シノブの恋:決勝

    「コトリ、どう見る」
    「エエ勝負やで。シノブちゃんも神崎愛梨もまだ余裕残しとるから、三十秒台の勝負は確実やな」

 コトリも神崎愛梨とメイウインドには驚いてる。ユッキーと無理してテンペート買っといて良かったわ。あん時はルナを馬の話に引きずり込んで、

    『馬術に使うんやったら、やっぱりハノーバが一番やな』
    『なにを仰いますか。セルフランセこそ世界一』

 こうやってフランス至上主義者のルナを挑発してテンペートを紹介させ、ユッキーと二人がかりで口説き落としたんや。ルナがどんだけ渋ったか。これは内緒やけど、最後にフランス大統領まで動かしたんや。

    「シノブちゃんに良く合ってるね」
    「そりゃ、リル・ガルやで」
 リル・ガルとは大きな風、嵐の意味もあるけど、四座の女神の愛馬の一頭。あの馬はホンマに気性が荒くて、コトリでさえ乗りこなすのに往生したぐらいや。それが四座の女神が乗るとピタッと納まるんよね。ありゃ、相性としか言いようがあらへん。

 あの頃のエレギオン騎馬隊は悍馬を珍重しとってん。馬が小さいから気性の荒さで補おうぐらいかな。そやけど悍馬を乗りこなすのは大変やってんよ。振り落とされて大怪我した奴は仰山おったわ。そんな中で四座の女神の乗りこなし術は卓越しとった。リル・ガルでさえ四座の女神にかかると猫みたいに大人しくなったぐらいやねん。

 テンペートはリル・ガルに較べたら遥かに大人しいけど、馬術用にしたらチト荒い方や。その点を突きまくってルナにウンと言わせたようなもんやけど。もっともあれぐらいの荒さなんてシノブちゃんには感じもせんやろけどな。

    「でもシノブちゃんは全開の感じになってないね」
    「そこら辺が勝負の鍵になるやろけど、このコースじゃ難しいやろ」
 エレギオン馬術の訓練は馬場での障害飛越より、今ならクロスカントリー。それもホンマのクロスカントリーで、道なき道を突破する感じや。それが実戦で求められる馬術やからな。

 四座の女神の馬術の真骨頂は豪快さ。荒馬を自由自在に操り、どんな悪路でも平地を行くように駆け抜ける姿はエレギオン馬術の神髄とまで言われたんや。あれが甦ってくれたら誰にも負けへんはず。

 そうやねん。本気の四座の女神のスピードはあんなもんやないんよ。あの上の加速があってこそのものやねん。まだ上品に乗り過ぎてる。とは言うものの、あんな狭いとこじゃ、あれ以上の加速は難しいやろな。

 先攻は神崎愛梨か。これが現代馬術のワールド・クラスやと思う。上手いもんや。華麗さと力強さを併せ持っとるわ。ジャンプは高いし、中間疾走もスピードを殺さんようにしとる。メイウインドも噂に上がるぐらいの馬なんもようわかる。

    『三五・六六秒』

 会場も大歓声や。三十秒台は予想しとったけど、後半やなく半ばで来るとは、さすがは今度のオリンピックのメダル候補の実力やろな。

    「シノブちゃんならだいじょうぶよね」
    「五分の勝負やな」

 シノブちゃんも気合入っとるわ。このコースも四回目やから、スピードの乗りがちゃうわ。シノブちゃんの飛越は軽やかやとは言えんけど、豪快そのもの。だんだん昔の感覚が戻って来てるんや。もうちょっと、もうちょっとやねんけど。

    『三五・六六秒』

 えっ、なんやて同タイムやないか。

    「コトリ、こんなことって」
    「珍しいな」
 百分の一秒まで計測して同タイムなんか滅多にあらへんで。会場も興奮の坩堝や。


 えっ、同タイムだって。勝ったと思ったけど、足りなかったみたい。次は負けない。審判長が出てきて、

    「同点、同タイムにより十分後にジャンプ・オフを行う」

 休憩時間はここの慣例により対戦相手と同席。

    「さすがは夢前さんとテンペートね」
    「神崎さんとメイウインドこそ」

 ここで意外な提案が。決勝の前に二人の恋をデュエロの条件にしてたんだけど、

    「ジャンプ・オフですが、本来のコースでやりませんか」
    「本来とは森のコースも含めるってことですね。でもジャンプ・オフは同じ条件でやるはず」
    「原則はね。ただしデュエロとなれば対戦者の意志で変えられます」

