渋茶のアカネ:アカネのカメラ

 アカネのカメラは中学の時に親を拝み倒し、泣き落とした末に手に入れたいわゆる入門機。それ以来ずっと愛用してる。高校の時に東野の野郎に散々バカにされたけど、ちゃんとリベンジを果たしてくれたおりこうさん。でもさすがに買い替えの必要性を痛感してる。もっともツバサ先生は、

    「新しいの買っても言うほど変わらないよ」
 わからないでもないけど、撮影に行ったらカメラ見られて『?』って顔されることもあるし。カメラじゃなくて写真で勝負するのがプロだけど、プロだからこそ道具にこだわるとも言うじゃない。

 それにしてもツバサ先生もサトル先生も凄いカメラ持ってるのよね。イメージセンサーの革命とまで言われてる及川センサー搭載のロッコール・ワン・プロだよ。とにかく及川センサーが搭載されてるのはこれしかないから、現在のプロの定番中の定番。でも怖ろしく高い。

 レンズも凄くて、あの、あの、あのロッコールの加納志織モデルだよ。そりゃ欲しいけど、こっちになるとある程度そろえるだけで家が建つぐらい。ツバサ先生や、サトル先生なら買っても余裕でペイするだろうけど、アカネじゃローン地獄にはまり込むだけだもんね。

 何度か触らせてもらったけど、あれは感動ものだった。全然見え方が違うんだ。とにかく無茶苦茶クリア。レンズを覗いてるって感じがしなかったもの。その後にアカネの愛用機を使うとさすがに落差が強烈。

 それでも愛用機でツバサ先生を満足させる写真が撮れてるんだから、イイようなものだけど、もう一台欲しい理由もちゃんとある。とにかく使い倒してるから、そろそろ怪しくなってるんだ。

 オーバーホールもちゃんとやってるんだけど、しばらくはイイけどまた怪しくなるって感じ。とにかく一台しかデジイチ持ってないから、これが動かなくなったら仕事を直撃するのは明らか。カメラって癖があるから、馴染むまでの期間が必要だし、馴染んでないと思う通りの写真が撮れなかったりするかもしれないもの。

 そういうわけで二台目のカメラを探しまくってる。カツオ先輩にも意見を聞いてるし、サトル先生にも相談してる。でもツバサ先生にはあんまりしていない。したのはしたんだけど、

    「予備なら中古で同じクラスの後継機買っといたら。それだったら馴染むのも早いよ」
 素っ気ないぐらい現実的。後継機なら今のと使い勝手は近いだろうから馴染んで使いこなすまでは早いだろうし。アカネの財布からして中古がお似合いなのもわかるよ。

 でもさぁ、でもさぁ、カメラマンがカメラを買うんだよ。クルマ好きがクルマ買うとか、バイク好きがバイク買うとか、料理人が包丁買うとか、大工がノコギリ買うとか、たこ焼き屋が千枚通し買うとか・・・えっと、えっと、とにかくもうちょっと夢があってもイイじゃない。そりゃロッコール・ワン・プロは無理としても、入門機よりはステップアップしたいもの。

 写真スタジオ勤務だから、その手の資料は山ほどあるし、セールスも来る。誰もが一家言持ってるし、目移りしまくってもう大変。時間があればとにかくカメラ探し、カメラ選び。あれがどうだの、これならどうだの。


 でも結局あきらめた。ロッコール・ワン・プロとレンズの加納志織モデルの組み合わせを見ちゃったら、他のカメラは見劣りしちゃうのよね。予算不足が最大の原因だけど、無理に無理を重ねて、後悔が残る買い物って虚しいじゃない。

