怪鳥騒動記:平山博士

 シノブは最高情報責任者(CIO)で率いてるのは戦略情報本部。これはクレイエール時代の情報戦略本部を引き継いで発展拡大したもの。ユッキー社長も非常に重視されてて、

    『情報を制する者は世界を制す』

 クレイエール社長に就任してからずっと力を入れてられて、エレギオン・グループが発展するのと比例して充実して、今や世界中にネットワークを張り巡らせた一大組織ってところ。CIA並とか噂されることもあるけど、それはちょっと大げさ。もっともコトリ先輩に言わせると、

    『そう思われるだけでも情報戦は有利に立てるんや』
 戦略情報本部の活動は多岐に渡るのだけど、エレギオンHDの中では調査部と呼ばれてる。調査部も本来は本部の下のセクションの一つだけど、どうしてもここの活動が目立つからね。

 メキシコの怪鳥の情報も通常の情報活動の一環として入るのだけど、ユッキー社長の指示もあったから、重点項目に格上げして調べさせてる。とは言うものの、今のところはメキシコにあるエレギオン・グループの系列会社から上げてもらってるものが主体だけどね。

 やはり怪鳥の画像や映像は合成やCGによるニセモノが多いというか、溢れてるみたいで良さそう。いくつか『決定的』とされたものがニセモノとされて、怪鳥騒動が終りそうになった時期もあったんだけど、それでも新たな目撃情報や被害情報が出て来るんだ。

 エレギオン・グループの社員でも目撃したり、不鮮明な画像や映像を撮ったりしたのも出てる。ここまで来ると、メキシコの怪鳥は実在している可能性が高いと見て良いかもしんない。

    「アメリカが出てきたやん」
 コトリ先輩が嬉しそうに言ってたけど、アメリカだけでなく他の国々も参加した国際合同調査隊が結成されて調査活動が始まったんだ、日本からも山科教授のチームが参加してる。

 これでシノブの仕事がちょっとラクになった。エレギオン調査部と言えども、怪鳥調査チームを送り込むのは大変だからね。今は国際合同調査隊の集めた情報をハックするのに専念してる。

 国際合同調査隊は現地の目撃情報や、新たに集められた画像や、映像の分析を進めるのと同時に現地調査を行ってるんだ。その情報を見る限り、やはり鳥は実在しているで良さそう。後は決定的な画像とか映像が欲しいのと、国際合同調査隊では捕獲も検討されてるみたい。


 シノブは専門家の話を聞きに行ったんだ。行ったのは山科教授の愛弟子と言われている平山博士。とにかく山科門下の俊英として有名みたいで三十五歳。ただね、メキシコの怪鳥騒ぎ以来、マスコミの取材が多くてウンザリしてたみたい。

 まあ、マスコミ取材って聞くだけ聞かれて、時間は取られるわ、ゼニにはならないわ、言った事と違った記事にされるわで、仕事の邪魔にしかならないものね。そのクセ、エラそうで厚かましい。

 そのせいかシノブが訪れた時も胡散臭そうな顔してたのは良く覚えてる。とりあえず挨拶して、名刺を渡したんだけど、

    「エレギオンHDが何の用事ですか?」

 ぶっきら棒に言われたもの。まあマスコミ以上に関係ないと言えば、関係ないところだもの。だから初対面の第一印象は良くなかったんだけど、

    「鳥の話を教えて頂きたくて」
    「鳥ねぇ・・・」

 そこから名刺とシノブの顔を何度も見比べるのよね。

    「なにか顔に付いてますか」
    「いや、その専務さんなんですか」
    「ええ、そうなってますが」

 肩書で態度が変わるタイプの人かと思ってたら、感極まったような表情で、

    「これは世界一美しい専務さんだ」

 これを大真面目に言うんだよ。さらにだよ、

    「こんなに美しい専務さんが存在するのは犯罪的だ。世の中、絶対間違ってる」
    「専務が綺麗だったらおかしいのですか」

 そしたら、ちょっと困った顔して、

    「その通りだ! こんな美人がボクの目の前に現れるのが間違ってる」

 あんまり大真面目だから、シノブもこらえきれずに笑っちゃったら、平山博士も大笑いになって、そこから親しくなった感じ。平山博士も合同調査隊に参加したかったみたいだけど、

