ツーリング日和10(第23話)浦河のかつめし

 一夜明けて杉田さんはスタッフと共に帯広空港から松山へ。あれっ、加藤さんは残るの。

「こっちも仕事でっから」

 広尾町まで南下してから国道三三六号をひたすら南に。広尾町って聞いたことがあるな。

「サンタランドやろ」

 そうだった、そうだったノルウェーが認めたとかなんとかのはず。あんまり一般化しなかったよね。

「メジャーな観光地にするのは、どこであっても難しいからな」

 町起こしで観光に目を付けるのは常套手段みたいなものだけど、そうは問屋が卸してくれない現実はある。とくに無理やり系はね。

「そやな。メジャーな観光地はメジャーになるだけの理由があるもんな」

 そんなメジャーなところでさえ栄枯盛衰があるもの。

「軽井沢は生き残ったけど清里は忘れられてもたんちゃうか」

 バブルの時代の清里は、アンノン族が押し寄せた、押しも押されぬメジャーな観光地だったのよね。清里って言うだけで憧れの地の代名詞ぐらいだったもの。それが今では見る影もなくなってしまったもの。

 広尾から左手に海を見ながらのシーサイド・ツーリング。北海道の地名は難しいな。音調津ってなんて読むのかな。

「オシラベツでっせ」

 無理やりだな。この川はえっと、えっと、コイカクシエオシラベ川って寿限無みたいな長い名前じゃない。どう読んでもアイヌ語だけど、

「コイ・カクスで東に向かうになって、オ・シララ・ウン・ペッはオトシラベツの由来でっけど、河口に岩礁のある川って意味になりますわ」

 東向きに流れる川で、河口に岩礁がある川って意味になるのか。

「さすがのユッキーもアイヌ語は弱いな」

 コトリもでしょうが。それとこの音調津から黄金道路になるんだよね。別に金色に光ってる訳じゃなく、とにかく難工事で、

「黄金を敷き詰めてるぐらい工事費用がかかったの意味ですわ」

 戦前に切り開いただけでもそれぐらい費用が必要だったのだけど、戦後に舗装化された時だって、普通の道路の十倍の費用がかかったそう。

「札束道路やな」

 走っているとわかるのだけど、ひっきりなしにトンネルがあるのよね。それぐらい海岸沿いは絶壁続きだってことの裏返しになる。そんなところだから音調津を越えると人家も殆どないもの。

「国道三三六号は東は釧路まで続いてまっけど、二十一世紀の初めまで十勝川を渡船で渡っていたって話ですわ」

 それも人力で川に渡したロープを引っ張ってたって冗談みたいな国道だよ。そこまでして通す必要は本当にあったのかなぁ。まあ、そのお蔭で今はツーリングルートとして楽しめてるんだけど。

 トンネルとか覆い屋みたいなのを幾つ潜ったか数えられなくなったけど、このトンネルは、えりも黄金トンネルか。わかりやすいネーミングだな。

「北海道最長のトンネルですわ」

 なんと四千九百メートルもあるそう。つうかあった。この長いトンネルを抜けると、またトンネルが二個あって、どうもえりも町に入ったみたい。

「黄金トンネルの手前からえりも町やで」

 ここで国道から外れて襟裳岬に。風がかなり強いな。

「砂浜になってるのが百人浜でっせ」

 アイヌ語由来と思ったらそうでなくて、江戸時代に南部藩の御用船がここで難破して百人の犠牲者が打ち上げられたからだそう。ここにはキャンプ場もあるけど、

「心霊スポットとしても有名らしいですわ」

 いよいよ襟裳岬に近づいて来たけど、あれっ、えりも岬観光センターの手前で曲がるのか。この辺も小さな町になってるけど、よくこんなところに住んでるものだ。

「後は歩きや」

 てくてく歩いていくと、

「ここが限界ですわ。観光客用の襟裳岬遊歩道突端より南になりますねん」

 ここにはかつて襟裳神社があったみたいだけど、今は鳥居と石碑が残ってるだけ。まさに荒涼とした岬の先端だよ。そうわたしは・・・

「時間もあらへんから、以下略や。最近また長なっとるし」

 言わせてよ。ここにも石碑がるけど、これは豊国丸の海難慰霊碑だね。

「襟裳岬はな・・・」

 道東に海路で向かうには必ず回らなければならないけど、とにかく絶壁続きで目ぼしい避難港が少ないのだそう。さらに風が強い上に、襟裳岬から暗礁が伸びてるから、うっかり近づくと座礁転覆させられるんだって。

