私は軍事マニアではありませんから、用語の使い方、解釈に素人臭いところがあるのはある程度ご容赦ください。戦略と戦術の違いは異論もあるかもしれませんが、
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戦略:戦争を総合的に勝利しようとする計画
戦術:個々の限定された戦闘で勝利する計画
例としてあんまり持ち出したくないのですが、第二次大戦初期の日本軍の戦術はなかなかのものだったとは言えます。戦術にも基本はありまして、自らを優勢にして戦いに臨むというのがあります。開戦初期の予定戦場では日本軍は優勢の位置を取れるという判断がなされ、実際に優勢でした。また戦いは先手を取って主導権を握った方が有利と言うのもあります。これも宣戦布告までに戦力を集中し、一気に攻め込んでいますから忠実に守っています。
また地形を利用すると言うのがあります。開戦初期の予定戦場の米英蘭の守備隊は本国から遠く離れ、さらにイギリス本国はドイツの攻勢に防戦一方であり、オランダは本国を占領されています。つまり日本軍が攻撃を仕掛けても容易に有力な援軍を送り込める状態で無いという事です。防衛側は孤軍になるとジリ貧になり、援軍の予定が無いと士気も下がります。
さらに相手の意表に出ると言うのがあります。連合軍の防衛戦術の要はハワイのアメリカ太平洋艦隊であったと考えています。ここに強力な艦隊があり、日本軍の南方に進出に十分な抑止力になるという考え方です。たとえ進出してきてもアメリカ太平洋艦隊が健在な限り、容易に島伝いの日本軍の攻勢を止められる考え方です。これをアッと驚くハワイ作戦で艦隊を開戦劈頭に撃滅しています。
アメリカ太平洋艦隊が壊滅し、守備軍が孤立化したところに日本軍は優勢をもって攻め込み、日本軍が開戦時に最も確保したかった南方資源を確保する事に成功します。戦術としては良かったので景気よく勝ち進みましたが、後から考えても「その次」の戦略があったようには思えません。戦争継続のために南方資源を確保する戦略だけしか無かったんじゃないかと見えます。
戦略とはそんなものではなく、戦術的勝利を戦略につなげるのが重要です。南方作戦の戦術的勝利により、連合軍と戦争を終結させる方策が戦略です。これの具体的方策を戦争指導者が持っていたかどうかに大きな疑問を感じます。南方作戦の成功から米本土に上陸しワシントンまで攻め込む戦略があったとはとても思えませんから、とりあえず戦争継続のために南に展開する以上の戦略しかなかったかと考えています。
これに対しアメリカは確実な戦略に基づいて反攻します。アメリカが日本にに対し絶対優勢であったのは工業力です。その工業力はヨーロッパと太平洋の二正面作戦を行なっても相手を凌駕できるものがあり、これを基本に据えての反攻戦略を行ないます。物量を注ぎ込むことにより個々の戦闘での戦術的優勢を築き、日本軍がもっとも苦手とする消耗戦に引きずり込み、確実に必要とする戦略拠点を奪回しながら、最終的には日本を占領します。
この戦いの様相はクラウゼビッツの言葉にある、
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戦術の失敗(敗北)は戦略で補う事が出来るが、戦略の失敗は戦術的勝利だけでは覆せない
こういう状態は戦争に限らず日常生活にも活用できる事が数多くあります。もちろん医療問題にも当てはめる事が可能なものがあります。周産期救急を含む救急問題は今年大きな話題になりました。この問題に対してどういう対策を行政が取ろうとしているかを分析してみると非常に興味深いものがあります。救急医療は大きく分けて二段に分かれます。本来は分けるものではなく、一体として考えなければならないのですが、行政はあえて二段に分けていると考えています。
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第一段階:救急隊が患者を病院に搬送する
第二段階:病院が患者を治療する
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戦略:可能な限り早急に患者を病院に送る
戦術:救急病院が問答無用で患者を受け入れるようにする
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一刻も早く病院に運び込まれる事ではなく、一刻も早く有効な治療が開始されること
つまり
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総務省は患者の治療については与り知らない
ここでと言うほどのことは無いのですが、救急問題がなぜ起こったかの根本を考えて見ます。種々の要因がありますが、非常に単純には
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救急医療機関の受け入れ能力の逼迫
ここも整理しておくと
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一次問題:救急医療機関の受け入れ能力の逼迫
二次問題:救急隊の照会回数の増加、搬送の長時間化
戦略でも戦術でも基本になるのは自らの戦力を正確に把握し、相手の戦力を出来るだけ詳細に知ることです。どちらも知らずに戦いに臨むものは愚将の極みであり、自らの戦力だけ知って戦いに臨むものでも勝利はおぼつきません。両方を熟知している事が必要条件なのです。ちなみに十分条件は自らの戦力が相手を凌駕する戦術が求められます。
日本の医療戦力では24時間365日デパート医療は不可能です。さらにこれを短期日で補充するのもまたまた不可能です。これが現実であり、戦い臨むものは妄想ではなく正味の戦力を冷静に判断しなければなりません。自らの戦力が相手に及ばず、さらに相手を凌駕する補充も望めないときに取られるのは相手側戦力の削減です。戦術論的には幾つか手法があり、地形を味方に付けたり、相手側の補給路を脅かしての戦力ダウンを図ったり、相手側の内部撹乱を図ったりします。また相手側の戦力を分散させて各個撃破の戦術を取ることもあります。
救急問題で相手方とは救急需要であり、これが野放図に増え続け、彼我の戦力差が決定的になると、いかなる名将が指揮をとっても勝負にならなくなります。戦術が通用するのはある一定の兵力差までであり、決定的になると戦術により局所で一時的勝利を収めても大局にはなんの影響も及ぼさず、ずるずると敗北の道を辿ることになります。硫黄島の攻防戦なんかが象徴的でしょうし、第一次ソロモン海戦を含めてのガダルカナル攻防戦を想起しても良いかと思います。
では救急需要を抑制するのが最善の道という事になりますが、これには別の側面が生じます。行政、さらにこれに密接に関連する政治の問題です。政治は民意によって左右される問題が大きくなります。行政もまたそういう面があります。救急問題において、供給側と需要側を考えると人数は圧倒的に需要側が多くなります。つまり行政も政治も多数派である需要側の意向が非常に気になるという事です。気になるというか、はっきり言って需要側の機嫌を損ねたくないとの意向が濃厚に生じるという事です。
救急問題の根幹を考えれば物理的、算数的に救急需要の抑制を考えざるを得ないはずですが、そこには出来るだけ目を向けないようにします。結果として総務省主導の戦略がもてはやされ、それが特効薬的な解決策だとの幻想を振りまく事になります。総務省の戦略なら、需要側に痛みは少なく、表面上は行政も政治も傷つかないからです。
では救急問題の根幹である救急医療機関側の受け入れ能力の逼迫に対してはどう対処するかになります。無い袖は振れないのでスローガンで補う戦術になります。
- (出来るはずもない)戦力充実を約束する
- 医師の怠慢を積極的にアピールする
- 看板を換えただけの「新体制」で問題解決とプロパンガンダする
最後にクラウゼビッツの言葉をもう一度引用します。
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戦略の失敗は戦術的勝利だけでは覆せない