    「あははは、カネがなくて」

 学者は貧乏だもんね。

    「若手の俊英ってのも堪忍して下さい。実態はほら」

 大学の研究室にいても食べられないから花鳥センターに勤務してるとか。ここは鳥に重点を置いた動物園ぐらいのもので、平山博士はそこの主任研究員ぐらいの肩書。実態的には飼育員も兼務してられるで良さそう。

    「・・・ボクのところにも山科教授経由で情報が送られるのだけど、メキシコの怪鳥は実在してると見て良さそうだ」
    「あんな大きな鳥がですが」
    「そうなんだけど、現地の情報ではさらに大きいのじゃないかとも見られてる」

 五メートルより、さらに大きいってことなの。

    「そんな大きな鳥が飛べるのですか」
    「現実に飛んでいるのは間違いない」
    「翼竜の生き残りとか」

 ここで平山博士はニッコリ笑って、

    「そういう説は学者の間でもある。中世の龍は翼竜の生き残りであったと考える人もいるし、中世に生き残っていたら、現在のメキシコの出現する可能性もゼロじゃないからね」
    「まさか! 平山博士もそう考えてるとか」

 平山博士は楽しそうに、

    「ボクは違うと見てる。たしかに翼竜ならサイズとして合うが、翼竜の飛行能力はさして高いとは考えられない。とくにだ、大型の犬を掴んで飛び去るのは不可能として良い」

 さらに付け加えて、現在の画像情報からして明らかに現在の鳥類の特徴を備えており、翼竜と見るのは無理があるとしてる。

    「でも鳥であっても、あれほどのサイズとなると飛ぶのも大変では」
    「そうなんだよ。現在の最大のワタリアホウドリでも翼開長で三メートル強ぐらいだ。大きくなれば飛行に必要な筋肉も重くなり、飛ぶのが難しくなる」

 それなのにメキシコの怪鳥は高度な飛行能力を持っていそうだものね。

    「そんな鳥は古代も含めていないのでは」

 悪戯っぽく笑った平山博士は、

    「ラルゲユウスを主張する学者もいるよ」

 古代鳥の一種で、かつてその存在が学会でも議論になったものだって。ほんの少ししか化石がなく、それが独立した種なのかも問題となり、当時の有ある名な古生物学者が主張した、

    『翼開長は最大で十メートルに達する可能性がある』

 これについても大激論が巻き起こったとか。現在は他の化石が入り混じったニセモノぐらいの評価かな。

    「ところで、さらに大きくなったとは、どれぐらいですか」
    「うん、七メートル以上の情報もあるそうだ」
    「それって、プテラノドン・クラス。翼竜も含めて過去最大級ですね」

 平山博士はニコニコと笑いながら、

    「プテラノドンは有名だけど、過去最大級ならケツァールコアトルスがいる。あれには翼開長十八メートル説があるぐらいで、ミネソタ州にはその説に基づいた展示を行っている博物館もあるよ」
    「そんなに大きいのが・・・」
    「もっとも発見されてるのは十二メートルクラスになり、体長はキリンぐらいになる」

 こんな話を教えてもらったんだけど、これで終わるのはなんだか惜しい気がしたんだよ。そう、これで終わったら絶対に後悔するって強い思い。シノブの中で確実に何かが反応してる。

