渋茶のアカネ:ルシエン

 アカネの手元にはオーバーホールの終わった愛機が。それにしてもピカピカに磨き上げられてる。修理期間も通常は十日以上かかるんだけど三日で仕上がってた。お代を払おうとしたんだけど、

    「すみません。修理中にカメラに傷をつけてしまい、帳消しということでご容赦ください」

 たしかに大きな傷がついてた。製品名が削られ『Lucien』と変わり、さらに『Akane 1』と新たに刻み込まれてる。

    「こ、これは」
    「つい手が滑り申し訳ございません」
 ルシエンは当時の開発コード名だったらしく、発売時にも使われる予定があったそうなの。アカネ1の掘り込みはオマケのサービスみたいで、ちなみにアカネ2もある。これは、やはり予備機が欲しかったので中古の同じカメラを探してもらってたの。

 きっとプロタイプはこんな感じで出来上がっていたと思うのよね。さっそく使って見たんだけど、すこぶる快調。まさに新品同様の感じ。よっしゃ、これでカメラの不安はなくなった。

 でも解消したのはそれだけ。カレンダーの仕様は二ヶ月で一枚の表紙も入れて七枚。果たして何をどう撮るのか。何と言っても神戸の風景なんだけど、撮影地域が神戸というだけで、後はフリーみたいなもの。

 それにしても加納先生のカレンダーは凄かった。初期のものから凄いんだけど、後期のものになるほどさらに凄味を増してるんだもの。あれを見るだけで加納先生が死ぬまで進化を続けていたことが実感できる。さすがは世界の巨匠と呼ばれてるだけの事はある。

 感心したって始まらないなんだけど、今のアカネの実力じゃ、同じ土俵で勝負しても勝ち目はゼロ。これは諦めてるんじゃないよ、冷静な戦力分析。そもそも同じ土俵で勝負すること自体に意味がないとも言える。

 仮にだよ、加納先生とまったく同じテクニックを身に付けたころで、どこまで行っても劣化コピー。加納先生を越えるなんて不可能だよ。そういう世界はツバサ先生が一番嫌う世界じゃないの。

 冷静に考えれば今のアカネに勝機はないのだけど、今回の仕事はツバサ先生が仕組んでるのは間違いない。そりゃ、請け負った仕事をアカネに回した時点でそうなんだけど、あえて加納先生の過去の作品をアカネに見させ、及川氏に引き合わせ、カメラの話を持ち出させたのも全部計算のうちで良さそう。

 そうなのよ、そこまでしてもアカネは加納先生に勝てる要素があると見ているはずなんだ。ツバサ先生はアカネの何を見て、それをどうすれば加納先生の作品に太刀打ち出来ると判断してるのだろう。

 答えが見つからないアカネはひたすら神戸の街を歩き、ひたすら撮りまくってた。でも撮っても、撮っても、頭に浮かぶのは加納先生の作品。思い浮かべたって勝負にならないと思っても、どうしたって浮かんでくる。PCの前で苦悩してたら、

    「頑張ってるね、アカネ。お茶淹れて来たよ」
    「すみません、先生・・・ぐぇ、渋い」

 やられた。アカネ特製スペシャル極渋茶だ。

    「やっぱ、渋茶のアカネでも渋く感じるんだね」
    「あったりまえです」

 それからアカネの撮った写真をチェックしながら、

    「アカネはこの路線で行くつもりかい」
    「行きません」
    「じゃあ、どうするつもりだい」
    「それを考えてるのです」

 まったく無理難題吹っかけやがって。そないにホイホイ、加納先生の作品を凌ぐアイデアが出てくるわけないじゃろが。

    「そういえばカメラ変えたのかい」
    「いいえ同じです」
    「誰かが変わったって言ってたけど」
    「ロゴが変わっただけで同じです」

 アカネ1を見せたんだけど、

    「ルシエン・・・アカネ1ってあるけど、アカネ2もあるのかい」
    「ええ、この際だから予備機も中古で調達してます」

 それも見せて欲しいと言われたから見せたんだけど、

    「これがアカネ2・・・ちょっと撮ってもイイかな」
    「どうぞ、どうぞ」

 アカネ2はアアネ1と同型機のはずなんだけど、ちょっと感じが違う。岡本社長は、

    「発売中に細かなモデルチェンジがあったので・・・」

 操作フィーリングは同じだけど、筐体もスペックも微妙に違うところがある。というかアカネ1より使いやすいというか馴染む気もしているぐらい。この辺はハンドグリップが付いてるのも理由だと思ってる。ツバサ先生はしばらくカメラを触った後に、

