ツーリング日和(第29話)思わぬ関り

 男のキャンプの集大成として作り上げたのは、

 ・スペアリブの甘辛煮込み
 ・小エビのシーザーサラダ
 ・アヒージョ
 ・トマトクリームペンネ

 あとはお肉を炭火でガッツリだ。我ながらこれだけ良く作れたものだ。

「これ、目先を変えてライダーズ飯に出来ないかな」
「無理ありすぎるわ」

 番組の収録も終わり、焚き火を囲んで加藤と談笑。

「謎のバイクやねんけど」

 加藤もこだわってるな。オレもそうだが、

「マツダの技術者に聞いたんやけど・・・」

 技術者と言っても既に退職しているそうだが、マツダでも最後にロータリー・エンジン開発に関わっていた世代になるようで、九十歳に手が届くとか。

「ロータリーは失われた技術やと言うてたわ。そやけど、もしそれを復活させる力があるのはマツダだけやと」

 そうだろうな。

「そやけどマツダでさえ難しいとしてた。もし今でも可能性があるとしたら科技研やとしとった」

 科技研って、あの世界最高峰の研究所か。あそこは基礎から応用まで様々な分野の研究を行っているが、ガソリンエンジンの研究なんて聞いたこと無いぞ。

「そうやねんけど、気になって調べてみたんよ。そしたらな・・・」

 科技研のメインの研究分野にガソリンエンジンはやっぱりなかったそうだ。そりゃ、そうだろう。科技研のレベルは高いが、あくまでも企業の研究所だし、エレギオン・グループが必要とする技術開発が中心になるはずだ。今どき、役にも立たないロータリー開発に資金をかけるとは考えられない。

「その通りやねんけど、やっているらしい」
「変わり者の科学者が密かにやっているとかか」
「近いが違う」

 科技研も一つの企業であり、福利厚生のためにサークル活動があるそうだ。それはあっても不思議無いが、

「キャンプ用品探した時にアコンカグアのやつに驚いたやろ」

 あれは驚いた。あそこまでコンパクトになるのが信じられないぐらいだった。あれがあったこそ、ここまでの男のキャンプが出来たぐらいだ。アコンカグアのキャンプ用品は大ヒットで、キャンプ・ブームをさらに煽ったとか。

「あれも開発したんは科技研や」

 えっ、あんなものを科技研が!

「そう思うやろ。あれは科技研のキャンプ・サークルが作ったもんやそうや。それでやな、科技研にもバイク好きが集まるライダーズ・クラブがある」

 ここも基本は二輪好きが集まってツーリングを楽しむサークルだそうだが、ロータリーと何の関りが、

「まさかライダーズ・クラブが」

 加藤は科技研のライダーズ・クラブの情報を集めていたようだ。活動の中心はツーリングもあるがカスタム化もあり、

「バイク好きの世界はそんなに広くないやんか。科技研のライダーズ・クラブのメンバーと親しいやつが大阪におってんよ」

 科技研は夢洲にあるから、ツーリング先で親しくなってもおかしくないか。

「まさかロータリーを作っていたのか」
「その、まさかや。息抜きの遊びらしいが、メンバーがメンバーやんか。工作機械とか、コンピュターとか、最先端の素材も科技研ならいくらでも転がっとる」

 科学者が研究の合間の遊び心で作りあげたと言うのか。それだったら、

「そういうこっちゃ、マルチ・アクティブ・セッティング・システムかて科技研やったら夢物語やない」
「あの信じられない軽量化もな」

 だがだぞ、それでも作り上げてしまうのにどれほどの資金が必要なんだ。

「それも聞いたそうや。誰からとは言えないそうだが、青天井で良いから作ってくれとの依頼が入ったそうや」

 青天井って・・・

「杉田、あのバイクの謎はこれ以上は追わん方がエエ」
「どういう意味だ」
「わからんか。科技研にそんな事を依頼できる人間なんてこの世にどんだけおるんや」

 たしかに。科技研のセキュリティは厳しくて、一般人どころかマスコミ取材も一切受け付けないのは有名だ。たとえば科技研のライダーズ・クラブのメンバーと知り合いぐらいでは、あんなバイクを作れるように依頼なんて出来るはずもない。

