天使のコトリ:ユッキーの生い立ち

 とりあえず特命課の次の課題はコトリ先輩がなぜに天使になれたか、二代目天使となぜコトリ先輩があれだけ似てられるかです。ミツルと二人で作戦会議です。とびついてキスしちゃいたいのですが、これは仕事だから我慢、我慢。今日は先代天使とユッキーさんのおさらいです。

    「ところでさぁ、大聖歓喜天院家のこと良く知ってたね」
    「社内名簿を調べていた時から気になってたんだ。あれだけ目立つ苗字だからね」
    「たしかに目立つもんね。氏名欄が二行になってるもの」
    「それだけじゃ、ないんだ」
 ミツルの叔母に当たる人が『恵みの教え』教団の熱心な信者で、教団内でも、かなりの地位にいるみたいです。その叔母さんから教主の苗字が大聖歓喜天院って聞いていたのを、京都の時に思い出したそうです。
    「どんな教義なの、カルトじゃないの」
    「明治からの新興宗教だけどカルト的なところはないと思うよ。教義は浄土宗系に近くて、阿弥陀様の代わりに観音様がいるって感じかな。浄土宗系に比べると、死後の救いに加えて、現世利益的な面も濃いぐらいかな」
    「だから分かれたんだ」
    「さすがに歴女、理解が早いね。極楽教はあの世に行った観音様である教祖が、来世の救済を確実にするのを重点に置いたのに対して、恵みの教えは生身の観音様による現世利益にこだわったぐらいかな」
    「教祖の人はうちの会社の天使の先祖みたいな人物だろうから、本当に現世利益もあったんでしょうねぇ」
    「そうだったらしいよ」
 なるほどね。現世利益を軽くした分だけ極楽教は浄土宗系に近くなって、今の繁栄があるのかもしれないわ。一方の恵みの教えは、能力者を確保し損なって、肝心の現世利益が期待出来なくなって今の規模ってところかも。
    「ミツル、恵みの教えの方は大聖歓喜天院家の能力者を失ったことをなんて言ってるの」
    「うん、そこはなかなか教えくれなかったんだ。教団でも教主の家に能力者が伝えられていないのは最高機密扱いらしいんだ」
    「そりゃ、そうかも。生身の観音様と崇めてる人が、そうでないとバレたら事だもんね」
    「そうなんだ。でも、叔母さんはある事件に関わったんで知っていたんだよ。固く口止めされてたから、聞きだすのは大変だったんだ」
    「だからなかなか帰って来なかったんだ」
 ミツルの話によると、分裂した時にとにかく二代目教主を早く立てる必要に迫られたみたいです。その当時は長女が能力者の可能性が高いと判断したのか、たんに長女だからかは不明だそうですが、教祖の長女を二代目の教主に祀り上げたのですが、後で能力者問題が判明して大問題になったそうです。
    「で、どうしたの」
    「能力者を教主の家に取り戻そうとしたんだ」
 能力者の系譜は教祖の三女から、その娘に伝わった後、教祖の三女の息子の娘、つまり大聖歓喜天院由紀子さんに伝わっています。教団の作戦として、由紀子さんの娘の誰かに能力は伝わるはずだから、これを教主家の養女にして取り込もうと考えたみたいです。
    「でもさぁ、モノじゃないんだから、養女にするっていっても、そんなに右から左に話が進むと思えないんだけど」
 教団の取った作戦は周到というより狡猾なものでした。教団関係者の男性に因果を含めて由紀子さんと結婚させ、能力者として産まれた娘を養女に差し出させるというものでした。
    「でもさぁ、でもさぁ、結婚っていっても由紀子さんに気に入ってもらわないといけないし、由紀子さんだって天使なんだから、いったん結婚してしまったら、相手の男性もメロメロになっちゃうんじゃない。それに経緯から教祖の三女の家と、教団の仲も悪いんだし」
 その点は教団側も頭を悩ませたそうですが、教団としてラッキーなことに、由紀子さんが愛した男性は木村一族の人間だったのです。
    「なんなの、木村一族って」
    大聖歓喜天院家は女系で、能力者しか家名を継げないルールなんだ」
    「それは聞いた」
    「当たり前だが家名を継げない娘や息子は入り婿なり、嫁に出されるんだが、そういう受け皿的な一族もいるんだ。平たくいえば親戚だけどね」
    「それって、影の大聖歓喜天院家みたいな感じ?」
    「そう言っても良いかもしれない。ボクの聞いた感じでは、分家筆頭みたいにも思ったけど、見方を変えれば男系の大聖歓喜天院家とも言えるかもしれない」
 木村家は大聖歓喜天院家と違い普通に分家もするので一族って広がりになり、昔から本家に当たる大聖歓喜天院家を支えてきたぐらいの理解で良さそうです。木村一族は『恵みの教え』教団設立にも深く関与し、極楽教が分裂した時にも引き続いて教団の有力者の地位にあったようです。
    「でもさぁ、でもさぁ、でもさぁ、木村の一族って聞いたら由紀子さんも警戒するんじゃない」
 大聖歓喜天院家にとって木村家との因縁は深いですが、木村の姓自体はありふれたものです。それと木村一族の広がりは大きくて、由紀子さんが好きになった人物はたしかに木村一族の端には連なりますが、当時は教団とも木村本家ともかなり縁が薄い関係だったようです。そこに教団は目を付けて、その男を説得したようです。ミツルがいうには説得というより、脅迫とか買収に近かったんじゃないかしていましたが、最終的にその男は教団の提案を受け入れています。
    「で、どうなったの」
    「二人は結婚されて、娘も生まれた」
    「由紀恵さんね」
 結婚自体は天使の魅力に男はメロメロ状態だったそうです。これは娘が出来ても変わらず、何年経っても新婚みたいとまで言われたそうです。幸せいっぱいのカップル状態なのは良かったのですが、男としてはどうしても二人目の子どもが欲しかったそうです。教団との約束で能力者の娘は取られてしまいすし、この時点で娘一人ですから、このままでは一人娘を失うことになるからです。

