シノブの恋:二回戦・三回戦

 二回戦は先攻の八位の山科選手がバーを落としてくれたからラクな展開になり、ゆっくり目に回って軽く勝利。神崎愛梨も七位の本田選手を圧倒して三回戦に進出。この会長杯のトーナメント方式は、予選に当たる一回戦こそ時間をかけて行うものの、二回戦からは、ほぼ連戦になってくるのが特徴。馬の耐久力も問われるぐらいで良さそう。

 二回戦が終わって、短い休憩の後に神崎愛梨の三回戦。相手はアジア大会代表の松本選手。先攻は松本選手だったけど、目の覚めるような快走を見せたんだよ。松本選手の実力は団体戦の時に知ってたつもりだけど、自馬になると一段と凄みを増し、

    『四三・五一秒』
 ここまでの最高記録で、シノブの予選タイムを上回ってた。そうそう、会長杯の二回戦からはトーナメント方式なんだけど、一回戦の上位選手が後攻に回るシステムになってるんだよね。

 先攻と後攻のどちらが有利かは微妙なところがあるけど、先攻の選手がシノブの二回戦の時のようにミスしてくれたら後攻はラクになるとは思うけど、神崎愛梨の三回戦のように先攻が良いタイムを出すとプレッシャーが逆にかかるかもしれない。

    『対戦者、神崎愛梨、馬はメイウインド、甲陵倶楽部所属』

 スタートの合図がかかると神崎愛梨はスピードに乗って第一障害へ。一回戦、二回戦の時とは明らかにスピードが違う。高く舞い、鮮やかに着地すると、見事な方向転換。見る見るうちに全障害をクリアして。

    『四〇・七三秒』
 でもシノブには見えた気がする。あれだけ走らせても神崎愛梨とメイウインドには余力がある。あれでも全力でないはず。決勝で会いまみえれば三〇秒台勝負になるのは確実だわ。

 その前にシノブの三回戦。相手は栗岡選手。団体戦の時と同じ組み合わせ。馬場に向かう途中で小林社長が、

    「勝てば決勝でっせ」
    「社長、金杯で乾杯しましょ」

 栗岡選手も気合が入ってた。団体戦の貸与馬では苦戦してたけど自馬となると違うはず。ここのトーナメントの特徴だそうだけど対戦前に相手選手と話をする時間が作ってあるのよね。

    「今日は前のようには参りませんよ」
    「お手並み拝見させて頂きます」

 栗岡選手も団体戦の時のリベンジに燃えてるのはよくわかる。競技が始まるとさすがの切れ味。次々に障害をクリアしていく。今日は絶好調みたい。

    『四二・一一秒』

 松本選手も上回る時計を叩き出した。シノブはテンペートの耳元で、

    「ちょっと気合入れるね」

 こうささやくと、

    『わかってる』
 こんな感じの反応が伝わってきた。そしてスタート。まずは第一障害でオクサー。これは一番低くて一四〇センチで小手試しってところ。そこから右に進路を変えて一五五センチの垂直。

 ここからグルッと左に回り込んで、百五十センチのオクサー。ここから直進して垂直のダブル・コンビで二個目が百六十センチ。ここから進路を左に変えて一五〇センチのオクサー。

 第四障害のダブル・コンビから第五障害、第六障害の一七〇の垂直、さらに第七障害のオクサーまでは障害間の距離が長いからタイムを稼ぎたいところ。テンペートは快調に飛ばしてくれてる。

 第十二障害のオクサーを越えると最終障害がトリプル・コンビ。高さはいずれも一七〇センチで、最初が垂直、次が幅一八〇センチのオクサー、三つ目が幅二メートルのオクサー。これを飛び終えるとフィニッシュ。

    『四十・九七秒』
 勝った。これで決勝だ。テンペート、よくやった。会場にもハイレベルの戦いにどよめきが。もう三回走ったからシノブはもちろんだけど、テンペートもコースも馬場の様子も覚え込んでくれてる。

