麻吹アングルへの挑戦:オフィス加納のお昼休み

 今日はスタジオ撮影だ。昼休みはロケ弁をやめて、マドカと最近評判の淡路島バーガーの店からテイク・アウトで食べることにした。マドカも食べたがっていたし、

「なかなかだな」
「ええ、これは結構なものでございます」

 しかしまあ、いつも事だが、ハンバーガーでもマドカは上品に食べるものだ。しかもマドカが食ってるのはメガバーガーだぞ。わたしは慎ましく三元豚のトンカツバーガーだ。これも結構なボリュームだが、わたしの食いっぷりは聞くな。アカネがいれば目立たんが、マドカとじゃ目立ってかなわん。フライドポテトも当然セットだが、

「おのころチーズフライもいけるな」
「唐揚げもお試し下さい」

 十個入りかよ。まあいくら食べてもスタイルが変わらないのも女神の特権だ。食いしん坊なら女神になるべきだな。酒も底なしに飲めるし。飲んで、食べてが何の遠慮もなく楽しめてこその人生だ。

「オニオン・リングも頼まれたのですね」
「淡路と言えば玉ねぎだ」

 マドカは島レモンにしたか。わたしはマンゴーを試してみたが、素直にアイスコーヒーでも良かったかもしれん。

「サトル先生とタケシさんはロケですね」
「暑いのにご苦労さんだ」

 この暑さでサトルのハゲが進まなきゃ良いが。どうにも最近怪しくなってるからな。カツオがドラッグストア幸福堂から買って来た育毛剤だが逆効果じゃないのか。ハゲが進んだらカツオを丸刈りにしてやる。いや頭髪丸ごと永久脱毛処理にしてやろうか。

「ところでツバサ先生はお読みになられましたか?」
「たいした発表じゃなかったな」

 あれじゃ、プリクラに使える程度の代物なのに大騒ぎしすぎだろう。もっとも、そうやって扉を開いた点に脅威を感じるのはありだ。

「マドカはロボットが面白く感じましたが」
「最後はあれに取って代わられる日が来るかもな」

 アングルは三次元の中で決定される。だからあのクレーンゲームの出来損ないみたいなものを作ったのだろうが、あれでは撮影対象が限定さる。もちろん実証機だからあれでよいが、進化系の究極がロボットだろう。

 屋外撮影も対象と考えると台車方式は使用範囲が狭すぎる。写真は広場ばかりで撮るものじゃないからな。そうなると歩行タイプが必要としたのだろう。台車方式よりは遥かに広く使えるからだ。

 写真を撮る時の動きは単純だ。被写体を見て、欲しいアングルの位置に移動してシャッターを切る。求められるのはたったそれだけなのだ。ロボットなら可能だろう。もっともさすがに今ではない。ロボットも進化はしたが、今の写真家が生きているうちなら出ないよ。

「やっと気づかれたでしょうか」
「わからんが、あいつらが写真の素人なのはわかる」

 発表されたAIカメラだが、あの条件だから可能なのだ。研究のために撮影条件を単純化したからこそ天羽関数を見つけられたようなものだ。もちろん、それだけでも褒めてやって良いと思う。

 だがあんな条件で写真を撮るのはレア・ケースだ。だからプリクラだ。写真に最も重要な要素が飛んでいる。言うまでもなく光だ。写真家は光を使いこなし、味方にしてこそ良い写真が撮れるのだ。

 光とは実に厄介な代物で、片時も同じ状態を保ってくれない。これをどれぐらい見分けられるかが腕の差として如実に現れる。天羽関数はあくまでも特定条件の光でしか適用できない。

「まだ荒いかと」
「そうだな」

 天羽関数はユッキーにも見てもらった。悪いがあんな数式は苦手だ。ユッキーよると、

『良く出来てるけどシオリの欲しいレベルより落ちるのだけは言えるかな』

 どうしてあんな変な記号と数字の行列を見ただけでわかるのが不思議で仕方がないが、現実が証明している。わたしやマドカならあの照明は一つに見えない。一見のっぺりしているように見えるがそうでないのだ。まあ、撮りにくいのは白状しておく。

