正論なんですが・・・

昨日のInoue様のコメントです。

お怒りはごもっともですが、もう、新聞に過大な期待をするのはやめませんか?
 私は幼いころから(小学校低学年)新聞を読んでいました。
 最初はえらい大人が書いている立派な文書だと思っていました。しかし、複数の新聞の同じ事件記事を読み比べているうちに、あまりにも内容が違うことで「報道姿勢」というものを知り、また、記事によってはハンコで押したように同じ文章が書いてあることで、官製報道というものの実態を知り、そのうちに完全な捏造記事を朝日新聞が写真入りで一面に出してしまう(珊瑚事件)ことに衝撃を受けました。
 また、現在では、経済問題に強いとされている日経新聞がどれだけデタラメな経済報道をしてきたかも知るようになりました。「日経新聞は信用できるか」
 論説委員が、少々下品なことを書いたからといって、エントリにするのは時間の無駄、もっと有意義なことに人生を使おうじゃありませんか。

実に正しい意見で、読んだ瞬間「そうしたい」と素直に思いました。新聞批評、もっと広い意味でメディアリテラリシーなんて、メディアがおおよそ正しくて、時に誤ったときにそれを正すぐらいの位置付けなら良いのですが、ある特定報道について常に意図的な方向性があるときには非常な徒労感を覚えます。徒労と思うぐらいならやめてしまって、もっと他の事に精力を費やした方が、人生の残り時間が数えられるようになってきているので遥かに有意義と思います。

では「やめちゃうか」になるのですが、大多数の人間がInoue様と同じ見解に達しているのならすぐにもやめます。しかしどう考えてもInoue様と同じ見解に達している人間は少数派で、まだまだマスコミ報道が「紛れもない真実」とそのすべてを鵜呑みする方が多数派だと考えます。ネットを使ったメディアリテラリシーはここ1〜2年で大きく発達しましたが、それでもその意見はまだ小さいと考えざるを得ません。

「沈黙は金、雄弁は銀」であるとは言い古された言葉ですが、メディア相手なら必ずしも真とは言えません。沈黙は了承と受け取られる世界であると考えます。言葉にして反論して初めて反対意見がある事がわかる世界で、黙っていたらそのまま賛成とされる世界なんです。沈黙していても誰もがその真意を理解してくれるとか、真実は自然に分かってもらえるものではないと思っています。

これは何度か書いた話題ですが、マスコミはひょっとすると史上初めて読者からの批評を直接受ける時代を経験していると考えます。もちろん広い意味の読者とすれば、権力者による検閲統制の時代がありましたから、厳密には初めてではありませんが、検閲時代とは異質の監視が行なわれる時代に突入していると考えています。言うまでもなくブログ言論の発達です。

日本が世界有数のブログ大国である事は周知のことですが、ブログの中で少なからぬものがメディアリテラリシーを行ないます。これはブロガーなら分かる事なんですが、よほどのクリエーターや特殊なジャンルに特化していないとネタに詰まるからです。ネタに詰まればメディアからネタを漁ります。漁ると言っても自分の専門外、興味の外の事は取り扱いませんから、自分の得意分野の記事を中心に、自らが持つ知識を駆使してリテラリシーを行ないます。読者もまたそういうエントリーの切り口に興味を覚えます。

とくに特定分野の専門家が本当に興味をもって取り組めば、記事の理解の浅さ、主張している事のトンチンカンさは容易に露呈します。当然ですが、ブロガーはそれに対する分析批評を行ないます。私は医師ですから、医療系の分野では専門外の人よりやや知見があります。それ故に記事のアラについて根拠を持って批評を加えることが出来ます。他の分野でも同様の事が確実に起こりつつあると考えています。

片隅のブログが批評反論したところで、影響力としては微々たる物です。物凄い努力を傾けて分析しても代償があるわけではありません。また努力と言っても誰もが本業がありますし、個人の出来る努力には限りがあります。しかし一人、一人には限界があっても数が集まれば、そこから見える本当の真実は見えると考えます。繰り返し、繰り返し、積み重ねた作業の中から真実は見えてくると考えています。これはブロガー当人だけではなく、コメンテーターもそうかと考えます。

そこでInoue様が到達された結論に達するものは増えてくると思います。ただ今のところは到達したからもう無益な事はしないでは、広がりがでないと考えます。到達した結論を広く知らしめる作業も必要と考えます。もちろん結論に到達したから無益な作業を行なうのは愚かと考える事は間違っていません。これも正論です。ただ私は選択として周知する作業を行なう方をしたいと考えています。賽の河原に石を積むようにも感じますが、当面はこの路線を堅持したいかと考えています。

いつかInoue様が到達された結論が常識となれば、私ももっと違うテーマで物を書きたいと願っています。そうなる日が一日も早く来てくれることを願っています。