ」

 ついでに言えば裕福でもある。そりゃ流行作家だもの。さらに遺産だってあるはず。これで女が惚れなきゃウソでしょ。マナミなんか夢中も良いところだもの。だから今夜だって誘われたら最後まで行く、どこまでだって行ってやる。

ツーリング日和20(第20話)パエリア

 食べて飲んで堪能してたのだけど〆が欲しいかな。そしたら出てきたのがパエリアだ。パエリアぐらい知ってるけど、スペイン人も米を食べるのだな。

「良く食べるようです。スペインに米料理を持ち込んだのはムーア人だとされていますが・・・」

 ムーア人ってムール貝の親戚かと思ったけど、モロッコぐらいにいるアラビア人らしい。ムーア人はアラビア文化をスペインに持ち込んだらしいけど、

「アルハンブラ宮殿なんか有名です」

 なんか聞いたことがある。だけどさぁ、北アフリカに米なんてあったのかな。

「アラビア人がインドからエジプトに持ち込んだとなっています。今でもエジプト人は米料理を食べますよ」

 へぇ、エジプトで米がとれるのか。そのエジプトの米をムーア人がスペインに持ち込んだのか。

「これは言語からもわかります。スペイン語で米をアロスと言いますが、これはアラビア語のアル・アルスから来てるとされています」

 じゃあパエリア以外の食べ方もあるとか、

「もちろんです。スペインの米料理を書き並べたらドン・キホーテの本ぐらいになるとされています」

 しっかしなんでも瞬さんは知ってるな。

「これも接待の賜物ってところでしょうか」

 なるほど、食事をしてたら料理の話題は出るものね。その時に接待する側としたら、さらっと答えて場を盛り上げないといけないのか。

「まあそんなところです。ですからメシ食ってる気になれなかったのです」

 笑いながら話してくれたけど、その時だって蘊蓄をただ披露すれば良いってものじゃないそうだ。

「相手によっては自分の蘊蓄を披露したい人もいますからね。だからどれだけ知っていて、どんな話にしたいのかを常に探っておかないといけません」

 なるほど、なるほど。蘊蓄って人に語りたいものね。それなのにこっちが全部語ってしまったり、それ以上の蘊蓄なんて披露したら機嫌が悪くなるのか。

「それと蘊蓄を語らせる時にこっちが無知なのも良くありません。こっちだってそれなりの知識を持っていて、それ以上の蘊蓄を語るのが楽しみのようなものになります」

 なるほど、相手に教えさせてあげて、それで自慢させるってことか。理屈はわかるけど、そんなものどうやって、

「だからメシ食ってる気がしなかったのですよ。どんなタイミングでどんな話題を振られるかわかったもんじゃありませんからね」

 そのために接待前に相手の好きそうな話題とかの情報を集めて勉強してたって・・メシ食うのも大変だな。

「接待飯は食事じゃなくビジネスですからね。接待一つで大きな取引が成立したり、逆になくなったりするのは日常茶飯事みたいなものです」

 聞きながら思ってたのだけど、そういう事が接待飯で求められるのはあるだろうけど、瞬さんほどの手腕の人はそうはいないような気がする。多分だけど接待だけでもある種の技術と言うか技能と言うか、アートにまで仕上げていた気がしてきた。

 接待される側からしたら、ごくごく自然に気持ちよく飲んで、しゃべって、蘊蓄だって披露してるのだけど、実は瞬さんの接待技術の掌の上で踊らされただけだったんじゃないかな。さすがカマイタチの異名を取っただけの事はある。

「そんな呼び名を誰に聞かれましたか?」

 しまった。でももうエリート社員じゃないから良いよね。隠すような話じゃないからサヤカからだって言ったんだけど、

「サヤカって・・・もしかしたら明菱社長だとか」

 ああそうだよ。ライトスクエアの社長やってる。マナミの親友だし、離婚の時にも助けてもらった恩人だ。減らず口なのが欠点かな。瞬さんなら知ってるよね。サヤカだって知ってるもの。

「もちろんよく存じ上げています。ボクがカマイタチと言うのなら、明菱社長は皇帝陛下になられます」

 サヤカが皇帝陛下だって! そんな感じはないけど、良い機会だから聞いてやれ。サヤカも美人だ、悔しいぐらいの美人だ。男から見る目と、女から見る目は違うだろうけど、どっちから見ても美人のはずだ。