「それと乗ってたんは若い女性やろ」
「チラッと見ただけだが、二十代の前半ぐらいだ」

 加藤が呟くように、

「科技研に謎のバイクの制作を依頼でき、予算は青天井と言える若い女性なんて、一体誰かや」
「そんなのはいない・・・待て、まさか、その若い女性って」

 加藤が何を言いたいのか、やっとわかった。

「オレも謎のバイクの正体がわかったら、メシのタネになると思たんや。杉田も一緒やろ。そやけど相手が悪すぎる」
「女神は逆らう者を決して許さない。逆ら者の末路は悲惨ってやつだな」

 それぐらいはオレだって聞いたことがある。

「それなら、石鎚の時も、小浜の時も振り切られてラッキーだったのか」
「そうかもしれん。下手に関わっとったら、社会的に抹殺喰らったかもしれん」

 たどりついた果てがまさかエレギオンの女神だなんて。彼女らこそ現代に生きるミステリーみたいな存在だ。神戸のアパレル・メーカーであったクレイエールを世界一とも言われるエレギオン・グループに育て上げただけでも驚異なのに、

「そうや、エランの宇宙船が神戸に来たら、エラン語で交渉をまとめ上げ、世界の指導者を尻に敷いてしもたぐらいや」

 それは誰でも知っている。話に聞く限り、女神はひたすら美しく、賢く、

「怖ろしいや」

 これも本当の恐ろしさは誰も知らないとまで言われている。だがオレたちのような末端のジャーナリストでも常識なのは、

『エレギオンには手を出すな』

 これも都市伝説みたいなものだが、エレギオンの女神の謎に迫ろうとしたジャーナリストは、いつしか姿を消してしまうとされているぐらいだ。

「謎のバイクは」
「命が惜しかったら終わりやな」

ツーリング日和(第28話)番組収録

 加藤と晩御飯を食べ、オレの家で荷造りの最終チェックを済ませ松山観光港に、

「出航が九時五十五分って、なんでこんな半端やねん」

 オレも妙だった。松山・小倉フェリーは一日一便だけだ。どうして十時にしないだろう。なにか事情があるだろうが、乗船手続きを済ませ船内に。

「二等はここか」
「高校の時の宿泊訓練を思い出すな」

 あれよりマシだが、布団を並べての雑魚寝か。まあ空いてるから気楽だけどな。加藤の寝つきはいつもながら感心する。もう寝てやがる。とにかく五時下船だし、長距離ツーリングとキャンプ撮影が待ってるから早く寝よう。暗いうちに加藤に起こされて、

「暗いな」
「高速走るから心配あらへん」

 小倉北ICから北九州都市高速から九州縦貫自動車だ。まだ夜も開けてないからがら空きで快適だし、走っているうちに夜も明けてきて、ますます快調だ。

「益城まで二時間かからんな」
「とばしすぎて捕まるなよ」

 益城熊本空港ICで降りて、

「腹ごしらえといくか」

 さすがに朝が早すぎてSAのレストランは開いてなかったから、この辺でと思ったが開いてないどころか、喫茶店一つ見つからない。

「奥阿蘇まで行ってからにしよ」

 途中で撮影を挟みながらケニーロードを爽快に走り抜けて行った。レースも好きだがツーリングも良いよな。風を感じて走るのは最高だし、バイク好きならたまらない道だ。今回の番組の目玉だから念入り目に撮って。

「杉田、あの店、開いとるで」
「やっとメシにありつける」

 腹を満たしたら県道十一号から上色見で曲がった。一度走ってみたかった道だ。

「結構なワインディングだな」
「カメっ」

 バリ伝だな。グンが秀吉と峠で出会ってバトルした時に秀吉が提案したのがウサギとカメ。いわゆる先行・後追い形式だ。そこでヒデヨシがコーナーに突っ込む時に必ずカメと叫べと言ったんだ。だったらオレも、

