ツーリング日和20(第1話)マナミの夢

 マナミだって夢を持っていた。子ども時代だけどね。アイドルになるとか、スポーツ選手になるとか、デザイナーになるなんてあったんだよ。でもさぁ、小学校ぐらいでもそういう夢は段々と萎んで行ってしまったかな。

 だってさ、歌は上手くないし、運動は人並みも良いところ、絵を描かせても下手っぴなのは嫌でもわからされてしまう。上手いやつはホントに上手いもの。そこでさ、一念発起とか、石の上にも三年みたいなスーパー努力するのもあったかもしれないけど、あははは、トットとあきらめた。

 中学になる頃には、漠然と一流会社に入って、バリバリのキャリアウーマンになるんだぐらいに変わっていた。これももっと単純にはいつの日か社長になって大金持ちになってやるぐらいかな。

 そうなると勉強をバリバリやらないといけないのだけど、勉強も好きじゃなかったんだ。だって面白くないじゃない。テレビも見たいし、マンガだって読みたいし、ゲームだってやりたいのに、それを全部我慢して勉強にひたすら打ち込むってマゾじゃないかと思ったもの。

 そうこうしているうちに人生の最初のフルイ分けがやってきた。それが来るのはさすがに中学生だから意識はあった。あったけど、それが何を意味するかはわかっていなかった気がする。何があったかってか、そんなもの高校受験に決まってる。

 あれってね、どれだけ中学生までに勉強したかのフルイ分けで良いと思うんだ。これは全国どこでも似たようなものだと思うけど、成績順に進学できる高校が綺麗に分けられてしまう。マナミが住んでいたところは中途半端な田舎だったから、私立に行くのは信じられないぐらいの秀才か、救いようのない連中の受け皿って感じだったんだ。

 いわゆる一番手校は旧制中学からの伝統校。全国的には無名だけど、この辺だったらそこの卒業生って言うだけで一目置かれるぐらいの高校だ。この辺は地域差が大きいはずだけど、うちの地元ではどこの大学を出たかより、どこの高校を出たかの方が重く見られるところがあるのよね。

 二番手校は旧制高等女学校からの伝統校らしい。らしいと言うのは一番手校よりガクッと落ちるのよね。どれぐらいの差かだけど、話に聞いただけだけど一番手校はとにかく国公立を目指すらしい。私立なんて、

『行きたければご自由に』

 そんな扱いだとか。でもって二番手校はそこのトップクラスがなんとか関関同立に入れるかどうかって話だった。これも現役では難しく浪人してやっととか、現実には産近甲龍狙えるかどうかとかなんとか。

 マナミだって一番手校はサッサとあきらめたけど、せめて二番手校ぐらいはと思ってたのよ。それでもハードルは高すぎた。そんなレベルじゃなくて辛うじて三番手校に入れたぐらい。

 三番手校はニュータウンが作られて人口急増期があった時に作られた新設校。新しいだけあって校舎は綺麗だったし、設備も悪くなかったと思う。学食もちゃんとあったものね。だけどそこから大学進学を目指すと当たり前だけで二番手校のさらに下になる。

 というかさ、あの頃なら七割以上は高卒就職組だったもの。残りの三割の進学組だって半分ぐらいは専門学校組で、さらに残りの半分の半分は短大組って感じ。正確な数は知らないけどだいたいそんな感じだった。

 わかるかな。高校進学の時点で進学できる大学どころか、大学に進学できるかどうかも決まってしまうのよ。マナミの高校からだって四大に進学するのはいたけど、言うまでもないけど二番手校以下。というか進路実績見ても、

『そんな大学があったっけ?』

 そんなところばっかり。もちろんそこからだって逆転はあり得るよ。いわゆるドラゴン桜の世界だ。そんな世界があの高校に起こるはずもなかったな。ドラゴン桜的な世界は夢ではあるけど、あれはあれで設定に相当な無理があると思ってる。

 勉強ってやっぱり地道な積み重ねであることぐらいはマナミで良くわかった。そりゃ、人の半分とか、下手すりゃ一割ぐらいの勉強で出来ちゃうのもいるかもしれないけど、そういう連中だってちゃんと中学でも成績を残してるってこと。

 マナミの入ったような三番手校に来る連中に共通しているのは、勉強が嫌いというより、遊ぶのを我慢して地道に努力するのが嫌いで良いと思う。だからドラゴン桜なんて起こればビックラ仰天になる理屈だ。

 勉強が出来ると頭が良いのは同じ意味でないって言う人はいる。それだってわかるところはあるけど、勉強に限らず努力できない人は世の中では評価されないぐらいかな。だから高校進学の結果もそれを表しているぐらいの気がする。