    「もし御迷惑じゃなかったら、これからも鳥の話を聞かせてもらえれば嬉しいです」
    「えっ、次もあるのですか」

 ダメかと一瞬思ったんだけど、

    「ではボクからの提案ですが、こんなむさくるしいところじゃなくて、他のところでお話するってのはどうですか」

 この時に平山博士の顔を見たらガチガチ。平山博士もシノブに何か感じてくれてるんだ。

    「それは願ってもないことです」

 そこから平山博士はモジモジしながら、

    「これは先に断わっておくけど、エレギオンの専務さんを満足させるような店は無理だよ」
    「かまいませんよ。松屋の牛丼でも喜んで」
    「それはひどいな。いくら貧乏でも、もうちょっと期待してよ」
    「じゃあ、サイゼリア」
    「もうちょっと頑張る」
    「御心配なく交際費でなんとかなります」
    「さすがは専務さんだ」
 そうして定期的に会うようになったんだ。

怪鳥騒動記:焼き鳥

 そのうち消えると思っていたメキシコの怪鳥だけど、興味本位のテレビ局が『世界なんとか発見』みたいな番組で断続的に取り上げるし、そこで、

    『出たっ』

 ホンマにそうかないなと思うような不鮮明な、

    『衝撃の映像』

 これを放映するものだから、なんとなく日本でも盛り上がってる感じ。もちろんコトリ先輩は熱中されています。ユッキー社長に、

    「ホントにいるのですか」
    「さあね。でもコトリは昔から好きだからね」
    「キワモノ好きですね」
    「自分がキワモノだからシンパシーを感じるんじゃない」

 言われてみれば女神もキワモノだものね。

    「でもね。五メートルは大げさだと思うわ。鳥だって飛び上るのは大変なんだよ。現存ではアホウドリが最大クラスだけど、助走しながら飛び立つし、コンドルだって飛び立つのは大変なんだよ」

 大型旅客機みたいなものかな。

    「これが五メートルになれば、飛び立てない気がする」

 飛行機みたいにエンジンのパワーアップってわけにはいかないだろうし。

    「だからせいぜい実在したとしても四メートルぐらいかな。それぐらいなら個体の例外として存在するかもね」

 ユッキー社長は冷静で、コトリ先輩が大好きな謎の巨大生物は頭から否定的です。

    「種の存続のためにはある程度の数の個体数が必要なのよ。たった一羽とかが生き延びるはあり得ないってこと」

 でしょうね。そんな巨大なものが百羽もいたら、今まで見つからない方が不思議過ぎるもの。

    「だから小型の未知の生物の発見はあり得ても、大型はあり得ないってこと。そこそこ大型で可能性があるのは海洋、それも深海ぐらいだよ。地上で発見されるなんて痴人の妄想よ」

 これはシノブも同意。

    「でも調査を命じられたのは?」
    「この騒ぎは長くなってるじゃない。仕掛け人がいて、何かを企んでいると見ただけよ。その意図が悪ふざけならイイけど、もっと根の深いものならエレギオンも対応が必要になるかもしれないじゃない」

 そっちか、

    「もう一つ理由があるけど、そっちはさすがにね」
    「なんですか」
    「無いと思うよ、千年も、二千年も前の話との関連だもの。そんなに長いこと発見されない訳ないし」

 そこにコトリ先輩が、

    「今夜も鳥の特番あるんや」
    「だったら今夜は焼き鳥にする」
    「あれはアカンて。前に庭でやってスプリンクラーの雨降らせてミサキちゃんにどれだけ怒られたことか」
    「じゃあ、グリルで焼く」
    「アカンて、焼き鳥は炭火に限る」

 それでも焼き鳥が食べたいとなって三宮に。ここは最近のお気に入りの店で、

    「とりあえず十本頼むで」

 これだけで名物のツクネが出て来るってお店、

    「ここのツクネは他とは違うね」
    「さすがのコトリも真似できへんわ」
    「メキシコの怪鳥も美味しいのかなぁ」
    「肉食系の動物は鳥に限らず旨ないのが多いからな」

 トラとかライオンとか、あんまり食べる話は聞かないものね。

    「その辺が魚とちゃうとこやろな」
    「この皮も美味しいね」
    「この焼き方はコトリ好みや」
    「わたしもこっちの方が好き。皮も脂を抜き過ぎると良くなって人もいるけど、やっぱりパリッとしてないと」
    「そうや、ベチャっとしている皮は好かん」