「カメっ」

 バリ伝の頃はインカムなどなかったはずだから、フルフェイスのメット被って叫んでも意味ないなんて言ってたが、今日は違うぞ。カメもグンはバカみたいと付き合っていたが、途中から『必殺のカメ』とか呼ぶようになってたっけ。バイクは阿蘇市を抜けて大観峰展望所まで登り、そこから西へ。

「これがマゼノミステリーロードやな」
「加藤が謎の失踪をするかもしれんぞ」

 目指すは押戸石の丘。この辺は見ての通りの草原だが、その丘に謎の巨石群がある。おっとここだな、

「加藤、右に入るぞ」
「了解」

 こりゃ、細いな。クルマでも上がれるそうだがキツイだろうな。おっと見えてきた。ちゃんと案内所があるんだな。料金を払うとパンフレットの説明とコンパスを貸してくれて、

「この押戸石の周囲を回ってもらえるとパワーをもらえます」

 それにしても気持ちの良いところだ。阿蘇ぐらいじゃないと日本じゃこんな風景は見れないかもしれないな。

「あれか」
「そうだろう」

 丘の頂上に近づくと石が見えてきた。まず最初に目に付いたのがはさみ石。夏至にはこの間から太陽が昇り、冬至には沈むそうだ。加藤が間を通ろうとしたが、

「うそつきは挟まれて通れないともなってるぞ」

 加藤じゃ無理だ。腹が出過ぎだ。祭壇石もあったが、

「飛鳥の酒舟石とはだいぶちゃうな」
「時代が違うのだろ」

 次の石には聖牛、蛇神となっているが、

「杉田、これが牛か」
「その下のが蛇みたいだな」

 たしかにそういう形に見えなくもないが、シュメール文字って、楔形文字じゃなかったけ。

「ああそれか。楔形文字になったのは紀元前二千五百年前ぐらいや。その前にあったのがウルク古拙文字で、これは紀元前三千二百年前ぐらいから使われてる。これが整理されて楔形文字に転換されている」

 妙に詳しいな。

「牛はグゥだが蛇は忘れた」

 本当にシュメール文字なんだ。さらに加藤は、

「文字の形はな。そやけどシュメール神話では動物は随獣になっておって牡牛は月の神ナンナや。蛇とか竜はシュメール神話では少のうてムシュフシュぐらいかな」
「本物だな」

 すると加藤は笑いながら、

「ちゃうやろ。この岩見てみいな。いかにも脆そうな安山岩や。こっち見てみ。ここに何か見えるか」

 何もないが、

「この画像見てみいな。ここにかつてベル神と弓を持つ人があってん」

 でも今は影も形も、

「そういうこっちゃ、自然の悪戯や」
「じゃあ、ここは聖地でもなんでもなかった」
「それとは話が別や」

 磐座信仰というらしいが、大きな岩を神と見立てる神道の古い形態らしい。言われてみれば巨岩とか、大木にしめ縄がよく巻いてある。

「これだけのロケーションに、これだけの岩があったら信仰されたんちゃうか」

 そうだよな。丘の上でかがり火で神事を行ったら似合いそうだ。

「そやから縄文時代かもしれん。弥生時代になったら、この辺は用無しや」

 どういう事かと聞けば、弥生時代とはイコール稲作文化であり、田んぼに出来るところにしか人は住まないだって。

「縄文時代も畑を作っていたと今は考えられてるけど、採集も盛んやった。森の人のイメージやな」

 最後に一番大きな押土石でコンパスの反応を撮影して丘を下りた。加藤が丘を下りながら話してくれたが、超古代文明に興味を持った時期があったそうだ。とくにペトログリフに興味を持っていたそうで、

