バイクの発注

 ツーリング日和の執筆が始まったのが2月の末日で、そのかなり前からツーリング関係の動画に嵌っていました。そうしているうちにツーリングがやりたくなり、ツーリングのために新しいバイクが欲しくなった次第です。

 せめて250ccとも考えていた時期もありますが、家の駐輪場の関係で早くに断念しています。理由は簡単で、今のスクーターより20cmも30cmも伸びればターンが不可能の物理的制約です。ターンが出来なければ延々とバックで引っ張り出す必要が生じます。

 そこで目に付いたのがモンキー125で、サイズと言い、スタイルと言い、年齢体力を考えるとちょうど良いと考えたのです。バイクは大きいほど長距離走行に適しますが、その代わりに取り回しに難が生じます。気だけ若くとも実際になるとシンドイだろうの計算もあります。

 次は本当に買うかどうかで、まあ迷いに迷ったのはあります。さらにモデルチェンジで5速化の噂はその頃から出ており、どうせなら新型が出てから考えようと保留にしていました。非力な125ccで4速と5速の差は大きいですからね。

 新型の発表の噂は7月から8月とありましたが、結局のところ9月末です。その間はひたすらツーリング日和シリーズを書いています。コロナ禍でどこにも出かけられないストレスのはけ口になってくれて、想像のロングツーリングをしています。

 でもって9月末に新型が発売され10月の上旬についに決断。バイク屋に発注に出かけたのです。バイクを買い替えたいと言うと、そりゃ、向こうも商売ですからすぐにレスポンスしたのは良かったですが、少々早トチリしたようで、どこかに電話をして、

    今あるのはこれぐらいです
 どういう事かと言えば、コロナの影響でバイク生産もかなりの支障を来しているようなのです。カタログ・ベースにはたくさんありますし、どれでも買えるのは買えるのですが、モノによってはなかなか手に入らないとのことです。

 もう一つ早トチリしたのは、今乗っているのがスクーターですから、買い替えるのもスクーターだと思い込んでおられたのもあります。スクーターなら今ので十分の旨を伝え、欲しい車種をやっと伝えられました。

 車種が決まれば話は早いのですが、早いのは話だけで納車となると五里霧中状態で、さっぱり見通しが立たないのです。そういう状況は2月に欲しくなった頃からあり承知はしていましたが、それでも聞きたいのは人情です。

 年内は論外で、春に手に入れば上出来で、

    来年の夏までにはなんとかなると思いますが・・・
 これもあくまでも希望的観測のようです。そんなバイクが欲しいのですから待つしかありません。来年中か、下手すると来年度中になるかもしれないと覚悟しています。

 そこまで遅くなっている原因はやはりコロナ禍です。パーツの供給が不安定で需要に応える生産が出来ない状況が続いているで良さそうです。とくに電子部品の不足が著しいとかがあるようで、その辺はクルマの生産にも影響が出ていると聞いています。

 もう一つは国内需要の増大のようです。ちょっとしたバイクブームが出ているようです。コロナ禍で、どこに出かけるにも気を使う世の中です。ですがバイクでのツーリングは密が生じにくい点を評価されたようです。

 これはクルマのドライブとのちょっとした差で、人にもよりますが、ツーリングで重きを置かれる楽しみは道中の運転です。これに対しドライブは目的地でなにをするかが重いところがあります。ツーリングにも目的地はありますが、極端な話、そこに何かがあれば良い程度で、さらに言えば、そこが人混みになっているところは嬉しくないところがありあす。

 それとクルマに較べれば安上がりです。これも車種と言うか排気量で大きく変わりますが、バイクの維持費はクルマより割安です。小型なんか桁違いに安いのです。

 どうもその辺のところを評価されたみたいで免許の取得者が増え、バイク需要がメーカーの予想を超えて増大しているぐらいのようです。私もその一人みたいなものですから、気持ちは十分に理解できます。

 つう事で発注はしましたが、手に入るのは忘れそうになるぐらい先になりそうです。ツーリング日和は8作目を書いていますが、これを全部公開しても間に合うか、間に合わないかぐらいになりそうです。新車レビューを書くのなんていつの日か状態なのに笑っています。