 ここの皮はシノブもお気に入り、

    「ユッキーも塩派やな」
    「タレも嫌いじゃないけど、鶏肉の旨みを味合うなら塩でしょ」
    「そうやそうや、ハート十本追加タレで」

 あれハートは塩じゃないのか。

    「ここのタレも美味しいのよ」
    「ハートはタレやで」
    「ビールも頼むは」
 焼き鳥談義で平和な夜を過ごしました。三人で百本ぐらい食べたかな。

怪鳥騒動記:鳥の話

    「コトリ先輩、なに読んでるのですか」
    「メキシコの怪鳥」

 やっぱり好きだものね。

    「怪鳥と言うぐらいですから、大きいのですか」
    「そりゃ、大きいで」
    「ダチョウより大きいとか」

 そしたらニコニコ笑いながら、

    「ダチョウもデカいけど、十九世紀ごろまで象鳥っていうのがいたそうや。これがなんと高さが三・五メートル、体重五百キロもあったらしい」

 そんな化け物みたいな鳥が十九世紀までいたとは知らなかった。

    「卵が十キロもあったっていうからな」

 そりゃ大きいわ。

    「ほいでもメキシコの怪鳥は飛ぶんや」
    「飛ぶんですか」
    「鳥は飛んでこそ鳥やろ」

 それじゃ、ダチョウの立場がなくなるけど、

    「飛べる鳥で大きいと言えば」
    「アホウドリやろな。大きさを示す指標は色々別れるけど、翼開長で三・六メートルぐらいになるらしい」

 そりゃ、大きい。

    「ワシより大きいのですか」
    「ワシもでかいで。コンドルやったら翼開長は三メートルぐらいになる」

 アホウドリにも匹敵しそう。怪鳥って言うぐらいだからもっと大きいんだろうけど、

    「どれぐらいですか」
    「翼開長が五メートルぐらいあったとなってる」

 そこにユッキー社長が、

    「コンドルでも飛んで来たんじゃない」
    「ちょっと生息地域と外れるからな」

 コンドルと言えば南米のアンデス山脈だものね。

    「いつもの見間違いとか、フェーク・ニュースじゃないですか」
    「そうかもしれんけど、そんな鳥がおったらおもしろいやないか」

 この日はこれぐらいだったのですが、

    「例のメキシコの怪鳥やけど、目撃譚が増えてるで」

 まだ追っかけてたんだ。

    「記事に依るとやな、犬を襲ったそうや」
    「犬ですか」

 ユッキー社長が珍しく興味を示し、

    「犬は連れ去られたの?」
    「そうみたいや」
    「だったらコンドルじゃないわね」

 えっ、どうして。

    「コンドルは大きいけど、獲物をつかんで飛ぶには適してないのよ」

 そうなんだ。

    「ユッキー、それやったらオウギワシの可能性はあるで」
    「ハッピー・イーグルも大きいけど翼開長は二メートルぐらいよ。三メートルでも大きすぎるのに五メートルは桁外れすぎるよ」

 どうもメキシコの怪鳥は現地でも相当話題になってるみたいで、パラパラと続報が入って来てコトリ先輩は熱中されてます。

    「出た!」
    「何が出たのですか」
    「写真や写真」

 それにしても、なんと写りの悪い。

    「これじゃ、何の鳥かわかりませんね、それにサイズだって比較するものがありませんし」
    「そやけど、専門家がコンドルは否定的やと言うとる」

 それはユッキー社長が前に言ってたけど。しばらくは目ぼしい続報もなかったのですが、突然テレビのニュースに。コトリ先輩は釘づけ状態で見てます。ニュースに使われたのは動画で、