 あれだけフェアにこだわった神崎愛梨がなぜ、

    「夢前さん、同じ条件なら私が有利だからです。あなたの走りは障害飛越のものじゃない。クロスカントリーのものです。その代り、このコースは私もメイウインドも良く知っている。これで五分です」

 ここまでフェアにこだわるのか。

    「わかった。それでやりましょう」

 神崎愛梨とシノブは審判席に、

    「ジャンプ・オフを元のコースでやるだって。そんなことは・・・」
    「審判長、これは会長杯であり、デュエロです」
    「デュ、デュエロか・・・ならば拒否できない」

 審判長は係員に指示を下し、

    「ジャンプ・オフは対戦者がこれをデュエロとしており、両者の合意により森のコースを含むものに変更します」

 コースは馬場内の通常の障害を飛び越えた後に、森のコースに入るんだけど、これが約三キロメートル。その間に二十の各種障害が設けられており、再び馬場内のゴールに飛び込むことになる。

    「夢前さん、デュエロの結果は対戦者の誇りに懸けて守るものになっています」
    「わかった」
 シノブは神崎愛梨に勝ちたい。恋の勝負だけじゃなく、騎手としての神崎愛梨とメイウインドに勝ちたい。もう余計なことは考えない、思いっきり集中してこのレースに臨む。

シノブの恋:二回戦・三回戦

 二回戦は先攻の八位の山科選手がバーを落としてくれたからラクな展開になり、ゆっくり目に回って軽く勝利。神崎愛梨も七位の本田選手を圧倒して三回戦に進出。この会長杯のトーナメント方式は、予選に当たる一回戦こそ時間をかけて行うものの、二回戦からは、ほぼ連戦になってくるのが特徴。馬の耐久力も問われるぐらいで良さそう。

 二回戦が終わって、短い休憩の後に神崎愛梨の三回戦。相手はアジア大会代表の松本選手。先攻は松本選手だったけど、目の覚めるような快走を見せたんだよ。松本選手の実力は団体戦の時に知ってたつもりだけど、自馬になると一段と凄みを増し、

    『四三・五一秒』
 ここまでの最高記録で、シノブの予選タイムを上回ってた。そうそう、会長杯の二回戦からはトーナメント方式なんだけど、一回戦の上位選手が後攻に回るシステムになってるんだよね。

 先攻と後攻のどちらが有利かは微妙なところがあるけど、先攻の選手がシノブの二回戦の時のようにミスしてくれたら後攻はラクになるとは思うけど、神崎愛梨の三回戦のように先攻が良いタイムを出すとプレッシャーが逆にかかるかもしれない。

    『対戦者、神崎愛梨、馬はメイウインド、甲陵倶楽部所属』

 スタートの合図がかかると神崎愛梨はスピードに乗って第一障害へ。一回戦、二回戦の時とは明らかにスピードが違う。高く舞い、鮮やかに着地すると、見事な方向転換。見る見るうちに全障害をクリアして。

    『四〇・七三秒』
 でもシノブには見えた気がする。あれだけ走らせても神崎愛梨とメイウインドには余力がある。あれでも全力でないはず。決勝で会いまみえれば三〇秒台勝負になるのは確実だわ。

 その前にシノブの三回戦。相手は栗岡選手。団体戦の時と同じ組み合わせ。馬場に向かう途中で小林社長が、

    「勝てば決勝でっせ」
    「社長、金杯で乾杯しましょ」

 栗岡選手も気合が入ってた。団体戦の貸与馬では苦戦してたけど自馬となると違うはず。ここのトーナメントの特徴だそうだけど対戦前に相手選手と話をする時間が作ってあるのよね。

    「今日は前のようには参りませんよ」
    「お手並み拝見させて頂きます」

 栗岡選手も団体戦の時のリベンジに燃えてるのはよくわかる。競技が始まるとさすがの切れ味。次々に障害をクリアしていく。今日は絶好調みたい。

    『四二・一一秒』

 松本選手も上回る時計を叩き出した。シノブはテンペートの耳元で、

    「ちょっと気合入れるね」

 こうささやくと、

    『わかってる』
 こんな感じの反応が伝わってきた。そしてスタート。まずは第一障害でオクサー。これは一番低くて一四〇センチで小手試しってところ。そこから右に進路を変えて一五五センチの垂直。

