氷姫の恋:あとがき

 今回の主人公はユッキー。これまでさんざん苦しい時のユッキー頼みをしてきたので、ユッキーを主人公にしたくて書いたものです。ユッキーの経歴らしきものは、これまでの作品で書き散らしており、書き散らし過ぎて、書くのはある程度ラクでしたが、これまでの作品との時間やエピソードの整合性が大変だったぐらいです。

 そのためにストーリー構成として、過去にユッキーが関わったエピソードの補足が中心となりました。ただ生身のユッキーは『天使と女神』で早々と亡くなってしまってるため、エピソードもまた『天使と女神』時代のものが中心となり、ここのところチョイ役の山本が久しぶりに活躍する展開となっています。

 とにかく過去作品での登場シーンが多いので、ストーリーで捻ることは殆ど出来ていません。幼少期、中高期もそうですが、医学部を目指した理由も既に決まっています。さらに山本とのラブも一途のくせにツンデレ愛を貫くのも決まっています。出来るのはユッキー側からの心理描写ぐらいでしょうか。

 今回の作品のオリジナル・エピソード部分は医学部進学から、若くして病院部長になる過程ぐらいだったかもしれません。ただなんですが、この部分でこれまで書き散らしていた設定上の無理を解消しないといけない訳で、そういう意味では苦心したところです。

 医学部進学から山本に再会するまでにユッキーがやらなければならないことは、エレギオンの女神の話を知り、自分が首座の女神であることも知り、記憶の封印が解け、三座の女神をミサキに移し、さらにシオリに主女神を移さないといけません。さらに医師として異常に優秀である必要もあります。そりゃ、若くして大病院の部長職として『氷の女帝』として君臨させないといけないからです。

 ある意味、一番困ったのがユッキーを何科の医師にするかでした。これもエピソードは決まっていて、交通事故で瀕死の状態で担ぎ込まれた山本を獅子奮迅の活躍で助けなければなりません。そうなると救命救急医になってもらわざるを得ないってところです。

 これも北米型ERでは、これも既定事項のリハビリ時代の主治医まで延々と続けるのは無理があり、捻くりだしたのが完結型ERです。これだってリアリティからすると無理があるのですが、目を瞑らせて頂いています。

 それとユッキーを救命救急医にしたために、医療シーンの描写が甘々になっています。本当に医師としてお恥ずかしい限りですが、ERの世界はほぼ知らないのです。近づいたこともないですからね。山本の状態だって、内臓の多重損傷からショックが頻発みたいなものを想定しようとしたのですが、とても書ききれず情緒的な描写でお茶を濁しているのはそのためです。

 それでも高校時代の描写は楽しかったです。ユッキーの高校時代はコチコチの氷姫であったのが、人としての温かい心を取り戻す時期にしようと決めていたのですが、個人的には満足しています。いつもながら人が良すぎる善人ばかりが登場しますが、どうしても陰湿な人間関係を描くのが苦手なもので、その点はご容赦下さい。

 さてなんですが、これで一昨年の夏に始めた『小説家になろう』計画も十作目になりました。連作になったのは御愛嬌ですが、さすがにこの連作を続けるのも苦しくなってきています。腹案はあるのですが、その路線に進むかどうかは考慮中です。

氷姫の恋:ある日のクレイエール

 コトリの記憶封印も剥がれかけたみたいで、三年後にカズ君のマンションで再会。この時はビックリしたけど四座の女神を宿らせた結崎忍だけではなく、三座の女神を宿らせた香坂岬まで一緒だったよね。シオリに宿らせてた主女神と合わせて四百年ぶりの五女神そろい踏み。

 あの時はシラクサ脱出以来のわだかまりもあって、コトリと力比べをすることになっちゃった。やっぱりコトリがフル・パワーで来たら強いわ。でもそれを契機にコトリの記憶の封印も一気に剥げちゃったものね。