    「こっちもキチンと整備してあるね」
    「絶好調です」
    「アカネはルシエンの由来も聞いた」
    「ええ、なにやら及川氏の夢の跡とかって」

 ツバサ先生は愛おしむようにカメラを抱いて、

    「頑張りなよ、答えまでもう少しだよ。アカネならきっと出来るはず。それとこのカメラだけど、大事にしてやってくれ。きっとアカネの力になってくれるはず」
 それだけいうと、どっかに行っちゃいました。わかるのはツバサ先生が答えを知っていること。ツバサ先生の弟子育成法だけど、基本技術はそれこそ手取り足取り、ガンガン説教付きで教えられるし鍛えあげられる。

 いわゆる『見て覚えろ』的な回りくどい方法を取らないのだけど、次のステップに登るのは放置。自力で上がって来いぐらいの姿勢。ツバサ先生は、

    『当ったり前だろ。受験勉強の手伝いは出来ても、試験本番は独りでやるに決まってる』
 ちょっと違う気もするけど、見方を変えればそのステップに上がれるかどうかは本人の努力と持って生まれた才能で良さそう。でもだよ、でもだよ、今回の相手は加納先生だよ。ツバサ先生がアカネの力量を買いかぶり過ぎてる気がどうしてもしてしまうんだ。

 あかん、あかん、弱気は禁物。アカネの武器は根拠なき自信じゃない。遮二無二頑張って、もがき苦しんで、開き直って今までも難題を突破して来たんだもの。今回だってゴールじゃないよ、及川氏が言う通り通過点なんだ。

 アカネの夢はもっと、もっと、もっと大きいんだよ。世界一のフォトグラファーになるんだよ。そしてね、そしてね、ロッコールに泉茜モデルを作ってもらって、タダでもらうんだ。カメラだって渋茶のアカネ・モデルを作ってもらってタダでもらうんだ。

渋茶のアカネ:カメラの見る夢

 アカネの愛機の不調は微妙なもので、トコトン使い込んでるからわかると思ってた。シャッターの切れ具合、写し取った画像の映え具合が想定したものと微妙にずれる感じ。オーバーホールすればマシになるんだけど、しばらくするとまた悪くなる感じ。

 カメラマンに取ってカメラは命だけど、一方で使い捨ての消耗品でもあるんだ。だからカメラマンによっては不調を感じたらサッサと買い替えてしまう人も少なくない。カメラの不調でシャッターチャンスを逃がす方が重大ってところだと思う。

 及川氏が不調に気づいたのは感心したけど、どうして岡本カメラなんだろう。あそこは通販主体の安売りショップ。そもそも店舗なんかあるのかな。住所を目当てに行ってみると、やはり店舗はなく、あるのは倉庫と事務所だけ。

 受付で来意を告げると話は通じてて、そのまま応接室というか、応接コーナーみたいな一角に案内された。待つことしばしで現れたのは、おそらく岡本社長。だって挨拶も抜きで、

    「カメラを見せて下さい」

 そういうや、触り始め。

    「八年目ですか?」
    「はい」
    「オーバーホールは?」
    「半年前に」

 そこから考え込んで、

    「かなり悪いです。いつ止まってもおかしくりません」
    「えっ、えっ、そんなに悪いのですか」

 すぐさま修理に入ると言われて、社員がカメラを持ってっちゃいました。

    「直るのですか」

 そしたらピクッと眉毛が動いて、

    「この岡本がたとえ命に代えても直して見せます」

 おいおい、たかがカメラだぞ。それも初心者用の入門機だし、八年間使い倒した代物だぞ。ライカとかの骨董品と勘違いしてるんじゃなかろうか。

    「ああ、これは失礼。岡本カメラの社長の岡本俊作と申します」
    「オフィス加納の泉茜です。よろしくお願いします」

 なんか順番があべこべになっちゃったけど、悪い人ではないみたい。少し話をさせて頂いたんだ。

    「あのカメラは及川会長の最後の夢なんです」
 話は六十歳で社長の座を娘婿に譲った時代に遡るっていうから三十一年前の話になるみたい。及川氏が会長になった最大の理由はカメラを作る夢のためと聞いて驚いた。及川電機は及川CMOSこそあるものの、カメラメーカーじゃないものね。

 カメラ事業に専念するために、他の業務の負担を避けるために会長になり、陣頭指揮を執ってたそうなのよ。カメラを作るためには、レンズ、本体、イメージセンサー、画像処理エンジンが必要だけど、レンズは早期に断念し、本体と画像処理エンジンの製作に専念したらしい。