 でもこれは神崎愛梨とメイウインドも同じのはず。そして決勝は神崎愛梨が先攻。ここまでシノブとテンペートの走りを見てるから、全力で時計を縮めにかかってくるはず。でもシノブとテンペートは負けないよ。かならず勝ってやる。

シノブの恋:一回戦

 まずは予選みたいな一回戦。八人の中に残らないと話にならないのだけど、さすがにレベル高いわ。それに馬も立派。コースが短くなった関係で規定時間は五十八秒になってるけど、団体戦にも出場していた松本さん、栗岡さん、白田さんは次々と減点無しでクリア。

 出走順だけど、まずは甲陵倶楽部側の選手が倶楽部内予選の下位選手から出走。神崎愛梨が甲陵側の最後だけど、メイウインドはさすがに群を抜いてる感じ。観客席からもどよめきが出てる。

 神崎愛梨の走りはビデオで見てたけど、実際に見るとそれ以上なんだ。まさに舞うように障害を次々とクリア。高さも飛距離とも余裕で、まさに華麗の一言に尽きそう。タイムも、

    『四九・八七秒』
 ただ一人五十秒を切る快走。でもシノブの見る限り限界一杯の走りではなく、かなりの余力を残してるはず。

 甲陵倶楽部側が終わると招待選手だけど、苦戦してる。そりゃそうよね、あれは大障害Aさえ超えるグランプリ仕様。誰も減点無しではクリアできないどころか、完走できたのも一人だけ。ベスト・エイトには入れなかった。

    『二十番、結崎忍、北六甲クラブ所属、馬はテンペート』
 シノブが登場した時にもちょっとしたどよめきが。小林社長の手腕はさすがで、仕上がりはまさに完璧。スタートしたけど物凄く軽い感じ。障害が低く見えるもの。その時に不思議な風景がシノブの脳裏をかすめたの。

 あれは野原、いや演習場の訓練場。障害を飛び越す訓練をしてる。あんな障害飛び越えてたんだ。その瞬間にスイッチが入った気がした。そうだ、エレギオンの馬術は実戦馬術、天然の障害を瞬時に高さと幅を見抜いて飛び越して行くんだ。

 シノブはあの時の感覚でテンペートを走らせた。いや、テンペートはシノブの心がわかったように走ってくれてる。シノブはコースの指示を出すだけ。馬術は馬を操るのではなく、人馬を一体化して走らせることよ。

    『四七・七七秒』

 やった一位だ。でもまだ抑えてるよ。テンペートの力はこんなものじゃない。本当の勝負はトーナメント戦だ。これで一回戦は終了。シノブが一位、神崎愛梨が二位。トーナメントの組み合わせは一回戦の順位で決まるから、順当に勝ち上がれば決勝は神崎愛梨とのデュエロになる。馬場から出ると小林社長が、

    「シノブさん、やった、やった」

 もう泣き出しそうなぐらいの顔。ここで午前の部は終了し小林社長にテンペートを預けてランチに。

    「やったなシノブちゃん」
    「エエ走りやったで」

 倶楽部のレストランを使っても良かったんだけど、ユッキー社長がお弁当を作ってくれてました。

    「次の二回戦は問題ないやろうけど、順当に行けば三回戦は四位の栗岡さんや」
    「ミスさえなければ大丈夫と思うけど」
    「今日はミスは出ないと思います」
    「そんな感じやけど、油断せんと行こう」

 そうやって盛り上がってるところに、

    「さすがね。馬も申し分はないわ」

 神崎愛梨です。

    「もう夢前さんと呼んでイイわね。決勝で会うのを楽しみにしてるわ」

 それからユッキー社長とコトリ先輩の方に向き直り、

    「小山社長、月夜野副社長、お久しぶりです。エレギオンHDの四女神は歳を取らないの噂が本当なのが良くわかります」
    「十年ぶりかしら」
    「正会員ですからレストランを使われたら宜しかったのに」
    「青空の下のお弁当も美味しいよ」