    「スマホで撮ったもんらしいけど・・・」

 これも映りが悪いのですが、突然大きな鳥が舞い降りて来て、庭に放されていた大きな犬をつかんで飛び去っていきます。

    「大きいな。たしかに五メートルぐらいありそうや」
    「それにしても派手な鳥ね。全体が緑で腹が赤みたいよ」

 この日はシオリさんも来てたのですが、

    「たしかに大きいと思うが、騒ぎに便乗してのCGじゃないのか」
    「そうよね、こういう騒ぎになると必ず出るものだし」
 そうなのよね。CGの発達は目覚ましくて、実写との区別は専門家でも難しいって言われてるぐらい。そのせいか、シーペンサーが撮影されたり、ヒマラヤの雪男が出現したり、ネス湖にネッシーが出てきたりの騒ぎがあったけど、あれも後でCGとわかったものね。

 とはいうものの、テレビのニュース映像だけでは、さすがのシオリさんも真贋を区別することは無理で、

    「もう少し決定的な映像が欲しいな。その元映像が入手できたら、サキにでも分析させるのだが」

 サキさんはオフィス加納の動画部門のチーフで、最近では映画も撮ってるぐらい。

    「シノブちゃん、悪いけど、もっと凄い映像が出てきたら、手に入れてくれないか」

 あちゃ、シオリさんも嫌いじゃないのか。物と保管状態によるけど、手に入れるのは不可能じゃないけど、

    「シノブちゃん。わたしもちょっと気になるから、シオリが欲しい映像なり、画像が出てきたら動いてくれる」

 ユッキー社長まで。でもあれよね。こういう騒ぎは便乗とか、逆に暴動騒ぎを誘発する時もあるから、その辺は業務に影響することはあるものね。

    「かしこまりました」

怪鳥騒動記:ケツアルコアトル

    「シノブちゃん、ケツアルコアトルって知ってるか」
    「アステカの神の名前です」
    「そうやねんけど・・・」

 マヤ文明ではククルカンと呼ばれてるけど、世界を創造した四神の一人。

    「これが同時に人の名前でもあるんや」

 は?

    「神の名前と人の業績がまぜこぜになってる部分があるぐらいや」

 それならわかる。

    「トルテカ文明ってのがあってな・・・」

 ミシュコアトルという神武天皇みたいな英雄がいて、クールワカンに都を築いたってなってるそう。そのミシュココアトルの息子がセ・アカトル・トピルツインって言って、

    「そうや一の葦の年に生れたってことになってる」

 息子は成長して王になるんだけど、

    「ケツアルコトル・トピルツインって名乗ったってなってる」

 長いからケツアルコアトルって呼ぶけど、クールワカンからトゥーラに遷都したんだって。ケツアルコアトルは優れた王だったみたいだけど、メソアメリカ文明では特異な主張をしたで良いみたい。

    「そうやねん、生贄廃止をやったんや」

 当時の宗教観としか言いようがないけど、メソアメリカ文明では生贄は絶対みたいな感じだったんだよね。これの廃止政策をやったもんだから、

    「テスカトリポカとの抗争が生じたんや」

 テスカトリポカは対立部族であるとも、神官グループであるとも、軍事勢力を持つ一族とも考えられてるけど、とにかく対立構図は、

  • 生贄廃止派・・・ケツアルコアトル
  • 生贄護持派・・・テスカトリポカ
    「見ようによってはケツアルコアトル教とテスカトリポカ教の抗争としてもエエかもしれん」