 及川氏の目標は一流のプロから初心者まで満足できるカメラを作る事だった。ここも言いかえれば一流のプロが使えるカメラを初心者でも使いやすく、なおかつ価格的にも手に入るカメラを作り上げることでもイイと思う。

 かなり欲張った目標と思ったけど、後発もイイところの及川電機がカメラ市場に進出しようと思えば、既存製品を圧倒する性能と価格が必要なのはアカネでもなんとなくわかる。

 岡本社長もその時のプロジェクト・メンバーの一人。岡本社長が今でも及川氏を会長と呼んでいるのは、カメラ事業が始まってから、その手腕を見込まれて迎え入れられたからで良さそう。

 十年の歳月を経てプロトタイプまで完成したみたい。とにかくまったく新規の事業に等しいから、かなりの資金が費やされたみたい。でもそのカメラはついに及川電機から売り出されることはなかったのよ。

 及川氏はとにかく技術屋気質が強くて、ある物を作ると決めたら暴走に近い状態で突撃するタイプみたい。莫大な資金を注ぎ込み、力業でもモノにしてまう感じ。何度も倒産寸前まで追い込まれながらも、最後に成功させて回収してしまう綱渡り的経営で良さそう。

 これに対し及川氏の跡に社長になった娘婿は対照的な性格だったみたい。堅実と言えなくもないけど、守りの経営姿勢で、大きな投資のギャンブルを嫌い、リスクの少ない投資で確実に利益を確保しようぐらいかな。

 そんな娘婿社長からすれば及川氏がカメラ事業に暴走するのは苦々しいものにしか見えなかったみたい。及川氏がカメラ事業に専念している間に、及川氏追放計画を進めていたんだ。

 娘婿社長は及川氏のバクチ的経営姿勢が嫌いなメイン・バンクと手を組み、意気揚々と出来上がったカメラの発売計画を迫る及川氏を取締役会で責任追及したそうなのよ。結果は無謀な投資で会社に損害を与えた責任を取らされ、及川氏は会長にこそ留まったものの、代表権どころか取締役も解任されてしまったって。

 及川氏が育て上げたカメラ事業は他社に売り渡してしまっただけではなく、社内の及川氏派を次々に追い出して行ったで良さそう。岡本社長もその一人。

    「よく知らないのですが、及川氏って大株主では」
    「そうなんですが・・・」

 娘婿社長のクーデターに反発する及川氏派は株主総会での巻き返しを及川氏に迫ったそうなの。岡本社長によると、本気でプロキシ・ファイトまで持ちこめば勝敗はどっちに転んだかわからなかったみたい。しかし及川氏は、

    「これ以上のもめ事は会社のイメージを失墜させるだけで百害あって一利なし。老兵は死なずただ消え去るのみ」

 及川氏が会長職に留まったのは大株主であるが故で良さそう。

    「そのカメラのその後は?」
 基本設計の優秀さはあり、五年後に売り渡したメーカーから発売されたの。安価で使いやすく、当時としてはそれなりの高性能でもあったので、まずまずのヒット商品になりロングセラーになったらしい。

 アカネが買ってもらったのは発売から八年後。実はその二年前にこのカメラの製造は中止されており、アカネが買った時には型遅れの売れ残りの叩き売り状態でイイみたい。そういえば、

    『お買い得品』
 こうデカデカと書かれた、カメラ売り場のワゴンに積んであったものね。在庫一掃処分セールってところかな。

 でもね、でもね、だからアカネは買ってもらえたんだ。とにかく親は渋りまくりだったんだけど、値段がちょっと高めのコンデジ程度になってくれていたから、この値段だったら仕方がないって感じ。岡本社長は、

    「技術は日進月歩で進みます。このカメラが出来た時にはまぎれもなく最先端の機能を持ってました。ところが発売されるまでの五年間で普及機レベルに落ちています。これはどうしようもないことです」
 発売当初からそういう位置づけで始まり、製造中止になってから既に十年。デジイチとはいえ過去の製品と化してしまい、もう現役で活躍しているのは少ないだろうとしていました。

 岡本カメラは中古カメラも手広く扱っているそうだけど、アカネのカメラは中古マーケットにもほどんど出回らないそう。中古で買い取って売るにも市場価格が安すぎて利益を出しにくく、人気もないからそんな値段でも買う人も滅多にいないぐらいかな。

    「でも使いやすいカメラだったでしょう」

 それはそうかもしれない。中学生のアカネでもすぐ使いこなせたし、使えば使うほど、思わぬ機能が見つかったりで楽しかった。

    「及川会長から聞きました。及川電機のカレンダーを再びオフォス加納に依頼すると」
    「ええ、まあ、そうなんですが」
    「担当してくれるカメラマンはあのカメラを使っておられると」
    「あ、え、はい、そうですが」