 神崎愛梨は知っていたんだ。

    「それと馬を楽しまれるなら甲陵倶楽部を利用されれば良かったと存じます」
    「馬を買うほどの趣味じゃないからね」
    「テンペートは」
    「そこそこでしょ」

 神崎愛梨はふふっと笑い、

    「テンペートがそこそことは、よく仰います。あれこそフランスの至宝とされる名馬の中の名馬。セルフランセの血統強化のために、どんなにカネを積まれても国外流出はあり得ないとされてたものです」
    「よくご存じね」
    「テンペートが日本に売られたと聞いてどれほど驚いた事か」

 そこまで凄い馬だったから、引退しているルナまで動員されたんだ。どれほどの工作をされたか考えただけで怖いぐらい。ひょっとしたらフランス大統領に会ったのも、その一環だったかも。

    「もっとも買われたのが小山社長ならわかります。小山社長が言葉にされて、実現しない事はないのは有名過ぎるお話です」
    「そうでもないわ」

 ユッキー社長はお弁当をパクパクと食べながら、

    「あなたもいかが」
    「いえ、もう頂いております」

 神崎愛梨はシノブの方に再び向き直り、

    「テンペートは名馬だけど、私のメイウインドも負けないわ。デュエロの条件を話しておきたいんだけど」
    「神崎さんが決勝まで上がって来られれば聞きましょう」
    「言うわね。決勝で会うのを楽しみにしてる」

 そう言って去って行っちゃいました。

    「神崎愛梨も変わったね」
    「そやな、エエ女になっとるで」
    「シノブちゃんも頑張らないと」
 確かに見ると聞くでは大違い。ワガママじゃなくてプライドの塊みたいなものじゃない。それに近寄りがたいほどの気品とあの凛とした態度。ちょっと見とれちゃったよ。そういう意味でのお姫様だとやっとわかった。

 それとあの口ぶりからするとテンペートをユッキー社長が買ったのを知った上で会長杯に招待したに違いない。だからデュエロは受ける。負ければ退くけど、勝てば奪いに行く。恋とはそんなもの。シノブもエレギオンの女神だよ。テンペートがいる四座の女神が負けるものか。

シノブの恋:愛梨のプライド

 会場は甲陵倶楽部。シノブは初めて来るけど、こりゃ立派。広大な森の中にあるようなものだものね。案内された厩舎も北六甲クラブとは大違い。馬は小林社長に頼んでシノブはコースの下見。

 障害馬術と言うよりクロスカントリーに近いぐらいの距離がある。そうなのよ、箱庭の障害を飛ぶと言うより、森の中に設定されたコースを駆け巡る感じ。馬場でのコースと森の中のコースが組み合わされてる感じと言えば良いのかな。

 距離も長いのだけど、森の中のコースは起伏に富んでいて、小川を飛び越えたり、水濠があったり。障害の高さ、大きさも半端じゃないのよこれが、だって馬場の障害だけで通常の大障害と同じだもの・・・こりゃ難度高いわ。

    「どうシノブちゃん」
    「手強そうです」

 事件は騎手ミーティングの時に起こったのよね。外部からの招待騎手もいるからルール確認だったんだけど、最後に、

    「なにか質問は?」

 こう審判長が言った途端に、

    「コース設定がフェアじゃありません。作り直すべきです」
    「どういうことかね、神崎君」

 あれが神崎愛梨か。実物を見るのは初めて。それにしてもコース設定のどこに問題が、

    「森のコースは普段の練習用の設定と殆ど同じじゃありませんか。倶楽部会員だけの競技会ならともかく、招待選手には明らかに不利かと」

 なるほど。倶楽部所属の騎手とっては普段の練習コースなんだ。

    「いや、同じではない。例えばだが・・・」
    「間違い探しをしているのではありません。これでは甲陵倶楽部会員が明らかに有利になります。そんなアンフェアな条件では参加出来ません」
    「待ってくれ、もうすぐ大会は始まるのだぞ。それに森の周回路を作り替えるとなると手間と時間が必要になる」
    「延期にすれば宜しいかと。強行されるのなら私は参加を取りやめます」