「風帆船の航海の難所や」

 汽船でも豊国丸は遭難してるものね。バイクに戻って観光センターで、

「ウンコか」

 オシッコよ。ホテルから襟裳岬までナビなら一時間半ぐらいだけど、加藤さんの撮影が入ったから、もう十時半になる。

「すみまへん」

 気にしない、気にしない。あれはあれで楽しいし、休憩にもなってるから。

「加藤さん、平取までは遠いよな」
「くろべこでっしゃろ。今からやったら一時ぐらいになりますわ」

 お昼の相談みたい。

「他なんか知らんか?」
「かつめしどうでっしゃろ」

 なんだ、なんだ、かつめしってカツ丼のことか。

「おもろそうやな。時刻もエエぐらいやし」
「ほな、かど天へ」

 勝手に決めるな。食べるのはわたしだぞ。

「だったら、どこがエエねん」

 知らないから付いて行く。コトリじゃなく加藤さんの提案だから、

「宗旨替えか」

 残ってるのは加藤さんだもの。一時間程で浦河町に到着。国道から街の方に入るのか。さらに、これって完全に路地じゃない。よくこんなところを知ってるな。さすがは加藤さんだ。コトリとは違う。

「いちいちコトリを引き合いに出すな」

 下駄ばきビルの一角にある居酒屋みたいだけど、ランチもやってるんだな。たしかに元祖かつめしって幟も立ってるよ。さて出てきたのは、かつめしとしか言いようがないな。卵でとじてあればカツ丼だけどそうじゃないし、ソースもかかってないからソースカツ丼でもない。

 丼飯の上にトンカツが乗っかってるからかつめしだろうけど、ご飯の上には刻みノリがちりばめてあるから海苔弁みたいな発想かな。だってカツの上にも青海苔かかってるもの。

「これが・・・」

 浦河町民熱愛グルメでしょ。とにかく食べて評価しないと。

「パクッ」

 へぇ、ソースはかかってるんだ。でもソースカツ丼みたいな、いかにもソースじゃなく、タレみたいな感じかな。これがあっさりしてるけど美味しいよ。なんて言えば良いのだろう、

「罪悪感の無いカツ丼って言われてるらしいで」

 気持ちはわかる。女の子がカツ丼食べると、カツ丼は脂っこいし、それに卵でとじてあるから、ボリュームとカロリーが気になっちゃうのよね。でも、これならすんなり食べられるかも。