    「あれ、アカネ、カメラを新調するのあきらめたの」
    「どれも帯に短し、ベルトに長しで」
    「それを言うなら『帯に短し、襷に長し』だ」

 同じ意味じゃない。

    「カメラを見下されるのは」
    「プロの評価は持っているカメラじゃなく、撮った写真です」
    「おっ、イイこと言うじゃん」

 東野のカメラだって蹴散らしたんだ。

    「じゃあ、故障の心配は」
    「アカネがこれだけ愛情もって使ってるんです。故障なんかするものですか」
    「う~ん、それはさすがに精神論だねぇ」

 なにかツバサ先生は考えてるようでしたが、

    「風景写真撮ってみる」
    「はい、はい、はい、はい」

 やったぁ、ついにアート系の仕事だ。

    「でもこれはちょっと大きな仕事だよ」
    「そういうところで死に物狂いにさせるのがツバサ先生流でしょう」
    「よくわかってるじゃない。仕事は及川電機のカレンダー。かなり前に受けていた時代もあるから、見とくとイイよ。それ以上の仕事を期待してる」
    「頑張ります」

 凄い凄い、風景写真のカレンダーだよ。毎月なら表紙も入れて十三枚、二ヶ月おきでも七枚。それがでっかい写真でドカンだよ。依頼されてるテーマは、

    『神戸の点景』
 なるほど、神戸の名所紹介的な感じで、それを新たな角度が切り取るぐらいでイイんじゃないのかな。どこにしようかな、納期からすると四季折々は無理みたいだけど、異人館とかは外せないよな。

 そうそう、かつてこの仕事を受けてた時代があって、その写真を参考にしろってツバサ先生は言ってたっけ。ヒョットすると弟子の関門みたいな仕事だったかもしんない。


 さあて、どんな写真だろ。ふ~ん、一番新しいのが十六年前か。それまでは毎年受けてたんだ。やっぱりオフィス加納の定番の仕事みたいな感じだったのかな。古いのから順番に見ていこうか。とにかく古いけど楽しみ、楽しみ。

 一番古いのはまだフィルム時代のはずだけど・・・こ、こ、これはなに。異様なまでの華やかさと美しさじゃない。夢のような写真ってこういうのを言うんじゃない。このアングルの切れ味の鋭いこと、そしてそのアングルから生み出される構図の面白さ。

 こっちのは、わかったぞ、わざとアングルを甘くしてるんだ。そんな事をすれば、普通は写真をダメにしちゃうんだけど、甘くした点を最大限に活かして、この柔らかさを演出してるんだ。アカネは時間が経つのも忘れて、次々に映し出される写真に釘付けになっちゃった。

 全部見終わった時はまさに茫然自失。全部なんだよ、一枚一枚全部がそれぞれの独特の美しさと魅力を満載してるんだ。これこそプロの仕事と心底思ったもの。それも並のプロじゃない、プロの中のプロしか出来ない仕事だって。

 これに引けを取らない写真を撮れってか。そりゃアカネだって撮りたいよ、いつかこんな写真を撮るのが夢だったんだ。でも今のアカネの腕とこのカメラで撮れるんだろうか。今まで感じたことのないようなプレッシャーをヒシヒシと感じてる。

 でもアカネにも撮れるはず。ツバサ先生は無茶と思うような事をさせるけど、あれはあれでアカネの力量を見切ってやらせてくれてるんだ。今までだって、なんのかんのと全部クリアしてきたんだ。今回だって必ず出来るはずだ。そうだ、そうだ、ツバサ先生はこうも言ってた。

    「今回のはちょっと大変だと思うから、わたしのアシスタントも、他の仕事もしなくてイイよ。この仕事だけに専念しときな」
 これが『ちょっと』ってツバサ先生も冗談きついけど、専念できるのはありがたい。まずどこから手を付けようか。そうだな、そうだな、まずクライアントに会ってみよう。でも相手は及川電機だけど誰に会えばイイのかな。

 こういうのは広報担当の仕事だろうけど、言っちゃ悪いが下っ端。もっと上の人の意向とか趣味で決まったものを事務処理させているだけよねぇ。アカネが会いたいのは、こんな凄いカレンダーを作らそうとした人。その人から話を聞けばなにかヒントが見つかるかもしれない。とは言うものの見当も付かないからツバサ先生に相談した。

    「・・・そういうわけで、クライアントの狙いを直接会って聞いてみたいのです」
    「聞いてどうするの」
    「クライアントの真の要望を写真にするのがカメラマンの仕事のはずです」

 ツバサ先生はしばらく何か考えたけど。

    「なるほど。わかったわ、この人に会ってみなさい」
 ツバサ先生は紹介してくれたけど、どんな人なんだろう。