「線刻文字になるけど、なぜかシュメール文字なんよな。だから超古代には同じ系統の文明が存在していたっていう説になるんよ」

 どこかでそんな話を聞いたことがあるけど、

「ある時に読んだ本に書いてあったんよな。そんな風化した岩に文字が残るかってな。日本ではとくにそうやけど、雨風にさらされたら、刻んだ文字は読めんようになるんよ。それこそ千年どころか、百年しただけでも読めんようになる」

 言われてみれば、

「ほとんどが偽造やろ」

 それとシュメールでは豊富にあった粘土で固めた粘土板に文字を記したようだ。その時に葦を使うのだが、粘土に葦では繊細な文字が書けず、ラフな象形文字になったとしていた。楔形文字になったのは、楔形が刻みやすい筆が発明されたためだとしていた。

「単純な記号やから、もし古代の線刻であってもウルク古拙文字に似ると思うで」

 原初の文字の起源は記号であったろうと加藤はしていた。これが文字として文章になった過程は不明だが、

「文字ってな、必要なかったら普及せんのや」

 文明が発達し集落から都市になり、文字で記録することが必要な商業とかが起こって普及するものだとした。江戸時代の日本の識字率は異常だったそうだが、欧米での文盲率は高く、文字を知っているだけでエリートとみなされたらしいからな。

「まあ、これはこれで絵になるからどっかで使えるで」

 押戸石の丘を下り、今度は国道二一二線を南に走り、ミルクロードを東に。そこからグルっと回り込むように阿蘇市戻ってきて坊中キャンプ場へ。テントを設営したら、

「今日は豪勢にいこか」
「おう、買い出しや」

ツーリング日和(第27話)ケニーロード

 バリ伝で巨摩郡がフレディ・スペンサーになぞられ、ライバルのラルフ・アンダーソンがケニー・ロバーツになぞられたのは有名だ。

「ラルフのラッキーストライク・ヤマハの監督なんか、モロのケニー・ロバーツやからな」
「HRCの梅田も福井威夫だろう。こっちはそれほど有名人じゃないから忘れられてるが」

 脇役のライダーも実名がゴロゴロで、エディ・ローソン、ワイン・ガードナー、ランディ・マモラ、ロン・ハスラム、ニール・マッケンジー、クリスチャン・サロン・・・当時のGPシーンを彩った名ラーダーたちだが、

「今でも名を残しているのはステディ・エディぐらいやな」

 バリ伝の最終回は鈴鹿で、出遅れたグンが奇跡の猛追の末の逆転劇を演じるのだが、一九八三年の最終戦も負けず劣らずで良いと思う。最終戦を迎えた時点でフレディがリードしており、ケニーがチャンピオンになるには優勝するだけで届かず、フレディが三位以下になることだった。

「それ、どっかで聞いたことがあるで。ケニーの作戦は・・・」

 ケニーがフレディを抑え込み、チームメートのエディにフレディを抜かせることだった。ケニーはあらん限りのテクニックでフレディを抑え込んだのだが、

「それでもエディはまったく追いつけんかったんや」

 エディ・ローソンも偉大なGPライダーで、翌年にはチャンピオンになり、計四度の世界チャンピオンになっている。そんなエディでさえ、ケニーにブロックされているフレディにまったく追いつくことが出来なかった。

 エディがはるか後方にいる事を知ったケニーは、猛然とスパートして最終戦には優勝。しかしチャンピオンは二位に入ったフレディの手に渡ることになる。まあ、このストーリーではマンガのラストに良くないから変えたのだろうが、実話だってこれぐらい凄まじいのが一九八三年だ。

「スウェーデンGPも脚色が多かったな」

 実話のスウェーデンGPは終始先行するケニーにフレディが最終コーナーで無理やりインをつき、そのために両者コースアウトになる。そこから猛ダッシュ合戦になったが、勝ったのはフレディだった。

 このレースは一九八三年の天王山だったとも言われているが、フレディの強引さを非難する声に対して、ケニーはわずかな隙を見せた方が悪いと言い、その隙を果敢に攻めたフレディを称賛している。