「いつかは関数化できるでしょうか」
「それはわからん。出来るかもしれんが、とにかく見えないだろうからな。今ごろ気が付いていたなら大騒ぎだろう」

 先ほど素人と言ったが、麻吹アングルを知らなかったようだ。別に知らなければならないものではないし、知らなかったからあそこまで行けたのだろうが、

「写真界では・・・」
「それを言ったら可哀想だ」

 さて仕事だが、

「アカネの産休は決まったのか」
「前に遊びに来た時に、近いうちに産婦人科を受診すると仰ってましたが」

 アカネのやつ、本気で四人作る気マンマンだからな。タケシも苦労するだろう。アカネはホントに家事をやらんからな。まあ、やらせた方が余計に仕事が増えるのも間違いないのもあるが。

「でも育児はされているそうです」
「あれでか。オッパイやってるだけではないか」

 まったく、やっとこさオシメがまともに替えれるようになったとタケシが喜んでたぐらいだからな。もっとも最後まで前後の区別が付いていないと言ってたっけ。あれって『まえ』とわざわざ書いてあるのに、ずっと模様と思い込んでたって言うから呆れたよ。

「尾崎は」
「学校が忙しいようです」

 マドカの方針は学業優先だから仕方ないか。三年だからゼミも始まるだろう。去年も大変だったるから、たまには平穏な年もあって良いだろう。とはいえ、まだ三分の一ぐらい残っているから油断ならない。とにかく女神がトラブルに巻き込まれやすいのだけは良く学習させられた。

「そう言えばお子様も高校受験でしたね」
「誰に似たのか苦労してるよ」

 ありゃ絶対にサトル似だろう。そりゃ、加納志織の血は一滴も入ってないが、麻吹つばさだって明文館から西宮学院だぞ。まあ、体が丈夫そうだからそれで良いようなものだが、すぐに満足してしまうのもサトル似だ。

「下のお子様は西宮学院附属中ですよね」
「頑張ったかならな」

 こっちは間違いなく麻吹つばさ似だ。それでも良く合格したものだ。だが考えようによっては、こっちの方が心配だ。本当の麻吹つばさはガチガチの緊張症。ホントに要らんものだけは似るって当たってると思うよ。

「写真部に入られたとか」
「やめときゃ、イイのに」

 親と比べられるから絶対に止めておけとあれだけ言ったのに。それでも聞くと、ほんわかムードも良いところみたいで、あの程度の腕で通用すると言うから笑っちゃうよ。まあ、高校写真部は写真甲子園の初戦審査会を通ったことが無いと言うからお似合いかもな。

「ツバサ先生がコーチに就かれたら」
「他人の事を言えるか!」

 マドカなんか小笠原流の礼儀作法、薮内流の茶道に嵯峨御流の華道、青蓮院流の書道から桂園派の和歌が詠めて、藤間流の日本舞踊も名取だ。楽器も鳳聲流の横笛と生田流の琴、さらにフルートまで吹けてピアノも弾ける。それだけじゃない。合気道四段であるだけでなく、

「礼法の一つでございます」

 そうは言うが礼儀作法に加えて馬術までやるか、

「弓術も小笠原流に含まれます」

 だから冗談じゃなく流鏑馬も出来る。それも出来るってレベルじゃなく、学生の時には浅草流鏑馬、オフィスに入ってからも京都の下鴨神社の流鏑馬に頼まれて出場して見事に的を射抜いていた。ついでに言うと高校教諭一種免許も取っていて歴史も地理も教えられる。

 マドカの呼び名は白鳥の貴婦人だが、本物の貴婦人でもこれだけの技芸・教養を身に着けている奴がいるとは思えんぐらいだ。それも全部が達人クラスだぞ。だから写真どころか、子どもに教えられるものはワンサカあるはずなのに何一つ教えてないじゃないか。

「いえ、アイドル青春映画を一緒に楽しませて頂いてます」

 あのなぁ。それは教えてるんじゃないだろ。アイドルの追っかけまでやって、ファンクラブの集いに夫婦で連れ回してるって、どういう神経だよ。マドカも親だろうが。

「人生は楽しみを見つけてこそです。今は新田まどかで円城寺まどかではございません。主人も好きこそ物の上手なれと申しております」

 マドカの生い立ちは複雑すぎるが、お嬢様稼業も本当に大変だと思ったものな。今どきだぞ、この時代に娘は政略結婚の道具で、嫁ぎ先で恥をかかないような教養を身に着けさせられるって、どこの少女漫画の世界だと思ったよ。