 こんな事は社会人になってから思ったことだけど、高校の時はひたすら現実を受け入れてたかな。まず一流会社に入ってバリバリのキャリアウーマンになるのは無理だろうって。だってさ、高校進学の時点で一流大学に入るのは不可能になってるじゃない。

 それ以前にコツコツとか地道に頑張るのは向いてないとあきらめてた。それが出来てたらこんな高校に入ってるはずないじゃない。それより何より、もうやり直しは出来ないし、する気もなかった。

 そうなると人生設計が変わってくる。一発逆転があるとしたら結婚だって。いわゆる玉の輿に乗るだよ。そしたらセレブの仲間入りが出来るだろうし、社長夫人だって夢じゃないもの。これだってその手の小説や、マンガや、ドラマはいくらでも転がってる。

 そういう目で見ればやはり大学に行きたくなった。だって玉の輿に乗るには、玉の輿を用意できる男を見つけ、捕まえないと出来ないじゃない。こんな高校にいるわけないし、高卒で地元に就職したって見つかるはずがないものね。

 そんな男を見つけ、捕まえ、玉の輿に乗るには都会に出ないと始まらない。都会の大学生なってこそ出会いがあるはずなんだ。だから大学進学を頼み込んだんだ。どれだけ親が理解してたかはわからないけど大学進学は認めてくれた。

 大学受験は大変だった。もっともドラゴン桜は起こっていない。マナミがなんとか潜り込めたのは三明大だ。あんな高校から入れるぐらいだから、そういう大学だ。取り柄は神戸市街にあることかな。


 無事大学デビューを果たしたものの、ここでも学歴の壁は厳然としてあった。だってだよ、合コンしたって集まってくるのは、同類クラスの学生ばっかり。それでもコネとツテを駆使して有名大学生が集まる合コンにも顔を出したけど自己紹介の時点でアウトみたいなものだった。

 こんな調子じゃ玉の輿に乗るのも夢のまた夢じゃない。そこでまた方針転換をした。玉の輿でなくても結婚しようって。愛する男と結婚して家庭を持ち、子どもを産み、育て、最後に孫を可愛がりながら人生を終わろうだ。

 最初の夢は小さく小さくなったけど、これだって女の夢だし、女の幸せだろうが。こんな夢を聞いたら噛みついてくるフェミ連中はいるけど、どんな夢を持とうがマナミの自由だ。もっともトドの詰まりが男を捕まえるになったのは御愛嬌だ。

 だけど学生の間は捕まえられなかった。この時点で学生結婚の夢は潰えたことになる。もっとも無理して学生結婚なんてする気はさすがになかったけどね。だから就活に励んだ。ここだって、これまでの積み重ねがモロに出た。

 名の通った一流会社なんてたぶん書類審査で秒殺の門前払い状態だったで良いと思う。でもってなんとか入り込めたのが神戸の小さな会社の事務職だったものね。そんな会社だったから男を捕まえるのがまた難しくなったのもすぐに悟ったぐらい。このままじゃ、行かず後家のお局様になるしかないって覚悟したもの。

 そしたらついに出会いがあった。あれも合コンだったけど、男と連絡先の交換に漕ぎつけ、デートして、ついに交際の申し入れを受けたんだ。これは絶対に手放してはならないと思ったもの。

 相手の男だけど、マナミとドッコイドッコイぐらいの会社員。同い年だ。容姿は・・・あれなら許容範囲内だし、どこをどう見ても男だ。とにかく、ここまで男がどれだけ捕まえにくいかは身に染みて知っていたから次は無いと思い込んでたよ。

 交際はやがて深い関係になり、なんとか同棲まで持ち込むのに成功した。同棲まで来れば次は結婚のはずだけど、ここからがなかなか進んでくれなかった。この辺は経済状態もあったのは間違いない。どっちも安月給だったからね。

 それと男と交際して初めてわかったようなものだけど、交際期間が長くなるのも良し悪しだって。この辺は一人しか知らないから言い切れないけど、長くなれば愛情は深まるとは言い切れないと感じたんだ。はっきり言うと男がマナミに飽きている感触もあったぐらいだった。

 これも一人しか知らないから最後のところはわからないのだけど、恋人関係から結婚に進むには途轍もないエネルギーが必要そうだった。それって交際中に高まった愛情の熱度になりそうだけど、すぐに臨界点に達するカップルとそうでないカップルぐらいはありそうだと思った。