 こりゃ、プライド高いわ。ホームコースだからそれぐらいは有利さがあってもイイようなものだけど、それが許せないとはね。

    「神崎君は参加を取りやめると言うのかね」
    「ええ、このコースで招待選手と戦うのは神崎愛梨のプライドに関わります。言うまでもないですが、甲陵倶楽部の名誉にも関わります」

 神崎愛梨を見直した。お金持ちのワガママお姫様と思ってたけど、なかなかどうして、ここまでのフェア精神があるんだ。女としても強敵だぞ。神崎愛梨の主張に騎手ミーティングの会場はざわついたのだけど審判長は、

    「神崎君の意見はわかったが、招待選手の意見も聞いてみたい」

 順番に聞かれたのだけど、

    「それはホームコースの有利さだから構わない」

 こんな意見だったのよ。シノブも似たような感じ。でも神崎愛梨は納得しなかった。

    「招待選手の方々の紳士及び淑女に相応しい発言に敬意を表します。それでもハンデに相違ありません。どうしても大会を開催されるなら、森の周回コースは中止し、馬場のみに限定すべきかと」
    「その条件なら神崎君は出場してくれるのかね」

 審判長を始めとする役員がしばらく協議した末に、

    「神崎君のよりフェアに戦いたい気持ちを尊重し、コースは変更し、馬場のみの障害飛越にて大会を開催することにする」

 神崎愛梨のフェア精神もビックリしたけど、甲陵倶楽部もなにがなんでも神崎愛梨を出場させたいでイイみたい。そうしたら神崎愛梨がツカツカとシノブのところに歩いてきて、

    「結崎さんとお呼びした方が良いですか」
    「ええ」
    「この大会がトーナメントを重視しているのは御存じですね」
    「かつてはそうだったらしいぐらいは」
    「私は貴女との対戦をデュエロとしています。そのつもりでお願いします」
 それだけ言うと立ち去ってしまっちゃった。そっか、そういう意味か。コトリ先輩ではなくシノブが招待されたのは、そのためか。あれだけフェアにこだわったのも同じ理由として良さそう。

 もう一つ気になったのは、名前の呼び方を確認したこと。あれはシノブが夢前遥であることも知っている以外に考えられないじゃない。そう、夢前遥が誰であるかも知っての上の発言に違いない。

 でもデュエロはイイとしても、シノブが勝ったら神崎愛梨は手を引くとか。たぶん条件としてはそうかもしれないけど、実際のところは違って、負けるとは夢にも思っていないから、シノブに勝つことで完全に手を引かせる目的と見た方が良さそう。

 これはシノブの恋でもあり、女神の恋でもある。シノブが勝っても神崎愛梨が退くとは思えないけど、シノブが負けて退かされるのは許されないよ。なんとしても勝って見せる。


 そうそう、今日の装備はすべてコトリ先輩のプレゼント。

    「さすがに今度は北六甲クラブのレンタルじゃ見栄えが悪いやろ」

 ヘルメット、ブーツ、プロテクターは既製品だったけど、鞍がなんと手作り。コトリ先輩が器用な人なのは良く知ってるけど、皮革製品までとは。

    「まあ革は商売物やから手に入るやんか。そやから鞣すところからせんでもエエのは助かったわ」
    「でもここまで出来るとは」
    「当たり前やろ。エレギオンで鞍作っとってんから」