 後は因縁の魔王戦、恨み深きデイオルタス戦と共闘、相本准教授に宿って行った第一次エレギオン発掘調査は感動的だった。あの地に再び立てるとは思いもしなかったものね。宿らせてもらったお礼に相本准教授を綺麗にしたのだけど、気が高ぶり過ぎてやり過ぎた。まあ、綺麗になり過ぎて悪いことは少ないでしょ。

 そんなコトリの小島知江時代も終わり、やがて立花小鳥時代に。コトリの宿主代わりはいつもハラハラさせられんだけど、今回もやってくれてたみたい。まったく、一緒にいなくて良かったよ。

 コトリの記憶の封印が解けて笑ったのは宿主代わりの不安定期まで復活してたこと。その頃には二人の友情は復活してたから、恒例のように助けてあげることにした。

    「コトリ、あの子?」
    「そうや。メグちゃんならコトリの秘書だし、係累も少ないんや」
    「でも、趣味じゃない」
    「趣味に合わせたらエエやんか」

 十七年間棲んでいたカズ君を離れ小山恵のところに移ってコトリの秘書でございです。不安定期のコトリのコントロールは三座の女神でも苦戦してたけど、過去の記憶がないからしかたがない。あっても難しいかな、でもわたしなら出来る。

 そうやって秘書としてコトリと組んでいきなり起ったのが最後の魔王戦。あの時は三座の女神が危機一髪状態だったけど、なんとか救い出し、ついに魔王にトドメを刺せた。それだけじゃないわ、コトリとのコンビが完全復活した感じ。復活した感想? そうね、落ち着くところに落ち着いた感じかな。

    「おはようございます、立花専務」
    「やめてやユッキー、皮肉言われてるみたいやんか」
    「ここは社内でございます。どうか小山とお呼びください」
    「参ったな。世界一優秀かもしれへんけど、世界一扱いにくい秘書やで」

 コトリが勤めているのはアパレル・メーカー。ヒマ潰しに会社を成長させてみた。

    「ユッキー、そこそこでエエやん」
    「でも退屈じゃない」
    「そうやねんけど」

 コトリの能力はわたしとほぼ互角。やる気になれば、なんでも出来るけど、フル・パワーで働かないのが趣味みたいなところがある。

    「今でも専務やから、食うに困らへんし」
    「わたしが退屈なの!」

 コトリを焚きつけてもう一度エレギオン発掘調査にも行かせたよ。この調査をテコにクレイエールを世界的企業に発展させてあげた。もっともコトリは、

    「だから言わんこっちゃない、海外出張が増えちゃったじゃない」

 コトリの持病に時差ボケがあったのは、久しぶりの新発見。四百年前は時差なんて感じようがなかったものね。もちろん尻叩いて行かせたけど。

    「ユッキー、今月の予定もムチャやで」
    「専務、御心配なく。すべて綾瀬社長の承認を頂いております」
    「それ承認やなくて、コトリの抗議を受け付けさせない根回しやんか」
    「いえいえ、高野副社長にもしっかりと」
    「あのなぁ」

 文句言いながらもコトリはいざとなれば、ちゃんとやるのは知ってる。綾瀬社長も、

    「この件は立花専務に任せる」
    「社長、少しお待ちください。今抱えてる案件の上にこれも担当するのは無理が生じます」
    「専務、心配しなくともよいぞ。これぐらいは問題ないと小山君が太鼓判を押してくれた」
    「それって順番が逆では」

 帰って来たコトリは、

    「ユッキー、ちょっとは手伝ってくれてもエエやんか」
    「はい専務、秘書としてサポートに勤めさせて頂きます」
    「じゃ、なくてこの抱えてる仕事の方」
    「わたしは単なる秘書でございます」
    「もう、そればっかり」

 手伝ってあげたいけど、ここは人の組織だよ。コトリは専務でわたしは係長。そりゃ、出来る事が違うからね。

    『カランカラン』

 バーで二人で飲みながら、

    「ユッキー、今でもエレギオン復活を夢見てるん」
    「まあね」
    「宗教でまた?」
    「あれはダメ。他の形がイイと思ってる」

 エレギオン人によるエレギオン王国の復活はあきらめてる。だって、エレギオン人がいないもの。

    「コトリ、女神のためのエレギオンは必要だと思うの」
    「なるほどね。幸い四女神が奇跡的にそろってるもんな」
    「でもさぁ、そこまでするかどうかなのよねぇ」
    「たしかに」