 岡本社長の目に涙が、

    「及川会長だけではなく、あのプロジェクトに携わった者の夢だったのです。あのカメラでカレンダーを撮ってもらうことが」

 ああ、やっとわかった。及川氏がカメラを作ろうとした真の目的が。加納先生に使ってもらいたくて作ったんだ。岡本社長は立ち上がって深々と頭を下げられて、

    「カメラは必ず新品同様にしてみせます。どうか良い仕事をお願いします」
 うわぁ、今回の仕事はなんて余計なプレシャーが多いんだ。

渋茶のアカネ:及川小次郎

 ツバサ先生に紹介されたのは及川小次郎氏、御年九十一。経歴も調べたんだけど、父親の急死により二十六歳の若さで社長を継ぎ、町工場に毛の生えた程度だった及川電機を今の規模に育て上げた立志伝中の人でイイみたい。

 及川氏で有名なのはカメラ関係なら及川CMOS。これが出た時にはデジカメのイメージセンサーをまさに席巻したってなってる。他にも先進的なヒット商品多数。現代のエジソンなんて呼ばれた時期もあるみたい。

 六十歳の若さで娘婿に社長の座を譲り会長に。これも業界では衝撃をもって迎えられたみたい。そうだよね、オーナー社長なんて、下手すりゃ死ぬまで社長やるのが普通だものね。

 オフィス加納が及川電機のカレンダーの仕事を始めたのが、及川氏が社長になって三年目の二十九歳の時っていうから六十二年も前のこと。そこから四十七年間も延々と続いてる。これが途切れたのは加納先生の夫が癌を発病し、これを機に加納先生が引退し、オフォスも閉じてしまったからなのも初めて知った。

 ここからは及川電機のその後みたいな話になるんだけど、娘婿が社長を継いでから業績は徐々に傾いていったみたい。そして四年前にエレギオン・グループの傘下に入り経営陣は責任を取って退陣。及川氏も会長を辞任してる。

 この時に及川氏は八十七歳になってるんだけど、なんとこの歳で再び及川電機の技術顧問を要請され、あの及川センサーの開発の総指揮を執ってる。うん、この経歴を読むだけでタダのジジイでないのはアカネにも良くわかる。


 住所を頼りに訪ねたんだけど、閑静な高級住宅街の一角にある立派なお屋敷。門のところに『及川』って立派な表札もかかってるから、ここで間違いなさそう。しかしまずったな、もうちょっとマシな格好をしてくりゃ良かった。

 つい、いつもの調子でTシャツ、ジーパン、スタジャンにスニーカーで来ちゃった。つうか、これしか持ってないし、これ以外といえばローマでツバサ先生に買ってもらった一式だけ。あれはあれで、ちょっと合わない気もする。それよりなにより、あのヒールで歩くのは拷問だ。

    『ピンポン』

 しばらくすると老人が出てきた。開口一番、

    「ほう、君が渋茶のアカネ君か。麻吹先生から話は聞いている」

 だ か ら、渋茶は余計だって。案内されたのは応接間で良さそう。

    「カレンダーの話を聞きたいのだってね」
    「はい、この度御依頼を頂いたのですが、製作意図などを確認させて頂きたくて」

 及川社長はツルっぱげ。でも九十一歳ととても思えないほど矍鑠としてる。さすがは立志伝中の人と思ったけど目は優しい。そこだけ見てるとまさに好々爺。

    「あれを初めて依頼したのはもう六十年以上前の話になる。熱い時代だったよ、とにかく一流企業にのし上がってやろうと背伸びしまくってた時期だ。カレンダーだって一流のものを出してアッと言わせてやろうぐらいだった」
    「だからオフォス加納に依頼を?」

 及川氏は含み笑いをしながら、

    「アカネ君には想像もつかないかもしれないが、当時のオフォス加納といっても無名もイイところだったのだよ。オンボロ・ビルの小さな貸事務所だったからね」

 オフィス加納もそんな時代があったんだ。

    「加納先生も売り出し中でね。ようやくその名が広がり始めたぐらいだった」
    「では加納先生を見込まれて?」

 及川氏は悪戯っぽく笑われて、

    「腕を見込んだのはウソではないが、加納先生を選んだのはコスパだった」
    「コスパ?」
    「そう、背伸びはしてたが足元は脆弱でな、わかりやすく言えばカネがなかった。限られた予算で一流のものを作れる可能性が加納先生にはあると思ったぐらいだ」