 それにお金持ちのお嬢様でもある。それは子どもの時からだし、今なら社長だもの。なのにだよ独身なんだよ。マナミでも結婚できたのにサヤカはバツイチですらない。サヤカなら政略結婚ぐらいならしていてもおかしくないだろ。

「明菱社長が政略結婚? まあ相手がいないでしょうね。もちろん明菱社長が美人なのは認めますし、狙っていた男だっていました。でもそれこそ釣り合いなんて取れるものですか」

 はぁ、どういうこと。

「マナミさんなら明菱社長にお兄さんがいるのを知っていますよね」

 ああ知ってる。二人いるけど・・・あれっ、妙だぞ。サヤカは兄とは十歳以上離れているはずだ。先に大学を卒業してるけど親の会社には入らなかったのか。

「いや二人とも入社しておられます。ですが、当時の明菱産業は業績不振で苦しんでいました。とりわけ失策をやったわけではありませんが、時代の流れに乗り切れなかったぐらいで良いと思います」

 サヤカの会社もそうだったんだ。

「そうなります。どんな老舗企業であっても左団扇で胡坐をかけるところなんてありません。常に時代の流れを読み、それに乗って行かないと業績だって傾きますし、倒産して跡形もなくなるところだっていくらでもあります」

 そんな感じで神戸のハンズもなくなったものね。そうなれば建て直しが必要になるのだけど、

「お兄さんたちは見切られたで良いと思います。この難局を乗り切るだけの手腕も才能もないぐらいでしょう。そこまではわかるのですが、そこで社長に抜擢されたのが妹さんだったのです」

 これは驚きをもって捉えられたらしい。十年前ってサヤカだって大学を卒業したばかりじゃない。というか、サヤカはどこの大学だったっけ。

「明菱社長はハーバードです。それも大学院に進んでいましたが、会社の危機に呼び戻されています」

 ハーバードってアメリカの大学だよね。だったら英語だって話せるんだ。

「英語は当然ですが、フランス語も、ドイツ語も、イタリア語も、スペイン語、ポルトガル語も話せます。中国語も北京語ぐらいなら話せたはずです」

 そんなに話せるのか。海外旅行に行く時は付いて来てもらおう。通訳がいればラクチンじゃない。

「あははは、そうでしょうね。そんな時間があればですけど」

 かもね。でもさぁ、そんな小娘がいきなり社長になって上手く行ったの。上手く行ったのは結果からわかるけど。

「大変だったと思います。会社は実力主義ではありますが、年功序列的なところもあります。そりゃ、重役からしたら自分の娘ぐらいの年齢になりますからね」

 そうなりそうなのはマナミにもわかる。いくら社長の娘でも学生からいきなり自分たちの頭を飛び越えて社長になってるから反感どころか、

『この小娘が何を言う』

 これぐらいの敵意を持たない方が不思議だ。それも八面六臂じゃなくて、七転八倒じゃなくて、

「完全な四面楚歌です。ですから最初は苦労されたと思うのですが」

 瞬さんも言いにくそうだったけど、サヤカはある種の恐怖政治というか独裁政治を敷いたみたいだ。それこそ抵抗する者を情け容赦なく切り捨てたぐらいかな。

「あれもやりすぎって評判もありましたが、後から見ればすべて計算尽くで、社内改革、経営改革に邪魔になりそうな者はすべて社内から追い出したで良いと見ています」

 ひぇぇぇ、そこまでやってたのか。だから皇帝陛下か。皇帝陛下と言うより暴君にも見えそうだけど、

「結果がすべてを黙らせてしまいました。明菱社長は五年で経営を完全に回復させ、十年で今のライトスクエアに育て上げています。企業規模で言えば五倍ぐらいになるはずです」

 瞬さんの目が気になるな。あれは憧れの目じゃないかな。

「ああ憧れました。ボクにも雛形商事を建て直す課題もありましたからね。明菱社長の手法はだいぶ勉強させてもらいました」

 女としては、

「だから皇帝陛下だって言いましたよね。女性だから女帝でも良いでしょうが、女帝の夫になんかどうやったらなれるかってお話です」

 そりゃ、婚姻届けを出せばなれるけど、

「今はあの頃よりマシになってるかもしれませんが、ボクの知ってる頃の明菱社長のオーラは凄まじいものがありまして、近寄るのも怖かったぐらいです」

 あのサヤカがそんなに怖かったんだ。人には色んな一面があるものだ。それにしてもこのパエリア美味しいよ。食事も、お酒も、会話も楽しめた。

ツーリング日和20(第19話)スペインバル

 ツーリングの天敵は都市部の市街地走行だけど、他にも天敵がいる。それは季節だ。とにかく体を剥き出しにして走るのがバイクだから夏は照り焼きになるかと思うほど暑いし、冬は冷凍食品の気持ちが良くわかる。