 この結果、勝ったのはテスカトリポカなんだけど、

    「負けたケツアルコアトルは、メキシコ湾岸までくると、蛇のいかだに乗って日が昇る方向へ去っていったとなっとる」

 その時に、

    『私は一の葦の年、必ず帰ってくる。そして、今度こそ私が要となる。それは、生贄の神を信仰する民にとって大きな災厄となるであろう』

 やっとつながった。「一の葦の年」ってなにか宗教的な意味があるかと思ってたけど、ケツアルコアトルの誕生年だったんだね。

    「神話にこのエピソードが入り込んでややこしなっとる部分があるねん」

 だろうな。だってケツアルコアトルは東の海に出て行って帰ってないんだもの。

    「ここでコトリの興味はケツアルコアトルがいつ生まれかやねん」

 一の葦の年にホントに生まれたかなんて確認しようがないけど、一の葦の年なら五二年ごとに来るから推測は可能よね。

    「通説ではトルテカ文明はテオティワカン文明崩壊後に台頭したとなってる」

 テオティワカン文明は紀元前後から七世紀ぐらいまで続いた文明で、今でもメキシコシティの近くに最大の遺跡が残ってるのが有名。

    「メソアメリカ文明も並立があってな・・・」

 大雑把にわけるとメキシコ中央高原とユカタン半島に別れるんだけど、ユカタン半島にはマヤ文明がずっと頑張ってるんだけど、メキシコ中央高原は栄枯盛衰があったぐらいかな。

    「トルテカ文明の始まりは七世紀ぐらいでエエと思うんやけど、問題は終りや」

 この辺の考古学的論争はあるんだけど、

    「コトリはチチメカ族の侵入説を取ってる」

 チチメカとは「乳を飲ませる」の意味らしくて、遊牧民族らしいのだけど、

    「メソアメリカ版のゲルマン民族の大移動でもあったぐらいの見方や。中国なら北方民族の侵入かな」

 チチメカには「新しく来た人」の意味もあるらしいから、コトリ先輩の見方も一理あると思う。クアウティトラン年代記てのがあるらしいけど、

    「十六世紀に作られたもんらしいけど、原本は無くなってて、十七世紀の写本が元やそうや」

 さらにトルテカ・チチメカ史もあるたしいけど、これも十六世紀に書かれたものらしい。どっちも成立が新しいと言えば新しいけど、

    「さらに原典があったと見るのが妥当やと思うで」

 とにかくそれぐらいしかないものね、

    「ケツアルコアトルはトゥーラを建設して、去ってるやろ」
    「そう見れますね」
    「トルテカ・チチメカ史には一〇六四年にトゥーラに到着したとなってるねん。一方でクアウティトラン年代記にはトルテカ王国は終焉したとなっとるねんよ」

 どういうこと?

    「中国式ちゃうかな。トルテカの方が文明は進んどったけど、チチメカの方が武力は強かったてことや。それでもって、トルメカを滅ぼしたチチメカはトルメカの後継者を名乗ったぐらいや」
    「だったらケツアルコアトルがトルメカ王で、テスカトリポカがチチメカ王ぐらいですか」
    「そう見とる」

 そうなるとトルメカ文明は

  • 七世紀から十一世紀半ばまでのトルメカ王国
  • 十一世紀半ばから十二世紀のチチメカ王国

 この二つがあったことになるかもしんない。

    「ここでやけど、トゥーラは地名でもありそうやけど、単に都って意味もあるそうやねん。他にも理想郷とか、憧れの都市とか」
    「では一つじゃない」

 コトリ先輩の説は面白くて、ケツアルコアトルはトルメカ王の中でも傑出していたんだろうとしてるのよ。だからこそケツアルコアトルと名乗ったなり、呼ばれたんだろうけど。

    「当時は神官王でエエと思うけど、ひょっとしたらもう一歩進んで神王やったんかもしれん」
    「エジプトのファラオみたいなものですね」

 要は代々の王もケツアルコアトルを名乗っていた可能性もあるんじゃないかって。

    「ではチチカカ王を迎え撃ったのはセ・アカトル・トピルツインじゃなくて」
    「子孫やったんかもしれん」
 コトリ先輩はもう一歩考えてた。メソアメリカ文明も多神教だけど、トルメカ族はケツアルコアトルを守護神ぐらいにしてたんだろう。神の扱いは信奉する部族の興廃に連動するから、この時期に神としての地位が上がったんだろうって。