 もっともマドカの子の方が出来が良い。これは遺伝だろう。マドカだってお茶の水だし、旦那は港都大の古典文化の中村准教授だ。次の宿主代わりの時はその辺も考えた方が良いかもしれん。子どもは可愛いが、やはり出来が良いに越した事はない。

「マドカ、子どもを育てるって楽しいな」
「ええ、本当に」

 しっかしマドカは家ではどんな調子なのだろうか。どうにもギャップが大きすぎる。今でもアイドル映画や青春映画に血道を挙げているのが信じられんのだ。それを言えばフォトグラファーやっていること自体が信じられんがな。

「ツバサ先生、そろそろ」

 おっと、午後の仕事が始まるか。アカネがおらんと仕事が溜まってかなわん。

麻吹アングルへの挑戦:麻吹アングルを求めて

 浦崎教授の写真の素人の科学者が写真のすべてを暴く計画は発想として悪くなかったと思います。下手に知識があると先入観となって、あれほどドライに研究を進められなかったはずです。

 一方であまりに写真界について無知過ぎた面があります。言ったら悪いですが麻吹つばさの名前すら知らなかったのです。もちろん麻吹アングルもそうです。麻吹アングルが実在する傍証があの外れ値の写真です。

 さっそくですが麻吹つばさの写真集を買ってきました。審査AIに掛けてみると、ツバサ杯優勝者と同じ反応が現れます。感性評価となるとツバサ杯優勝者以上です。

「麻吹アングルは実在する」
「他に答えを求めようがないか」

 さらに天羽君は、

「あきらかに写真が違う」

 ボクたちがつかんだはずの究極の写真より確実に上を行っています。もちろんその結果が審査AIに出ています。なにが違うかを調べるには・・・

「この写真なら似た撮影条件を作れるのじゃないか」

 それは卓上の盛花の静物写真。そこから花屋に行って花を買い、あれこれと出来るだけ近い状態をセッテイングします。

「天羽君、アングルを割り出せたか」

 まったく同じではありませんが、これで近い状態の写真が撮れているはずです。

「全然違う」
「撮影条件だろうか」

 それから、あれこれ手を加えましたが、まったく近づく様子もありません。まったく同じ撮影条件ではないので撮れないのは仕方ないとしても、

「それにしてもだな」
「意外」

 再現は出来ませんでしたが、逆に麻吹アングルの実在の可能性がより高まったとしか言いようがありません。これが浦崎教授の言うピットフォールなのでしょうか。

「でも無かったぞ」

 黒木の全アングル撮影で最高の評価が天羽関数に従った写真なのです。どこで見落としたのか。天羽君も考えこんでいましたが、

「可能性があるとしたら特撮機の精度」

 特撮機は全アングルを撮影すると言っても、カメラを動かして行く必要上、移動距離があります。さらにその位置からのカメラを傾ける角度の問題があります。黒木はコンマ1ミリ、コンマ1度を提案していましたが、そこまでの精度となると予算オーバーも良いところで浦崎教授は、

『1ミリ、1度とする。それ以上は無理だ』

 林さんが提案したビデオは、その隙間を少しでも埋めるためのものです。

「それは無いとは言えないが、あれだけ検証テストを行って一枚もないのは統計上ありえないだろう」
「それでも隙間はある」

 う~ん。それは完全には否定はできません。否定はできませんが、そんな微細な隙間にピット・フォールがあるのでしょうか。

「もう一つは撮影条件。光の要素は大きい。光は揺れる、揺れれば撮影条件は拡大する」
「それは、あれだけのっぺりした撮影条件では麻吹アングル自体が発生しなかったとか」

 写真家は被写体を撮る時に光に工夫を重ねると聞きます。照明の当て方、屋外ならレフ板とかです。そうやって自分の欲しい撮影条件を作っていくのですが、

「麻吹アングルとは光を使って産み出された新たなアングルか」

 そこから泥縄で麻吹アングルについて調べてみましたが、とにかく写真界の超高難度テクニックであり、麻吹つばさの代名詞になっているぐらいしか情報がないのです。

「理論書にも載っていないわけだ」
「三大メソドのマニュアルにもない」

 調査を進めるにも天羽君の仮説通りなら、この研究室には存在しない可能性もあります。存在しないものを見つけるのは無理としか言いようがありません。そこで一つ閃きました、