 そんな季節をものともせずに走るのもいるけどマナミはゴメンだ。いや、走ってはみたけど懲りた。暑いものは暑いし、寒いものは寒い。冬なんて冬用グローブをしてたって凍傷になるのじゃないかと思うぐらい凍えるもの。

 そうなると瞬さんとのツーリングもなくなる。瞬さんも真夏や真冬はツーリングを避けてるみたいなんだ。

「その代わりに部屋に籠って書いてます」

 春とか秋のツーリング取材を踏まえて新作を執筆してるみたいだ。冬にツーリングが中断するのはわかるし、誘われたって行きたくないのだけど、そうなると瞬さんに会う理由がなくなってしまうのよね。それはそれで寂しいと思ってたのだけど、

「夕食でも如何ですか?」

 誘われた。聞いた瞬間に舞い上がった。だって夜のお誘いじゃないの。食事だってお酒が入るだろうし、夕食が終わってからだって『もう一杯』ぐらいはない方が不自然だ。その流れからホテルでドッキングだってあるのが女と男だろ。

 いきなりドッキングまではさておき、女と男が二人っきりで夜の街で夕食を取るのは、誰がどう見たって二人の距離がまた縮まる以外の意味はない。そりゃ、パンツまで厳選して待ち合わせ場所に行ったもの。どんな流れになっても対応できるようにしておくのが女の嗜みだ。

 待ち合わせは三宮駅だけど、ここも随分変わったな。三宮は現在再開発の真っ最中で、その一環として阪急の駅ビルを建て直しちゃったもの。それに伴って阪急三宮の東口改札口も大改装されてるんだよ。

 あれこれ変わった部分はあると思うけど、改装の結果として人の流れが少し変わった気がするな。三宮駅は待ち合わせのメッカでもあるのだけど、改装前は阪急の東口の階段を下りたぐらいのところも多かったんだ。

 えっと、えっと、本屋さんがあったと思うけど、その店の前にずらりって感じで並んでたもの。その辺の配置とかスペースもだいぶ変わってるけど、待ち合わせ風の人は少ないな。改装前より広々してると思うけど、なんでだろ。

 理由なんてわかるはずもないけど、指定されたのはエスカレーターを下りて突き当たったあたり。後ろにATMがあるな。そろそろ待ち合わせ時刻のはずだけど、

「待たせてゴメン」
「今来たばっかりだよ」

 我ながら定型句だ。ちなみに今来たばっかりじゃない。気合が入り過ぎて二時間前には着いてた。だって待たせたら悪いじゃない。さて、どこ行くのかな。まずサンセット通りを西に行くようだ。

 ここも変わったものだ。EKIZOになってるのもあるし、歩行者天国になってるもの。ここにクルマが当たり前のように走っていたなんてウソみたいだ。途中で曲がらないから生田筋まで行くみたいだ。

 予想通り生田筋から山側に上がったけど、東急ハンズもなくなっちゃんだよね。何回も行ったことあるし、いつ行っても混雑してたから儲かってたはずだけど、

「最近は行ってないのじゃないですか」

 結婚してからは行ってないな。いやその前から随分行っていない気がする。

「ネット通販に負けたで良いと思います」

 ハンズの売りは値段じゃない。むしろ割高だったで良いはず。その代わりにハンズじゃなければ買えないものが多いのが魅力だったけど、

「ハンズが栄えてた頃はそうでした。だけど今ならネット通販で探せますし、値段だって安くなっています」

 言われてみればそうかもしれない。そうなってしまってるのはハンズだけじゃないはずだ。ネット情報だけで買う人も多いし、どうしても実物を確認したい時には、

「店舗に見に行きます。そこで値段も確認してネットで探して買っているのじゃないですか」

 そ、そうなってる。そうやってお目当てを探してるうちにもっと魅力的な商品が見つかって、そっちを買う事だってあるものね。だから家電量販店すらかつての勢いはなくなってるのか。

「安さで勝負するならドンキクラスになりますからね」

 これも時代だな。でもここにハンズがないのは寂しいのだけは本音だ。かつてのハンズ横を通り過ぎて生田神社の鳥居の前で右に入った。東門街に入るのかと思ったら、

「ここに行きます」

 二階に階段で上がって店内に。席に案内されたけど、なんの料理の店なんだ。

「スペインバルです」

 そうなるとスペイン料理か。初めてだな。というか神戸でもスペイン料理は珍しいかも。

「多くはありませんがカセントはスペイン料理です」

 その店、名前だけは聞いたことがある。神戸ミシュランの三ツ星だよね。予約を取るのさえ困難な店って話だ。そんな店に行ったことあるの?