 なるほどね。使ってみると、お尻の馴染みが全然違う。

    「そうやろ、シノブちゃんの好みはよう知っとるさかい」

 これも聞くと古代エレギオン時代の女神の鞍はコトリ先輩担当だったとか。

    「女神の男の鞍も作っとったで」

 次座の女神の鞍を使えるのは、女神の男の栄誉の一つだったで良いみたい。

    「あんまり栄誉に思い込み過ぎて、仰山死んでもたけどな」
 今は命を懸ける道具じゃないから気楽だと笑ってました。でもこれで装備はバッチリ。神崎愛梨と決戦だ。

シノブの恋:決戦へ

 北六甲クラブの一角に障害コースが設定され練習開始。

    「やはり大障害ですよね」
    「いや、甲陵の会長杯はグランプリ仕様や」
 オクサー障害は二メートルにもなり、高さも一七〇センチになることもあるとか。プライベートの大会にしたら高すぎるのだけど、それぐらい甲陵のレベルは高いってこと。よくそんなところに勝てたって実感してる。

 テンペートの方の仕上がりは順調のようで、さすがは小林社長です。そりゃ、もう、つききりみたいに世話してるものね。

    「大会の時には一〇〇%、いや一二〇%に仕上げとくで」

 それにしても軽く飛べるのよね。野路菊クラブの貸与馬も良かったけど、はっきり言ってモノが違う。ただし神崎愛梨は強敵。出場してる大会のビデオを見たけど、まさに華麗。まるで蝶が舞うように障害をクリアしてる。

    「コトリ先輩、さすがは世界レベルですね」
    「馬もエエけど、腕もたいしたもんや」
    「コトリ先輩なら勝てますか?」
    「どやろ」

 ここでニヤッと笑われて、

    「シノブちゃんが昔の勘をもう少し取り戻したら勝てるで」
    「そんなに乗れたのですか」
    「もちろんや。何年乗ってたと思てるねん」

 そうなんだよな。アングマール戦が始まったのが紀元前一五〇〇年ぐらい。そこからシチリア移住までだから、およそ一五〇〇年。たかだか二十年ぐらいの人とは経験の桁が違うはずだけど、

    「シノブちゃんが走らせると、それこそ疾風の様なものやったんよ。まあ、実戦ではスピードが重要やったしな」

 騎馬隊の攻撃力は強いのだけど、防御力はさほどじゃなかったんだって。当時の飛び道具は弓矢になるけど、これを防ぐために重装歩兵みたいな鎧兜を装着させて楯まで持たせたら、

    「重すぎて走れんようになるやろ」
 この辺はエレギオンの馬が比較的小型だったのもありそう。だから革の鎧程度にしてたそうなんだけど、それじゃあ、矢が貫いちゃうんだよね。そのために、騎馬隊が現れると、とにかく弓隊の集中攻撃が浴びせられたそうなの。

 だから正面突撃となると、敵の攻撃を受ける時間を少しでも短くするために、どれだけ馬を早く走らせるかは重要だったでイイみたい。同時にそれだけの速度で敵陣に突っ込むのも戦術として効果的だったぐらいかな。

    「障害馬術は?」

 コトリ先輩は笑いながら話してくれたけど、騎馬隊の用兵には正面からの突撃もあるんだけど、より有効な方法として奇襲があるんだって。

    「ポピュラーなんは迂回攻撃や」

 騎馬隊の機動力を活かした長距離迂回攻撃だそうだけど、

    「陰険なクソエロ魔王の野郎は読みやがるんよ」

 奇襲は嵌ると絶大な効果があるけど、読まれて対策されてしまうと大損害を蒙るのよね。そこで騎馬隊の迂回路にも工夫と努力が求められたぐらいかな。

    「簡単に言うと、敵が通れんと思うところを通る事や」

 そのために岩を飛び越え、崖を登り下り、池や川を渡るのが必要になったんだって。そのための訓練の一つが今なら障害馬術に近い感じ。

    「馬場でやる障害と言うより、クロスカントリーの方がイメージとして近いわ。前にシノブちゃんが通った、北六甲クラブのアドベンチャー・コースみたいなもんや」

 なるほど、ああいうところを完全武装で通り抜けるのが騎馬隊の奇襲に求められたんだ。ここで気になるのは、

    「シノブの実戦経験は」
    「エレギオン包囲戦では頑張ってもうたけど、ハムノン高原に戦場が移ってからのシノブちゃんのポジションは軍事教練やってん。そういう馬術を騎兵隊に教える仕事。でも今の障害飛越ぐらいやったら、余裕のはずや」