 後から侵入したチチカカ族はテスカトリポカを守護神としてたけど、ケツアルコアトルも取り込んで崇拝したんじゃないかって。

    「そやから初代のケツアルコアトルは七世紀まで遡れる可能性があるってことや」
 コトリ先輩との歴女の会はおもしろい。

怪鳥騒動記:アステカ暦

 今年はシノブがクレイエール入社してから七十六年目、エレギオンHDが出来てから四十一年目、そして夢前遥が三十一歳になる年。シノブはユッキー社長や、コトリ先輩と三十階住まいなんだけど、今夜も酒盛り。

    「コトリ先輩、歴女の会の頃が懐かしいですね」
    「そやなぁ」

 クレイエールで歴女の会を作ったのはコトリ先輩で初代会長。シノブだって元会長。

    「歴研と討論会やった頃は、シノブちゃんはまだ女神やなかったもんな」
    「そうそう、ごく普通の人の結崎忍でしたよ。お別れパーティの夜も覚えてますか」
    「忘れるかいな。ミサキちゃんとマルコにどれだけ見せつけられたことか」
    「マルコがお姫様抱っこでキスしまくりでしたものね」

 そこにユッキー社長が、

    「そんな会だったんだ」
    「ちょっと違うけど、まあそんな会。とくにお別れパーティは盛大やった」
    「なんのお別れだったの」
    「女神とお別れ、コトリとお別れのつもりやった」

 ユッキー社長はちょっと小首を傾げて、

    「それってカズ坊のマンションに来る前の話?」
    「そうや。四百年ぶりに五女神がそろた時や」
 神々との対決やエランの宇宙船騒動もあったけど、あの時の二人の対決が一番怖くて凄まじかった。見た目は平然と会話を交わしながら、首座の女神と次座の女神が本気で離れて組み合ってたんだものね。

 もちろんあの時にシノブもいたんだけど、ソファから身動き一つ出来なかったもの。あれも動かすまいとする首座の女神と、そうはさせまいとする次座の女神のつばぜり合いだったんだ。部屋中にピリピリするというか、あれは殺気が渦巻いてた。

 なんとか二人の妥協が成立してマンションから生きて帰れたけど、消耗しきったコトリ先輩は玄関で倒れて意識不明となり入院となり、二週間も目を覚まさなかったぐらい。そんな二人が同居してニコニコと話をしてるんだから世の中不思議なものだ。

    「また歴女の会やりたいですね」
    「そやなぁ。でも、ムリやなぁ」

 そうなのよね。出世しすぎちゃってコトリ先輩が副社長でシノブが専務。

    「でも二人でも出来るやんか」
    「だったら、わたしも入る」
    「それやったら三十階の歴女の会でもやるか」

 歴女の会って言っても三人だけだけど、

    「クレイエールの歴女の会の始まりも、こんなノリやってんよ」
    「でも輪は広がらないですよ」
    「そこは言わない。アカネさんは無理でもミサキちゃんは入るで。元会員やし。シオリちゃんも入るかもよ」

 ユッキー社長が、

    「でも、クレイエールの歴女の会はミーハー歴女の集まりだったはずよ」
    「あれも楽しいけど、三十階は本格派やろうや。シノブちゃんもだいぶ目覚めたし」

 伊集院さんとムックした富士川は燃えたものね。

    「コトリ、ところで何読んでるの」
    「世界の怪奇現象」
    「好きだねぇ」

 どちらかと言わなくとも合理主義者のユッキー社長に較べると、コトリ先輩はその手の怪奇現象がお好み。

    「UFOとか」
    「ホンモノが来たやんか」

 だよね。あれだけ文明が進んでいたエランでも、時空トンネル使ってやっとこさ地球に到達だし、宇宙探検もかなりやったみたいだけど、地球以外で知的生命体の存在どころか生命体の痕跡さえ見つからなかったって言うし。