 バリ伝ではペナルティで次のレースの欠場を余儀なくされ、ラグナ・セカのドラマにつながる展開だった。

「あの辺で作者もネタギレやったかも。奇跡の巻き返し劇を三回もやったからな」
「ポール・リカールと、ラグナ・セカと鈴鹿だろ。だけど、そこまで言うのは酷だよ。実話が凄すぎたのだ」

 バリ伝はラストは主人公のグンがチャンピオンになったことで終わるし、翌年もまたラルフとのライバル対決を予想できるものだったが、

「実話はこの年限りでケニーは引退したんよな」

 じゃあ残されたフレディの黄金時代が来たかと言えば翌年はエディに敗れている。

「その代わりやないけど一九八五年には空前絶後の二五〇CCと五〇〇CCのダブル・タイトルを獲ってる」

 だがフレディはそこで終わる。腕の血行障害に悩まされたらしいが、それ以降は一勝もしていない。

「バリ伝でもグンとフレディを重ね合わせるシーンはあったよな」
「天才の輝きは短いってな」

 数々の名ライダーで彩られた一九八三年で、今でも名を残しているのはケニーとフレディと、そうだなエディとガードナーぐらいだ。

「オレたちに取っても伝説どころか、神話みたいなものだからな」
「それでもケニーは今でもキングや」

 この話を一編のドラマにどうやって紡ぎあげようか。

「それやったら、エエ案があるで」

 ケニーは親日家でもあったようで、何度も日本を訪れているし、鈴鹿の八耐にも出場している。それだけでなく、

「ケニーの名を冠した道さえあるやんか」
「ケニーロードか」

 加藤のプランはケニーロードを走りながら伝説の一九八三年のWGPの激闘を語り、同時にキング・ケニーも偲んだらどうかだった。

「ついでに男のキャンプ企画もやったらエエやんか」
「どこかあるのか」
「このキャンプ場は絵になりそうな気がせえへんか」

 なになに、坊中キャンプ場か。全面芝生張りとは寝心地良さそうだな。

「ツーリングの方は、やっぱりしまなみ海道からか」
「変化球使おうや」

 変化球。なんだそりゃ、

「松山からフェリーや」

 そんなのあったな。松山・小倉フェリーだったっけ。船旅挟むのは企画としては悪くないか。だったら小倉から阿蘇を目指す事になるが道は楽勝だな。

「阿蘇言うたらミルクロードとケニーロードになるけんど、他にも紹介しとこうや」

 ツーリング・チャンネルでもミルクロードとケニーロードばっかりだし、あそこを紹介したい気持ちはよくわかる。それぐらいの絶景コースだ。

「ついでやけど骨休めせえへんか」

 いいかもな。男のキャンプは見せる演出のためにとにかく荷物が多くて、動画上では楽しそうにやっているものの、設営、準備、撤収、もちろん行き帰りも大変なものだ。さらに言えばキャンプを重ねることに新味が求められる。ユーチューバーで食べて行くためには当たり前のことだが、最近はこれで良いのかの疑問を持つことがある。

「ユーチューバーとテレビはちゃうと思てるんよ」

 ユーチューバーもピンキリで、それこそスマホ一つでやってるものから、スタッフを抱えて撮影隊を組んでいるところまである。

「事務所かまえて大規模にやってるところが悪いとは言わんが、あれはテレビに近いやり方や」
「だよな。企画に沿って演じている役者のようなものだ」

 ユーチューバーの原点は何かなんて大上段にふりかぶる気はないが、オレはバイクが楽しいと思い、その楽しさを多くの人に知ってもらいたいから始まった。そりゃ、試行錯誤は山ほどあった。

「そこやと思うねん。あれはやってる当人がオモロイとしてるのがスタートのはずや」

 男のキャンプは番組として好評だが、肝心のやっているオレたちが面白いどころか苦痛に感じ始めているのはオレもそうだ。男のキャンプだって最初は面白かった。だが回を重ねるごとに重荷になっている。