「ここからでっけど・・・」

 海岸線を離れて山の中を走るのか。それは構わないけど、何かあるの。

「北海道と言えば」

 そりゃ毛ガニだ。

「それもありまっけど馬でんがな」

 あっ、そうか。この辺は競走馬の飼育が盛んだったんだ。牧場をツーリングで横目で見ながら、

「桜舞馬公園を目指します」

 こんなルート、加藤さんじゃなくちゃ思いつかないよ。コトリだったら馬と聞いたら馬刺しか桜鍋しか思いつかないもの。

「ユッキーもやろが」

 バレてたか。でもこのペース行くと今夜は苫小牧かな。

「すんまへん」

 というかフェリーは、

「小樽です。今回は納沙布岬まで天気に祟られましたやんか。もうちょっと撮らんと北海道に来た意味がなくなりまんねん」

 そうだった、単なる観光じゃないんだものね。元の予定は道北から道東のツーリング動画で、苫小牧から帰る予定だったけど、道北がオジャンみたいになり、

「知床も霧の知床でなんも見えまへん」

 納沙布岬で合流してからは快調みたいだけど、知床抜きの道東だけじゃ寂しすぎるのはわかる。だから道央も含めるのか。まさか函館まで行くつもりとか。

「さすがに無理がありますわ」

 さすがに遠いものね。なるほど、なるほど、だけど。これって、

「定番のベタでっけど、エエとこでっせ」
「舞鶴までマスツー決定やな」

ツーリング日和10(第22話)祝勝会

「ウィナー、アオイ・シノハラ」

 六花が勝った。それにしても面白いものを見せてくれた。まさに白熱の好勝負だった。たった二台だけど六花がウィナーズ・ランをやってるよ。

「行くで、表彰式や」

 表彰って、表彰状でも渡すとか。

「ああクレイエール杯や」

 なんだそれ。ありゃ、いつの間に表彰台をセッティングしてたんだ。杉田さんのスタッフも集まってきてコトリの挨拶だ。

「勝ったのは六花や。杉田さん文句あらへんな」
「完敗です。敗者の条件を受け入れます」

 これで杉田さんと六花のコンビで鈴鹿四耐を走る事になるけど、

「二人が鈴鹿を走るのには条件がある」
「そんな話は聞いてない」

 異論を挟もうとする杉田さんをコトリは睨みつけて黙らせ、

「クレイエールがスポンサーとして全面サポートする。文句は言わせん」

 そこまで手を回していたのか。

「ホテルで六花の祝勝会やるで」

 十勝サーキットから十分ほどのところにあるホテル・アルコ。どうでも良いけどナウマン温泉ってなによ。

「近くにナウマン象記念館があるからやないか」

 二十一室の小さなホテルだけど思いの外に立派だな。あれっ、ここも借り切りにしたの。

「ついでや」

 お風呂はジェットバスやバイブラバス、サウナや露天風呂も備えたモダンな温泉。部屋に戻って、ありゃ衣装まで、

「TPOや」

 このツーリングでイブニング・ドレスになるとは思わなかったな。でもさぁ、スポンサーはやり過ぎじゃないの。

「商売や。元は取る」

 そういうことか。クレイエールでもライディング用品を扱ってるのよ。このツーリングで着ているのもそう。でも後発も良いところだから少々苦戦中。どうしてもブランドが弱いのよね。

 巻き返すには宣伝が必要なんだけど、クレイエール全体からすると片隅の部分だからもう一つ力が入ってないのはある。クレイエールの判断としてはそれもありなんだけど、杉田さんの利用は面白いと思う。

 宣伝は売りたい人、買ってくれる人に焦点を当ててするのがもっとも効率的なんだけど、マスメディアではどうしても拡散しがちになるし、費用もバカにならないのよね。コスパが割りに合わないことが多々あるもの。

 そこを考えるとモトブロガーである杉田さんの番組を見る人は、宣伝相手として最適なんだよ。そりゃバイク好き、バイクを乗ってる人の比率が高いもの。それだけじゃない、そういう宣伝とのコラボはしないのでも杉田さんは有名なんだ。

 ユーチューバーも様々で商品広告を請け負うようなところも多いし、なんとか請け負うと必死なところもいくらでもある。それが出来て一人前なんて評価もあるぐらい。でもあれは、ステマではないけどユーチューバーとして卑屈に見られることも現実としてあるんだよ。

「そこまで考えてたの」
「当たり前やろ。杉田さんの番組は、こうでもせんと宣伝に使わせてくれへん」

 杉田さんの番組でも、四耐企画はかなり注目されてるのはシノブちゃんも調べてくれてる。そりゃ、人気モトブロガーがガチで挑戦するんだもの。

「だからこそ六花は絶対外せんやんか」

 六花は美人ライダーとして有名だものね。美人なだけでなく実力もあるからこそプリンセスとも呼ばれてるぐらいだもの。二人が組んで四耐に出れば話題性も、ビジュアル性も言うことなしの宣伝効果になる。

 そのスポンサーとしてクレイエールがなり、スーツとかを着てもらえれば売り上げは間違いなしだ。知名度だって、ブランド力だって上がらないわけがない。

「杉田さんも頑固やからな」

 四耐企画の予算も最初はかなり少ない見積もりでスタートしたのは加藤さんにも聞いた。だけど六花の出現で杉田さんは本格的なんてものじゃない体制を敷いちゃったんだよね。あんなもの本気になればなるほど青天井みたいなもの。

「杉田さんの番組やんか。いくらでもスポンサーすると言うのが出て来たけど、自力にトコトンこだわって全部お断りにしとってんや」

 加藤さんがボヤいてたものね。番組収益なんて完全に度外視していて、協力してる加藤さんの方がハラハラしっぱなしだって言ってたもの。その四耐企画でさえ、篠原アオイが実は佐野六花だとわかった瞬間から空中分解しそうになり、そうさせないために加藤さんは懸命に走り回っていたんだよ。

「シノブちゃんにも調べてもうたけど・・・」

 あの杉田さんが荒れに荒れて、一時は手の付けようもなかったとか。それをなんとか宥めすかして、北海道ツーリングまで連れ出すところまで漕ぎつけてるんだよ。それでもどうしても六花を許せない杉田さんに途方に暮れて、わたしたちに頭を下げたのが糠平温泉になる。

「加藤さんも漢やで。番組も、実際に会って話しても愉快で軽そうな人に感じてしまうとこがあるけど、ここまでやってくれるのはまずおらんと思うで」

 加藤さんは四耐企画にコラボしてるから、潰れたら困るって言ってた。それも理由だろうけど、あくまでも表向きで杉田さんの事を本気で心配してたんだもの。そうこうしてるうちにパーティの時間になり会場へ。コトリが再び挨拶に立ち、

「クレイエールが全面サポートするからには完走は当たり前、優勝を目指してもらわんと困る。それとスタッフのユニフォームも、マシンのカラーリングもスポンサーに従ってもらうからな」