 加納先生にも苦労した時代があったのは前にも調べたけど、この頃はこれぐらいの扱いだったんだ。

    「お聞きしても良いですか」
    「かまわんよ」
    「御社のカレンダーをすべて見させて頂いたのですが、一つわからない点があります。加納が撮ったのは記録から明らかですが、あれだけ撮って、一枚も光の写真が見当たらないのです」

 及川氏はニコニコしながら、

    「たいした話じゃないんだが、依頼料を値切ったんだよ」
    「それで」
    「あんまり値切り過ぎて加納先生を怒らしてしまってな、
    『そこまで値切るなら光の写真は使わない』
    こう言われてしまったのだ」

 どんだけ値切ったんだろ。

    「私も若かったなぁ。光の写真を撮らない加納先生の写真なんて一文の値打ちもないも言ったんだ」

 こりゃ、子どもの喧嘩じゃない。

    「そしたら、加納先生は光の写真抜きでも、私を唸らせる写真を撮るのは簡単だって啖呵を切ったんだ」

 加納先生も喧嘩っ早いところがあったんだ。

    「撮れるなら撮ってみろってことで交渉成立」

 まさに売り言葉に買い言葉って奴だな、

    「カレンダーが出来上がった時に驚いたよ。そして加納先生に惚れこんだ。それ以来のお付き合いだった」

 ツバサ先生も光の写真はトレード・マークだけど、光の写真を使わなくても凄腕なのはよ~く知ってる。加納先生もまたそうだったのも良くわかった。だって及川電機のカレンダーを初めて撮影したのはまだ三十一歳の時だよ。その時点であれだけの写真が、もう加納先生は撮れてたんだ。

    「どうしてカレンダーの依頼を再び」
    「老人の懐古趣味と笑ってくれ。死ぬ前にもう一度、見たくなった」
 げげげげ、こりゃ厄介だ。たとえばね、評判の良いレストランがあるとするじゃない。そこのシェフが下手に神格化なんかされちゃうと、二代目はムチャクチャ大変になるんだ。評価されるには先代を明らかに上回るぐらいでやっと互角って感じ。

 加納先生が亡くなられてから十年経つけど、そんな芸当が出来る人間はツバサ先生ぐらいしかいないと思う。アカネもいずれそうなる予定だけど、今すぐは無理。

    「最初は麻吹先生にお願いするつもりだったんだが、どうしてもアカネ君にやらせて欲しいと頼み込まれてな」
    「えっ」
    「私も快く了承した。麻吹君があそこまで推すのなら間違いないだろうって」

 ちょっとツバサ先生、無茶振り過ぎる。

    「今日、アカネ君に会えるのを楽しみにしてた。期待してますよ」
    「期待といわれても、あの、その、今の限界が・・・」

 あれ、及川氏の目付きが急に変わった。

    「自分の可能性に限界を考えてはいかん。限界を考えた瞬間にそれが限界となる。いつも通過点だと考えるんだ。加納先生は偉大だったが、アカネ君、それさえ通過点だと思い給え。ワシはいつもそうしてきた」
 ビビった。なんちゅう迫力。さすがは老いても及川小次郎ってところかも。若い時はもっと凄かっただろうし、そんな及川氏と渡り合っていて加納先生も凄かったんだろうな。でもイイこと聞いた気がする。

 アカネもプロの端くれだし、これからもっともっと成長する予定。そうだよ、ツバサ先生さえ追い抜いちゃう予定なんだ。そのためには加納先生を抜かないと話にならないじゃない。もう少し先の予定だったけど、それが早まったと思うんだ。というか、そうでも思わないとシャッターすら切れないぐらい怖い。

    「ところでアカネ君、良ければカメラを見せてくれないか」

 ヤバぁ、カレンダー写真に参考になりそうな風景があれば撮っとこうと持って来てるんだよねぇ。

    「いや、まだ、えの、まだ駆け出しなもので・・・」

 おずおず差し出したら、及川氏はあれこれ触りだし、

    「アカネ君、ちょっと撮ってもイイかな」
    「かまいませんが」

 何枚か撮る度に首を傾げ、また何枚か撮っては考え込み、

    「いつ買ったものかな」
    「中二の時に」
    「八年前か」

 ようやくカメラを置いた及川氏は、スマホを取りだして、

    「ああ、及川だ・・・カメラのオーバーホールを頼む。これも悪いが急ぎでやってくれ・・・なに、バカ言っちゃいかん・・・もっと早くならんか・・・もっとだ・・・それ以上は無理なら仕方ない・・・泉茜君だ・・・よろしく頼む」

 電話を切った後に。

    「私のカメラの腕は下手の横好き程度だが、根は技術屋だ。カメラの具合がどうなってるかはわかる。今すぐ、ここに行って見てもらいなさい」
 えっ、今からって思ったけど、及川氏の好意を無にするのは悪そうだから行ってみた。

