女神伝説第1部:マルコ氏

 コトリ部長はイタリアからの帰りにも時差ボケ対策をあれこれやってましたが、

    「だから時差って嫌い。どうしたって残るんだから」
 ボヤキながらイタリア出張中に溜まりに貯まった仕事の山を片付けていました。シノブ部長も同じだと思います。ミサキは報告書の作成です。これも仕上げはコトリ部長がするのですが、
    「これも勉強だから書いてみて」
 ジュエリーの方は綾瀬副社長も大満足の様でした。コトリ部長のプランは、伝説のエレギオンの金銀細工師であるマルコ氏をクレイエールに迎え入れ、エレギオン・ブランドで売り出すというものです。これなら副社長の自前国産の原案に近いものになり、副社長の面子も十分に立ったからです。

 副社長はさっそくマルコ氏のための工房の建設に着手します。マルコ氏以外の職人については、さすがエレギオンの金銀細工師で、マルコ氏が少し声をかけただけで、ヨーロッパからも続々と弟子入り希望者が押し寄せました。中には既に店を持っていたものまでおり、弟子入りするために店をたたんで応募する者もいたぐらいです。マルコ氏もコトリ部長に紹介してもらいました。マルコ氏は十二歳で弟子入りして二十歳の時にはエレギオンの金銀細工師の名乗りを許された天才で、マルコ氏自身が言うには、

    「うちの家はエレギオンが王国だった頃には貴族の家柄だったんだ」
 古代エレギオン王国の貴族といっても二千年前にカエサルに滅ぼされていますから、マルコ氏の話が本当かどうかは確かめようがありませんが、別に否定するほどのものではないのでハイハイと聞いています。それでもマルコ氏を見た素直な感想は、
    「可愛い」
 男性に可愛いは変かもしれませんが、思わずそう表現したくなるような方です。甘いアイドル系の顔つきといえば良いのでしょうか。明るく陽気な典型的なラテン系の乗りの良さもあって、話していても楽しい方です。マルコ氏は日本に来てからジュエリー関係の貿易商をやっておられたのですが、いまだに日本語が少々、いやかなり怪しいところがあります。ですから会話も日本語じゃなくてイタリア語になってしまいます。そうやって話ながら思ったのは、よくまあ、こんな怪しげな日本語しか話せないマルコ氏からコトリ部長も、シノブ部長もイタリア語を覚えられたものです。

 マルコ氏は陽気なイタリア男なのですが、ジュエリーに関してはさすがのプロです。工房建設に関して細かい注文が次々出されますし、弟子の選抜も厳しいものがあります。このマルコ氏ですが、工房が出来るまでは準備室勤務になっています。とにかく日本語が怪しいので通訳としてミサキが準備室に常時ヘルプみたいな体制になっています。そりゃ、コトリ部長やシノブ部長が通訳として貼りつくわけにも行きませんし、そもそもイタリア語を話せる人材なんて、会社では限られていますから、一番下っ端のミサキになってしまいます。

 結果的に工房準備室はミサキとマルコ氏の二人体制になっているので、あれこれ話をする機会が多くなっています。マルコ氏がとにかく驚いたのが、コトリ部長やシノブ部長が会社では重役待遇になっている点です。

    「ミサ〜キ、あのコト〜リもシノ〜ブもおエライさんなんだぞ。ちっとも、そんなこと話してくれなかったよ」
 マルコ氏もとりあえず課長待遇で迎え入れられているのですが、会社でコトリ部長を探したら本部長代理なのに仰天し、シノブ部長にその驚きを話そうとしたら、これまた本部長代理で腰を抜かしたそうです。そうそう、現時点では工房準備室はブライダル事業本部の下にありますから、マルコ氏にとってコトリ部長もシノブ部長も直接の上司になる関係です。気になるのでコトリ部長とのその後の関係にも探りを入れてみたのですが、
    「コト〜リは自分が年上過ぎるって言うんだよ。ボクは歳の差なんて関係ないって頑張ってるんだけど、コト〜リは恋人まではイイけど、結婚は無理だと言うんだよ」
 あれっ? コトリ部長の話とは逆です。とにかく工房準備室はマルコ氏と二人っきりみたいなものですし、マルコ氏がイタリア語で話せる相手は社内でも限られているものですから、どうしたって親しくなります。そうこうしているうちに工房が完成します。三十人の弟子を抱える立派な工房で、マルコ氏も仕事にかかられます。仕事に集中している時のマルコ氏はさすがに伝説の金銀細工師で、まず輝く天使・微笑む天使に合わせたイメージ・モデルを作り上げていきます。ちょっと聞いたのですが、
    「エレギオンの伝統技術ってあるのですか」
    「ミサ〜キ、そんなものはないんだよ。技術は常に進歩するし、デザインは常に変化する。常に最先端の技術とデザインを自由自在に使えるものだけにエレギオンの名が許されるんだ」
 このマルコ氏の姿勢は弟子たちの指導でも同じで、少しでも守りと言うか、無難な方向に弟子が逃げようとするとたちまち厳しい指導が入ります。
    「その程度のものを作りたいなら、他のところで働きなさい」
 これぐらいのニュアンスをかなり厳しい表現で常にされます。その代りと言ってはなんですが、新しいチャレンジには割と寛容です。ただし作品の仕上がりのチェックは異様なぐらい厳しくて、ほんのわずかでも気に入らない点があれば何の未練もなくボツにします。