「何度かは・・・ただし接待でした」

 そんな店で接待なんてあるのか。接待でも羨ましいな。

「人にもよるでしょうが、接待飯って気ばかり使って食べた気がしませんでした」

 経験ないけどそうかも。そりゃ、接待した客をもてなさないといけないから気を遣いそうだものね。それでも接待される方になれば、

「あれも人によって変わると思います。どっちも経験しましたがメシぐらい気楽に食べたかったです」

 まあ接待って接待する人は良い気持ちにさせないといけないだろうから、それこそ歯の浮くようなお世辞を並べ立てるんだろうな。接待される方だって、そうされるのを期待してるだろうし、少しでも機嫌を損ねようものなら、

「まあそういうことになります。これは接待される方も接待する方の機嫌を損ねるのも良くないですからね」

 あくまでもビジネスとの延長と言うか、一環と言うか、

「もろビジネスですよ。あれこれ失敗談もたくさん残されています」

 でも上に出世するほど接待飯は増えるのか。まあそうだろうな。食事をともにすることで個人的な親密度を上げたい人はいくらでもいそうだ。

「それもありますし、接待できるほどの関係であるの横並びの競争意識もありますから」

 それはそうと食事だ。メニューを見てるけどなんだこりゃ。フレンチや、イタリアンでもそうだけど料理名のカタカナがわからん。それとだけど、今日はアラカルトだけどスペイン料理の組み立てってどうなってるんだ。

「カセントぐらいになればフレンチと基本は同じと言うかコース料理になりますが、ここはバルですよ」

 そのバルってなんだと聞いたらバーのことらしい。でもバーって女の子をお触りするどこのはず。

「スペイン語のバルの意味は居酒屋で良いと思います」

 居酒屋ということは、酒の肴で食事をしながら酒を飲むところって良いみたいだ。

「タパスは小皿料理の意味ですが、和風でしたら枝豆とか、厚揚げ豆腐とか、お刺身の盛り合わせとか、鶏の唐揚げとかで良いはずです」

 焼鳥はないのかな。

「この店にはないみたいですがピンチョスという串に刺した料理があります。その大皿が並んでいて、食べたいものを取って食べるスタイルのようです」

 それは楽しそう。今日は五種盛りのタパスにして、

「アビージョも欠かせません」

 アビージョってなんだと聞いたら、ニンニクを入れたオリーブオイルで煮込んだ料理らしい。それと店に入った時から気になっていたのがカウンターにあった生ハム。スペインにも生ハムがあるのか。

「ありますよ。有名なものならハモンセラーノかな。それにスペインにはイベリコ豚だってあります」

 ハモンセラーノなら聞いたことがあるし、イベリコ豚もスペインだよね。スペインも美食の国なんだ。

「今日はカジョスも食べてみませんか」

 カジョスってモツの煮込み料理らしくて、スペインではポピュラーなものなんだって。作り方も地方ごとに特徴があるらしいけど、ここのは牛の胃袋なのか。

「スペイン語でトリッパ、日本語ならハチノスになります」

 タパスとか、アビージョとか、ハモンセラーノだとか、スペインチーズだとか、カジョスとか楽しみなら飲むのはスペインワインだ。スペインもワイン大国らしくて、栽培面積なら世界一で生産量なら三位だとか。特徴は赤ワインが主体らしいけど、講釈はともかくこれは美味しいよ。

