ユッキーの死から一年ぐらい経ったけど、カズ君少しだけ元気が出てきたみたい。それだけでなく少し変わったんだ。どう言えば良いんだろう、まるでユッキーみたいな感じなんだ。もちろん最後に会った可愛いユッキーだよ。前からなんでも良く気が付く人だったけど。今はそれが怖いぐらい。こっちの腹の底が見えてるんじゃないかと思うぐらいなんだ。それとね、昔へのこだわりがすっかり消えちゃったの。触れられるのも嫌がってた二人の同棲時代も
-
「あの頃は楽しかったねぇ」
-
「女神様のお体を抱かせて頂いたので帳消し」
カズ君の元気が出て来たのは嬉しいんだけど、みいちゃんにやった事が、あれだけ『後悔しない』と思ってたのにどうにも後味が悪くて、私の方がかなりブルーなんだ。なんかもう自己嫌悪の塊みたいな感じ。坂元に私がやられた事は陰惨すぎる経験なんだけど、あれを他人にも味あわせるのは思い返すほど気分が悪くなってるの。
私が坂元に受けた傷はカズ君のお蔭で回復したと思ってたんだけど、みいちゃんの件で、まだ傷が残ってるとわかっちゃんたんだ。みいちゃんにやったことは、坂元のやり方と一緒だって。最低の男のやり方を私がやっていたと思うと、落ち込んじゃって、落ち込んじゃって。どこまで坂元は私の人生に祟るんだってところなのよ。
-
「カランカラン」
-
「あれ、シオ、元気なさそうやん。そう言うたら、仕事忙しそうやもんな。今日は無理言うてゴメン」
「ううん、そんな事ないよ」
-
「・・・ところで坂元の話、聞いた?」
-
「どんなお話?」
「なんか女性問題でトラブって警察沙汰になってるそうなんや」
-
「ザッとしか聞いてないけど、女を食い物にしてたらしいわ。あの坂元がそんなことしてたなんて、人は変われば変わるもんやな」
-
「どこまでホンマかわからへんし、シオは聞きたくもないと思うから言わへんけど、聞いただけで胸が悪くなってもた」
-
「でもな、坂元は最後の女だけは大事にしていたらしいんや」
-
「どうも同級生らしいんや、誰か心当たりある?」
-
「坂元もこれから大変やと思うけど、アイツは才能があるから立ち直れるって思うんや。ただ、立ち直る時に助けはいると思うねん。その最後の女なんやけどな・・・」
-
「あんまり言うたらあかんのやけど、警察官になったのがおるやんか。アイツに聞いたんやけど、その最後の女は拘留中の坂元に毎日会いに来て、一生懸命励ましてたそうや。全部事情を知っても変わらんそうなんや。そんだけの女がいてくれたら、坂元はなんとかなるんちゃうかな。そういうたら、そいつもチラッと見ただけやから自信がないって言うてたけど、みいちゃんになんとなく似てるって言うてた」
こんな悪い女はカズ君には合わないし、そんな事をする女、いや人間をカズ君が一番嫌うのも知ってます。やはり今日は最悪の日だった、いやあんな悪いことをする女には、今日でなくたっていつか訪れる日なんだと。私ではユッキーの期待に応えられる女では所詮はなかった、カズ君と結ばれようとしたなんて思い上がりも良いところだった。もう消えて二度と近づいたらいけないんだと。カズ君は私の話をじっと聞いていました。
-
「もうカズ君の前には、いてはいけない女だって全部バレちゃった」
-
「シオ、絶対許さんぞ」
-
「その言葉、今すぐ取り消せ」
-
「どこが、おれへんのか言うてみい。坂元との事か」
「穢され尽くされてるんだよ」
「それがどうした」
「売女だったんだよ」
「それがどないしたん言うんや。百人寝ようが、千人寝ようが、風呂入って洗たらしまいや。けったくそ悪い、今すぐ全部取り消せ、今すぐや」
「だって、こんな女じゃ・・・」