 とは言うものの、もう交際は五年目に突入している。出会ったのが二十四歳の時だからいわゆるアラサーにもなってしまってるじゃない。今さら次を見つけて乗り換えるのは大変過ぎるし、出来る自信もない。


 困ってたら事件が起こったんだ。なんとなんと出来ちゃったんだよ。一応避妊はしてたけど、まあ、出来たって不思議ないかも。その辺は相手の男も心当たりがないとは言えないところで、少なくとも浮気みたいな話にはならなかった。

 そうなるとどうするかだ。どうするかだって、このまま出来ちゃった婚にするか、堕ろすかの二択しかないんだけどね。マナミは頭から産む一択だった。堕ろすのは嫌だったし、出来ちゃった婚だってウェルカムだ。つうかそれをひたすら目指した。

 話合いはひたすら長引いた。当事者の二人だけでなくお互いの両親も巻き込んでの話合いになっていった。でね、そうこうしているうちについについにタイムアウトになってしまったんだ。

 これも妊娠してから知ったようなものだけど、一口に堕ろすと言ってもいつでも出来る訳じゃない。とりあえず母体である女への負担が変わってくる。妊娠十二週、いわゆる三か月までなら、子宮に引っ付いている胎児を吸い出すだけで済むらしい。

 だけどね、この時期に堕ろすのは即座の決断が必要で良さそうだ。妊娠してるかどうかは薬局で売ってる検査で出来るけど、あれで妊娠がわかるのは五週目ぐらいになるそう。これだって常に妊娠を意識していれば五週でわかるかもしれないけど、マナミの場合はもっと遅かった。

 それと検査で妊娠がわかっても即座に堕ろすにはならない。普通は産科を受診して確認するじゃない。これでも仕事があるからすぐに受診できるわけじゃなし、まだ独身の妊娠だから産科を受診するのもハードルがあったか感じかな。

 それでも自分の腹を見てるとヤバイと思って決心して受診したら十二週なんかとっくに過ぎてた。妊娠十二週を越えると胎児ががっちり引っ付きだすから、吸い出せなくなり掻把と言って掻き出すのも必要って説明だった。違いは良くわからなかったけど、それだけ体への負担が大きいぐらいだろう。

 この辺は体への負担だけでなく、女の心理も変わると思う。妊娠が進めば進むほど、いわゆる母性が強くなると思う。我が子って意識として良いよ。マナミはそうなってたもの。我が子を殺したくないって気持ちが強くなってたんだ。

 でもって堕ろせる限界が二十一週だ。堕ろすか堕ろさないかの最終決定権は女にある。当たり前か。どんなに相手の男が望もうとも女が同意しない限り堕ろせないんだよ。二十二週に入った瞬間に男はあきらめたで良いと思う。

 粘り勝ちだ。バタバタあったけど出来ちゃった婚に雪崩れこめた。ささやかだったけど、腹ボテ結婚式も挙げた。後は子どもを産んで、育ててのコースに入るだけだと思ってた。だいぶ小さくなって、変形もしたけどマナミの夢が花開くはずだったんだ。

次回作の紹介

 紹介文としては、

 あれこれ将来に夢見ていたマナミが最後につかんだ夢は平凡な結婚。やっとつかんだと思ったのですが結果は最悪。修羅場の離婚騒動の末にバツイチ。独身に戻ったマナミはツーリング小説に影響されバイク女子を目指します。


 苦心惨憺して小型免許を取り、出かけたツーリング先に出会ったイケメンに心が動きます。ただなんとその相手はマナミをバイク女子にした作者だったのです。


 不思議に好意を持たれツーリングを重ねます。ただマナミにはバツイチ以外にもコンプレックスがテンコモリありました。そんなマナミを後押しする友人のサヤカ。二人の恋の行方はどうなるのか。

 ツーリングのサイドストーリーに恋愛要素があるというより、恋愛小説のサイドストーリーとしてツーリングがあるになっているのは御愛嬌です。

 類型としては容姿にコンプレックスを抱えるヒロインが、自分と釣り合いが取れなさそうな相手に恋するお話です。ありきたりと言うか、恋愛小説に新たな類型を生み出すほどの才能にはまったく恵まれていませんから、そこは安定のテレフォンパンチとあきらめて下さい。

 ツーリング部分はかなりリアルに基づいています。リアルに基づいたがために行動半径が狭くなっていますが、モンキーで動ける範囲の限界です。そうそう、目新しいところに行けるものではないのはご容赦ください。

夢の秘湯の旅

 ツーリング日和シリーズは、一応ツーリング小説のつもりです。で、初期設定として購入予定だったモンキーでツーリングをさせています。納車が20ヵ月もかかったのが予定外でしたが、モンキーですから基本は御近所ツーリングにしようと考えていました。