 ここからグルッと左に回り込んで、百五十センチのオクサー。ここから直進して垂直のダブル・コンビで二個目が百六十センチ。ここから進路を左に変えて一五〇センチのオクサー。

 第四障害のダブル・コンビから第五障害、第六障害の一七〇の垂直、さらに第七障害のオクサーまでは障害間の距離が長いからタイムを稼ぎたいところ。テンペートは快調に飛ばしてくれてる。

 第十二障害のオクサーを越えると最終障害がトリプル・コンビ。高さはいずれも一七〇センチで、最初が垂直、次が幅一八〇センチのオクサー、三つ目が幅二メートルのオクサー。これを飛び終えるとフィニッシュ。

    『四十・九七秒』
 勝った。これで決勝だ。テンペート、よくやった。会場にもハイレベルの戦いにどよめきが。もう三回走ったからシノブはもちろんだけど、テンペートもコースも馬場の様子も覚え込んでくれてる。

 でもこれは神崎愛梨とメイウインドも同じのはず。そして決勝は神崎愛梨が先攻。ここまでシノブとテンペートの走りを見てるから、全力で時計を縮めにかかってくるはず。でもシノブとテンペートは負けないよ。かならず勝ってやる。

シノブの恋:一回戦

 まずは予選みたいな一回戦。八人の中に残らないと話にならないのだけど、さすがにレベル高いわ。それに馬も立派。コースが短くなった関係で規定時間は五十八秒になってるけど、団体戦にも出場していた松本さん、栗岡さん、白田さんは次々と減点無しでクリア。

 出走順だけど、まずは甲陵倶楽部側の選手が倶楽部内予選の下位選手から出走。神崎愛梨が甲陵側の最後だけど、メイウインドはさすがに群を抜いてる感じ。観客席からもどよめきが出てる。

 神崎愛梨の走りはビデオで見てたけど、実際に見るとそれ以上なんだ。まさに舞うように障害を次々とクリア。高さも飛距離とも余裕で、まさに華麗の一言に尽きそう。タイムも、

    『四九・八七秒』
 ただ一人五十秒を切る快走。でもシノブの見る限り限界一杯の走りではなく、かなりの余力を残してるはず。

 甲陵倶楽部側が終わると招待選手だけど、苦戦してる。そりゃそうよね、あれは大障害Aさえ超えるグランプリ仕様。誰も減点無しではクリアできないどころか、完走できたのも一人だけ。ベスト・エイトには入れなかった。

    『二十番、結崎忍、北六甲クラブ所属、馬はテンペート』
 シノブが登場した時にもちょっとしたどよめきが。小林社長の手腕はさすがで、仕上がりはまさに完璧。スタートしたけど物凄く軽い感じ。障害が低く見えるもの。その時に不思議な風景がシノブの脳裏をかすめたの。

 あれは野原、いや演習場の訓練場。障害を飛び越す訓練をしてる。あんな障害飛び越えてたんだ。その瞬間にスイッチが入った気がした。そうだ、エレギオンの馬術は実戦馬術、天然の障害を瞬時に高さと幅を見抜いて飛び越して行くんだ。

 シノブはあの時の感覚でテンペートを走らせた。いや、テンペートはシノブの心がわかったように走ってくれてる。シノブはコースの指示を出すだけ。馬術は馬を操るのではなく、人馬を一体化して走らせることよ。

    『四七・七七秒』

 やった一位だ。でもまだ抑えてるよ。テンペートの力はこんなものじゃない。本当の勝負はトーナメント戦だ。これで一回戦は終了。シノブが一位、神崎愛梨が二位。トーナメントの組み合わせは一回戦の順位で決まるから、順当に勝ち上がれば決勝は神崎愛梨とのデュエロになる。馬場から出ると小林社長が、

    「シノブさん、やった、やった」

 もう泣き出しそうなぐらいの顔。ここで午前の部は終了し小林社長にテンペートを預けてランチに。

    「やったなシノブちゃん」
    「エエ走りやったで」

 倶楽部のレストランを使っても良かったんだけど、ユッキー社長がお弁当を作ってくれてました。

    「次の二回戦は問題ないやろうけど、順当に行けば三回戦は四位の栗岡さんや」
    「ミスさえなければ大丈夫と思うけど」
    「今日はミスは出ないと思います」
    「そんな感じやけど、油断せんと行こう」