 ところでさ、スペイン料理の特徴ってなんだろう。まあフレンチとかイタリアンって言っても違いがよくわからないところがあるんだけど。

「ああそれですか。ボクも自信はありませんけど、レストランなら似たようなものになる気がします」

 この辺は技法が似たようなものになってるというか、混じり合って融合している部分もあるそう。

「だから和食と中華みたいに見ただけ、食べただけで違いがわからないと思います」

 日本人ならひっくるめて洋食にしてしまいそうだものね。

「強いて言えば魚介類を多く使うぐらいでしょうか」

 これもヨーロッパでも国の位置で変わるそう。ごくごく大雑把にいうと地中海に面しているかどうかぐらいかな。大西洋だって魚は獲れるはずだけど、

「イメージとして地中海は瀬戸内海ってところでしょうか」

 えらいスケールに差があるけど、そんな感じかな。そう言えばフレンチでも南仏はまた違うっていうものね。

ツーリング日和20(第18話)カマイタチ

 今夜はサヤカと夕食だ。

「やっぱりそれ狙いだったんだ」

 なにがやっぱりだ。バイクに乗ったのはツーリングを楽しむのが目的で男をハントするためじゃないぞ。あれはたまたまツーリング先で出会いがあって、そこからたまたまで付き合いが続いてるだけなんだ。手段と目的をゴッチャにしてもらったら困る。

「でも期待ぐらいしてたでしょ」

 だから手段と目的をゴッチャにするな。ツーリングの目的はバイク旅を楽しむことだけど、楽しむ中に旅先での出会いは余裕で含まれるだろうが。ツーリングする時に出会いを禁止する法律とか、バイク乗りのマナーなんてあるものか。

 ハントするってのは、最初からハントを目的とした行動だろうが。たとえば街中で見境なく声をかけたり、少々嫌がっても強引に飲みに連れ込むとかだ。

「それはハントいうよりナンパでしょ」

 ハントもナンパも同じだろうが。出会いはハントでは断じてない。あくまでも偶然だし、その時の流れがそうなった結果だよ。恋ってそうやって始まる清らかなものだ。

「結果として恋人を作る目的は同じだよ」

 作ろうとして作ったものと、たまたま出来たものを一緒にするな。それにまだ恋人関係になってない。あくまでも異性の仲の良い友人だ、

「そこはまあ良いとして秋野瞬とは驚いた」

 サヤカも作家の秋野瞬を知ってたものな。

「秋野瞬って雛形商事に勤めてたよね」

 なんでそれを知ってるんだ。著者のプロフィールでも元会社員までは書いてあっても、勤めていた会社までなかったはずだぞ。

「知ってるに決まってるじゃない。わたしを誰だと思ってるのよ」

 サヤカだけど。

「そうじゃなくて、これでも社長なんだよ」

 それも知ってるけど、それが秋野瞬の勤めていた会社を知っているのにどんな関係あるって言うんだよ。

「関係あるに決まってるじゃない」

 会社の社長って、よその会社のすべての従業員まで名前まで記憶しないといけない商売なのか。

「そんなこと出来る訳ないでしょうが。世の中にサラリーマンがどれだけいると思ってるのよ」

 知らないけど何千万人だろうな。だったら、

「業界ってなんだかんだとお付き合いがあるのよ」

 バカにするな。それぐらい知ってる。経団連とかそういうところだろ、

「あれもその一つだけど、交流会とか懇親会とか色々あるのよ」

 それも聞いたことはあるな。でもそういうのって、会社員なら全員参加とか、希望すれば誰でも出席できるようなものじゃないだろうが。会社員だって色んなクラスがあり、交流会とか親睦会だって同じぐらいのクラスの会社員しか出席できないぐらいは知ってるぞ。

 会社員のクラスでも特に大きく別れるのは従業員であるか経営者なのかはある。経営者だって会社の規模で変わるし、元受け下請けでピンからキリまであるぐらいは知ってるけど、サヤカの会社なら上位グループだろうが。

 瞬さんはエリート社員だったけどまだ部長ぐらいだったはず。いくら雛形商事が大きいと言っても経営者じゃなく従業員だ。サヤカが出席するような交流会なり、親睦会に顔出すはずがないじゃないか。

「意外と詳しいのね。マナミの言ってることは間違ってないけど、経営者と従業員のグループ分けはさらにってのがあるのよ」

 はぁ?

「経営者グループに入れるのは社長とかだけじゃなく、その予備軍も含まれるの。秋野瞬が入ってない訳ないじゃない。彼は次期次期社長になるはず、いやならなければならない人だったのよ」

 たしかに次期社長有力候補の専務派だったし、その専務の娘婿だったけど。

「ちょっと長い話になるけど・・・」

 雛形商事は世襲会社だったのか。今は三代目か四代目ぐらいらしいけど、

「世襲だからトップの能力にムラが出るでしょ」

 名君も出るけど凡君や暗君も出るってやつか。だから世襲は悪なんだ。

「そうでもないのよ。世襲だから会社の継承がスムーズに行くメリットはあるわ」

 でも凡君や暗君が出ちゃうじゃないの。

「だからと言って世襲にしなかったら優れた経営者が必ず出るってわけでもないのよ。世襲じゃなくても実態的に世襲みたいになってる会社だって多いのよ。政略結婚だってそうだもの」