 出発地も神戸にしていますから、県内ツーリングをさせる予定で、県内なら一泊二日でほぼどこでも行けるはずだぐらいの目論見でした。

 小説ですからお泊りツーリングもさせる気が最初からありましたが、ここで最大の誤算が生じます。お泊りさせるなら秘湯の旅にしようです。あくまでもイメージですが、山の中を走って行ってたどり着く秘湯にツーリングさせてやろうです。

 兵庫県ですが温泉の数は決して少なくないはずです。有名どころなら有馬、城崎、湯村ぐらいは全国的にもメジャーな方のはずです。数だけなら結構な数はあります。ですが秘湯となると・・・困り果ててしまったのです。秘湯の定義はあるようで、ないようなものですが、個人的には、

  1. 開湯伝説があるぐらい由緒がある
  2. 一軒宿とまでいかなくて鄙びている
  3. 行くのが少々ディープである
 行くのがディープと言っても、歩いて一日がかりみたいなところはツーリング小説では使えません。使えないと言うかジャンルが違います。せいぜい道が狭いとか、険しい程度で、あくまでもバイクで行ける前提です。

 そうですね、クルマで行くのは少々大変ぐらいです。クルマよりバイクの方が基本的にそういう道に強いはずですから、そういうところぐらい・・・と思ったら本当に無いのです。

 そりゃ、秘湯って言うぐらいですから、そう簡単に見つからないと言われそうですが、情報社会の物凄さは県内どころか、日本中の温泉の情報を網羅していますし、ユーチューバーブームで、こんなところまでってぐらい体験動画が溢れています。

 それでも県内には殆どどころか、まったくに近いほど見つからず、シリーズの早いうちから県外への長距離ツーリングを目指さざるを得なくなっています。県外への長距離ツーリングはシリーズが長期化すれば必至ではあったのですが、もうちょっと県内ツーリングを重ねてからが本来の目論見でした。

 やっとこさモンキーが手に入ってリアルツーリングになっても基本的に変わりません。私が見つけた範囲で言えば、

  • 播磨・・・武田尾
  • 丹波・・・籠坊
  • 但馬・・・浜坂
 これぐらいでしょうか。ですがどれも秘湯とするには少々無理があります。他にはないかと冬の間にあれこれ探していたのですが、丹波に国領温泉を見つけました。

 国領温泉も由緒がありそうな温泉で、戦前には湯治場として栄え10軒以上も温泉宿があったとか。その最後の生き残りが一軒宿として健在のようです。秘湯の条件はそこまでは満たしているのですがロケーションが・・・

 日帰りで見に行ける範囲なので春のツーリング予定に入れています。今どきはかなりの情報を集められますが、やはり現地に行かないと最後のところはわからないものです。小説ネタに繋がってくれるのを期待しています。

因幡の白兎

 因幡にツーリングに出かける予定を考えた時にムックしたお話です。これは大国主命が白兎を助ける話ですが、これは古事記の記録が最古です。ですが確認すると気になるところがあります。冒頭部のところですがまず原文です。

此大國主神之兄弟、八十神坐。然皆國者、避於大國主神。所以避者、其八十神、各有欲婚稻羽之八上比賣之心、共行稻羽時、於大穴牟遲神負帒、爲從者率往

 これをwikipediaでは田辺聖子氏の現代語訳として、

大穴牟遲神(おおなむぢのかみ=大国主神)は八十神(やそがみ=兄弟)から嫌われていた。八十神は、稲羽の八上比賣(やがみひめ)に求婚したいと思い、稲羽(いなば)に出掛けた時、大穴牟遲神に袋を持たせ、従者のように引き連れた

 イメージとして兄弟神に嫌われていた大国主命は、兄弟神が因幡の八上姫に求婚に行く時の荷物持ちの従者にされていたぐらいで良いかと思います。これはこれで話の筋が通るのですが、問題なのは、

    然皆國者、避於大國主神
 ここの部分を大正から昭和にかけて活躍し、万葉集、古事記の研究で日本学士院賞を受賞された武田祐吉氏は、

しかし國は皆大國主の命にお讓り申しました。

 どうも問題をさらに絞ると『避』の解釈の様で、田辺聖子氏は『避ける』と取り、武田祐吉氏は『避りし』としているで良さそうです。他の読み下しでは『避りき』ともありましたが、『避りし』も『避りき』も『譲る』になるそうなのです。