 ただ由紀子さんの体は華奢で弱かったそうで、由紀恵さんを産んだ時にも大変だったそうです。そして悲劇が起こります。二人目を身ごもった由紀子さんは出産を待たずに母子ともに亡くなってしまったのです。

 由紀子さんは失った男は悲嘆に暮れた余り、精神までおかしくなってしまったのです。おかしくなって迎え入れたのが後妻です。これがハズレも良いところの女なんですが、精神に変調を来してしまった男にとっては唯一無二みたいな存在になってしまいました。

 そうなると由紀恵さんの扱いは酷いものに変わります。継母からの定番のイジメに加えて、実父からも邪魔者扱いみたいにされたぐらいでしょうか。寒風吹きすさぶ中で育った由紀恵さんは氷姫になられてしまったのです。

    「でもさぁ、でもさぁ、でもさぁ、でもさぁ、由紀恵さんって一人娘だから能力者確定みたいなものじゃない。教団が養女として引き取ったら良かったんじゃない」
 精神に変調を来していた男は、仕事も上手くいかず、経済的にも苦しくなっていました。そこに後妻の悪知恵を吹き込まれて、由紀恵さんをダシに経済援助を教団から引き出したのです。教団は一刻も早く由紀恵さんを引き取りたかったみたいですが、最終的には男の了解が必要です。それを上手く人質みたいに使われて、カネを渡さざるをえなくなったとの話です。
    「どれぐらい続いたの」
    「由紀子さんは由紀恵さんが四歳の時に亡くなって、小学校卒業までそんな環境に置かれ続けてる」
 由紀恵さんの能力の発現は非常に早かったと考えられているそうです。通常は早いといっても十代の前半ぐらいだそうですが、由紀恵さんの場合は小学校に上がる頃には出現していたと推測されています。ここまで早いのは異例というか異常だそうです。