 わたしもコトリも記憶の継承が復活しちゃったから、この件は時々話してるのよね。

    「そうなったらユッキーが据え付けのトップやな」
    「ダメよ、今度はコトリがトップよ」
    「どっちがしてもエエようなもんやけど、ユッキーの方が落ち着きがエエで」
    「ざんね~ん。いくら頑張ってもコトリは専務、わたしは係長だから、今度はコトリよ」

 部下でいるのも気楽でイイし。

    「今度は守りたいな」
    「そうよ、二度とあんな事にさせてはいけない。もし次があって、同じような事態になっても人を巻き込んではいけないわ」
    「そや、神の問題は神だけで解決せなあかん。それで死ねるなら本望やんか」
    「というか、死ねるのが本望なんだけどね」

 ここでコトリがふと真剣な顔になり、

    「ユッキー、ちょっと気が変わって来てるねん。もうちょっと生きてもイイかなって」
    「あらコトリも。わたしもちょっとね。記憶の中断を挟んでリフレッシュしたのかなぁ」
    「そんな気がするんよ。ユッキーも気が付いてるやろ。お互いをなんて呼んでるって」
    「そうなのよね。この調子なら次の五千年はコトリって呼びそう」
    「コトリもやねん。ユッキー以外に呼びたくないんよね」

 兵庫津にたどり着いた時のすべてに絶望したのは全然違う。

    「もうユッキーにいうてもエエと思う。コトリもエレギオン復活計画持ってるねん」
    「へぇ、コトリが」
    「そうや。おおかた完成してる」

 あら、いつの間に。さすがは知恵の女神か。

    「楽しみね」
    「どんなんか聞かへんの?」
    「知恵の女神の計略に口を挟むような野暮なことはしないよ。首座の女神は安心して任せるのみ」

 コトリが微笑んでる。

    「またコンビや」
    「任せとき。このユッキー様がおるさかい、心配御無用」
 知恵の女神があそこまで言うのなら、エレギオンは必ず復活する。これは楽しみかな。

氷姫の恋:コトリとシオリ

 カズ坊のウチを失った悲しみは想像以上だった。改めてここまで愛してくれたことに感謝した。でもこれじゃ、シオリであれ、コトリであれ、しばらくはアプローチさせるわけにはいかないわ。そんなことをさせたら、カズ坊は冷たく二人を突き放すのは丸わかり。

 それより困ったのが、二人のどちらかにする問題。カズ坊通してコトリにも会ってみたけど、いやはや驚いた。コトリも本当に変わっていないの。どうみてもコトリでも十分にカズ坊を幸せに出来そうな気がする。だからと言ってシオリを切り捨てるって話にもならないのよ。

 ウチの迷いは、奇妙な三角関係を作ってしまう事になってしまった。だって肝心のカズ坊でさえ、コトリに気持ちが十分あるんだもの。それとカズ坊に住んで知ってしまったのだけど、カズ坊とコトリは婚約まで行ってたんだ。これにはさすがのウチも驚いた。

 高校の時に見た未来は確実に訪れてる。あの冴えないカズ坊は女神様のシオリと同棲関係まで進んだことがあり、天使のコトリとは婚約まで進んでいたのよね。それぞれの関係は一旦は壊れちゃったし、その後にウチと結ばれたのも良く知っているのに、それでもなおリータン・マッチに闘志満々なのよ。

 ウチが昔見たのはきっとこの状態。あははは、その前にウチが割り込めたのはラッキーだったかもしれない。そうよ、ウチのカズ坊は本当はイイ男なのよ。見た目で誤魔化されそうだけど、ちゃんと見えるようになったら、そうそうはいる男じゃないのよ。まあ、見える女は滅多にいないけどね。