 シノブは首座や三座の女神と共に後方支援がメインだったみたい。

    「前線には」
    「何度かあるよ」
 さてだけど甲陵会長杯は変則の方式で行われるみたい。倶楽部内で先に予備予選があって、そこの上位十六名と特別招待選手四名を加えて行われるのが本選なんだけど、まず全員が走って上位八名に絞られるのが一回戦。

 そこからは八名によるトーナメント方式になるから、優勝するには四回走る必要があるのよね。

    「昔は全部トーナメント制でやってた時期もあったみたいや」
    「一日で」
    「いや、かつては三日ぐらいやったと聞いたことがある」

 そこまでトーナメント方式にこだわった理由ですが、

    「聞いたところでは、タイマンで勝つのを重視していたらしいで」
    「決闘みたいなものですか」
    「そんな空気があったらしい。そやからデュエロとも呼んでるらしい」
 とにかく甘くなさそう。

シノブの恋:テンペート

 吹っ切れた感じはするのだけど、当面はどうしようもないのよね。さすがに押しかけ女房をやるのもどうかと思うし。なにかアクションが起こすにはキッカケが必要だけど、見当たらないから馬に熱中してる。

 それとだけど、シノブは伊集院さんに天秤にかけられたのはわかる。ただね、その相手はどう調べたって神崎愛梨なのよ。神崎愛梨なんてお金持ちのワガママお姫様じゃない。そんな神崎愛梨から伊集院さんは逃げ回っていたはずなのに、どうしてシノブを選ばなかったんだろう。

 だからチャンスは十分にあると期待してる。あの夜に、ああなったのは、伊集院さんの本心じゃなくて、世間のしがらみって奴に違いない。それが何かを突き止めて、解してやれば逆転できるはず。いや、逆転してやるんだ。


 ひとしきり馬を走らせて、スッキリしてクラブハウスに戻ると小林社長に呼ばれたんだ。

    「エライもんが来てるんや」

 へぇ、甲陵倶楽部附属馬術会長杯障害馬術大会からの招待状か。

    「あそこの会長杯は本物の金杯やねん」

 戦前からあるものだそうだけど、

    「あの金杯は甲陵倶楽部の門外不出の秘宝とされて、表彰式にさえ出てけえへんねん。出るのはレプリカだけで、授与されるのは保持者の栄誉だけやねん。理事長室にあるそうやけど、オレも見たことないぐらいや」

 えらい御大層なカップだけど、実物も見れない金杯じゃ意味ないじゃない。

    「ところがやな、あの金杯には伝説があって、もし外部招待選手が優勝したら贈呈される決まりになっとるそうや」
    「贈呈って、まさかそのまま貰えるとか」
    「そうなっとるって話や。そやけどオレの知っとる限り、外部招待選手なんか見たことも、聞いたこともあらへんけど」
 金杯を失うリスクを冒してまでの招待となると目的はミエミエで、前の団体戦のリベンジ・マッチしかないじゃない。それにしても妙なのは招待相手がコトリ先輩じゃなくシノブなんだよね。

 そこはともかく参加するにしても甲陵倶楽部の馬の質は抜きん出ていて、前に貸与馬として乗せてもらった野路菊クラブより格段にイイらしい。そもそもだけどシノブは馬持ってないし。

    「自馬戦じゃ、出場は無理です」
    「そうやけど、この際買ったら」
    「気楽に言わないで下さい」
    「まあ、そうやねんけど、出場して勝ったらあの金杯もらえるかもしれないんやで」

