福島救急患者搬送新システム「問答無用」

事態の経過をssd様が手際よくまとめておられますので、引用させてもらいながら追いかけてみます。

発端は11/14付福島民放ニュースからです。

事故救急搬送、4病院が8度拒否/福島
2007年11月14日 10時43分

福島市仁井田の県道で11日に起きた交通事故で、亡くなった無職菊田ミツ子さん(79)=同市仁井田字谷地南=を救急車が救急搬送した際、市内の病院で受け入れ先が決まらず、本格的な治療が約1時間も受けられなかったことが13日、分かった。

菊田さんと同居していた知人の男性らによると、菊田さんを搬送した福島消防署の救急車は4病院で合わせて8度にわたり、受け入れを拒まれたという。菊田さんは9度目の依頼先となった市内北沢又の病院に収容されたが、事故から約6時間後に死亡した。各病院が菊田さんを受け入れられなかった理由は分かっていない。

知人男性は事故が起きた午後8時15分ごろ、自宅にいた。約30分後、菊田さんの帰りが遅いことに胸騒ぎを感じて外へ出て、菊田さんが交通事故に巻き込まれたことを知った。

男性が病院に到着した時、菊田さんには意識があり「苦しい。先生、助けてください」と訴えていたという。

毎度毎度の事ですが、拒否と言う言葉に違和感を覚えるのですが、記事的には「たらい回し」の表現を使わなかった点だけは評価しておきましょう。ただし記事の視点はトンチンカンです。事件のキモは、

    交通事故の患者の搬送先探しに手間取った。
手間取らなければ救命できたかどうかの情報はありませんから置いておいて、なぜ手間取ったかが問題になるはずです。これは記事に掲載されています。
    救急車は4病院で合わせて8度にわたり、受け入れを拒まれたという
ここで拒否した理由を不明としていますが、取材の手抜きでしょう。4病院しかないのですから、その気があれば容易のはずです。ここは医療者として明言しておきますが理由は「受け入れ不能」であったと考えてまず間違い無いかと思います。本来なら記事として4病院の受け入れ不能の理由を検証しなければなりませんが、そこの手を抜いたので、まるで病院がさぼっているの印象を振りまく代物になっています。

ここで真に報道しなければならない情報は、交通事故患者が時に受け入れ不能にせざるを得ない、貧弱な医療事情であるはずです。もう一歩進めば、受け入れ不能が起こらない医療体制の充実を訴えなければならないはずなのに、その点については完全にスルーしています。この手の記事の共通の特徴としてよいと考えます。

この事件を受けて11/16付福島民放ニュースが続報を流しています。

救急患者搬送で市外病院とも連携へ/福島
2007年11月16日 10時11分

福島市で11日に起きた交通死亡事故で約1時間にわたり搬送先の病院が決まらなかったことを受け、福島市医師会は近く、迅速な搬送先決定を図るため、同市以外の救急指定病院に対しても患者の受け入れを求める。

同医師会によると、伊達、安達の両医師会を通して県北地方を中心とした救急指定病院の連携を図り、消防本部や消防組合の管内以外の患者への対応を呼び掛けるという。

福島市医師会の対応のニュースです。この事件では搬送が手間取った原因の一つに、

    4病院で合わせて8度
つまり救急隊が搬送先探しに4病院にこだわりすぎた点に問題があると考えられます。もっと広い視野で搬送先を探せば、搬送先探しの時間が短くなった可能性があるとの考え方です。よく行なわれる広域連携の施策です。これを福島市医師会が音頭を取って整備しようとの試みです。方向性としては妥当な考えと思います。病院の収容能力は一朝一夕にはどうしようもないからです。

ここまでは普通の展開です。ところが搬送が約1時間手間取った事が福島県では極度に重視されたようです。福島市医師会が現実的な広域連携を摸索している上でさらにの対策の要求があったようです。さらにと言っても、せめて救急医療センターを新たに作るとか、拠点病院の整備拡張なら、ハコモノ批判はあるにせよ前向きですが、そういうレベルの対策ではありません。

11/21付の朝日新聞からです。

救急患者「断りません」
2007年11月21日

 満床だからと断るのはダメ――。交通事故に遭うなどして症状が重い救急患者を搬送したいと要請された場合、福島市内の救急指定10病院は、受け入れを断らずに診察をする見通しとなった。11日に市内で起きた交通事故で、重傷を負った女性の搬送先が約1時間決まらなかった問題を受け、関係機関が確認した。医療機関も受け入れる方針だが、一方で戸惑いの声も上がっている。


 ◇搬送拒否問題 協議会が対応確認


 市は休日や夜間の救急診療に対応するため、救急指定病院が診療科ごとに輪番制を敷いている。だが11日は、三つの当番病院と県立医大の付属病院が「集中治療室が満床だった」などとして計8回受け入れを拒否。女性(当時79)は当番病院でない病院に搬送され、事故発生から約6時間後に死亡した。


 この問題を受けて「市救急医療病院群輪番制運営協議会」が19日に開かれ、再発防止策として「救急隊員の医療判断を最優先とする」ことを決めた。要請を受けた当番病院がまず患者を診察し、重篤な患者については県立医大病院に搬送することになる。