 でもカズ坊の趣味は変わってるわ。女の好みなんだけど、パッと見より内面重視なんだ。どっちかというと派手な外見の女は避けるみたい。でもね、これは嫌いじゃなくて、退いちゃうんだ。自分には無理だってね。だからあれだけみいちゃんにこだわったのかもしんない。

 そんなカズ坊がまた目を付けちゃったの。でもこれは恋愛感情じゃないね。どういうんだろう、もっとイイ子なのにもったいないって感じかな。ウチが見ても悪い子じゃなかった。カズ坊も女を見る目があるって思ったぐらい。だから協力してあげた。最後に残っていた四座の女神を移してあげたの。その子はコトリの後輩の結崎忍。

 もっともウチにもわかんないところがって、女神を移すのがその子にとって本当に良いかどうかはよくわかんないの。でも、たぶん綺麗になると思うし、ウチと似てたら人として桁外れの能力が備わることになるわ。たぶん、良い方のプレゼントになってるはず。ちょっとだけトラブったけど修正しといた。

 でも外野で見てると楽しいわ。シオリもコトリも本当に必死だもの。コトリがカズ坊に久しぶりに会わせた時にも、交際どころか結婚の申し込みをする気がパンパンだったもの。まだ早いから、抑えといたけど、女も好きな男がいればあれぐらいストレートに行くべきだって思ったぐらい。

 カズ坊を巡る三角関係だけど、そろそろケリをつけないといけないと思ってる。そりゃ歳がね、もう三十五歳に近づいてるじゃないの。別にもうちょっと待ってもイイんだけど、三角関係だから一人はカズ坊と結ばれずに終わってしまうじゃない。その時に三十代も後半になってたら気の毒ってところ。

 カズ坊もだいぶ回復したからもう行けると思うけど、シオリは相変わらず最後のカードを手に入れてないのよこれが。そうなるとコトリだね。なんかスッキリしない感じが残るけど、コトリだってカズ坊には申し分のない相手だよ。やらせてみたらコトリは凄かった。あそこまでやるかってぐらい頑張ってた。カズ坊が

    『ボクはコトリちゃんを選びたい』
 そりゃ、言うわよね。でもその瞬間に見えたの、すべてが見えたの。記憶の封印がすべて剥がれ落ちた気がした。コトリが誰だかついにわかってしまったの。ウチは顔が真っ青になる気分だった。そりゃ、良く知ってるわ。知らないところがないぐらい知ってるんだよ。

 コトリこそが次座の女神。五千年来の腐れ縁。でも四百年ぶりぐらいの再会かな。運命の皮肉ってこんなものかと感心したわ。四百年前に兵庫津でお互いの記憶を封印して、二度と会うことなんてないと思ってた。記憶を封印した時に神を見る能力も封じちゃったから。ま、もう会いたくないのも半分以上あったのも本音のところ。

 それがなんの偶然か同じ年に生まれて、同じ高校に進んで、同じクラスになるなんて笑っちゃう。その上にだよ、同じ男を好きになるなんてね。もっともコトリと好きな男が被るのは昔からだから、運命の必然かもしれない。コトリとまともにやりあってたら危なかったかもしれない。二人がやりあえば短期決戦ならコトリ有利、長期戦ならウチ有利だけど、どっちに転ぶかわかんないもの。

 そうなるとシオリに主女神を移したのも決まっていたのかもしれない。シオリは人としてずば抜けた美しさを持ってるけど、女神は自分の魅力を幾らでも高めることが出来るのよ。コトリの記憶の封印は解けてないみたいだけど、そう念じるだけでそうなるの。コトリがあれだけ本気でカズ坊を好きになったら、シオリでも勝てないと思う。でもシオリにも主女神がいれば、コトリに十分対抗できる。

 そっか、そっか、シオリに最後に会った時に見えたシオリの苦難とはこれだったで良いかもしれない。主女神は力こそ巨大だけど、巨大すぎて眠ったままでも馴染むまで大変なの。どうしても邪な心が強く出る時期があるのよ。それをコトリとコントロールしてたけど、一人じゃ大変だったと思うわ。