    「そう言えば、ちょっと前に調べてたのは?」
    「アステカ暦」

 マヤ文明とするのがポピュラーだけど、中南米で栄えたメソアメリカ文明で使われていた暦のこと。

    「一の葦の年が気になってな」

 メソアメリカ文明の掉尾を飾るのはアステカ帝国だけど、たった三百人のスペイン人コルテスに滅ぼされちゃうんだよね。その時の原因の一つとされるのが『一の葦の年』ともされてるんだ。

    「アステカ暦は十三日周期の数字で表す日付と、二十日周期のモノを現す日付の組み合わせで表してたんや」
    「十干十二支みたいなものですね」
    「さすがシノブちゃん、理解が早いわ。アステカ暦は十三干二十支ってところやな」

 日本の干支表記も今は年しか使われてないけど、かつては、

  • 日干支
  • 月干支
  • 年干支

 この三つが使われてたんだよね。

    「そういうこっちゃ。アステカ暦も一年は三百六十五日やってんよ。そこでやけど二十日周期の方を一ヶ月にしとったらしい」
    「でも五日余りますよ」
    「アステカ暦では一年は十八カ月で、それぞれの月の名前が付いとったけど、最後の五日は無名の月にしとったらしい」

 そうなんだ。

    「それとアステカ暦の場合は年を数える時は日と違ったんや」

 干支の場合は日も、月も、年も数え方は同じだけど、アステカ暦では十三の数字は同じでも、物を現す方は四つしか使わなかったんだって。

    「二十日周期のうち、三・八・十三・十八番目だけ使とって、家、うさぎ、葦、石刀になるんや」

 元年が「一の家の年」で、二年が「二のうさぎの年」って感じね。

    「この組合せは五十二年で一回りする。干支やったら還暦って感じやな」

 そっか「一の葦の年」は五十二年に一回しか回って来ないんだ。マヤ文明というかメソアメリカ文明も長いんだけど、アステカ暦がいつから使われてたかになるけど、

    「遅くとも紀元前五世紀ぐらいから使われたみたいや。メソアメリカでは天上には十三の層があると考えられていたから、十三は神聖な数字として扱われ取ったでエエやろ」
    「じゃあ、二十日の方は」
    「こっちはようわからんけど、二十進法やったという説もあれば、両手両足の指が二十本やったという説もある」

 メソアメリカ文明ではかなり早くから定着してた数え方ぐらいと見て良さそう。

    「スタートの日ってわかってるのですか」
    「うん、スペインがアステカ帝国を制圧した時に、キリスト教の布教のために古くから伝わる書物を集めてほとんど焼いてもたんや」
    「そのためにメソアメリカ文明は謎のベールに包まれてしまったとされてますよね」

 それでも生き残った書物の中にチラム・バラムの書があるんだって、そこのオシュクツカブ年代記が計算の根拠らしいけど、

    『一五三九-一五四〇年のカレンダー・ラウンド十三アハウ七シュルの日にトゥンが終わる』

 なんじゃこりゃ、

    「これはマヤ暦の読み方になるんやけど・・・」

 マヤ暦では十三アハウが日付で、七シェルが月の名前になるんだって。アハウは二十日周期の二十番目、シェルは十八か月制の六月ってところ。トゥンは長期暦の数え方の一つで三百六十日の単位だそう。

    「同時にカトゥンの終りも一緒やねん」

 カトゥンは二十トゥンになって七千二百日になるんだけど、トゥンの終りとカトゥンの終りが十三アハウ七シェルになるのは一万八千七百年に一度ぐらいしかないから特定できるんだって。

    「計算はコンピュターに任せたらエエんやけど、マヤ暦のスタート日は紀元前三一一四年八月一一日になるんや」

 メソアメリカ文明の長期暦はこの日を期限にして何日目って表現が使われるんだって。

    「もっともやけど、スタートの日なんて、日本の神武天皇の即位日みたいなもんでエエと思うで」
 シノブもそう思う。紀元前五世紀ごろに神官たちが、様々な神話や伝承を組み合わせて捻くり出したんもんだろうって。