 協議会会長の有我由紀夫・大原綜合病院院長は「今回1番の大きな問題は『患者を診なかったこと』。満床などと言うのは言い訳にすぎない」と語気を強めた。


 県立医大病院は、救急隊員が「他の病院で診療不可能」と判断した場合、必ず受け入れることを再確認。これまでも交通事故などの外傷患者で重症の場合は必ず受け入れてきたというが、同病院救急科の田勢長一郎部長は「他で診られない重症患者は、必ず受け入れる」と話す。


 だが11日の事故では、女性が受け入れを断られた。田勢部長は「これまで、司令室とのやりとりしかしてこなかった」とし、「現場の救急隊員と直接、医師がやりとりする必要がある」と課題を挙げている。


 一方、当番病院は満床でも診察することになったが、戸惑いの声も上がる。


 ある病院の担当者は「できるかできないかは分からないが、やるしかない」。満床の場合、どこに患者を受け入れるのかも含め、「その場その場で、とても難しい判断を迫られる」と話していた。

ここ数日、狂気の沙汰とも言われている方針です。どんな圧力がどの筋から市救急医療病院群輪番制運営協議会にかかったか、それにどういう人物が踊ったか想像できますが、この圧力をそのまま受け入れています。その一端が協議会会長の言葉に表れています。

    「今回1番の大きな問題は『患者を診なかったこと』。満床などと言うのは言い訳にすぎない」と語気を強めた。
本当に「語気を強めた」かどうかはわかりませんが、他の報道でも同様の発言が確認されていますから、この趣旨の発言があった事は間違いありません。この報道での福島県の救急患者患者搬送新システムは
    救急車 → 問答無用で輪番病院 → 県立医大かその他の医療機関
なんと言っても「満床などと言うのは言い訳にすぎない」とまで言い切ったのですから、輪番救急への搬送は問答無用になります。そうなると福島県医大病院救急科の田勢長一郎部長の発言はやや場違いになります。
    現場の救急隊員と直接、医師がやりとりする必要がある
どうもこれは医師と救急隊員のやり取りをした上で、福島新システムの問答無用基準をクリアすれば、病院がどんな状態にあろうともバンバン搬送されると解釈すれば良さそうです。

システムの上では二次輪番病院で対応不能であれば、福島医大が三次として引き受けるとなっていますが、患者の重症度が二次で対応可能で、なおかつ満床の場合はどうなるかに関心があります。この場合の満床とは空床情報と空室情報で考察した「満床」です。要するに患者の治療のためのマンパワー、医療資材が使い果たされている場合の満床状態です。

いかに協議会会長の有我由紀夫・大原綜合病院院長が

    『患者を診なかったこと』
と語気を強められようが、物理的に無い物は無い状態です。無いところに新たな重症患者を運び込まれたところで、診察する医師もいません。無理やり連れ出せば、抜けた分の穴が確実に生じます。医師以外のスタッフも同様です。とくに時間外や休日では輪番病院と言えども人手は薄く、新たな患者への対応は他の患者の治療に手抜かりが確実に生じます。ましてや重症で手間もヒマもかかるものなら、事態はより深刻化します。

また満床が「状態」ではなく「物理的」であればさらに事態は深刻化します。「状態」であればマンパワーも医療資材もありませんが、ベッドだけはあります。ところが「物理的」であれば患者を寝かせるベッドすらありません。まあ、出そうと思えば外来のソファとか、ストレッチャーとか、診察室のベッドもありますし、その気になれば床に寝かせるのも可能ですが、それこそ震災じゃあるまいしの世界です。

それとこの福島新システムでわからないところは、搬送患者が問答無用レベルであったとき、最初に要請した輪番病院が問答無用に該当するのでしょうか。事件の日の救急システムが記事にあります。

    三つの当番病院と県立医大の付属病院
当然と言えば当然ですが、日によって輪番病院の繁忙状況にムラがあります。A病院は満床でも、B病院は受け入れ可能という事はありえます。ただし搬送が必要になった時点でどの病院が受け入れに余力があるかの情報はわかりません。また余力と言っても患者の重症度、その時の当番医師の能力、病院の設備によって変わります。そういう点での「拒否」や「再考」の余地についての情報がありません。救急隊は任意の輪番病院を選び、医師との交渉で問答無用レベルであることを認めされれば、福島問答無用搬送が発動するのでしょうか。

たとえば救急隊御指名「問答無用」システムなら、

    救急隊が任意の輪番病院を指名 → 医師と問答無用レベルか交渉 → 問答無用で搬送
この場合、患者の疾患に対する病院の得手不得手、その日の当番医の得手不得手は一切考慮されません。ついでに言えば、その病院で可能な検査の有無も考慮されません。さらに言えば、その病院が満床で他に受け入れが可能である病院があることも考慮されません。とりあえず御指名病院病院に搬送され、そこの当番医がその病院で治療可能か、それとも他の病院の方が治療に適しているかを判断し、そこの病院の当番医が次の病院の手配もすべて請け負うシステムになります。