ちょっと卑弥呼

 邪馬台国論争は楽しいのですが、簡便にwikipediaより、

  • 時期不明 - 倭国で男性の王の時代が続いた(70-80年間)が、その後に内乱があり(5-6年間)、その後で一人の女子を立てて王とした(卑弥呼の即位)。その女子の名を卑弥呼といい、1000人の侍女たちを使えさせたという。
  • 景初二年(238年)12月 - 卑弥呼、初めて難升米らを魏に派遣。魏から親魏倭王の仮の金印と銅鏡100枚を与えられた。
  • 正始元年(240年) - 帯方郡から魏の使者が倭国を訪れ、詔書、印綬を奉じて倭王に拝受させた。
  • 正始四年(243年)12月 - 倭王は大夫の伊聲耆、掖邪狗ら八人を復遣使として魏に派遣、掖邪狗らは率善中郎将の印綬を受けた。
  • 正始六年(245年) - 難升米に黄幢を授与[2]。
  • 正始八年(247年) - 倭は載斯、烏越らを帯方郡に派遣、狗奴国との戦いを報告した。魏は張政を倭に派遣し、難升米に詔書、黄幢 を授与。
  • 時期不明 - 卑弥呼が死に、墓が作られた。男の王が立つが、国が混乱し互いに誅殺しあい千人余が死んだ。卑弥呼の宗女「壹與」を13歳で王に立てると国中が遂に鎮定した。倭の女王壹與は掖邪狗ら20人に張政の帰還を送らせ、掖邪狗らはそのまま都に向かい男女の生口30人と白珠5000孔、青大句珠2枚、異文の雑錦20匹を貢いだ。

 たいした話ではないのですが、魏志倭人伝には魏の使者が二度邪馬台国を訪れたと記録しています。魏志倭人伝の前半部には帯方郡から邪馬台国への道のりを書いた有名な部分ですが、ここでのポイントは魏の使者は邪馬台国に達している点と見ます。

 つうのは邪馬台国論争では魏の使者が邪馬台国まで行き着いてない仮説まであるからです。他人の事は言えません、私もその説をベースに考えたことがあります。

 とくに正始八年の使者である張政は邪馬台国に行ったものの、そこで歴史的大事件に遭遇しています。そう卑弥呼の死です。卑弥呼の死後は後継者争いが起こり十三歳の壹與女王が立つことでようやく終息したとなっていますが、

壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪拘等二十人 送政等還 因詣臺 獻上男女生口三十人 貢白珠五千孔 青大句珠二枚 異文雑錦二十匹


壱与は倭の大夫、率善中郎将、掖邪拘等二十人を遣わし、政等の還るを送る。因って、臺に詣り、男女生口三十人を献上し、白珠五千孔、青大句珠二枚、異文雜錦二十匹を貢ぐ

 壹與女王が張政を送らせた使節団は大規模であったとしてよく、邪馬台国の新しい女王の即位を魏の皇帝に報告したものと見れます。そりゃ台、すなわち魏の首都まで行っています。

 この時代の魏は英雄曹操の曾孫の曹芳が皇帝になりますが、正始十年に高平陵の変と呼ばれる大政変が起こります。これまた三国志で有名な司馬懿仲達によるクーデターです。ここから司馬氏による晋の時代に舵は大きく取られることになります。

 この時の邪馬台国の使者が会ったのは曹芳でしょうが、あの司馬懿仲達にも会っている可能性もあります。時期的に高平陵の変の前であったか、後になったかは興味深いところです。

 そこはともかく、張政の邪馬台国滞在は長期だったと見て良いかと考えられます。女王卑弥呼が亡くなれば友好国の使者として参列するでしょうし、そこから内乱を経て壹與女王が即位するまで居たことになるからです。

 卑弥呼の墓の記載部分は、

卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人


卑弥呼は死に、冢を大きく作った。直径は百余歩。徇葬者は男女の奴隷、百余人である

 径百歩がどれぐらいですが、魏の一尺が24.1cm、魏の一歩は6尺ですから144.6cmになるので、144.6mになります。これがどれぐらいかですが、神戸の五色塚古墳の後円部が122.5mですから相当な大きさです。

 ホンマに径百歩もあったかどうかの疑問は当然出て来ます。文飾として徇葬者と並ぶ形で『百餘』とした可能性は残るのは残ります。ですがその規模の古墳が古代日本にゴロゴロあるのも私たちは知っています。