 招待についてはその日に即答の必要もなかったので、馬を買う話も含めて保留にして三十階に帰宅。ここのところユッキー社長もコトリ先輩も出張続きで乗馬クラブはお休み。

    「海外出張はかなわんわ」

 相も変わらずの時差ボケで、海外出張の度にボヤく、ボヤく。

    「ユッキー、大きし過ぎたんちゃうか」
    「なっちゃったものは、しょうがないし」

 大きくなったのはユッキー社長の手腕も大きいんだけど、それを手助けしたコトリ先輩の功績も巨大。二人が組んだら世界最強ってところ。大げさにいえば、この二人がどこに海外出張に出かけ、どこを視察して、どんな感想を漏らしたかだけで世界経済に影響するぐらい。

    「政治家もかなわんな」
    「でも断りにくいし」
 エラン宇宙船騒動では地球側全権代表、さらにはエラン協力機構の代表を務め、見ようによっては地球大統領的な地位に就き、小うるさい有力国を丸め込み、押さえ込んだ手腕は世界中に轟いています。

 エラン問題が片付くと、なんの未練もなく代表の座を退いたのも驚かれています。あの時のリスペクトは未だに残っており、海外出張の訪問国に行くたびに首脳との会談が申し込まれるものだから、

    「ユッキー、あのまま地球大統領やってりゃ、良かったのに」
    「政治はコリゴリよ」
    「そやねんけど」

 コトリ先輩は時差ボケだけでなく、妙に有名人になってしまっているのも海外出張を嫌う理由になってるぐらいかな。会長杯の招待状の話をしたんだけど、

    「・・・へえ、そんな事があったんや」
    「甲陵倶楽部の会長杯って、すっごい立派な金杯で十五キロぐらいあるのよ」
    「いや二十キロって話もある。台座に馬が彫ってあるけど、台座まで全部金やねん」

 そっか、殆ど顔出さないけど、ユッキー社長もコトリ先輩も甲陵倶楽部のメンバーだから見たことあるんだ。聞くと理事長室の防犯装置付のショウ・ケースに飾られているみたいで、誰も手にしたことがないから重さもわかんないんだって。

    「あれでビール飲んだら旨そうやな」
    「やっぱり、シャンパンじゃない」
    「焼酎は合わんやろな」

 そういう問題じゃないでしょうが。

    「でも、どうしてコトリ先輩じゃないのでしょうか」
    「あら、知らなかったの。今度の大会には神崎愛梨が出て来るのよ」
    「えっ、帰って来てるのですか」

 神崎工業と伊集院製作所のトラブルの調査をやった時に知ったんだけど、意外なことに乗馬をやってたんだよね。それも趣味じゃなくて本格派。いや、そんなレベルじゃなくて甲陵倶楽部随一の実力者。これでも言い足りない、アジア代表の松本さんさえ凌ぐ日本のトップ・ライダーの一人なのよね。なんと言ってもオリンピック強化指定選手だものね。

    「あん時に神崎愛梨がおったら勝てへんかったやろな」

 だろうな。あの時に甲陵倶楽部に減点ゼロがもう一人いたら勝ち目ゼロだったもの。

    「しっかし自馬戦とはね」
    「神崎愛梨の馬は凄いで」
 神崎愛梨の持ち馬はメイウインドっていうのだけどウエストファーレンの葦毛。馬術用馬はハノーバが多いんだけど、ウエストファーレンもハノーバと原種が近くオリンピックでも優秀な成績を収めてるのよね。あの馬は甲陵倶楽部の中でも群を抜いている。

 相手が神崎愛梨ならやりたいけど、メイウインドに匹敵する馬がいないと勝負にもならないよ。あれだけの馬は単にカネを積んだだけじゃ手に入らないのよね。

    「神崎愛梨のメイウインドに対抗する馬をそろえるとなると、右から左に行かないですよね」

 そしたらユッキー社長がニッコリ笑って、

    「だったらちょうど良かったかも」
    「なにがですか?」
    「今回の出張のお土産」

 今回の欧州出張はフランスが中心だったのですが、

    「パリのルナも歳取ったけど生きとったで」

 もう幾つだったっけ、ミサキちゃんが語学留学に行ってたはず。

    「ルナも馬が好きなんよ。フランス馬術連盟の会長やっとった事もあって今でも理事や。庭に馬場まであるもんな。そやから最近乗ってる話をしたら盛り上がってもて」
    「まさか、買ったとか」
    「ルナのお勧めや。今は検疫中」