 どうも武田氏の解釈の方が学会的に大勢の感触がありますが、武田氏の解釈にすると理解が難しくなるのは、

    於大穴牟遲神負帒、爲從者率往
 ここの解釈は大穴牟遲神が袋を負い、従者となったになります。ここなのですが、田辺氏も武田氏も、いやもっと広く、
    大穴牟遲神 = 大国主命
 こうしています。これは基本的に同意なのですが、国を譲られたはずの大国主命がどうして従者になっているのかが出てきます。そこでみたいな解釈ですが、古事記の原文では国を譲られたのは大国主命とし、従者になったのは大穴牟遲神と分けて書いてあります。

 ここも古事記では後段に根の国での大穴牟遲神が須佐之男命から大国主命になるの話が出てはくるのですが、それでもですが国を大国主命に譲った兄弟が八上姫の求婚に向かう話が始まりです。つまりって程の話じゃありませんが時系列的には、

  1. 大国主命の兄弟は国を譲る
  2. 譲った兄弟は八上姫への求婚のために因幡に行く
  3. 大国主命の兄弟の従者が大穴牟遲神である
 古事記にはわざわざ兄弟が国を譲ったのは因幡の八上姫への求婚のためとしています。 だから力業として大国主命と大穴牟遲神は別人と解釈すべきかと考えた次第です。大国主命は出雲王ですが、大穴牟遲神はその息子ぐらいの解釈です。ここはもう一歩進めて、
    出雲王 = 大国主命
 つまり大国主命は出雲王の総称ないし称号じゃなかったかです。そう考えると、話の筋が通りやすくなります。八十神と原文にある兄弟神は現出雲王の兄弟であり、大穴牟遲神は現出雲王の息子ぐらいです。

 大穴牟遲神は叔父さんたちの八上姫への求婚旅行の従者をさせられたぐらいになります。それならあり得るかみたいな感じです。ならばみたいな話をあれこれ展開させたのですが、あまりにも与太話なのでこの辺にさせて頂きます。

二つの因幡街道

 岡山県にモンキーの轍を刻めたので、目指せ次は鳥取県です。兵庫県から鳥取県を目指すには、

  1. 豊岡まで北上して但馬漁火ラインを西に向かう
  2. 和田山まで北上して国道9号を西に
  3. 大原宿から国道372号をさらに北上
  4. 山崎から国道29号を北上して戸倉峠を越える
 高速が走れませんからこの4ルートぐらいが思い浮かびますが、1.~3.は日帰りでは無理です。少なくとも私では無理です。そうなると消去法で戸倉峠越えになります。戸倉峠を越えればとにもかくにも鳥取です。

 戸倉峠を越えて若桜ぐらいまでなら日帰りでたぶん走れるはず。あくまでも机上の計画ですが、波賀までは2回行ったことがありますから、たぶん行けるはずです。

 鳥取と言うか因幡へのルートは冬の間にあれこれ考えてはいたのですが、地図的には隣の県ですが、ひたすら遠いのが実感です。そりゃ、瀬戸内海から日本海まで横断するようなものだからです。

 昔はどうだったかですが、3.のルートを鳥取藩が参勤交代ルートに使い因幡街道として名を遺しています。大原宿で見た本陣が当時の栄華を忍ばせてくれます。

 因幡街道の成立も古すぎて杳としてわからない部分が多々ありますが、どうも美作が令制国として備前から分離した時に、山陽道の飾西宿あたりから津山に向かう美作支道が官道として整備されたからのようです。

 美作道の佐用から北上して鳥取を目指すルートが因幡街道の始まりの様で、平安期の官人がこの道を使い国司に就任した記録が残されています。

 だったら古代から播磨と因幡を繋ぐ街道としてずっと重視されていたかと言うと疑問符が残ります。あくまでも私が調べた範囲ですが、佐用経由の因幡街道は鳥取藩が参勤交代のために再活用した感じがします。

 ならば因幡から播磨に向かうメインルートはどこだったかになりますが、鳥取から若桜に向かい戸倉峠を越えて山崎に向かう国道29号線ルートです。こちらも因幡街道と呼ばれるようです。明治以降の扱いも国道からしてわかりやすくて、

  • 山崎経由の因幡街道・・・国道29号
  • 佐用経由の因幡街道・・・国道372号
 国道29号は明治に最初に国道整備として必要として認められた路線なのです。今は鳥取道が出来たので国道29号も閑散としていますが、かつては鳥取県と兵庫県を結ぶ主要幹線道路として重視されていたはずです。

 山崎経由の因幡街道の成立はそれこそ神代の時代に遡ると考えています。ただ戸倉峠に挑戦するとなると雪が心配ですから、五月に入ってからかな。