渋茶のアカネ:アカネのカメラ

 アカネのカメラは中学の時に親を拝み倒し、泣き落とした末に手に入れたいわゆる入門機。それ以来ずっと愛用してる。高校の時に東野の野郎に散々バカにされたけど、ちゃんとリベンジを果たしてくれたおりこうさん。でもさすがに買い替えの必要性を痛感してる。もっともツバサ先生は、

    「新しいの買っても言うほど変わらないよ」
 わからないでもないけど、撮影に行ったらカメラ見られて『?』って顔されることもあるし。カメラじゃなくて写真で勝負するのがプロだけど、プロだからこそ道具にこだわるとも言うじゃない。

 それにしてもツバサ先生もサトル先生も凄いカメラ持ってるのよね。イメージセンサーの革命とまで言われてる及川センサー搭載のロッコール・ワン・プロだよ。とにかく及川センサーが搭載されてるのはこれしかないから、現在のプロの定番中の定番。でも怖ろしく高い。

 レンズも凄くて、あの、あの、あのロッコールの加納志織モデルだよ。そりゃ欲しいけど、こっちになるとある程度そろえるだけで家が建つぐらい。ツバサ先生や、サトル先生なら買っても余裕でペイするだろうけど、アカネじゃローン地獄にはまり込むだけだもんね。

 何度か触らせてもらったけど、あれは感動ものだった。全然見え方が違うんだ。とにかく無茶苦茶クリア。レンズを覗いてるって感じがしなかったもの。その後にアカネの愛用機を使うとさすがに落差が強烈。

 それでも愛用機でツバサ先生を満足させる写真が撮れてるんだから、イイようなものだけど、もう一台欲しい理由もちゃんとある。とにかく使い倒してるから、そろそろ怪しくなってるんだ。

 オーバーホールもちゃんとやってるんだけど、しばらくはイイけどまた怪しくなるって感じ。とにかく一台しかデジイチ持ってないから、これが動かなくなったら仕事を直撃するのは明らか。カメラって癖があるから、馴染むまでの期間が必要だし、馴染んでないと思う通りの写真が撮れなかったりするかもしれないもの。

 そういうわけで二台目のカメラを探しまくってる。カツオ先輩にも意見を聞いてるし、サトル先生にも相談してる。でもツバサ先生にはあんまりしていない。したのはしたんだけど、

    「予備なら中古で同じクラスの後継機買っといたら。それだったら馴染むのも早いよ」
 素っ気ないぐらい現実的。後継機なら今のと使い勝手は近いだろうから馴染んで使いこなすまでは早いだろうし。アカネの財布からして中古がお似合いなのもわかるよ。

 でもさぁ、でもさぁ、カメラマンがカメラを買うんだよ。クルマ好きがクルマ買うとか、バイク好きがバイク買うとか、料理人が包丁買うとか、大工がノコギリ買うとか、たこ焼き屋が千枚通し買うとか・・・えっと、えっと、とにかくもうちょっと夢があってもイイじゃない。そりゃロッコール・ワン・プロは無理としても、入門機よりはステップアップしたいもの。

 写真スタジオ勤務だから、その手の資料は山ほどあるし、セールスも来る。誰もが一家言持ってるし、目移りしまくってもう大変。時間があればとにかくカメラ探し、カメラ選び。あれがどうだの、これならどうだの。


 でも結局あきらめた。ロッコール・ワン・プロとレンズの加納志織モデルの組み合わせを見ちゃったら、他のカメラは見劣りしちゃうのよね。予算不足が最大の原因だけど、無理に無理を重ねて、後悔が残る買い物って虚しいじゃない。

    「あれ、アカネ、カメラを新調するのあきらめたの」
    「どれも帯に短し、ベルトに長しで」
    「それを言うなら『帯に短し、襷に長し』だ」

 同じ意味じゃない。

    「カメラを見下されるのは」
    「プロの評価は持っているカメラじゃなく、撮った写真です」
    「おっ、イイこと言うじゃん」

 東野のカメラだって蹴散らしたんだ。

    「じゃあ、故障の心配は」
    「アカネがこれだけ愛情もって使ってるんです。故障なんかするものですか」
    「う~ん、それはさすがに精神論だねぇ」

 なにかツバサ先生は考えてるようでしたが、

    「風景写真撮ってみる」
    「はい、はい、はい、はい」

 やったぁ、ついにアート系の仕事だ。

    「でもこれはちょっと大きな仕事だよ」
    「そういうところで死に物狂いにさせるのがツバサ先生流でしょう」
    「よくわかってるじゃない。仕事は及川電機のカレンダー。かなり前に受けていた時代もあるから、見とくとイイよ。それ以上の仕事を期待してる」
    「頑張ります」