 天使の能力は、それが微笑む時には恵みを与えますが、そうではない時には災厄さえもたらします。天使が氷姫になってしまったのですから、由紀恵さんの能力が発達するにつれ、大変なことが起こっていくことになります。

 教団は経理担当者の多額の横領事件があったり、教団幹部のスキャンダル事件が週刊誌を賑わしたりで振り回されます。さらには本殿を始めとする多くの建物を失火で失うまでに至ります。そんな不祥事が続いたため信者が減少を続け、ついには教団存続の危機さえ懸念される状態に追い込まれていきます。

 一番被害が大きかったのは木村一族かもしれません。教団幹部には木村一族の者が多かったので、スキャンダルにも巻き込まれますが、それ以外にも次々と不幸が一族の有力者を襲い、とくに由紀子さんから能力者の娘を取り込む計画に関与していたもので、まともに生き残っているものはいなくなったとされます。

 実父は精神の変調で仕事が上手くいってないとしましたが、それだけでなく勤めていた会社が倒産してしまいます。失業者になった実父は教団からの養育費にだけ頼る生活になるのですが、やがて酒に溺れ、ギャンブルに溺れ、多額の借金を作って由紀恵さんを置いて夜逃げしてしまいます。

    「その夫婦が夜逃げして由紀恵さんはどうなったの」
 取り残された由紀恵さんは警察に保護され、そこから親族に連絡が行われたのですが、母の実家の大聖歓喜天院家は由紀子さんの夫が木村一族であり、教団から養育費を受け取っていることを知った時点で絶縁関係でした。父の実家は父が後妻をもらってからトラブルを山ほど起し、これもまたほぼ絶縁状態でした。

 唯一駈けつけて来たのは父の兄の伯父夫婦。伯父夫婦も弟夫婦のトラブルに散々手を焼かされていましたが、伯父夫婦は由紀恵さんをとても可愛がっていました。伯父夫婦は弟より一回りぐらい年上なのですが、なかなか子どもに恵まれず、やっと出来た子供も生まれつきの難病で早くに亡くしています。そんなこともあって、

    『うちが引き取ります』
 遅れて事情を知った教団関係者が駆けつけた時に伯父夫婦は由紀恵さんの姿を見せ、
    『こうなってしまったのは弟夫婦の責任だから尻拭いは兄の私が取る』
 これまで教団関係者は由紀恵さんの姿をロクロク見せてもらってなかったのですが、由紀恵さんを見て恐怖に震え上がってしまったとされます。何を話しかけても、何をしても氷の無表情。それだけでなくその冷たく怖ろしい目は、睨まれただけで体が震え、足がすくみ、前に立っていることさえ出来なかったとされます。
    『由紀恵がこうなってしまったのは弟夫婦だけの責任ではない。教団の責任でもある。こうなってしまった由紀恵が周囲に災厄しかもたらさないのは、私も木村の一族だから知っている。災厄は私たち夫婦がすべて引きうける。その代り、教団は今後一切関わりを持たないで頂く』
 この時に教団関係者は、教団や木村一族に起っていた災厄はすべて由紀恵さんからのものであるのを悟りました。せめてもの罪滅ぼしに引き続きの養育費の提供を申し出たようですが、伯父夫婦は一切受け付けませんでした。そして由紀恵さんには、
    『恨みがあればすべてこの伯父にぶつけてくれ。な〜に、由紀恵に殺されたって本望だ』
 こう何度も、何度も言い聞かせていたそうです。伯父は温厚な人格者にして教育者、妻は見るからにお人よしの世話好き。かけられる限りの愛情を由紀恵さんに注ぎ続けたそうです。伯父夫婦に引き取られてからも、伯父が大怪我したり、伯母が大きな病気をしたりの災厄は起ったそうですが、年とともに減って行ったそうです。
    「それでどうなったの?」
 小学校の時もそうだったのですがいつも氷の無表情です。そうなればイジメの対象になりかねませんが、由紀恵さんが睨むと誰もが震えあがり、触れることさえ出来なかったそうです。それはただの怖い目ではなく、能力者の怖く冷たい目です。それでも手を出すクラスメートはいたそうですが、それは、それは、大変な目に遭ったそうです。