 お弟子さんにも聞いたのですが、エレギオンの工房で弟子になるとはそういう事だそうです。他の工房で合格点レベルのものでも、エレギオンではゴミ同然に扱われるぐらいでしょうか。お弟子さんに日本人の方で久山さんって方がおられまして聞いてみたのですか、

    「そやなぁ、エレギオンでは他の工房で一人前レベルが見習いで始まるぐらいでエエと思うで。そこで働くのは夢みたいなもんで、それが日本にあるなんて信じられへんぐらい幸せや」
そうそうエレギオンの工房に入るための例のエレギオン人であるとのルールですが、久山さんは、
    「あれか、業界では有名で、尋ねられたらとにかくハイと答えたら合格やねん」
 なんちゅうルーズな・・・その点はともかく、そういうハイ・レベルの工房で、エレギオンの金銀細工師の名乗りを許されるというのはまさに途轍もないレベルと思い知らされました。


 そんなマルコ氏が最初に作り上げた天使ブランドのためのイメージ作品は素晴らしいものでした。まずマネキンにドレスを着せたものに飾り付けたのですが、これを見た副社長が絶句してました。副社長だけではなく、それを見た重役室のすべての者が言った方が良いと思います。

 さらに嫌がって逃げ回るコトリ部長とシノブ部長を業務命令でとっつかまえて、宣伝用の撮影も行いましたが、マルコ氏の作品は、人が身に付けることによってさらに魅力を増すのを誰もが思い知らされました。ミサキも撮影の時に一緒にいましたが、見惚れるを通り越えて茫然自失って感じです。その時になんですがマルコ氏が、

    「さて、ミサ〜キにも綺麗になってもらおう」
 えっ、えっ、と動転していたらコトリ部長とシノブ部長から、
    「ミサキちゃん、逃げようとしても無駄よ。これは業務命令」
 ミサキも強制的に撮影されてしまいました。それも輝く天使と微笑む天使の両ブランドのフル・コース。さらに、さらに新郎役はなぜかマルコ氏。さらにさらにビックリしたのは、ミサキ専用のアクセサリーまで用意されています。
    「これはミサ〜キをイメージして作ったから、喜んでくれると嬉しい」
 これは素直に感動しました。マルコ氏の工房のお世話担当みたいな役割をやっているので、マルコ氏の作品がいかに貴重で素晴らしいものかは、これでもかというぐらい知っているからです。鏡に映った自分が信じられないぐらいに綺麗になっています。マルコ氏もさすがイタリアの優男で、二人が並ぶとコトリ部長とシノブ部長から、
    「よっ、お似合い」
 とさんざん冷やかされました。なにがどうなっているかわからなかったのですが、シノブ部長とコトリ部長は、
    「コトリ先輩、予想通りね」
    「コトリもそうなると思ってた。これで決まりね」
    「マルコも張り切るんじゃないかあぁ」
    「そりゃ、そうなるよ。そのためもあってイタリアに行ってもらったんだから」
    「でもコトリ先輩はそれでイイの」
    「さすがにね。もうちょっと若ければ考えたけど」
 なんの話かと聞いてみたら、ブライダル事業の天使ブランドの第三弾を計画中だそうなんです。そのイメージモデルが信じられない事に、ミサキだと言うのです。
    「ちょっと待ってくださいよ、お二人は本物の天使ですが、わたしは・・・」
    「ミサキちゃん、あきらめてね。こんな感じでコトリもシノブちゃんもやらされたんだから。社員にとって業務命令は絶対よ。とりあえずマルコはノリノリだからね」
 どうしても信じられませんが、ミサキがクレイエールの第三の天使のモデルにされるみたいです。冗談とか悪ふざけと思いたいところですが、身に付けられたマルコ氏の作品は現実です。もちろんミサキ用に作られたと言ってもミサキのものではありませんが、
    「ミサ〜キ、これは内緒だからね」
 ミサキの掌にそっとネックレスを握らせてくれました。
    「今まで頑張ってくれた、ささやかな感謝の印だよ」
 その美しすぎるネックレスはミサキの宝物です。