 さてこれで二人の決着は付いたわ。悪いけどコトリには下りてもらう。首座の女神には百日の呪いがかかってるけど、次座の女神にも、

    『誰とも結婚まで結ばれることはなく、もしすれば必ず相手は不幸に見舞わる』
 そう、だから婚約までしか進めなかったのよ。今回も悪いけど我慢してね。カズ坊を不幸な目に遭わせる気はないもんでね。さてウチはどうしようかね。しばらくカズ坊のところにでもいるか。どうにも男の体はイマイチ趣味じゃないけど、カズ坊はウチの大事な男だし。

 でもあれね、記憶が甦っちゃうと、寂しいものね。木村由紀恵の記憶でさえ、たいした記憶じゃなくなっちゃうの。ウチにとっては〇・一%にも満たない時間。だけどね、すべての時間の価値は同じでもあるの。短いからといって無価値ってわけでもない。すべての記憶がつながり、今のウチがいるからね。

 ウチと本当に話が出来るのは次座の女神のみ。でも、次座の女神の記憶の封印は残ってるし、剥がす気もない。ただ剥がす気もないけど、近い将来剥がれるのだけはわかる。そうなった時にはきっと昔のように

    「ホンマに相性悪い」
 こう言いながら同じ時間を過ごす気がしてる。まあ、それも悪くないかもしれないわ。

氷姫の恋:タイム・リミット

 カズ坊とは時間の許す限りデートした。デートするたびにしっかりと結ばれていくのも実感してた。一方で百日がカウント・ダウンされていくのもわかった。カズ坊と結ばれて一か月後ぐらいにそれを感じた。感じただけじゃなくすべてが見えた。カズ坊には出来るだけ隠そうとしたけど、カズ坊もさすがに医者だわ、

    「ちょっと痩せたんちゃう」
    「はははは、わかった。大好きなカズ坊に気に入られようと思ってダイエット頑張ってんねん。わかってくれて嬉しい。そんなカズ坊と一緒にいれて幸せ」
    「いっぺん病院行った方がエエんちゃうん」
    「そんなん、毎日行ってるよ。これでも医者やから安心しといて。こんな事まで心配してもらえてすごい幸せ、カズ坊大好き」
 もう隠し切れないところまで進行していた。百日の縛りは残酷なぐらい正確にウチを襲うのはもう間違いない。もうちょっと時間が欲しかったけど、これ以上は贅沢。後は自分が亡くなった後のカズ坊の幸せを考えるだけ。カズ坊は渾身の愛をウチに注いでくれた。でもこれはウチだけのものしてはならないと決めてる。

 カズ坊にはウチとの幸せな記憶だけ残れば満足。たった百日足らずのウチに人生のすべてを費やしてもらって欲しくないの。でも、カズ坊の気持ちも見えてるの。カズ坊はウチを愛しすぎてる。このままじゃ、ウチ以外に誰も愛せなくなってしまう。それはそれで嬉しいけど、ウチはそうさせたくないの。

 ウチはカズ坊への手紙を書いた。情けないけど、手紙を書くのさえ大変になってきてる。字がどうしても乱れちゃうけど、カズ坊許してね。この手紙がカズ坊のところに届くころにはウチは、もう起き上がることも出来なくなってる。そうタイム・リミットのステップがまた一段上がるってこと。

 ウチが倒れたら、カズ坊はウチに会ったらいけないの。会えばカズ坊は優しいから誓っちゃうし、誓えば何があっても守っちゃうのも見えてる。だからウチは誓わせない。そしてね、カズ坊を癒して、新しい幸せをつかんでもらうの。会えなくなるのは寂しいけど、それぐらいはカズ坊のために我慢できるもの。

 倒れたウチはカズ坊のいた病室に入った。最後の時間を過ごすのはここしかないの。カズ坊の接近は完全に遮断した。そしてこの遮断はカズ坊がいくら頑張っても突破できないよ。これもそうなるのは決まってる。そして、もうすぐ院長が来る。