「光を変えたらどうだろう」
「それは良い」

 天羽君の意見として自然光の方が良いのじゃないかになり、レフ板を買い込み。特撮機で撮影です。ここで五時間待ちです。審査AIにかけると、奇妙な結果が出てきます。

「なんだこれは」

 評価値の高い写真が何枚も。さらに人工固定光の時のアングルとは異なっています。これはもう、なにが何やら、

「予想されてた」

 どういう事かと聞くと天羽関数に光の条件を挿入しようとすると、最適アングルが一定しないそうなんです。

「五時間のうちに光は変わる」

 今日も五時間撮影しています。その間に陽の傾きは変わりますし、雲が遮った時間帯もあったはずです。光って、ここまで撮影条件を変化させるとは、

「でもこの中に麻吹アングルがあるはず」
「ない。評価値がそれを示す」

 天羽君が言うには、ある光の時に生じる麻吹アングルの位置にカメラがいないと、捕まえられないのじゃないかとしています。カメラは光に関係なく撮影を進めますから、それこそ偶然の一致でも起こらないと撮れないだろうと。

「こりゃ、お手上げだね」
「いや」

 天羽君は自然光の方が麻吹アングルは発生しやすいとしながらも、人工光でも可能と考えてます。そうでないとスタジオ撮影では麻吹アングルが使えないからです。そこから光のアングルを変えて特撮機を動かしてみました。これも待ち時間が長くてウンザリしましたが、

「これってそうじゃないか」
「可能性あり」

 かなり高い評価値を写真をついに発見したのです。さっそく再現撮影。

「あれっ、なんか違うぞ」

 それでもやっと見つけた手がかりですから、さらに光の条件を変えて実験です。これも麻吹アングルらしいものが見つかる時もあり、そうでない時もあります。それと相変わらず同じアングルで撮り直しても再現は出来ません。まるで幽霊か何かを追いかけている気分です。天羽君の方は得られたデータの数式化に懸命ですが、

「何かまとまりそう」
「わからない」

 ここまでの実験で確実に言えるのは、天羽関数で見つけ出した最適アングルと性質がかなり違いそうです。ある撮影条件の時に発生するのは間違いありませんが、非常に現れ方が不安定なのです。ですから捕まえたと思っても、時間が経てば消えてしまうぐらいです。

「本当の麻吹アングルをまだ捕まえていない」

 これについての理由は単純で、麻吹つばさの評価値とは程遠いからです。

「これって感覚的な言い方になってしまうけど、麻吹アングルに強弱ってあるのだろうか」
「あるはず」

 このあたりで浦崎教授に報告に行ったのですが、

「やはり存在するのか」
「まず間違いありません」

 教授も麻吹アングルの再現性の無さに首を傾げ、アングルの強弱説に呻っていました。

「教授。これは出来てるとしか言いようが無いのですが、麻吹つばさはこの微妙過ぎるアングルをどうやって見つけ出しているのでしょう。写真集をチェックしましたが、ほぼ完璧に捕えているとしか言いようがありません」

 ここで天羽君が、

「麻吹アングルが発生した条件ですが、被写体がこうなっており、光源がこの角度で当てられています。私の関数からすると・・・」
「そうなるはずだが、現実はこうか。でもそれは・・・」

 天羽君が試算したモデルから推測図をあれこれ検討しても議論は堂々巡り。ここで浦崎教授が苦笑しながら、

「写真も奥が深いよ。こんな芸当が出来るカメラマンがいるとはな。だからこそ世界一とされているのだろうが・・・」

 同感です。あんな繊細なアングルを見つけ出し確実にものにするのですから。

麻吹アングルへの挑戦:反響

 まずはフォトワールド誌の取材です。記者にデモを見せると、

「こ、この写真はまさしく」

 審査AIもその機能に舌を巻いています。それから理論的な事などの取材もあり出来上がった記事は、

『写真もAIの時代が来た』

 この反響は凄かった。マスコミからの取材依頼が殺到し、研究室の電話は鳴りっぱなしです。そこで段取り通りに記者会見と研究結果発表を兼ねてお狸ホールで浦崎教授の講演です。

 そうそう天羽君の研究もさらに進み、アングル以外の最適撮影条件の計算も可能となっています。写真関係の記者は目も肥えていますから写真だけで十分すぎる説得力があります。嵐のような質問がありましたが、その日のテレビのトップニュースになり、翌日は新聞の一面を飾っています。

 それだけで終わらず特集番組が組まれ、浦崎教授への講演依頼も殺到状態です。一夜にして時の人になるとはこんなものだと初めてわかりました。そうそうAI学会でも注目の的でした。