 そうやって盛り上がってるところに、

    「さすがね。馬も申し分はないわ」

 神崎愛梨です。

    「もう夢前さんと呼んでイイわね。決勝で会うのを楽しみにしてるわ」

 それからユッキー社長とコトリ先輩の方に向き直り、

    「小山社長、月夜野副社長、お久しぶりです。エレギオンHDの四女神は歳を取らないの噂が本当なのが良くわかります」
    「十年ぶりかしら」
    「正会員ですからレストランを使われたら宜しかったのに」
    「青空の下のお弁当も美味しいよ」

 神崎愛梨は知っていたんだ。

    「それと馬を楽しまれるなら甲陵倶楽部を利用されれば良かったと存じます」
    「馬を買うほどの趣味じゃないからね」
    「テンペートは」
    「そこそこでしょ」

 神崎愛梨はふふっと笑い、

    「テンペートがそこそことは、よく仰います。あれこそフランスの至宝とされる名馬の中の名馬。セルフランセの血統強化のために、どんなにカネを積まれても国外流出はあり得ないとされてたものです」
    「よくご存じね」
    「テンペートが日本に売られたと聞いてどれほど驚いた事か」

 そこまで凄い馬だったから、引退しているルナまで動員されたんだ。どれほどの工作をされたか考えただけで怖いぐらい。ひょっとしたらフランス大統領に会ったのも、その一環だったかも。

    「もっとも買われたのが小山社長ならわかります。小山社長が言葉にされて、実現しない事はないのは有名過ぎるお話です」
    「そうでもないわ」

 ユッキー社長はお弁当をパクパクと食べながら、

    「あなたもいかが」
    「いえ、もう頂いております」

 神崎愛梨はシノブの方に再び向き直り、

    「テンペートは名馬だけど、私のメイウインドも負けないわ。デュエロの条件を話しておきたいんだけど」
    「神崎さんが決勝まで上がって来られれば聞きましょう」
    「言うわね。決勝で会うのを楽しみにしてる」

 そう言って去って行っちゃいました。

    「神崎愛梨も変わったね」
    「そやな、エエ女になっとるで」
    「シノブちゃんも頑張らないと」
 確かに見ると聞くでは大違い。ワガママじゃなくてプライドの塊みたいなものじゃない。それに近寄りがたいほどの気品とあの凛とした態度。ちょっと見とれちゃったよ。そういう意味でのお姫様だとやっとわかった。

 それとあの口ぶりからするとテンペートをユッキー社長が買ったのを知った上で会長杯に招待したに違いない。だからデュエロは受ける。負ければ退くけど、勝てば奪いに行く。恋とはそんなもの。シノブもエレギオンの女神だよ。テンペートがいる四座の女神が負けるものか。

シノブの恋:愛梨のプライド

 会場は甲陵倶楽部。シノブは初めて来るけど、こりゃ立派。広大な森の中にあるようなものだものね。案内された厩舎も北六甲クラブとは大違い。馬は小林社長に頼んでシノブはコースの下見。

 障害馬術と言うよりクロスカントリーに近いぐらいの距離がある。そうなのよ、箱庭の障害を飛ぶと言うより、森の中に設定されたコースを駆け巡る感じ。馬場でのコースと森の中のコースが組み合わされてる感じと言えば良いのかな。

 距離も長いのだけど、森の中のコースは起伏に富んでいて、小川を飛び越えたり、水濠があったり。障害の高さ、大きさも半端じゃないのよこれが、だって馬場の障害だけで通常の大障害と同じだもの・・・こりゃ難度高いわ。

    「どうシノブちゃん」
    「手強そうです」

 事件は騎手ミーティングの時に起こったのよね。外部からの招待騎手もいるからルール確認だったんだけど、最後に、

    「なにか質問は?」

 こう審判長が言った途端に、

    「コース設定がフェアじゃありません。作り直すべきです」
    「どういうことかね、神崎君」

 あれが神崎愛梨か。実物を見るのは初めて。それにしてもコース設定のどこに問題が、

    「森のコースは普段の練習用の設定と殆ど同じじゃありませんか。倶楽部会員だけの競技会ならともかく、招待選手には明らかに不利かと」

 なるほど。倶楽部所属の騎手とっては普段の練習コースなんだ。

    「いや、同じではない。例えばだが・・・」
    「間違い探しをしているのではありません。これでは甲陵倶楽部会員が明らかに有利になります。そんなアンフェアな条件では参加出来ません」
    「待ってくれ、もうすぐ大会は始まるのだぞ。それに森の周回路を作り替えるとなると手間と時間が必要になる」
    「延期にすれば宜しいかと。強行されるのなら私は参加を取りやめます」