    「木村先生。お願いがあります」
    「あら、なんでしょうか」
    「ご友人との御面会を許可して頂きたい」
    「誰でしょうか」
    「加納志織さんです」

 シオリは来る。明日に必ず来る。ウチの最後の日に来るわ。シオリこそがカズ坊の次の相手のはず。シオリだってあれだけ辛い思いをしてカズ坊を慕い続けたんだ、ウチはシオリに託したい。お見舞いに来てくれたシオリに、

    「カズ坊のことをお願い。きっと落ち込むと思うから、出来れば相談相手になって欲しいの。もしシオリさえ嫌じゃなければ、カズ坊の恋人になってくれたら嬉しい。そこまではちょっと無理だったら、できれば誰か良い人を紹介してあげて。どうかなぁ」
 その時に見えたの。シオリじゃないかもしれないって。シオリを通してコトリが見える。そうカズ坊を争うのはシオリとコトリだ。えっ、どっちなんだろう。ウチでもハッキリしないわ。

 最後の力を振り絞って見ても微妙。シオリのカズ坊への想いは濁りないけど、シオリには苦難の道があるのだけはわかる。一番大変なのは最後のカードを手に入れていないこと。でもコトリは既に握ってる。これはどういうこと。カズ坊と結ばれるのはコトリなの。

 でもそうとは言い切れないところもある。そんなに簡単な話とは思えないの。ウチはシオリがイイ気がするから、

    「あれっ、そっか、なるほど、そういうことか。たしかにどっちがイイかなぁ。私はシオリが良いと思うけど」

 ここまで口に出しちゃったけど、なんか自信がない。コトリでも悪い気があんまりしないのよね。でもね、でもね、コトリにはなんか影が見えるの。その影がなにかはわからないけど、良い感じだけはしない。でも二人のこれからの関係はシオリにとって辛いものになりそうなのだけはわかる、わかるけど、シオリには何かがある。

    「うんうん、シオリもそれじゃ辛いかもね。でも必ずしもそうなるとは限らないみたいだし、あははは、カズ坊は幸せ者ね。こんなにみんなに想ってもらってるのなら、きっと大丈夫だわ。ちょっと安心した。これで私も心配せずに済みそう」

 もうウチも限界。シオリ、これだけは悪いと思うけど、ちょっと体貸してね。きっとできるはず。

    「ゴメンネ、ちょっと疲れちゃったから寝させて。今日は来てくれて本当にありがとう」
 こう言った後に念じた。予想通り、ウチはシオリの中に。中には眠れる主女神がちゃんといた。これで木村由紀恵はついにオシマイ。でも木村由紀恵には最後に術をかけといた。カズ坊との幸せな記憶。もう意識は戻ることはないけど、その夢を見ながら亡くなるわ。

 木村由紀恵が亡くなるのは五日後、そうカズ坊と結ばれてちょうど百日目。なんて正確なんだと笑っちゃうぐらい。この先の計画だけど、シオリは必ずカズ坊に会いに行く、その時にウチはカズ坊に移る。カズ坊に移ったウチはカズ坊の恋の手助けをする。それにしてもカズ坊の次の相手はシオリなんだろうかコトリなんだろうか。