「最初から余裕なかったからな」

 バイクで本格キャンプだが、どうしても荷物が多すぎた。そこまで持って行かないと本格キャンプに見えないから仕方がないことだが、バイクに積むには最初から無理があり、ここに新企画の荷物が増えるとアップアップも良いところだ。

「潮時か」
「だから骨休めや」

 男のキャンプの最終回にするのか。それで良いかもしれない。

「骨休めして離れたら、またエエ企画が思いつくで」
「そうだな。じゃあ、どこに泊まる?」

 二人で阿蘇周辺の温泉をあれこれ調べて回った結果。

「ここどうや」
「悪くなさそうだな」

 ここで加藤が悪戯っぽく笑って、

「なんでも原点があるし、行き詰ったら原点に戻るのは鉄則や。今度のツーリングは出来るだけ楽しもうや」
「そうだな。そうしよう」

ツーリング日和(第26話)バリ伝

 オレのユーチューブの番組はバイクがメインだが、バイクに関連していれば幅は広い。これは言い方が悪いな。狭い分野に特化していたのでは、いずれネタにつまり、飽きられるのがユーチューバーの側面でもある。

 そんな一環で過去の名ライダーや、名勝負の懐古特集もシリーズとしてやっている。基本は現在から過去に遡っていくスタイルだ。誰を取り上げ、どのレースをピックアップするかはオレの好みだ。

「杉田、ついにキングか」
「バリ伝の世界だ」

 ライダーにとってバイブル漫画の一つがバリ伝だ。基本ストーリーは王道で、バイク好きの高校生が才能を見出されてレースの世界に足を踏み入れ、鈴鹿の四耐で優勝するまでが第一部だ。そこから全日本選手権に参戦し苦戦を重ねながら王座に就くまでが第二部だ。

「そして第三部のWGP」

 この手の主人公がステップ・アップしていくストーリーは、最後は世界大会になるが、凡百の作品は、そこまでたどり着くまでに奇想天外の必殺技を駆使しすぎて、最後はトンデモ世界のバトルで尻切れトンボに終わることが多い。

「バリ伝に奇想天外の必殺技はないからな」
「現実に使えるテクニックやからな」

 バリ伝の世界大会の下敷きにされたのがWGPだ。

「ここは解説いるとこやな」
「今とはかなり違うからな」

 現代の最高峰はモトGPだがこれはWGPの後身だ。通算成績もWGPのものを受け継いでいるが、レースはWGP時代と様相が違う。一番わかりやすいのはカテゴリで、WGPのトップ・カテゴリは五〇〇CCであり、モトGPは一〇〇〇CCだ。

「モト2でも六〇〇CCだからな」

 百年以上の時代差があるから当時のタイムと比べるべくもないが、

「逆に言うと、あんなものよく乗っていたって代物だものな」

 バリ伝の頃のエンジンは2スト全盛だ。それも五〇〇CCの2ストだぞ。馬力だけで言えば今の一〇〇〇CCに匹敵する。

「それは言い過ぎやで。バリ伝の頃でも百六十馬力ぐらいやし、NSRの最終型でも二百馬力ぐらいや」

 確かにな。モトGPなら三百馬力を越えてるからな。バイクに限らずレース用エンジンの馬力アップはいつの時代も続けられている。技術的には進歩して馬力は上がるのだが、これを操作する人間の問題が出てくる。

「クルマでもラリーでグループBの時代があったからな」

 あまりに速度が出過ぎるマシンは、いかにプロ・レーサーと言えども操作を誤れば死に直結する。レースとはそんなものとも言えない事もないが、髪の毛ほどのミスが死につながるレベルになったために、

「レギュレーションがきつうなった」

 興行的にもそこまでの化物マシンを作れるメーカーは限定され、レースの勝利は、その化物マシーンのシートを獲得出来るかどうかになってしまっていた。またワークス・チームを送り込むメーカー・サイドも市販車との乖離が大きくなりすぎ、莫大な開発費をかけて勝つマシンを作ることに疑問を抱いていたぐらいだ。