「取り消せ言うとるやろ、取り消さへんかったら、たとえシオでもタダでは済まさんぞ」
「みいちゃんを陥れようとしてたんだよ」
-
「シオも辛かったろうな、ボクが悪かった。あの時にもうちょっとシオの助けになってやれたら・・・」
-
「シオ、みいちゃんを坂元に紹介して良かったんや。坂元にとってみいちゃんがいなかったら、なんの希望も残らへんかってんや」
「違うわ、そんなつもりでやってないのよ。坂元の餌食にするためにやってしまったのよ」
「そんなんあの二人は思てへん。きっと今頃シオに感謝してるはずや」
「違う、違う、タマタマそうなっただけやん。私は悪い女なのよ」
「良かれと思った事でも悪い結果になることもある。邪な心でやったことでも良いことになる事もある」
「でも、でも」
「そう思え、シオ、そう思うんや。シオは良いことをしたんや。憎い坂元を助けてやったんや。そんなこと、普通の人間には出来へんことやねん。ボクがそう思えって言うてるんや」
-
「今回シオがやろうとしたことは良くなかった。でも結果は人に幸せをもたらしたんや。坂元は受けるべき罰を受けるのはしゃあない。でも坂元の人生はまだ長い。アイツにも立ち直るチャンスは与えてやるべきやんか」
「うん」
「その最大の手助けをシオはやったんや。それもこの世で一番憎い坂元にやってあげたんや。どう見たって、こんな美談は世界中さがしたってあらへん」
「でも・・・」
「シオが坂元から受けた心の傷がどんだけ深かったんかは、最後のところはボクではわからんかもしれへんけど、坂元から受けた傷が大きすぎたからシオはボクのところに来る前には邪な心で、邪な事をやってたんやろ」
「うん」
「でもシオは落ち切らなかったんや。最後のところで踏みとどまってボクのところに来て立ち直ったんや。坂元はシオの心を弄りつくしたかもしれんが、シオの最後の最後の良心までは手が届かんかったんや。今回のことは坂元への最後の清算やと思え。それも綺麗な清算になったんや。ボクがそう決めたんやから、そう思え。迷わずそう思え。責任ぐらいやったら全部取ったる。ボクの言葉が信じられへんのか」
「うわ〜ん」
-
「シオが来た時に、シオを立ち直らせるのがボクの楽しみやってん。まだそれは続いてると思てる。ちょっと中断もあったけど、ボクは何があってもシオの味方や。坂元の辛い経験は一生残ると思うけど、そんなシオもなんとかするのがボクの仕事なんや。それぐらい頼らんかい、ボクをなんやと思てんねん。舐めとったら承知せえへんからな。ボクを頼れ、信じるんや。なにがあってもシオは見捨てん、ボクが守る」
「私を許してくれるの」
「許すも、許さへんもあるかい。シオはシオや。シオはボクの女神様やんか。でも、一つだけ約束してくれるか」
「うん」
「もうせんといてな」
-
「もうしません。お願い信じて」
「信じるに決まってるやんか。シオの言葉を疑ったりするかい」
-
「・・・ところでな、今日、無理言うて来てもろたんは、ちょっと頼みがあるねん」
-
「シオのところの若いの、いや一番下っ端でエエのやけど、ナンボぐらいするん」
「仕事の依頼料?」
「そうやねん」
「一番下っ端じゃ料金なんて取れへんというか、仕事になんかに出せへんよ」
「じゃ、最低料金は」
-
「さすがに一流は違うわ。やっぱりやめとくわ」
「もうちょっと、聞かせてよ。これじゃ、訳わかんない」
「実は・・・」
-
『ちょっとはダイエットした方がイイよ』
基礎練習から始まるのですが、これが普通は退屈で辛気臭くて脱落者が多い練習になります。ところがカズ君は基礎練習に異常に熱心だったんです。というか基礎練習しかやらないんです。理由を聞いたら、