 ですが古代日本の巨大古墳時代は少し時代がずれます。それも出現したのは畿内です。一番古いものでなんとか卑弥呼時代と被るぐらいです。

 もう一つですが、卑弥呼時代の都市と言うか国家として吉野ヶ里を見つけています。当時の人口を考えると堂々たる大国家としても良いはずです。ここには1世紀ごろに築かれた北墳丘墓とされるところがあり、当初は首長の墓として作られたが、卑弥呼時代は祖霊を祀る場になったと推測されています。その規模が、

    南北四十メートル、東西二十七メートルの長方形
 これはこれで大きいのですが、張政が見た卑弥呼の墓と較べると小さい気がします。面積にして1/10程度ですからね。それと個人的に注目したいのは、吉野ヶ里にはどうやら、首長が亡くなる度に巨大古墳を作る習慣がなさそうだという点です。

 邪馬台国をどこに比定するかで話は変わる部分があるのですが、魏の使者が松浦半島から博多方面に進んだのは確実そうで、なおかつ邪馬台国の勢力圏です。吉野ヶ里も地理的に同一文化圏に属すると見て良いかと思います。

 ですが古代北九州に巨大古墳が畿内のように次々と作られた形跡は乏しそうに感じてしまいます。九州での巨大古墳は西都原に代表される宮崎(というか古代日向)じゃないでしょうか。

 久しぶりに卑弥呼や邪馬台国に触れた感想です。どこまで行っても邪馬台国はロマンですねぇ。

竜王戦第四局

 将棋界の序列は対局での上座下座になりますが、最高は名人と竜王保持者になります。では名人と竜王が対局したらどうなるかですが、

  1. それ以外のタイトル保持数
  2. タイトル保持数が同じなら賞金獲得額
  3. それも同じなら棋士番号の若い方
 こうなっているそうですから藤井竜王は四冠で、渡辺名人は三冠ですから藤井竜王が上座になります。十代にして藤井竜王は棋界序列1位に就かれたことになります。そうそうタイトル戦ではタイトル保持者が上座ですから、もし藤井竜王が渡辺王将に挑戦したら下座になります。

 ここからの肩書は一昨日のものにしますが、注目の竜王戦第四局は藤井三冠が中盤から例の藤井曲線を描き始めていました。藤井曲線とはAI評価が緩やかに優位となる事ですが、藤井三冠は優位に立つとほぼ必ず優位を広げ勝ち切ってしまうところから名付けられたはずです。

 ところが終盤に至って事件が起こります。藤井三冠が8七に飛車が成ったところでAI評価が大きく動いたのです。これがAIでも評価のバラツキが大きくて、逆転としたものから、優位がかなり損ねたまでありました。

 見てる方からすればあの局面でどちらが優位なのかはAIでしかわからない訳で、なにがどうなっているのだと言うところです。そこから豊島竜王が5五の桂馬を4三に成って王手をかけ、藤井三冠は同玉と進み、豊島竜王は5五に桂馬を打ち王手をかけます。

 それを藤井三冠が角で取るになります。取らなければ豊島王座の勝ちになるそうです。優位に立った豊島竜王の次の一手が注目されたのですが、角を取り返す5五銀が有力視されていました。その前の5五桂からこの展開は予想されていた部分があり、5五銀で詰めろになり、勝ち筋に入ると見られていたからです。

 ですが豊島竜王は長考に入ります。当初は勝ちの確認とも見られましたが、これが99分の大長考になります。豊島竜王がなにを考えていたかは本人に聞かないとわかりませんが、大盤解説は大長考の間に大変なものを見つけ出したように感じました。

 大盤解説も5五銀を前提に考えていましたが、5六桂からの藤井三冠の攻撃により豊島竜王の玉が詰んでしまう可能性です。おそらく解説を担当した棋士もAI評価に引きづられている部分は大きくて、

    あれ、あれ、あれれれ・・・
 こんな反応でした。藤井三冠の攻め筋は変化も多く複雑で、どこかに抜け穴があるのではないかと探し回っていたとして良さそうです。そりゃAI評価は豊島竜王優位だからです。

 5五銀で藤井三冠には詰めろがかかっていますから、詰め切れなければ豊島竜王が勝つはずで、それをAIは読み切っているはずだの先入観がありますから、それはどこにあるのだぐらいです。