 会場から不安そうな声で、

「チーム名もですか?」
「アホ言え。Team Sugi-sanを名乗れるのは日本中探しても杉田さんのチームだけや。この名前があるからクレイエールもサポートするんや」

 杉田さんと六花は横並びに座ってるけど、杉田さんの表情は固いな。あれをなんとかしないといけないけど、

「四耐まで日が迫っとる。明日には松山に帰ってもうて最終準備にかかってもらう。杉田さん、それでエエな」
「異論は御座いません」

 やっぱり固いよ。杉田さんが六花を受け入れなかったら、またチームに不協和音が生じちゃうよ。

「杉田さん。あんたも男やろ。思うとこがあるのは知っとるが、そんな根性でチームを引っ張れるか!」

 そうは言ってもさぁ、

「女々しすぎるで。ちゃんと自分の足で立ってるやないか。誰に恥じるとこがあるねん」

 あれっ、なんの話なの。

「自分が思うてるより杉田さんの存在は大きいんや。そやから、これだけのスタッフが集まっとるし、誰一人見捨ててへんやんか。そこんとこ考えんかい、見えへんのか! 答えはレースで見せてもらうからな」

 今日のコトリは月夜野うさぎだ。わたしも如月かすみをやれってサインかな。しかたないか、

「わたしからも一言。サポートするのは遊びや慈善事業ではありません。四耐で注目される事による宣伝効果です。これはビジネスであり、求められるのは結果と知りなさい。それがエレギオン・グループと取引です」

 その後は歓談。テーブルはコトリと杉田さん、六花だけど、

「あのレースでようわかったわ。杉田さんがファクトリーに不合格やったんが」

 でも紙一重だったじゃない。

「差はな。そやけど鋼鉄のような紙一重や。杉田さんならわかるやろ。それ突き破らんと四耐でも勝てんで。四耐だけやない、トップ・モトブロガーの地位かって危ないわ。コトリに出来るのはここまでや。後は自分でなんとかせんとしゃ~ないで」

ツーリング日和(第21話)白熱のレース

 練習走行に杉田さんも六花も入ってるけど、走りながらセッティングとかするのよね。

「チイとはするやろ。あのYZFは鈴鹿スペシャルみたいなセッティングやろうからな」

 加えて、たぶんだけどあの二人は十勝を走った事はないはずなんだ。いくらレーサーでもコースを知らないと走りにくいはず。コースを知るには周回を重ねるしかないし、

「そやけどセッティングを細かくやるにも時間が足りんやろ」

 せいぜいサスの硬さを変えるぐらいじゃないかとコトリは見てる。時間的にはそんなものかな。練習走行が終わったみたいだけど、コイントスやってるのは、

「予選があらへんからグリッド決めや」

 二台しか走らないからどっちもフロントローだけど、内か外を決めるのか。ラップタイムはどれぐらいかな。

「今日はグランプリコースでやるんやけど、十勝でグランプリレースを使ったレースは二十世紀の終りが最後やねん。その時の四時間耐久のコースレコードで二分二十秒ぐらいやけど・・・」

 ちなみに鈴鹿の八耐優勝の平均ラップタイムは二分十五秒ぐらいらしい。

「二人の実力が見れるで」

 シグナルが赤から青に変わってスタート。猛然と加速して1コーナーに突っ込んで行ったけど六花が先行したよ。

「まずは相手の出方を見るやろ」

 レースにも戦術はあるそう。シンプルには先行逃げ切りが追い込みかだよね。

「追い込み言うても、ある程度の距離に付いていかんと話にならん」

 サーキットでレースを見るのは初めてだけど、迫力あるよ。ホームストレートなんて一瞬だもの。もの凄いスピードで走り抜けて、1コーナーを鮮やかにクリアするもの。あんなにバイクを倒すのにも感心する。

 二人とも速いのだけど、ずっと見ているとスタイルが違うのよね。あえて例えると六花はカミソリで切り裂く感じだけど、

「杉田さんは鉈でぶった切る感じやな」

 それとスタートから六花が先行してるのだけど、杉田さんは後ろにピッタリ付けてるのよ。1メートルも離れてないんじゃないのかな。あれだけ接近してるのだから抜けそうなものだけど。

