スキルス

1/12付産経新聞より、

がん診断めぐり、愛知・一宮市に220万円の賠償命令

 愛知県の一宮市尾西市民病院=民間委譲=の医師が精密検査などを怠ったため、手術が遅れて延命の可能性を奪われたとして、平成20年に胃がんで死亡した女性=当時(70)=の遺族が一宮市に360万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、名古屋地裁は12日、220万円の支払いを命じた。

 永野圧彦裁判長は、女性が患った「スキルス胃がん」は早期に適切な治療が必要と指摘。医師は初診時にスキルス胃がんを疑いながら精度の高い検査をせず、高度な治療ができる病院へも転院させなかったとして、「死亡時より長く生存できる相当程度の可能性が侵害された」と述べた。

 判決によると、女性は18年12月、同病院で受診。翌19年1月には内視鏡生検でがん細胞は見つからなかったと伝えられていた。

亡くなられた女性に謹んでお悔やみ申し上げます。

成人の胃癌の知識は本当に古いので、その点は温かくfollowして頂きたいのですが、最悪の胃癌としてもよいはずです。最悪とは色んな意味がありますが、進行は早いわ、見つかりにくいは、初期症状に乏しいわです。非常に単純に進行を書いておくと、胃壁内に発生し、胃壁の中に広がりながら進行します。つまり正常組織にくるまれながら、薄く広く進行するので、通常の画像診断では相当進行しないと発見できないとされます。

見つかるのは胃癌としてではなく、他の症状で見つかる事も多々あります。スキルスは胃壁の中を広がりますが、最終的には正常組織を突き破ります。突き破るのが胃の外壁であるなら、そこから腹腔内にガン細胞を撒き散らします。腹膜播種と言い、そうなった時に播種された転移部位の症状で発見される事もあると言う事です。

診断法として胃透視、CT、MRIでは見つけるのが困難とされます。とくに初期の状態での発見は非常に難しいとされます。そのため怪しまれる時には内視鏡による生検が行われます。ただこれも術者の技量と運に頼る部分が大きく、生検を行った部位にガンがあれば見つかりますが、外れれば診断不能です。熟練すれば診断率は高くなると聞いていますが、絶対ではありません。

この辺は医学の進歩で、スキルスの診断にPETが有効とされているようです。PETとCTを組み合わせた検査法も普及しているそうで、あくまでも多分ですが、記事では内視鏡による検査を行っていますから、裁判長が指摘している、

    精度の高い検査
これはPETじゃないかと推測しています。ほいじゃPETは日本にどれぐらいあるかですが、日本核医学会PET核医学分科会のPET施設一覧には、

◆ 国内PET施設数(推定)

273施設(2010年8月30日現在)

    サイクロ施設: 137施設
    デリバリー施設: 136施設

サイクロ施設とデリバリー施設の違いですが、自前でトレーサーを作れる所がサイクロ施設、トレーサーの供給を受けて検査を行うところがデリバリー施設です。273施設が多いか少ないか微妙なんですが、この数は2010年の数であり、事件が起こった平成19年(2007年)当時はどうであったかです。これも調べてみるとNuclear Medecine 2009に掲載されており、220施設となっています。

さて舞台は愛知県の一宮なんですが、2007年当時にPETが可能な医療施設があったかです。2010年時点では医療法人大雄会総合大雄会病院と言うところがあります。ここが2007年時点でPETがあったかですが、大雄会の歩みに、

2002年 4月 総合大雄会病院に核医学センターを開設。
PET(ポジトロン断層撮影装置)を稼動。

つまり2007年時点で一宮市内でPET検査は可能であった事になります。裁判所の判断がこの病院を念頭に置いたかは別として、一宮市内でもPET検査は可能であった事は確認できます。



さてなんですが、

    判決によると、女性は18年12月、同病院で受診
どういう理由で受診されたのでしょうか。あくまでも一般論ですが、スキルスは初期症状に乏しいのが一つの特徴です。だから手強いのですが、何らかの症状がなければわざわざ病院を通常は受診しないと考えられます。それでも2006年の12月に受診して、2007年の1月に内視鏡検査が行われています。推測するに、「胃が重い」とか「どうも胃が痛むことがある」の類で受診した可能性が高いと考えられます。

そういう訴えの受診はポピュラーなものですし、そういう症状の中に胃癌が含まれていますから、流れとしては内視鏡検査になっても不思議はありません。もうちょっと言えば、市立病院受診ですから、その前に開業医段階で胃炎の治療歴があったと考える方が妥当かもしれません。70歳ですから胃の調子が悪いのが長引けば胃癌の連想が出てもおかしくはないところです。