 寄附講座であった浦崎班も正式の講座に格上げが決まりそうです。この辺は浦崎班の強みがあります。天羽関数と感性AIで特許収入が期待できるからです。どちらも未完成ですから引き続き研究が必要ですし、応用特許の期待もテンコモリぐらいです。企業からの引き合いも次々に舞い込んでいます。

「ボクも特任が取れたからな」

 もちろん初代教授として浦崎教授が就任しています。組織的にはAI研から独立になりフォトテクノロジー研となっています。ボクたちもそのまま所属です。


 そんな浮かれ騒ぎのような忙しい日を過ごしていたのですが、なんとか落ち着いてきました。黒木のあん畜生がマドンナとの結婚話を着々と進めていたのが目ざわりですが、

「式の時は友人代表でよろしくな」

 チーム分けの時の組み合わせが逆だったら、ひょっとしてボクだったのかもしれないと思うとふつふつと悔しさが湧いてきます。あれこそ運命の分かれ目だったかもです。

 マドンナはともかく写真家の反応が気になります。あきらめ口調の者や、まだ静物写真分野だけと強がる者が多いようです。それと実用販売化を疑問視する声も出ています。さらに装置を使う事による撮影場所の限定とかも出ています。

 AIが台頭した時の定番の声です。でも影響が深刻なのは間違いありません。AIが台頭したこれまでの分野は、そのままAIに取って代わられたところ、AIがどうしてもカバーできない分野に縮小したところ、AIと完全に棲み分けているところがあります。

 完全に棲み分けているところで有名なのは囲碁・将棋で、素直にAIの方が上だとして、あくまでも人間のナンバー・ワン決定戦としています。写真はどうなるかと予想すると、AIがカバーするのが難しいところに縮小すると思います。

 たとえば険しい山岳写真とか、珍しい野花を探すとか、野生の動物写真とかです。つまり人の手でカメラを運んで撮るしかない分野です。一方で記念写真系は全滅でしょう。フォトグラファーの生命線とも言える風景写真や、人物写真、商品広告も生き残るのは容易とは思えません。そんな時に浦崎教授に呼ばれました。

「これをどう思う」

 雑誌記事ですが、

「教授、麻吹アングルってなんですか」

 記事で白熱した討論になっているのが、

『AIで麻吹アングルを撮れるか?』

 なんらかの写真のアングルでしょうが、

「我々は素人が理詰めで写真を追及したが、写真界の事は疎いところがある。だから篠田君と天羽君に調べてもらいたい」
「しかし教授、すでにアングルは調べ尽くしました。我々が見落としているアングルがあるとは思えません」

 黒木の特撮機は1ミリ単位の精度です。これも黒木は0・1ミリ単位を提案していましたが、予算の問題で却下されています。それでも、その中で最高の一枚が天羽関数に従ったものであるのは、検証実験を何度も行い確かめています。

「そういう目的で我々は研究を行い結果を出している。私も漏れている可能性は低いと信じたい」
「麻吹アングルなんて名前だけで実態はないのでは」

 浦崎教授はコーヒーを飲み。

「麻吹アングルを使うとされるのは麻吹つばさ。世界一とされるフォトグラファーだ」

 若くしてブレークし、瞬く間に世界の頂点に昇り詰め、そのままトップの座を譲る気配もない世界の巨匠だそうです。どこかで聞いたことがありますが、

「もしかしてツバサ杯の寄贈者」
「そうだ。それに関連して奇妙な事もある」

 奇妙? えっ、もしかして、

「あの外れ値ですか」
「そうだ。あれをどう思う」

 ツバサ杯の一昨年の優勝者の写真を審査AIにかけたのですが、妙な結果が出てきたのです。審査AIの評価は基本は二本立てで、一つは技術的評価、もう一つは感性評価です。ところがその写真は技術評価について分析不能としたのです。

 これも研究中にわかったことですが、世界の写真は三大メソドの影響を受けています。三大メソド以外にもメソドはありますが、あれも三大メソドから分岐したものと見なせます。ですから技術評価はまず写真がどのメソドの流れを汲むかを判別して技術評価を行う仕組みです。これは複数のメソドの流れを汲んでいても判別可能です。

 さらに三大メソドは構図の捉え方に明らかな特徴があります。ですので審査AIは、まず構図を分析し、そこからパーツごとの技術評価に入るぐらいと思ってもらえれば良いと思います。