「杉田さんもガチの勝負に出てるわ。ありゃ、六花がたまらんで」

 どういう事かと聞いたら、

「勝負はゴールラインを最後に先に走り抜けたもんが勝つねん」

 当たり前じゃない。

「六花は杉田さんが見られへんねん」

 そりゃそうだけど、

「後ろに付くと言うのはな・・・」

 まずマシンの性能は互角だ。技量もほぼ互角と見ても良さそう。そうなると勝負を分けるのは、

「マシンとタイヤのヘバリかたの差になってくる」

 コトリに言わせるとスタート時点のマシンが最良の状態と見るのだって。レースを続けるとエンジンもタイヤもヘバって来るのか。

「ST600やからエンジンのヘバリかたは小さいと思うけど、あれだけやられたら差になると思うで」

 杉田さんが六花の後ろにピタッと付くとスリップストリームが生じるそう。そうなると杉田さんのエンジンの負担も軽くなるのか。

「それだけやないで」

 ライダーにもクセがあるそう。得意のコーナーとか、逆に苦手なコーナーとか。後ろに付くとそれが全部見れるのか。十分に観察して最後に抜く戦術で良いのかな。

「六花も知ってるから必死やんか」

 そうなのよ。真後ろに付かれないようにしきりにラインを変えてるもの。そんな事をすれば速度は落ちるけど、

「それでも抜かへんのが杉田さんの作戦やろ」

 レースは後半戦に突入。うん、ラップタイムが、

「六花は勝負に出たみたいや」

 振り切る気か。互角のマシンで振り切れるのかな。

「この辺は聞いただけの話やねんけど・・・」

 レース中はどのマシンも全力で走っているように見えるけど、あれもノーマルペースと勝負ペースがあるんだって。勝負ペースで走るのは集中力と体力も必要だけど、

「マシンの消耗も早めることになる」

 ノーマルペースだってマシンの限界に近いとこで走っているようなものだけど、勝負ペースになると限界を超えたとこの理解で良いかもしれない。六花が勝負に出たのは、今のペースのままで終盤を迎えると勝てないとの判断なのか。

「杉田さんは付いていく気やな」

 ここも付いて行かない戦術もあるそう。六花は早めに勝負をかけているから、少々離されても、勝負ペースの反動が必ず来るから、それをあえて待つんだとか。

「一時間勝負やから離されると不利と見たんやろ」

 ラップタイムはどんどん上がってるじゃない。そのせいかジリジリと六花が引き離している様にも見える。でもこれだけペースが上がると、

「それが勝負の分かれ目になりそうや」

 六花は勝負ペースのさらに上のペースに足を踏み入れてると見るのか。そこまでペースを上げると転倒のリスクが高まるよね。

「そういうこっちゃ。そやけど、今の六花のペースのままやったら、杉田さんでも抜くのは容易やない」

 時間が刻々と過ぎていく。残り十五分から十分、五分、二分・・・

「これで最終ラップになる」

 一時は離されかけた杉田さんだけど、またテール・ツー・ノーズまで迫ってる。最終ラップで抜けるのか、それとも六花が逃げ切れるのか。

「勝負は最終コーナーになりそうや」

 杉田さんは六花のアウト側から仕掛けてきた。もう殆ど横並び、ホームストレートの加速勝負だ。ゴールラインを二台が駆け抜け、チェッカーフラッグが振られたけど勝ったのはどちらだ。

ツーリング日和10(第20話)頭文字Dのタイヤ

 頭文字Dの主人公である藤原拓海のあだ名は、

『秋名のハチロク』

 これは秋名山のダウンヒルで無敵の強さを発揮したから。だけど頭文字Dで出てくる峠道で架空の地名は秋名だけなんだよね。

「架空言うけど春から秋に変えただけやけどな」

 秋名山のモデルは榛名山。ダウンヒル・バトルに出て来たスケートセンターは伊香保リンクだし、実際は四連続だけど五連続ヘアピンもある。

「デートに使ったのは榛名湖やもんな」

 背景の描写は写真から起こしたはず。それぐらい正確なんだよ。それでも架空の地名にした理由は、

「拓海の住んでる街に色を付けたくなかったんちゃうか」

 拓海は中学生の頃から豆腐の配達を毎朝やらされるのだけど、その帰り道でドラテクを鍛えたのがバトルロードの舞台になった秋名の下り。

「秋名を下ったとこに広がるのが拓海の住む街になる」

 拓海の住む町は、さして特徴のない地方都市ぐらいの設定だけど、

「榛名を下ったところに広がる街は伊香保温泉や」

 温泉街となると、温泉街の色が出る。街並みとか、人間関係とかね。その色を使うのもありだけど、作者は避けている。でも避ければ榛名じゃなくなるから、架空の秋名にしたのかもね。

 それだったら他の峠道を選んでも良さそうなものだけど、この辺になると作者の榛名への思い入れだとか、インスピレーションとかの話になって来るからわかんないな。もちろん、フィクションだからモデルはあっても、これぐらいの改変をするのは何の問題もないんだけど、