 どっちでもカズ坊、喜ぶだろ。女神様と天使で文句言ったら、ウチが許さない。いう訳ないか。カズ坊がホモじゃないのは良くわかったし。

氷姫の恋:可愛いユッキー

 ウチはユッキー、ユッキー様じゃないよユッキーよ。この世のすべてがバラ色に輝いて見える。

    「おはよう」

 声をかけた医局員が変な顔してる。看護師も事務員もそう。

    「部長、312号室の森本さんですけど」
    「わたしが今朝に話をしといたから、もうだいじょうぶよ。安心してね」

 312号室の森本さんは名うてのトラブル・メーカー。主治医も担当看護師も手を焼いてたの。でも、もうだいじょうぶ。ウチが治しといた。心まで。

    「部長、回診お願いします」
    「は~い」

 ウチには見える、すべてが見える。患者の治療をどうすれば良いかもすべて見える、

    「この患者さんはこうしてあげてね」
    「この患者さんはこう」
    「こっちは、これでお願い」

 これでみんな幸せになれる。

    「山川先生、今晩の当直だけど、研修医の浮嶋君も一緒にさせておいてくれる」
    「ハア、イイですけど」
    「十時までには帰れるよ」

 九時に患者は来た。ウチはその時間に救命救急室を訪れ、

    「浮嶋君、ちゃんと見て覚えてね。これが君の見たかったものよ」

 三十分で終了。浮嶋君はこの処置をこれで忘れない。彼の財産になるわ。

    「浮嶋君、夜まで付き合わせて悪かったわね。もう帰ってイイよ」

 自分の患者の指示を書いている。

    「木村先生、急変時の処置を・・・」
    「いらないよ。起こらないから」
    「でも・・・」
    「それじゃ、書いとくね」

 今夜はあの患者にはなにも起らないのは見えてる。

    「あのぉ、木村先生。この十一時前には必ず倉木先生を呼び、この処置の支度のスタンバイをさせておくって」
    「そうよ、スタンバイは早い方がイイじゃない。倉木先生なら十分に対応できるよ」
 そうなるのは決まってるの。それがなんとかなるのも見えてる。ただ早く処置を始めた方が、後の経過が格段に良くなるの。なんか医局員も看護師も幸せそうな顔をしてる。患者だってそう。どこに行ってもみんな微笑んでくれる気がする。もう氷の女帝じゃないの。

 前に立たれただけですべてがわかる。何が話したいのか、どうして欲しいのか。それをどうすれば良いのかもすべてわかる。それだけじゃない、穢れた心を洗い落とせるのもわかる。みんな綺麗にしてあげる。その方が人生はきっとハッピーよ。

    「お~い、ユッキー、こっちだ」
    「カズ坊、ゴメン、待った」
    「ボクも今来たとこ」

 カズ坊との嬉しいデート。ウチはカズ坊の左手にしがみついてる。ずっと、ずっと、しがみついてる。一時も離したくないの。

    「それにしてもユッキーは可愛い、ホンマに可愛い」

 カズ坊は会うたびにそう言ってくれるの。カズ坊にそう言われるたびにウチはドンドン可愛くなってる気がする。可愛くなることはカズ坊を喜ばせること、カズ坊を喜ばせることはウチの喜び。

    「ユッキー、ボクとしたことがアカンわ。我ながら芸が無さすぎると思うねんけど、可愛いとしか言いようがないんよ」
    「可愛いだけで他はいらないよ。だって可愛くなりたかったんだから。そこだけ褒めてもらったら嬉しくて眠れないぐらい」

 ついに可愛い女になれたんだ。カズ坊に初めて会った日からずっと、ずっとなりたかった可愛い女に。そんなカズ坊が言いだしにくそうな顔してる。イイのよカズ坊、ウチはカズ坊の妻なのよ。なんの遠慮もいらないよ。

    「ユッキー・・・」
    「イイよ、待ってた。でも初めてだから優しくしてね」

 夢にまで見ていた瞬間が訪れた。やっぱりちょっと痛かった。でもね、痛いのより一つになったって感覚の方が百倍も千倍も嬉しいの。嬉しすぎて泣いちゃったら、

    「ゴメン、やっぱり痛かった」
    「ぜんぜん、やっと大好きなカズ坊のものになれてうれし泣きなの。私ってこんなに幸せです」

 ウチがカズ坊に言うのも芸がないけど、

    『幸せ』
 だってそれ以外は何も考えられないんだもの。この歳まで生きてきて、こんなに幸せなことはなかったもの。カズ坊も幸せって感じてくれるのもわかっちゃう。夢のような毎日を送っていたけど、ウチにはわかってしまった。これが百日の意味かって。