 そこで技術評価が分析不能と出るのは構図がどのパターンにも当てはまらない時になります。たとえばボクのようなド素人の写真です。これも面白かったのですが、マニュアルを研究してから撮るとちゃんと判別してくれます。今なら三大メソドの流れを汲む感じです。

「あのAIの感度は高い。それなりに手解きされれば色が付くぐらいだ。ここは単純に技術評価が不能とは、ほんの初心者になる。ところがだ、あの写真の感性評価は驚異的として良い」

 天羽関数の究極であるはずの写真より遥かに感性評価は高いのです。はっきり言えば桁外れです。そんな事はありえないとして、バグを必死に調べましたし、プログラムの点検に長い時間を費やしています。しかし一向に原因は見つかりませんでした。他の写真ではそういう現象は起こらなかったので、

「あの時は外れ値として無視することにした」
「まさか、あの写真が麻吹アングルとか」

 浦崎教授は、

「この研究に穴は無いと確信していた。だがな、科学者は頭で拒否してはならない、見えるものを信じるのも重要だ。麻吹アングルは我々が見落としているピット・ホールの可能性がある」

麻吹アングルへの挑戦:実証実験

 チームSの特撮機が稼働する日が来ました。

「プログラムの変更もOKです」

 天羽関数はさらに研究が進み、当初の頃にあれだけもめた撮影距離の問題も解決してしまったのです。特撮機は予め一メートル四方の可動範囲を取っていますから、その範囲でのあらゆる写真を撮影可能です。さらに天羽関数は静物であればなんであれ対応も可能となっています。

「屋外撮影は」
「光の条件」
「あれは変動要素が多いからな」

 写真は光の芸術とも言われますが、屋外では晴天、曇天、雨天、さらに時刻、季節によって陽の光が変わります。これを関数に組み込むにはデータが足りな過ぎるで良いと思います。

「それでもここのところを・・・」
「それはこうしたら・・・」
「それではこちらに影響が・・・」

 天羽君なら必ず克服すると思っています。さて特殊撮影機が動き出しましたが、それこそカメの歩みどころでなく、グルグルっと撮影したら少し動き、またグルグルっと撮影したらでさすがに時間がかかります。黒木と林さんはちゃんと動くかやはり心配なようで付ききりですが、浦崎教授と天羽君と三人でお茶にしました。

「もう一度、見せてくれるか」

 教授が手に取ったのは、AIが予想した撮影像です。

「天羽の予想だな」

 これが撮れる位置も算出済みです。

「教授、これでプロにAIは勝てますね」
「うむ。天羽関数の完成度は高いからな」

 たっぷり五時間かかって遂に撮影が終了。天羽君の算出した位置の写真は予想とピッタリ一致しています。審査AIでの評価も同様です。

「よし篠田君頼むぞ」

 特撮機が撮ったすべての画像のチェックです。天羽関数を上回る写真があるかないかの検証です。こちらはさすがにAIで、膨大な画像のチェックを素早く終えて、

「間違いありません。この写真が一番です」

 引き続き、被写体を変えてのテストが続きます。研究室にある、ありとあらゆるものがテスト対象になりました。とにかく撮影時間がかかるので、一ヶ月ぐらいしてから居酒屋ムジナ庵で、

「カンパ~イ」

 浦崎教授が、

「これほどスムーズに研究が進むとは予想以上だった。諸君の協力に感謝する」

 どんな被写体であっても天羽関数に反するものはありませんでした。ついにボクたちは写真を極めたのです。

「また恨まれますね」
「はははは、プロのフォトグラファーもこれで職安通いだからな」

 黒木のクソがマドンナとイチャイチャしやがって。そしたら教授は、

「そうだ黒木君と林君も目出度いな」
「是非、教授の媒酌でお願いします」

 そこまで話が進んでいるのかよ。そこから次の展開の話になり、

「天羽関数を特殊撮影機に組み込んで発表するぞ」
「任せといて下さい。予算があれば・・・」
「予算は無いがビデオからカメラに変更してくれ」

 それが完成すれば、特殊撮影機の屋内の静物画なら完璧な写真が撮れることになります。デモンストレーションとしては言うことなしです。この研究で一番の業績は言うまでもなく天羽関数の発見です。