 凄い凄い、風景写真のカレンダーだよ。毎月なら表紙も入れて十三枚、二ヶ月おきでも七枚。それがでっかい写真でドカンだよ。依頼されてるテーマは、

    『神戸の点景』
 なるほど、神戸の名所紹介的な感じで、それを新たな角度が切り取るぐらいでイイんじゃないのかな。どこにしようかな、納期からすると四季折々は無理みたいだけど、異人館とかは外せないよな。

 そうそう、かつてこの仕事を受けてた時代があって、その写真を参考にしろってツバサ先生は言ってたっけ。ヒョットすると弟子の関門みたいな仕事だったかもしんない。


 さあて、どんな写真だろ。ふ~ん、一番新しいのが十六年前か。それまでは毎年受けてたんだ。やっぱりオフィス加納の定番の仕事みたいな感じだったのかな。古いのから順番に見ていこうか。とにかく古いけど楽しみ、楽しみ。

 一番古いのはまだフィルム時代のはずだけど・・・こ、こ、これはなに。異様なまでの華やかさと美しさじゃない。夢のような写真ってこういうのを言うんじゃない。このアングルの切れ味の鋭いこと、そしてそのアングルから生み出される構図の面白さ。

 こっちのは、わかったぞ、わざとアングルを甘くしてるんだ。そんな事をすれば、普通は写真をダメにしちゃうんだけど、甘くした点を最大限に活かして、この柔らかさを演出してるんだ。アカネは時間が経つのも忘れて、次々に映し出される写真に釘付けになっちゃった。

 全部見終わった時はまさに茫然自失。全部なんだよ、一枚一枚全部がそれぞれの独特の美しさと魅力を満載してるんだ。これこそプロの仕事と心底思ったもの。それも並のプロじゃない、プロの中のプロしか出来ない仕事だって。

 これに引けを取らない写真を撮れってか。そりゃアカネだって撮りたいよ、いつかこんな写真を撮るのが夢だったんだ。でも今のアカネの腕とこのカメラで撮れるんだろうか。今まで感じたことのないようなプレッシャーをヒシヒシと感じてる。

 でもアカネにも撮れるはず。ツバサ先生は無茶と思うような事をさせるけど、あれはあれでアカネの力量を見切ってやらせてくれてるんだ。今までだって、なんのかんのと全部クリアしてきたんだ。今回だって必ず出来るはずだ。そうだ、そうだ、ツバサ先生はこうも言ってた。

    「今回のはちょっと大変だと思うから、わたしのアシスタントも、他の仕事もしなくてイイよ。この仕事だけに専念しときな」
 これが『ちょっと』ってツバサ先生も冗談きついけど、専念できるのはありがたい。まずどこから手を付けようか。そうだな、そうだな、まずクライアントに会ってみよう。でも相手は及川電機だけど誰に会えばイイのかな。

 こういうのは広報担当の仕事だろうけど、言っちゃ悪いが下っ端。もっと上の人の意向とか趣味で決まったものを事務処理させているだけよねぇ。アカネが会いたいのは、こんな凄いカレンダーを作らそうとした人。その人から話を聞けばなにかヒントが見つかるかもしれない。とは言うものの見当も付かないからツバサ先生に相談した。

    「・・・そういうわけで、クライアントの狙いを直接会って聞いてみたいのです」
    「聞いてどうするの」
    「クライアントの真の要望を写真にするのがカメラマンの仕事のはずです」

 ツバサ先生はしばらく何か考えたけど。

    「なるほど。わかったわ、この人に会ってみなさい」
 ツバサ先生は紹介してくれたけど、どんな人なんだろう。

渋茶のアカネ:商売繁盛伝説

 サキ先輩がいなくなってから、アカネはサキ先輩がやっていたオフィスの収入になる本気の仕事もかなり任されるようになってる。評判も悪くないみたいで、なんか仕事がドンドン増えてる気がする。ツバサ先生からの指摘やアドバイスはもちろんあるけど、

    「アカネの写真はユニークだし、なんとも言えない楽しさが出てるからおもしろいよ」
 オフィスへの仕事依頼は大雑把に言うと、オフォスに依頼されるものと、カメラマン個人に依頼されるものがあるんだ。ツバサ先生やサトル先生がやってるのは殆ど指名依頼だし、商店街からのものはオフォス依頼かな。