 こりゃ、プライド高いわ。ホームコースだからそれぐらいは有利さがあってもイイようなものだけど、それが許せないとはね。

    「神崎君は参加を取りやめると言うのかね」
    「ええ、このコースで招待選手と戦うのは神崎愛梨のプライドに関わります。言うまでもないですが、甲陵倶楽部の名誉にも関わります」

 神崎愛梨を見直した。お金持ちのワガママお姫様と思ってたけど、なかなかどうして、ここまでのフェア精神があるんだ。女としても強敵だぞ。神崎愛梨の主張に騎手ミーティングの会場はざわついたのだけど審判長は、

    「神崎君の意見はわかったが、招待選手の意見も聞いてみたい」

 順番に聞かれたのだけど、

    「それはホームコースの有利さだから構わない」

 こんな意見だったのよ。シノブも似たような感じ。でも神崎愛梨は納得しなかった。

    「招待選手の方々の紳士及び淑女に相応しい発言に敬意を表します。それでもハンデに相違ありません。どうしても大会を開催されるなら、森の周回コースは中止し、馬場のみに限定すべきかと」
    「その条件なら神崎君は出場してくれるのかね」

 審判長を始めとする役員がしばらく協議した末に、

    「神崎君のよりフェアに戦いたい気持ちを尊重し、コースは変更し、馬場のみの障害飛越にて大会を開催することにする」

 神崎愛梨のフェア精神もビックリしたけど、甲陵倶楽部もなにがなんでも神崎愛梨を出場させたいでイイみたい。そうしたら神崎愛梨がツカツカとシノブのところに歩いてきて、

    「結崎さんとお呼びした方が良いですか」
    「ええ」
    「この大会がトーナメントを重視しているのは御存じですね」
    「かつてはそうだったらしいぐらいは」
    「私は貴女との対戦をデュエロとしています。そのつもりでお願いします」
 それだけ言うと立ち去ってしまっちゃった。そっか、そういう意味か。コトリ先輩ではなくシノブが招待されたのは、そのためか。あれだけフェアにこだわったのも同じ理由として良さそう。

 もう一つ気になったのは、名前の呼び方を確認したこと。あれはシノブが夢前遥であることも知っている以外に考えられないじゃない。そう、夢前遥が誰であるかも知っての上の発言に違いない。

 でもデュエロはイイとしても、シノブが勝ったら神崎愛梨は手を引くとか。たぶん条件としてはそうかもしれないけど、実際のところは違って、負けるとは夢にも思っていないから、シノブに勝つことで完全に手を引かせる目的と見た方が良さそう。

 これはシノブの恋でもあり、女神の恋でもある。シノブが勝っても神崎愛梨が退くとは思えないけど、シノブが負けて退かされるのは許されないよ。なんとしても勝って見せる。


 そうそう、今日の装備はすべてコトリ先輩のプレゼント。

    「さすがに今度は北六甲クラブのレンタルじゃ見栄えが悪いやろ」

 ヘルメット、ブーツ、プロテクターは既製品だったけど、鞍がなんと手作り。コトリ先輩が器用な人なのは良く知ってるけど、皮革製品までとは。

    「まあ革は商売物やから手に入るやんか。そやから鞣すところからせんでもエエのは助かったわ」
    「でもここまで出来るとは」
    「当たり前やろ。エレギオンで鞍作っとってんから」

 なるほどね。使ってみると、お尻の馴染みが全然違う。

    「そうやろ、シノブちゃんの好みはよう知っとるさかい」

 これも聞くと古代エレギオン時代の女神の鞍はコトリ先輩担当だったとか。

    「女神の男の鞍も作っとったで」

 次座の女神の鞍を使えるのは、女神の男の栄誉の一つだったで良いみたい。

    「あんまり栄誉に思い込み過ぎて、仰山死んでもたけどな」
 今は命を懸ける道具じゃないから気楽だと笑ってました。でもこれで装備はバッチリ。神崎愛梨と決戦だ。

シノブの恋:決戦へ

 北六甲クラブの一角に障害コースが設定され練習開始。

    「やはり大障害ですよね」
    「いや、甲陵の会長杯はグランプリ仕様や」
 オクサー障害は二メートルにもなり、高さも一七〇センチになることもあるとか。プライベートの大会にしたら高すぎるのだけど、それぐらい甲陵のレベルは高いってこと。よくそんなところに勝てたって実感してる。