「審査は」
「まだ」

 既に天羽君は論文を書き上げてネイチャーに投稿されています。いきなりネイチャーと思いましたが、もし採用されればインパクト・ファクターは抜群です。天羽関数はまだ未完の部分があり、これで天羽君はライフ・ワークを得たかもしれません。

 黒木と林さんが作り上げた特殊撮影機も歴史に残る可能性があります。そりゃ、プロから写真を奪った一号機だからです。科学博物館に収納展示されたっておかしくありません。この技術でカメラ・メーカーから招待があっても不思議無いと思います。

 それに比べてボクの審査AIは価値が劣ります。もちろん、これがあったからこそ天羽関数を証明できたのですが、それが済めば用済みです。

「篠田君、それは違うぞ。感性AIだけでも宝の山だ」
「でも写真以外への応用は」
「それを調べるのが君の仕事だ。人の反応を一般化できれば用途は無限だ」

 なるほど、そうかもしれません。ネイチャーは無理ですが学会誌に投稿しています。

「発表は?」
「できればネイチャーを待ちたいが」

 発表のタイミングも大事ですが、待っているうちに出し抜かれることがあるのも研究です。

「その通りだ。世界のどこの研究所がやっているかはわからないからな」

 たとえはずれますが、電話の特許を巡る話も有名です。電話と言えばグラハム・ベルが有名ですが、同時にエリシャ・グレイも研究していたのです。ベルとグレイは同じ研究をしてるなど思いもしなかったそうですが、完成時期も同じになり、

「特許の出願日も同じであったがタッチの差でベルが歴史に名を残した」

 先に発表した者がすべてを取るのが研究の世界でもあります。発表段階に至れば待って良いことなど何もないとして良いと思います。天羽関数も特許は出願済ですし、ボクの感性AIもそうです。

「出来るだけ派手にやりたいから・・・」

 浦崎教授のプランは宣伝と発表を組み合わせています。

「だからフォトワールド誌と」
「これもあったからな」

 まずフォトワールド誌に取材してもらい記事にしてもらい、その反響の中で発表する算段の様です。

「お狸ホールも抑えてある」

 お狸ホールとは狸ヶ原キャンパスにある赤井徹蔵記念ホールです。浦崎教授は本部のホールも考えていたようですが、ボクの審査AIはまだしも、黒木の特殊撮影機の運搬問題を懸念したようです。精密機器は動かすと思わぬトラブルを起こすからです。

「黒木君、例のプログラムも出来たよな」

 これはデモ時の撮影時間短縮プログラムです。まともにやれば五時間は余裕でかかりますから、二十分程度に短縮させるものです。

「では発表の準備にかかろう」

麻吹アングルへの挑戦:特殊撮影機

 チームSの黒木が作った特殊撮影機の原理は少しづつカメラを動かして被写体のすべてのアングルを撮ろうとするものです。これも設計段階では機能をあれこれ盛り込み過ぎたようで浦崎教授がひっくり返っていました。

「黒木、ここの予算がいくらかわかっとるのか!」

 年間予算を遥かに超えていたって話です。そこからボクのチームAの研究が進み、特殊撮影機に必要な機能が減っていき、

「この特撮機で調べるのはアングルに限定しようとなったからな」
「それにしてもビデオとはな」

 当然カメラと考えていましたが、これも予算節約の一環らしく、

「動画の精度も悪くないし、連続撮影しているようなものだから漏れが少しでも減る」

 少しづつ動かして撮ると言っても、その動かした分の隙間がどうしてもできます。そこの精度も問題になり、これまた黒木が初期に出していたアイデアは、

「教授に睨まれた、睨まれた」

 だ か ら、誰が研究の総予算で設計するというのですか。黒木は理想家肌のところがあり、凝りだすと暴走するのは昔からです。そこが良いところですが、欠点でもあります。そこから衝撃の話を聞く羽目になります。

「よくお前がビデオに妥協したな」
「真奈美のアイデアだ」

 ちょっと待て。名前呼びするって、

「固いこと言うな。これだけペアで仕事をすれば仲も良くなるよ」

 ウソだろう。林さんはAI研のマドンナ。ボクを若手研究者の憧れなのです。知的で、清楚で、それでいて明るい性格ですし、優しさが傍に居るだけで伝わってきます。それに親切で、誰にもさりげなく心配りが出来る人なのです。そのマドンナを黒木の野郎がゲットしただと。