-
『ダイエットとシェープアップのために行ってるから』
-
『なんかようわからんけど、基礎の発展編だって』
ですが、ああいう道場は昇級とか昇段が目標になるはずです。ところがカズ君はいつまで経っても白帯です。まあカズ君の運動神経については期待してなかったので『そんなもんか』ぐらいに思っていたのですが、ある日にこれ以上はないぐらい憂鬱そうな顔で道場から帰ってきて、
-
『試合に出なあかんことになってもた』
格闘技の試合を会場で見るのは初めてでしたが、凄い迫力。見るからに強そうな人がバシン、バシンて重々しい音を響かせながら戦います。血も飛び散りますし、骨を折った選手もいます。試合の迫力にも圧倒されましたが、ここで戦わされるカズ君が心配で、心配で、こんな大会に参加させた館長さんを恨みました。殺されちゃうとしか思えないのです。カズ君の試合になって、心配のあまり声も出なくなっていました。
試合はまさに圧巻。誰もカズ君の動きについて来れないのです。あんな颯爽としたカズ君を見たのはあれが最初で最後の気がします。決勝の相手は、当時は無名でしたが、今じゃテレビにも出てくる私でも知ってる有名人。あんな強そうで怖そうな人がカズ君の前では子ども扱いでした。
その道場ですが、今でもあるそうで、あの頃よりは大きくなってるそうです。そこのパンフレットやらホームページを作り直したいから、誰か写真の上手な人を探しているそうなんです。ただあの頃よりマシとはいえ、あんまり予算がないのでカズ君にも相談があって、私のところに話が来たってところです。
-
「あの館長さん元気なの」
「うん、元気みたいやで。ほいでも、人が良すぎて経営は相変わらずみたい」
-
『お邪魔させてもらってるだけですので、どうか今後はお気遣いなく』
-
『うちは貧乏やけど、お菓子ぐらいは遠慮せんといて』
-
『シオには言いにくいんやけど、館長さん、好きなお酒もやめてるんや。それだけやなくて、インスタント・ラーメンばっかり食べてはる。昨日もお菓子の事と道場の経営問題で長いこと話してたんや』
-
『お菓子で道場潰して、どうするんですか』
-
『いくら師匠と言えども、お菓子の事はあきらめてもらう』
-
『弟子が師匠に逆らう気か』
-
『お願いだから、私のお菓子で喧嘩しないで』
-
『お菓子やねんけど、次を洋菓子にするか和菓子にするかで昨日は決着つかへんかってん』
お菓子だけではなく、あの二人が組んでのコントで何回も私は騙されています。二人とも生真面目な顔で深刻そうにやるもんですから、毎度毎度コロッと騙されるんです。そういえば、私が見学に行くから、見学している私目当てに入門者が増えたって話は、コントかどうか今も良くわかりません。とにかくあの二人の話はどこまでが本当か、どこからがフカシなのか境目がわからなくて。でも涙が出るほど懐かしい時代です。
-
「な〜んだ、それやったら私が撮ってあげる」
「あかんて、シオなんかが撮ったら、あの道場が破産してまうやんか」
「大袈裟な。あの館長さんのためやん。カズ君もお世話になったんだから、ささやかな御恩返しよ。ついでに写真集にしてあげようよ」
「で、ナンボ」
「あはは、ロハでイイよ」
-
「でもね、もう一つだけ条件があるの」
「なんでも言うて、シオの無料サービスの代わりやから一つでも、二つでもエエよ」
「試合に出て欲しいの」
-
「それやったらOKや。最後の試合に出るのも頼まれてるから」
「やったぁ」
「でもな、長いことやってないから期待せんといてね」
「負けたら正規の倍の料金を請求するわよ」
「それは堪忍してえな」
「じゃ、頑張って」
「参ったな」