 豊島竜王の大長考も、5五銀では自玉に詰みが生じてしまったのを気づいたからのものではないかと見て良さそうです。

 翌日になりソフトをフル回転させての検証がアップされましたが、結論的には5五銀では勝てないとしているようです。そうなれば2七竜の時点で藤井三冠が勝っていたことになってしまうのですが、なぜにAIは豊島竜王優位をあそこで示したかの疑問が出て来ます。

 ある解説ではAIをもってしても5四桂からの変化を読み切れなかったからではないかとしていますが、だからAI越えと単純に結論して良いかどうかは私程度ではわかりもしません。

 わかっているのはAIも8七竜から豊島竜王の5五桂打ちまで最善手とするのは一致しているようで、その次の同角も桂馬を取らないと藤井三冠の玉は詰みます。豊島竜王も同銀では勝てないと結論して3五に桂馬を打って王手にしますが、現在の評価は敗着です。

 少しだけ引いて考えたいのですが、この一局の問題点は藤井三冠の8七竜の評価がなぜにAIであそこまで低評価だったかになりそうな気がします。以下、AI最善手で進んでも豊島竜王が勝てないのです。いや、本当は勝つ手がどこかにあったのか。

 最高峰の現代将棋の奥深さを見させて頂いたような一局でした。

ワクチンパスポート

 ワクチンの効果についてあれこれ議論はありますが、ワクチンパスポートの話(国内向けも含めて)は出ています。これも今後のコロナの流行に左右されるのですが、先々を考えると持てない時のデメリットが懸念されるところです。

 このパスポートですがマイナカードの連携が方針のようです。これもどうなるかは不透明な部分が大きくて話だけで終わるかもしれませんが、マイナカードの普及も狙っているならゴリゴリやる可能性は残ります。

 マイナカードについても、あれこれ考えるところもありますが、取得しておくだけならさしてデメリットもないだろうと判断して取りに行きました。

 役所のHPを読むとコロナでの密を避けるために予約云々が書いてありましたが、とりあえず行ってみると待ち時間ゼロで受け付けてくれました。ちなみに私が手続している間も一人訪れただけでした。

 手続きは、とにかく住所と名前と電話番号ひたすら書類に書かされました。まあハンコが不要になった分だけマシになったのかもしれません。もちろん持って行きましたけどね。とにかくお役所相手の手続きですから。

 手続きと書類の作成が終わると、一式を封筒に入れてくれて、自分で投函してくれでした。それに何の意味があるのだろうと思いましたが、そういう手続きになっているとしか言いようがありませんから、ポストまで行って投函です。

 次に気になるのはマイナカードが届く時期ですが、おおよそ1か月半程度と説明されました。運転免許の即日交付と較べるのは良くないかもしれませんが、時間がかかるものだと感じた次第です。

 ですが目的はワクチンパスポート取得です。このシステムが本当に動き出すにはそれぐらいはかかりそうですから、なんとか間に合うんじゃないかと皮算用しています。

 たいした話ではないのですが、もしマイナカードをまだ持っておらず、ワクチンパスポートを取得しないとあれこれ不便が生じそうと考える人の参考になればと思います。たとえば12月ぐらいにワクチンパスポートが実用化されて、あわててマイナカードを取りに行っても、年内には手に入れるのが難しい可能性があるぐらいです。

 後から思ったのですが、マイナカードとワクチンパスポートを一体化させるのは良いとしても、これを利用するにはカードリーダーの普及が必要な訳です。でもって、これを購入するのは店舗なりになるかと考えられます。国が配布してくれるとは思えないからです。

 わざわざ購入するからには、購入費用を上回るメリットがあるところに限定される訳で、カードの普及以上にネックの気もしています。ワクチン接種の証明だけなら接種記録書の画像だけでも良い気もしています。

 そりゃ、偽造の可能性を完全排除したいと考えればマイナカード利用は良いでしょうが、国内の利用のためだけならそれぐらいは目を瞑れる問題と思ったりもしています。まあ、GoToなんたらの利用資格ぐらいには使われるのかもしれません。