 テンペートの方の仕上がりは順調のようで、さすがは小林社長です。そりゃ、もう、つききりみたいに世話してるものね。

    「大会の時には一〇〇%、いや一二〇%に仕上げとくで」

 それにしても軽く飛べるのよね。野路菊クラブの貸与馬も良かったけど、はっきり言ってモノが違う。ただし神崎愛梨は強敵。出場してる大会のビデオを見たけど、まさに華麗。まるで蝶が舞うように障害をクリアしてる。

    「コトリ先輩、さすがは世界レベルですね」
    「馬もエエけど、腕もたいしたもんや」
    「コトリ先輩なら勝てますか?」
    「どやろ」

 ここでニヤッと笑われて、

    「シノブちゃんが昔の勘をもう少し取り戻したら勝てるで」
    「そんなに乗れたのですか」
    「もちろんや。何年乗ってたと思てるねん」

 そうなんだよな。アングマール戦が始まったのが紀元前一五〇〇年ぐらい。そこからシチリア移住までだから、およそ一五〇〇年。たかだか二十年ぐらいの人とは経験の桁が違うはずだけど、

    「シノブちゃんが走らせると、それこそ疾風の様なものやったんよ。まあ、実戦ではスピードが重要やったしな」

 騎馬隊の攻撃力は強いのだけど、防御力はさほどじゃなかったんだって。当時の飛び道具は弓矢になるけど、これを防ぐために重装歩兵みたいな鎧兜を装着させて楯まで持たせたら、

    「重すぎて走れんようになるやろ」
 この辺はエレギオンの馬が比較的小型だったのもありそう。だから革の鎧程度にしてたそうなんだけど、それじゃあ、矢が貫いちゃうんだよね。そのために、騎馬隊が現れると、とにかく弓隊の集中攻撃が浴びせられたそうなの。

 だから正面突撃となると、敵の攻撃を受ける時間を少しでも短くするために、どれだけ馬を早く走らせるかは重要だったでイイみたい。同時にそれだけの速度で敵陣に突っ込むのも戦術として効果的だったぐらいかな。

    「障害馬術は?」

 コトリ先輩は笑いながら話してくれたけど、騎馬隊の用兵には正面からの突撃もあるんだけど、より有効な方法として奇襲があるんだって。

    「ポピュラーなんは迂回攻撃や」

 騎馬隊の機動力を活かした長距離迂回攻撃だそうだけど、

    「陰険なクソエロ魔王の野郎は読みやがるんよ」

 奇襲は嵌ると絶大な効果があるけど、読まれて対策されてしまうと大損害を蒙るのよね。そこで騎馬隊の迂回路にも工夫と努力が求められたぐらいかな。

    「簡単に言うと、敵が通れんと思うところを通る事や」

 そのために岩を飛び越え、崖を登り下り、池や川を渡るのが必要になったんだって。そのための訓練の一つが今なら障害馬術に近い感じ。

    「馬場でやる障害と言うより、クロスカントリーの方がイメージとして近いわ。前にシノブちゃんが通った、北六甲クラブのアドベンチャー・コースみたいなもんや」

 なるほど、ああいうところを完全武装で通り抜けるのが騎馬隊の奇襲に求められたんだ。ここで気になるのは、

    「シノブの実戦経験は」
    「エレギオン包囲戦では頑張ってもうたけど、ハムノン高原に戦場が移ってからのシノブちゃんのポジションは軍事教練やってん。そういう馬術を騎兵隊に教える仕事。でも今の障害飛越ぐらいやったら、余裕のはずや」

 シノブは首座や三座の女神と共に後方支援がメインだったみたい。

    「前線には」
    「何度かあるよ」
 さてだけど甲陵会長杯は変則の方式で行われるみたい。倶楽部内で先に予備予選があって、そこの上位十六名と特別招待選手四名を加えて行われるのが本選なんだけど、まず全員が走って上位八名に絞られるのが一回戦。

 そこからは八名によるトーナメント方式になるから、優勝するには四回走る必要があるのよね。

    「昔は全部トーナメント制でやってた時期もあったみたいや」
    「一日で」
    「いや、かつては三日ぐらいやったと聞いたことがある」

 そこまでトーナメント方式にこだわった理由ですが、

    「聞いたところでは、タイマンで勝つのを重視していたらしいで」
    「決闘みたいなものですか」
    「そんな空気があったらしい。そやからデュエロとも呼んでるらしい」
 とにかく甘くなさそう。