 雲の上の世界は複雑だな。それは置いとくとして、

「今の雛形商事がどうなってるかぐらい聞いたことがあるでしょうが」

 あんまり興味はないけど、赤字が出たとか、株主総会でもめたぐらい読んだことがある気がする。なんたらファンドがって話もあったはず。

「実態は倒産の危機に瀕してるよ。これは秋野瞬がいた頃には既に始まっていたの。社内でも危機感が高まっていて社長交代だけでなく、世襲打破が盛り上がってたぐらい」

 会社再建の切り札として期待を一身に集めていたのが専務だったのか。

「そうよ。とにかくカミソリって異名があるほどの切れ者だったからね」

 そんなに凄かったのか。

「でもね、専務が期待されていたのはそれだけじゃない。専務の後継者が秋野瞬だったのもある。専務が社長になればその次は秋野瞬じゃない、切れ者社長が二代続いてくれたら雛形商事は立ち直るし将来だって安泰じゃない」

 瞬さんってそんなに期待されていたのか。

「だからわたしも良く知ってるの。専務はカミソリだったけど、秋野瞬になるとカマイタチって呼ばれたぐらい」

 カマイタチって褒めてるのか貶しているのか微妙な異名だな。

「まあね。強いて言えば畏怖されてたぐらいかな。専務のカミソリの意味は良く切れるって意味なんだけど、いくら切れると言っても皮とかせいぜい肉まででしょ。骨なんて絶対に切れないじゃない」

 えらい喩えだけどカミソリで骨まで切れないだろうな。

「それにカミソリで切られたら、誰にどうやって切られたぐらいわかるじゃない」

 レディースの喧嘩みたいな話だけど、カミソリじゃなくたってそうだろ。

「でもね、カマイタチになると、いつどうやって切られたかもわからないし、腕どころか胴体だって真っ二つにされるんだ」

 それって実際に人を切るって話じゃないけど、瞬さんの凄みがなんとなくわかる。でもさぁ、そこまでの切れ者だったら専務が飛行機事故で急死したって専務派を引き継いで社長になれたのじゃないの。

「そうなると思ってた。でもね、秋野瞬はまだ若すぎた。専務が長年培って築き上げた人望や求心力がなかったからね。世襲派の猛反撃を支えきれなかったぐらいで良いと思う。奥さんのこともあったし」

 専務が急死した二年後に奥さんが亡くなっているのか。

「たぶん、もうウンザリしたんじゃないかな。あの時点からだって巻き返せないことはなかったとは思うけど、そのためには世襲派と熾烈な社内抗争を戦い、これに勝たないといけないじゃない」

 想像しただけでドロドロの世界だ。

「雛形商事だって経営が傾き出してるでしょ。それなのにノンビリ社内抗争なんてやってる時間なんてないじゃない。雛形商事が立ち直るには専務の時点でギリギリだったのじゃないかと思ってる。秋野瞬は内部にいたから、それが良くわかってたはずよ」

 火中の栗に手を出さなかったのか、

「あらマナミにしたら難しい言葉を知ってるじゃない」

 うるさいわ。

「あれは火中の栗と言うより泥船から逃げ出した気がしてる。雛形商事は秋野瞬に見切られたのよ」

 ところで奥さんも知ってるの。

「知ってるよ。専務に連れられて顔を出していたもの」

 セレブの世界だ。社交界へのデビューってやつだろ。

「美人だったのは認めるけど、絵に描いたような高慢なお嬢さんだったかな。わざわざあんなのと思ったけど政略結婚だから仕方ないかな」

 なんかそんな世界なんだろうな。今の日本に身分制はないし、誰だって平等の実力主義が原則にはなってると思う。

「そうだな。部長ぐらいまで出世するのは実力主義で良いと思う。だけどそこから経営者サイドを目指すと世界が違うのよ。あそこは魑魅魍魎が蠢く世界になるのよね。秋野瞬があの若さであそこまでの地位になろうと思ったら、どんな相手であっても結婚ぐらいするよ」

 それはそれで嫌な世界だ。となるとサヤカもそんな魑魅魍魎の眷属の一人だ。

「そうならないと食い殺されるだけ。マナミもそうなりたい?」

 ゴメンだ。もう結婚で地獄を味わったから、これから魑魅魍魎の世界なんて誰が行くものか。