受け入れ能力も勘案する「問答無用」システムなら、

    救急隊がA、B、C、D病院と搬送要請を行なう → すべて満床なら救急隊が任意の病院に問答無用搬送を行なう
基本は問答無用ですから、すべて満床である事がわかった時点で、満床を承知で搬送が行なわれます。ここに福島市医師会が提案した広域搬送の概念は一切存在しない事になります。広域搬送が行なわれるのは、搬送された病院が自らの責任で搬送先病院を見つけ改めて救急搬送が発生することになります。

このシステムのメリットとしては、

  • 今後福島県では救急隊レベルによるいわゆる「たらい回し」は発生しなくなる。
  • 救急搬送時間が短縮される
デメリットは
  • 救急隊レベルであっても治療に適した病院に搬送される可能性が低くなる
  • 満床でも搬送されるために、救急患者だけではなく、既存の入院患者の治療に疎漏が生じる
  • 満床でも搬送されるため、必然として二次搬送が必要となり、結果として有効な治療開始まで長時間化する可能性が生じる
  • 問答無用システムのため、本当に生死に関わる場合、他の病院なら救命の可能性があった事態も生じる
この問題は最初の方にも書いたとおり、根本は救急受け入れ態勢の貧弱さに起因しています。これに対する対策として新規施設の建設や、既存施設の拡充では実は解消しません。ハコモノ対策では受け入れ態勢の貧弱さは解消しない事を知っておいて欲しいと思います。足りなければ作ればよいと考える人は多いでしょうし、その発想自体は基本的には間違っていません。ここでは医師不足で新規施設を作っても医師が集まらないレベルの問題はさておきます。

なぜかというと、新規施設であろうと既存施設であろうと、さらにそれが公立病院であろうと、病院は独立採算としての経営が強力に求められます。これは総務省も、財務省も政策として超強力に打ち出しています。民間病院なら財務省総務省も関係なく必須の事となります。病院経営を黒字にするには、大雑把に言うとほぼ100%の病床運用がまず必要とされます。また満床だけでは必要条件を満たしたに過ぎず、十分条件として短期間での入院が必要となります。

短期間の入院で100%近い病床運用を行なうためには行き当たりバッタリの病床運用では実現できません。予定入院をビッシリ組み上げての運用が必要となります。なんと言っても100%に出来るだけ近い運用を行わない事には、収益を確保できない診療報酬体系に削減されていますから、これを365日こなせる病院が黒字病院となります。また黒字で資金余裕ができれば、その分をさらに投資が可能になり、優秀な医師やその他スタッフを引き寄せる事ができますすし、医療機器の充実を図ることも可能となります。

そういう病院は医師の資質や設備において救急病院に相応しい能力はありますが、救急病院となる上で大きな欠点を抱えています。救急の患者を受け入れる余地が極めて乏しい事です。余地が乏しいぐらい効率よく病床を運用しているがために、予定外の患者を引き受けにくい構造となります。予定外の緊急入院患者は日常診療でも発生しますが、その上で輪番で重症患者を受け入れる余地は最初から乏しいと言う事です。逆に言えば、スカスカの病床運用であれば確実に赤字運用となり、民間病院なら倒産、公立病院なら総務省財務省ににらまれて整理統合の対象となります。

現在の診療報酬体系の前提は病院に病床100%稼動を求めます。それを365日行う事を求めますし、そういう病院しか生き残れないような効率化が政策として推し進められています。普段から100%近い運用を強いられている病院は容易に受け入れ不能となります。マスコミ用語の「たらい回し」の原因の一つに、病院にそこまでの病床利用を診療報酬体系が強いている事も確実にあると考えています。

つまりハコモノを作って施設を造設拡張しようとも、極度の効率化による病床運用を経営上強いられるため、どの施設も救急対応能力は乏しくなるのが今の医療の実情です。救急対応のために余力のある病床運用をしようものなら、病床を遊ばせている分だけ赤字の要因となり、現在の損益分岐点の異常な高さから経営を直撃する仕組みとなっています。ハコモノを作って全体のパイを増やすのは基本的に間違いありませんが、いくら見た目上パイを増やしても、そのパイは救急に回される事なく食い潰され、食い潰さないと病院経営が立ち行かない医療構造があります。

そういう中での問答無用システムは個人的に精神論の極致と感じます。原典が見つからなかったのですが、東条内閣のときの戦意高揚ポスターにこんな感じのスローガンがありました。

    「1+1=200」これが東条首相の算数である。1+1は普通は2であるが、創意工夫を重ねる事により200にする事が出来る。
個人の生活信条としての考え方としては悪くありませんが、これをすべての社会システムに適用するには無理があります。社会システムは純算数ではなく、人間のモチベーションが大きく影響し時に「1+1=2」以上の効果をもたらすことがあります。ただしシステム設計上は「1+1=2」であることを前提として考えるのが鉄則です。プラスアルファについてはあくまでも余禄やオマケであり、より緻密に設計するときには「1+1=2」以下になる事もリスクとして織り込む必要があります。

福島の新システムは設計段階から「1+1=2」以上のものを織り込んでいます。「1+1=200」で暴走した東条内閣がどんな結果を残したかは誰もが知るところかと考えます。