 お土産に馬まで買うかと思ったけど、買ったのは

    「セルフランセや」

 セルフランセが成立したのは一九六五年とまだ歴史が浅く純系化がまだイマイチで、体型や性質のバラつきが多いのだけど、逆にセルフランセとして登録されたのは非常に優秀なものになってるって話。とにかく登録の条件がジャンプ力になってるぐらい。

    「登録されたセルフランセとなると・・・」
    「お土産の値段を聞くのは野暮よ」

 何千万円は確実にするはず。

    「ルナもフランス至上主義のとこがあるから、日本に売るのは国家的損失とか抜かしとった」
    「だったら勧めなきゃイイのにね」

 こりゃ、セルフランセの中でも特級品とか、

    「コトリ先輩はどう見ましたか」

 すると含み笑いをしながら、

    「ルナがそこまで言うのがわかったぐらいや」

 これは、もう間違いない。一億越えてるはず。

    「馬の名前は?」
    「テンペート」

 英語で言えばテンペスト。嵐って意味だけど、

    「セルフランセにしたら少々気性が荒いとこもあるけど、シノブちゃんにはピッタリやと思うで」

 ここはわかんないけど、古代エレギオン時代のシノブの馬との相性を知ってるコトリ先輩がそう言うのなら、きっとそうなんだろう。

    「北六甲クラブで飼えるでしょうか」
    「それは心配ないやろ。厩舎はボロやけど、馬の世話は一流と見て良いはずや」

 見た目は確かにボロだけど、しっかりしてるのは間違いない。台風被害の時に、屋内馬場は倒壊し、クラブハウスの屋根も吹っ飛んだけど、厩舎はビクともしなかったそうだもの。それと小林社長は厩務員上がりだから、

    『馬の世話やったら日本一や』
    『でもあの厩舎やんか』

 そうコトリ先輩が言ったら、

    『そんなことないで。そりゃ、見た目はボロッちいかもしれんが、馬のために・・・』

 はいはい、どれだけ考え抜いてるかの講釈を何度も聞いてるのよね。検疫も終ってテンペートを運び込んだら小林社長は驚嘆してた。

    「間違いない。エエか悪いかは目を見ただけでもわかるけど、これは一級品、いや特級品や。よく、まあ、これだけの馬を」
    「掘り出し物やねん」
 コトリ先輩が嘘八百の掘り出し秘話をやってました。よくあんだけ、壮大なウソ話を即興で作り上げるものですよ。毎度のことながらで、聞いてるとシノブもホントはそうじゃなかったかと信じてしまいそうなぐらいリアリティに富んでます。

 シノブもさっそく乗ってみましたが、モノが違うのがヒシヒシと伝わります。それだけでなく、乗った瞬間に馬と心がピタッと合ってる感じさえします。この馬がいれば神崎愛梨にも対抗できるはず。

    「小林社長、例の招待受けます」
    「わかった。大会までにバッチリ仕上げといたるで」
 ここで気づいたこと。シノブへの説明もウソが混じってること。お二人の今回の出張は馬が目的だったんだ。だからルナに頼み込んで最高のセルフランセを紹介させたんだ、

 これはリベンジ・マッチを予想してたに違いない。あれほどの敗北を甲陵倶楽部が放置するとは思えないものね。そして出てくるとなると随一の実力者である神崎愛梨とメイウインドになり、神崎愛梨が出てくるとシノブに挑戦状を送るところまで読んでたんだよ。

 そして見つけ出してくれたのがテンペート。これは何かの運命。この勝負の行方がシノブの恋の行方を大きく変えるはず。最高のプレゼントを確かに受け取った。