 これは伯父夫婦に引き取られ中学生になっても怖く冷たい目は変わらなかったそうですが、表情に変化が起こったそうです。氷の無表情だけだったのが、わずかに不機嫌そうな顔を時にするようになったのです。これを見た伯父夫婦は涙を流して喜び合ったとなっています。

    「不機嫌そうな顔がそんなに嬉しかったの」
    「うん、不機嫌な顔になるってことは、それだけ由紀恵さんに感情が戻ってきた証みたいな受け取りようだったみたいだ」
    「そこまで・・・」
 ただ不機嫌そうな表情の時の目はさらに冷たく怖ろしく、これに耐えられる人はいなかったとされます。
    「そして高校生になったのね」
 ミツルの調査は高校時代の由紀恵さんにも及んでいました。県立の名門進学校である明文館なのは知っていますし、その校風というか学校生活の様子は以前に山本先生から聞いたことがあります。まあ、ミツルは初めて聞いたもので、ひたすら『信じられない』を連発していました。

 由紀恵さんが山本先生を高校時代に好きになった話は、コトリ先輩からも聞いています。そういう人を好きになる、愛せるようになるまで由紀恵さんがなれたのは、引き取った伯父夫婦がどれほどの努力を重ねられたかを考えると気が遠くなる思いさえします。由紀恵さんは山本先生とユッキー・カズ坊の漫才をやられていますが、これを知った伯父夫婦は文字通り狂喜乱舞したそうです。

    「伯父夫婦はどうなったの」
    「由紀恵さんは医学部に進学されたのだけど、在学中に相次いで亡くなられている」
    「これも由紀恵さんがもたらした災厄?」
    「そうでないと信じたい」
    「それにしても由紀恵さんの生い立ちって、聞いてるだけで涙が出そうになるね」
    「ボクもここまで大変だったとは思わなかったよ」
    「コトリ先輩しか天使って知らないから、天使だったらもっとハッピーな人生になると思ってた」
 ミツルは由紀恵さんの最後の時の様子も調べていました。本来は医療情報なのですが、由紀恵さんのことは病院でも超が付く特別扱いで、由紀恵さんの話を聞く時にうっかりではないでしょうが、山本先生の話もセットで、つい出てきてしまったようです。というかセットで話さないと由紀恵さんのことを語れない雰囲気だったとミツルは話していました。

 山本先生は交通事故で由紀恵さんの勤務する病院に担ぎ込まれ、患者と主治医として再会したそうです。かなりの重傷だったようで、入院生活は半年にも及んでいます。入院中の二人の関係も興味深いものがありますが、山本先生が退院する頃には恋人同士になっていたようです。

 ここまででわかるのは、由紀恵さんの能力は伯父夫婦に引き取られてから、徐々に封印されていったようです。その封印が解き放たれたのが山本先生の恋人になられてからで良さそうです。

    「シノブ、凄いんだよ。由紀恵さんのお墓参りもさせてもらったんだけど、ただのお墓じゃないんだ」
    「どんなお墓?」
    「立派なお堂になってて、中に由紀恵さんの姿に似せて作られた観世音菩薩像があるんだよ」
    「じゃ、最後に由紀恵さんは観音様になったんだ」
    「病院じゃ、今でも菩薩様として崇め祀られてるよ。病院の屋上にも由紀恵さんの観音像を納めた小さなお堂があって、たくさんの花が飾られてた。そうだそうだ、写真ももらってきたんだ」
 ユッキーさんはこれまで話に何度も聞いていますが、写真を見るのは初めてです。
    「可愛い・・・」
 他に言葉が出てきません。やっぱり、あの時に夢に出て来たのはユッキーさんです。でもこれで、ユッキーさんが亡くなる前に数々の不思議な現象を越し、今なお山本先生の心の中に住み続ける理由もわかった気がします。