「連載が伸びたんはあるやろな」

 連載漫画は十回契約ぐらいが多いと聞いたことがある。この十回の間に人気が出れば再契約を繰り返し延々と連載は続く仕組み。連載が伸びれば秋名ばっかりでバトルさせている訳にはいかないから、

「峠道も実際のモデルがある方が描きやすいやん。そのたびに架空の地名を付けるのが面倒になったんと、他のとこは連載初期から実際の地名出してたからな」

 そうなのよね。妙義ナイトキッズとか赤城レッドサンズとか。その辺は拓海が住む街の問題もないから実名で良いと判断したぐらいかな。

「やと思うで。あの漫画は夜のシーンが多いから秋名以外で生活感はいらんし」

 話は秋名に戻すけど、秋名の下りの舞台になったのは伊香保榛名道路。もともと有料道路だったのだけど、頭文字Dの連載の頃には無料になってる。その時の料金所跡がスタート地点になる。

「ヤセオネ峠やけど、赤茶けた給水塔も残ってるわ」

 ゴール地点は第一カーブの看板があるところで良いはず。だって漫画の描写そのまんまだもの。ここで拓海は無敵のダウンヒラーの名を欲しいままにするのだけど、

「定番の強豪が現れるんや」

 そう拓海のハチロクでは勝てないようなライバルが出現するのよね。つうか、出現しないと話が盛り上がらないし、進まないものね。この時に拓海が勝てた理由の小道具に使われたのがタイヤだった。

「中里のR32も高橋涼介のFCもそれで負けた事になっとるわ」

 中里も高橋涼介も序盤から中盤にかけてバトルを有利に展開するのよ。テクニックもあるけど、クルマの性能差にかなりどころでない差があるものね。だけど中里も高橋涼介も終盤に入ったところでトラブルを抱えることになる。

「タイヤの消耗や」

 これについても説明はされてた。車体の重量差が一番大きかったかな。だけどさぁ、

「そやねんよな」

 秋名の下りの長さが問題なのよ。あれって七・七キロしかないんだよ。たったそれだけよ。

「中里は貧乏そうやから可能性はあるけど・・・」

 かなりヘタばったタイヤでバトルに臨んだ可能性でしょ。でもさぁ、でもさぁ、中里が挑んだ時点で既に注目の大一番になってたし、ギャラリーもテンコモリ。秋名のハチロクに勝つことで名を挙げようと挑んで来てるじゃない。

「セブンスターリーフとやった時に、対戦相手の末次は恋人にタイヤの無心やってるもんな」

 秋名のハチロクに勝つためにタイヤの新調をしてるのよね。中里が廃棄処分寸前のボロタイヤで挑んでいたとは考えにくいのよね。

「高橋涼介になると絶対新品や」

 高橋涼介の家は裕福を越えてお金持ち。秋名用に専用チューンまでしてるもの。それなのにタイヤだけオンボロってあり得ないもの。なのにだよ、たった七・七キロでグリップ力が深刻なレベルまで落ちるってなんなのよ。

「バトル展開からして五キロぐらいやもんな」

 トラブル発生までの走行時間だけど、平均時速五十キロでも六分ぐらいで、七十キロも出したら四分ぐらいの話なのよね。もし百キロ平均なら三分よ。距離も時間もいくらなんでも短すぎるじゃない。

 タイヤと言えば拓海のハチロクもどうかと思う。拓海は毎日秋名を走ってるのよ。そりゃ、バトルの時ほど激しくないかもしれないけど、あの超絶ドリフトをやってタイヤが消耗しない訳がない。だからと言ってバトルの度にタイヤを履き替えていたら、

「藤原とうふ店の経営に響くやろ」

 バトルだけでなく、日常の配達のタイヤだってそうよ。毎月交換でも痛いだろうし、

「毎週交換なんかやったら破産するんちゃうか。そこまで豆腐配達が儲かるとは思えん」

 だけど拓海は秋名ではタイヤトラブルはなかったはず。つうか、拓海が起こしてしまったら絶対勝てないものね。中里や高橋涼介はどんなタイヤを履いてたになっちゃうのよ。

「漫画やからスリックを履かせてもかまへんねんけど、それやったらそれで高橋涼介の蘊蓄が炸裂するやろ」

 当時だってスリックタイヤの温度管理は重要だったはず。その蘊蓄をあの高橋涼介が話さないはずがないものね。

「それにやで、スリックかっていくらダウンヒルでも五キロはないわ。十勝の一周ぐらいやないか。Qタイヤでも、もうちょっと走るで」

 Qタイヤとは予選専用のもので、グリップを重視する代わりに耐久性に目を瞑ったタイヤのこと。頭文字Dの不思議なところは、バトルの勝負のカギがタイヤマネージメントにある事を強調しながら、タイヤ自体については言及しないのよね。