「天羽とはどうなんだ」
「冗談はやめてくれ」

 天羽君は研究者として申し分がないぐらい優秀です。それはコンビを組んだボクも痛感しています。天羽関数を導き出しただけでも証明として十分ですが、審査AI開発にも実に献身的でした。天羽君がいなければ、あそこまで開発できたか自信がないぐらいです。

 しかし恋愛対象として見るには難があります。まず背が高い。余裕で一七〇センチを超えているはずで、ボクと肩を並べてしまいます。そこまで高いとまるで見下ろされてるように男の感覚ではなってしまいます。

 研究室に綺麗に装って来る必要はありませんが、服装もダボダボ、髪もボサボサ。化粧っ気もなくて、表情もどちらかと言わなくとも暗め。性格は生真面目で、これだけ一緒にいて仕事以外の話をしたのが思い出せないぐらいです。いつも張りつめた顔をしていて、笑顔すら思い起こすが難しいぐらいなのです。とくに天羽関数に取り組んでいる時は壮絶で、黒木になると、

「ありゃ、安達ケ原の山姥だ」

 こんな陰口を叩いていたぐらいです。いくらなんでも失礼とたしなめはしましたが、内心では否定しきれなかった自分がいます。

 簡単に言うと地味子の典型。この辺はAI研のマドンナである林さんがチームが違うとはいえ研究室に一緒にいますから、二人が並ぶと満開の咲き誇る花が林君なら、天羽君は背後の壁みたいは言い過ぎかな。

 もちろん善人なのは良く分かっています。でもですよ天羽君に異性としてのときめきを感じるのはボクには無理です。ボクじゃなくとも難しい気がします。その辺は蓼食う虫も好き好きなんて言葉もありますから、この世にゼロとは言いませんけどね。

 チーム分けの時に適性から文句は付けられないのはわかっていますが、黒木が羨ましくて、羨ましくて。それをあの野郎、とことん利用しやがって。

「やったのか」
「男と女だからな」

 今日は帰ろうかな。頭の中に浮かんで、浮かんで、止めようがありません。かなり根詰めてやってますから、尾籠な話ですがボクだって溜まってるのです。それでも無理やりその話は置いといて、

「来週ぐらいか」
「まだ親への挨拶は早いかと思って」
「その話じゃない!」

 ボクも今年で三十三歳です。研究者なら問題ないとは言うものの、ちょっと焦ってる部分もあります。やっぱり結婚したいし、子ども欲しいのです。だけど、そのためには研究者として自立する必要があります。

 研究者、とくに大学の研究室で生き残るのは容易じゃありません。研究者に求められるものは成果。成果を挙げて評価されてこそ研究費が付きます。研究費も一度もらえれば定年まででなく、次の研究の間だけです。そう次々と成果を挙げ続けるのが研究員の生きる道です。

 大きな成果を挙げれば大きな研究室を与えられて、さらに大きな研究から次の成果を期待できます。成果によっては、その成果で企業の研究所への招聘もあります。たとえば科技研です。科技研への就職は研究者の一つの夢です。

 だから浦崎班に加えられると知って大喜びしました。浦崎教授なら成功する可能性が高いからです。研究には運不運があり、才能だけは及ばない部分があります。どれだけ予算を注ぎ込んだ研究でもダメな時はダメなのです。そんなことを考えているところに天羽君が、

「来週には動く」
「しばらくはテストと調整だろうけど」

 黒木の作った特撮機は見た目で言えばクレーンゲーム機のようなものです。天井からアームがぶら下がり、アームの先にビデオが付けられています。天井部分が二次元の動きをし、アームが三次元目と見れば良いと思います。

「これも真奈美のアイデアでな」

 真奈美、真奈美ってウルサイわ。アームの先が可動性になっていて、撮影位置からあらゆる角度を撮影できます。汎用品を巧みに取り込んで費用をかなり節約出来たようです。

「発展的には自走式にして・・・」

 現在の装置を反転する様なものを黒木は考えているようです。自走式にすれば二次元の移動は自由になりますし、アームの高さも自由に設定できます。

「未来のAIカメラマンの原型がこんな感じや」

 自走式にしなかったのは、撮影精度の問題とアームの重量を支える台車が必要で、

「教授に予算オーバーもエエ加減にせいって怒鳴られた」
「ヒト型ロボットに組み込むのは?」
「それも論外として却下された」

 マドンナを奪われたのは悔しいけど、黒木もタダ者じゃない。