その辺に拘るのは裁判所判断の

    医師は初診時にスキルス胃がんを疑いながら
これがどういう判断で出てきたのだろうの疑問からです。字義通りに取ると、初診時からスキルスを担当医が疑っていた事になりますが、あくまでも「どうも」なんですが、胃癌の一般論としてスキルスの可能性もあるみたいな話ではなかったかと推測しています。2007年ですから、場合によってはネットや知人から予備知識を仕入れたのかもしれませんし、開業医の紹介段階で説明があったのかもしれませんし、市立病院段階で出たのかもしれません。

つまり担当医は濃厚に疑ったというより、胃癌の一般論としてスキルスの可能性もありうるみたいな話をしたに過ぎないような気がします。それも含めて2007年1月の内視鏡検査で否定したと考えられます。ここからが綾なんですが、患者は「スキルスでもないんですね」の念押しが行なわれたとしても不思議ないでしょう。誰だって胃癌は嫌ですし、知識が付けば否定して欲しいところです。

ところが不幸な事に患者はスキルスであり、なおかつ内視鏡検査を潜り抜けてしまった事になります。いずれかの段階でスキルスである事を患者に話す必要がありますが、1月の検査段階で「スキルスでない」と言い切ったことが感情的なトラブルとして発展した可能性を考えます。遺族にしてみれば、検査までして否定しながら「誤診だ、見逃しだ」です。


ではどうすれば良かったかになります。市内にPET施設があるからそこなりで検査すれば見つかり、寿命がもう少し伸ばせたはずだが裁判所判断であるのはわかります。理屈はそうなんですが、一つ問題があります。胃の調子が悪いとして、内視鏡で生検検査を行う人は決して少なくありません。私だって検査を受けました。

しかしスキルスは内視鏡検査を潜り抜けることがあります。詳しい分野ではありませんが、スキルスにただの胃炎なり、軽度の胃潰瘍が合併していても悪くは無いはずです。つうか逆に見つかれば話はかえって終ってしまう可能性もあります。症状と所見がある程度一致するわけですから、それ以上はあまり追及しない事が多いと思います。

ただここで常にスキルスの可能性を念頭に置くのなら、内視鏡では潜り抜ける可能性があると言う事で、PET検査にルチーンで進む必要が出てきます。日本のPET施設は上記した通りでそれなりにありますが、胃の内視鏡で「がんは無い」と診断された患者の数は膨大と推測されます。果たして需要に供給が追いつくだろうかは素直に思います。


実はPETが有効としましたが、これも実情が良く分からないところで、どれぐらい有効かのデータまで見つけていません。ひょっとしたら裁判所判断にある「精度の高い検査」とは、もう少し違う検査を意味しているのかもしれません。一つは私の勉強不足で、実はもっと一般的なな検査(CT、MRI等)で効果的に診断できる方法が開発されているとかです。この分野の進歩は物凄いですからね。

もう一つの可能性としては、もっと古典的な「精度の高い検査」です。診断で一番精度の高い検査は胃全摘です。全部とって病理診断を行えば一番精度が高く検査は出来ます。もっともスキルスがあれば良いですが、無かった時は目も当たられない対応を病院が迫られる事は言うまでもありません。この辺について詳しい方がおられれば情報下さい。こういう最先端の情報、とくに他科の情報はなかなかアップ・デートしにくいからです。


仮に「精度の高い検査」がPETであれば、後はどうするかです。ムンテラでスキルスの話を出さないようにするのも一法ですが、出さなければ後から「スキルスの可能性を疑わなかった責任」つまり誤診を問われそうですし、出したら出したでPETへの道になってしまいます。無難には「スキルスの可能性は完全否定できませんから、念のためPETまで行いますか」の選択枝を示すのが正解なんでしょうか。

選択枝を示すと言うのは間違っていないですが、選択枝を示すとスキルスの悪性度の説明はセットになりますから、それを聞かされたらやはりPETの選択枝を選ぶ人が多くなると考えるのが自然です。どこまで行ってもPETへの道は不可避と考えざるを得なくなりますが、難しい問題です。

もちろん、まだ記事情報だけですから、本当はどんな判決であったかは後日の情報を待たなければならないのは言うまでもありません。ただ裁判官はその筋の有名人ですから、判決文に大きな期待はあんまり持てないかもしれません。