「そやねん、まるでワンメイクのタイヤでバトルしとるみたいな前提になっとるねん」

 速く走れるタイヤとなれば、スリックみたいなサーキット用のタイヤを誰でも思い浮かべるけど、あのタイヤが能力を発揮できる条件は狭いのよね。

「公道レースやったらラリー用のタイヤやろ」

 ラリーはダートもあるけど、モンテカルロのような舗装路もあり、それぞれに応じたタイヤは開発されてるのよね。さらに言えば、拓海たちがやっているバトルなんか鼻息で吹き飛ばすぐらいの激しい走りをしているとして良いはず。

「そやけど五キロあらへんで」

 世界トップクラスのラリー車だってSSぐらいはタイヤ交換無しで走り抜けるものね。そんなタイヤは当時でもあったはずだもの。

「バリ伝に引っ張られたんやろな」

 バリ伝の後に頭文字Dは描かれてるけど、バリ伝でもタイヤの勝負はあった。だけど、そうなるだけの必然性もちゃんと描いていた。

「鈴鹿が典型的やな。序盤で大きく出遅れたの挽回するために、猛烈な追走劇をやるんやが、追いついた頃にはタイヤが限界みたいな設定や」

 これはわかるのよ。猛烈な追走劇がなくてもレースの終盤になればタイヤは消耗してるだろうって。作者がタイヤマネージメントのエピソードを使いたかったのはわかる。峠のバトルでも長期戦になるものがあったから、そういう時は説得力はあると思う。

「それをたった七・七キロの一発勝負に無理やり持ち込んでもたからな」

 作者はタイヤマネージメントをエピソードに使いながら、タイヤ自体に触れなかった理由はわからない。強いて考えると、タイヤの種類の差まで触れると話が煩雑になると判断したのかもしれない。

「バリ伝はサーキットのレースが主体やからタイヤにあんまり差がない前提に出来るからな。それと当時でも高性能タイヤを使えば圧倒的な差になるからやったかもしれん」

 高性能になるほど高くなるし消耗も早い。高橋涼介なら用意できても、しがない豆腐屋の息子の拓海に、それを買わせ続ける設定に無理があると考えたのかもしれない。

「こんな重箱考えるのも名作やからやろ」

ツーリング日和10(第19話)十勝スピードウェイ

 帯広の豚丼屋から四十分ほどで十勝スピードウェイに到着。

「メインゲートやのうてサウスゲートから入るで」

 メインゲートは入場客用で、サウスゲートは走行車両用みたい。えっと、あのサーキットを走らないんですけど。

「関係者用のゲートや」

 ゲートを通るとトンネルを潜りサーキット内に入ったんだろうな。ここが駐車場だけど、シャッターが並んでるのは倉庫かな。

「あれはピットや」

 なるほど、レースの時はこの駐車場側から競技車両や、整備機材、スタッフが乗り込むわけか。一つだけシャッターが空いてるピットに行くと、

「エレギオンHDの月夜野や。今日は無理言うたな。篠原アオイは来とるか」
「お呼びしましょうか」
「悪いな。頼むは」

 連れて来られたのは六花だ。

「用意は出来たか」
「エエ、いつでも」

 へぇ、上から下までレーシングスーツをビッチリじゃない。でも杉田さん来るのかな。

「来んかったら、それまでの男や」

 待っている間に、六花の気持ちだけ聞いておこう。

「必ず勝ちます。そのために今日まで生きて来ました」

 ちょっと大袈裟だけど、顔は真剣を通り越して悲壮感に溢れてるよ。このレースにかける気迫がヒシヒシと伝わってきて、これ以上話をするのも怖いぐらい。待つこそしばしで、二台のバイクのエンジン音がして杉田さんと加藤さんが到着だ。杉田さんは、

「レースをすると言っても・・・」

 コトリは杉田さんの話を強引に遮り、

「ああレースをしてもらう。マシンは用意してある。六花のは乗って来たやつを使うてもらうが、杉田さんのはこっちや」

 コトリがガレージを開けると、そこにはピットクルーと一台のYZF。これって、

「杉田さんにはTカーを使ってもらう。クルーも文句あらへんやろ」

 クルーのツナギの背中には、

『Team Sugi-san』

 杉田さんのチームだ。

「六花のバイクは朝からレース用に準備はさせとるが、コースは走らせとらへん。十五分後に三十分のフリー走行をやってもらい、十五分の休憩を挟んで一時間の耐久レースや」

 呆気に取られる杉田さんだけど、

「フリー走行も本番もタイヤは1セットですか」
「そうや。本番は給油もなしや。着替えも全部持って来とる。コントロールタワーから観戦させてもらうで」

 そう言い終わるとコトリはすたすたと。後ろにサーキットの幹部がゾロゾロ付いてるけどね。それにしてもいつの間に、

「松見大橋で杉田さんと六花が話した時に決めた。中の川の白樺並木を撮ってる時に手配は頼んどいた」

 ミサキちゃん、御苦労様。お土産代をはずまなきゃ。だってだよ、次の日のサーキットを借り切りするだけじゃなく、杉田さんのスタッフをTカーも一緒に運び込んでるんだもの。