 どうなるかはわかりませんが、マイナカードは申請してもすぐには手に入らないのを経験したお話でした。

選挙観測報道雑感

 その前の自民党総裁選報道も合わせてのものです。選挙情勢なんて個人では周囲の人に聞く以外は、かつてはマスコミ報道しかありませんでした。つうか周囲の人もマスコミ報道の多大な影響を受けていました。ところが現在はネット情報もあります。

 ネット情報は御存じの通り、それはもうの玉石混交の代物で、その全体像を把握するのは不可能です。たとえばSNSにしても、自分好みの意見に引っ張られるのは誰しもあるからです。

 マスコミ報道にはシナリオ、それも下手すると全社統一シナリオみたいなものがまるでありそうと感じておられる方が多いのではないでしょうか。私もその一人です。総裁選の時のシナリオは河野氏が勝つで良いと感じました。

 一方でネットでは河野氏の政治姿勢の曖昧さに疑問を投げかけるものが多くありました。マスコミがまるで決定打のように報じた小石河連合についてもそうです。ついでに言えば高市氏への支持の強さです。

 これは答え合わせが出来るものなので結果を待っていました。私が見ているネット情報が正しいのか、マスコミ情報が正しいのかです。

 結果はご存じの通り第1回投票で過半数は無理でも1位は鉄板だと見られていた河野氏は、接戦であったとは言え2位になり決選投票で敗れ去っています。


 今度は総選挙です。これは立民が勝つです。小選挙区制の特徴で政権交代も夢でないぐらいでしょうか。ここでも立共連合の成立をまるで決定打のように報じていました。総選挙前の立民は109議席でしたが、130議席程度になるのは最低ラインみたいな観測があったとか、なかったとか。

 一方でネットは立共連合に冷淡でした。とはいえ与党への支持が熱かったわけでもありません。私が受けた印象では、立共連合への野合批判が中心だったと見ています。

 これも結果が注目されたのですが、自民党はやはり議席を減らしています。前回が勝ち過ぎたのもあるでしょうが、コロナ禍、さらにコロナ下の五輪と誰が担当していても批判しか起こらない難題に直面していましたから増えたら仰天ものです。

 ですが17議席を減らしたとはいえ261議席です。この議席数の意味は、17ある常任委員会の委員長をすべて独占し、なおかつ委員数でも過半数を占めるものになり、

    絶対安定多数
 こう呼ばれる議席数になります。これって、議席数だけで言えば現与党の政治を国民は肯定している結果としても良いはずです。

 一方の立共連合ですが、立民が13議席減の96議席、共産が2議席減の10議席。立共連合の成果で言えば121議席あったのが106議席になり、総選挙前の立民より小さくなっています。

 自民の17議席減より絶対数では下回りますが、与党を自公連合としてみれば14議席減です。立民だけで130議席の夢に踊っておられましたから、素直に負けたで良いかと存じます。

 まあ昭和の時代から左翼を標榜する政党の議席数は100~150議席だったかと記憶しています。それを考えても、今回は底に落ち込むほどの大惨敗としても過言ではないと考えております。


 マスコミへの様々な批判がありますが、個人的にはマスコミの大きな武器であった世論調査の信用度にヒビが入ったと考えています。ネット前は世論がどうなっているかはマスコミ調査しかありませんでしたから、

    ああこうなっているのか
 これを参考に世論に従うか逆らうかの立ち位置を考えていました。これは世論調査ぐらいはそれなりに真面目にやっているだろうの暗黙の了解があったからです。その信用の裏付けの一つが選挙での出口調査です。

 自民党総裁選はコップの中の争いでしたからまだしも、総選挙の出口調査の結果とのあれだけの乖離は無残過ぎるでしょう。ここにさらにが付きます。これまでの出口調査の精度は高かったのがあります。あれだけ高かったのに、今回の総選挙はなぜにあれほど凋落したかです。

 私の意見としては、こういう調査にまでシナリオを持ち込んだ結果ではないかと見ています。シナリオは選挙特番にまで及んでおり、おそらく立共連合大勝で書かれていたはずです。それに相応しいMCを呼び与党の凋落を囃したてるです。

 ところが蓋を開けてみると立共連合が惨敗です。シナリオが狂ったのでスタジオはお通夜状態になり、狂乱の醜態をさらしたMCまで出る始末です。

 結果から私はそう見ています。そして出口調査にまでシナリオを持ち込んで失った信用の回復は難しいのじゃないかと予測しています。