 前に柴田屋さんからアカネに個人依頼されたのは例外。個人的に良く知ってたのと、柴田屋さんの御主人好意、いや茶目っ気というか遊び心ぐらいってところだよ。ところがなんだけど、

    「ほい、これが今度の仕事、アカネへの指名依頼だ」
 ちょっとどころじゃなくビックリした。どこでアカネの名前を知ったのか、いやヒョットしたら、依頼したのはストーカーじゃないかって怪しんだぐらい。スタジオに入って、たかが三年目のアカネに指名依頼なんてあり得ないじゃない。

 でも、まあ嬉しいのは確かだから張り切ってやった。そしたら、訳わかんないんだけど指名依頼が増えてく感じなのよね。でも気色悪いじゃない、カツオ先輩だって指名依頼なんてないんだもの。ツバサ先生にも聞いたんだけど、

    「それだけ評判がイイってこと。プロとして素直に喜んどいたら」

 まあ、そうなんだけど。お蔭でマドカさんから、

    『アカネ先生』
 こう呼ばれそうになって、必死になって止めた。オフォス加納の先生はサトル先生とツバサ先生の二人で、アカネなんて話にならないのぐらいは、よ~くわかってるから。


 そんなアカネへの指名依頼だけど、どう見ても偏りがある。いわゆるアート系は皆無で、ひたすら商品広告。アカネのレベルなら、それ自体は変じゃないんだけど、そういう依頼って普通はオフォス依頼なんだよ。今日も、

    「ほい、アカネへの指名依頼だ」

 ドサッて感じで渡されて魂消た。内容を見たらやっぱり商品広告ばっかり。それにしても色んなところから、よくまあって感じ。

    「急ぐのばかりだから頑張ってね」
    「あの、その、不満って訳じゃないですが、ちょっと指名依頼が多すぎる気が」
    「あん、仕事が多いって幸せよ。働かざるもの食うべからずって言うじゃない」

 どうにもおかしすぎるから、カツオ先輩をつかまえて聞いてみたんだ。

    「あれっ、知らなかったの」
    「何がですか」
    「たまにはオフィスのHPでも見てみたら。ついでにググればよくわかる」

 見たら仰天。

    『商品広告は渋茶のアカネがお勧め』

 なんだ、なんだ、その下にはいわゆる成功事例ってやつか。アカネが撮ったとこばっかりだけど、

  • 売り上げがなんと三倍に
  • 注文に追い付かなくて嬉しい悲鳴
  • 支店を出すほどの繁盛
  • 潰れかけの店が奇跡の復活

 どっかの怪しい健康食品の広告みたいじゃない。ググったら、ずらっと、

    『渋茶のアカネの商売繁盛・・・』

 さすがに頭に来て、

    「ツバサ先生、これはどういう事ですか」
    「オフォスも商売だよ」
    「それはそうかもしれませんが、渋茶のアカネはひどいじゃありませんか」
    「あれ。あれはわたしが広めたんじゃないよ」

 広めたのはなんと初仕事をやった柴田屋の御主人。なんとあのアカネ極渋茶がドンドコ売れてるみたいなの。どう言えばいいのか、

    『極渋茶ブーム』
 こんな感じになってるって。極渋茶ケーキとか、極渋茶饅頭、極渋茶アイス・・・そういえば極渋茶アイスは食べたことがある。あの脳天突き抜けるような渋みが甘さに妙にマッチして美味しかった。

 柴田屋は有名茶道教室の御用達だし、御主人も茶道に堪能で、お茶会にも良く顔を出すみたい。そこで極渋茶がブームになったことが話題になり、アカネの写真の効果が抜群だったと話したみたい。

 それを聞いた他の業者の人がアカネに指名依頼したら、その商品も売れて、さらに次も、次も、次も・・・その結果があの依頼書の束って結果で良さそう。ツバサ先生は笑いながら、

    「見るたびに感心するんだけど、アカネが撮った写真を見るとわたしでも買いたくなるぐらい。それだけじゃなく、買ったらそれだけで幸せになりそう感じと言えば良いのかな。これはアカネの大事な持ち味だから磨きなさい」

 褒められたと思った途端にドサッ。

    「ドンドン来てるから、頑張ってね」
    「せめて渋茶のアカネだけでも変えてくれませんか」
    「あだ名が付くってイイことよ。一流にまた一歩近づいたって証」
 え~ん、プロにあだ名とか二つ名が付くのは売れてる証拠みたいなものだけど、選りによってどうして渋茶なのさ。それもこんなに広まっちゃったら、変えられないじゃない。せめて抹茶にしてくれ。ほうじ茶でも、煎茶でも、抹茶でも、玄米茶でもイイ。とにかく渋茶はイヤだ。