「松山にも帯広にも空港あるからな」

 輸送機と旅客機の手配までやってるんだからよくやるよ。この十勝のコースの特色だけど、とにかくフラットなんだって。

「高低差が十五メートルしかあらへんからな」

 鈴鹿なら五十二メートルだから確かにフラットだ。全長も五千百メートルで、

「鈴鹿の五千八百二十一メートルに次ぐ国内二位や」

 メインストレートは鈴鹿とほぼ同じで、コーナー数は十六個、これも鈴鹿は二十個だ。

「堂々たるサーキットや」

 高低差がないから、メインスタンドの上の方なら全コースが見られるのも特徴だそうだけど、見ようによってはゴーカートのコースにも見えるな。ところで杉田さんはタイヤにこだわったけど、

「そりゃ、レーサーやからな」

 市販のタイヤとレース用のタイヤはまるで違うそう。市販のタイヤだってグリップは重視されるけど、それより全天候に対応できて、なおかつ耐久性も重視されるんだって。そりゃそうだろ、雨の日も走るし、あんまり早くタイヤが擦り減ったら財布が泣くもの。

 レース用のタイヤはサーキットという極めて限られた場所で、レースというこれまた限定された用途に能力を発揮するように作られてるそう。理屈はわかるけど、

「まずやけどタイヤの温度が性能を大きく作用する。タイヤウォーマーなんてものがあるのもそのためや」

 タイヤにもよるそうだけどタイヤウォーマーで八十度ぐらいまで温めて、走行中は六十度ぐらいは必要だそう。だから、あんまりゆっくり走るとタイヤ温度が落ちて性能が落ちるんだって。

「落ちるどころかタイヤが割れてまうこともあるらしい」

 今日使うのはST600レースの指定タイヤだけど、これで公道は走れないんだそう。いわゆるスリックタイヤになるけど、

「ほいでもグリップ力は驚異的に上がるらしいわ。レーサーは膝どころか肘まで擦るけんど、あれは六十五度以上倒した産物らしいで」

 六十五度って、ほとんど横倒しじゃない。どれぐらいグリップ力が上がるかだけど、初めてスリックを履いて走った人は愕然とするレベルだとか。感覚としてタイヤが路面に張り付いてる感じで、普段の走行では考えられないぐらい倒しこんでも不安をまったく覚えないとか。

 その分だけ摩耗も激しくなるのだろうな。でもさぁ、今回なら練習と本番で一時間半じゃない。心配するほど変わるのかなぁ、

「走り方次第やろ。杉田さんも六花との一時間バトルになるとタイヤに不安を感じたんやないか」

 それでもタイヤの条件は同じだから文句は言えないはず。

「そや。そもそも杉田さんのチームは、レース用のタイヤ交換なんかあんまり練習してへんはずやからな」

 四耐はタイヤ交換無しだものね。でね、タイヤにさえチューンがあるのに驚いた。

「ああ空気圧や。低くする方がグリップ力は上がるけど、その代わりにタイヤの傷みが早くなって、バーストの危険性も高くなるらしい」

 いやはや大変なタイヤだよ。走る最高級消しゴムと言われてるのわかる気がする。それでどれぐらい走れるの、

「条件で変わるやろうけど・・・」

 鈴鹿八耐は二百十五周、千二百キロぐらい走るそうだけど、タイヤ交換を八回するから、ワンセット当たり百五十キロぐらいにはなる。

「二百キロぐらいは走れるんちゃうやろか」

 前後ワンセット五万円ぐらいらしいけど、八耐を完走するだけで四十万円かかるとは恐れ入るよ。ちょっと待って、四耐はワンセットでしょ、

「四耐は九十五周ぐらいやから五百五十キロぐらいは走るねん。八耐のタイヤより持ちがエエのやろな」

 それでも六百キロぐらいしか走らないのか。公道で走れないのは性能もあるだろうけど、そんなタイヤを公道で走らせるのは高価すぎるのはあると思うよ。タイヤと言えば、

「頭文字Dやろ。あれは作者がタイヤの話をデフォルメしすぎとる気がするわ」