 その結果としてレギュレーションは市販車として耐えうる範囲のものになっていったぐらいで良いと思う。オレや加藤が乗っているバイクはレース用マシンより劣るが、驚愕するほどの差はないとして良いだろう。

「チューンしたら追いつくで」
「そうは簡単にはいかないが、発想としてはそうだ」

 だがバリ伝時代のマシンはそうではない、各メーカーが先端技術の粋を尽くして作り上げたものだ。まだまだ技術的に発展途上であったと言えばそれまでだが、極端な話をすれば排気量さえ守ればなんでもありの時代だった。

「ヤマハのTZ二五〇なんて売ってたんだからな」

 これはサーキット専用マシンで公道は走れないが、二五〇CCで九十三馬力の化物だ。今のモト3が五十馬力だから凄まじさがわかってもらえると思う。とにかく当時のレース用の2ストマシンはモンスターだった。

「モンスターの意味は馬力だけやのうて、車体のプアさもあるで」

 マシンはエンジンだけでは走れない。エンジンを載せる車体がその強大な馬力を受け止めないといけないが、バリ伝時代はパワーが車体を凌駕していたで良いと思う。

「今は逆やな」
「そうだよな。だから加藤も乗れるのだけどな」
「ほっとけ」

 キングこそケニー・ロバーツはバリ伝時代の王者だ。ヤマハのエースとしてアメリカから招かれWGP三連覇の記録を残している。三連覇だけなら他にも成し遂げたライダーもいるし、最高は確か七連覇だったはずだが、

「今でもケニーはキングやし、ケニー以外にキングと呼ばれたライダーはおらへんはずや」

 ケニーの業績の一つにWGPにハングオンを持ち込んだことがある。ハングオンはサーキットだけでなく、峠の走り屋の基本テクニックみたいなものだが、当時のGPライダーはまだリーン・ウィズが主流だったと言われている。

「リーン・ウィズから見たらハングオンは曲芸みたいに見えたはずやけど、ケニーは世界一美しいライディング・フォームと言われたぐらいやからな」

 誤解を恐れず言えばケニーは今に続くライディング・フォームの創始者であり、創始者でありながら完成度が非常に高かったとしても良い。

「ひょっとしたら、今より上かもしれん。あの当時のバイクに乗って、今のライダーが同じタイムを出せるかは疑問やで」

 そこまでは言い過ぎだろうが、伝説どころか神格化されている名ライダーだ。

「ケニーが真の伝説になったのがあのシーズンだな」
「ああ、あの伝説のシーズンだ」

 無敵の王者はそれだけで偉大だが、あまりに頭抜けた強さの一強時代で終わればかえって記憶に残らない。記憶に残る名ライダーには強大すぎるライバルが存在する。

「フレディ・スペンサーやな」
「あの二人が同時代に存在し、死闘を演じたのが奇跡のようなものだ」

 フレディも天才と呼ばれ、フレディの天才の呼び名も、今に至るまで他のライダーに付けられた事がないはずだ。フレディのテクの代名詞が、

「ドリフトや!」

 ドリフトも今ではサーキットの常套テクニックだ。当時でもドリフト・テクニックはGPライダーなら駆使できたはずだが、時代的にはグリッド走行が主流だった。だがフレディはコーナーを攻める常套テクニックとして使いこなしている。

「バリ伝でも、普通の走り屋どころかサーキットの並みのレーサーがグンのドリフトをみて驚愕するシーンは何度もあるものな」
「ピレネーなんてそうだ。バリ伝はフレディの出現後に描かれたものだが、それでもバイクのドリフトは神業技術であったのはわかる」

 もちろん今でも高等テクニックだ。四輪のドリフトも難しいが、二輪のドリフトの方がはるかに難しいからな。加藤じゃ無理だ。

「ウルサイわいと言いたいが、コーナーでタイヤを滑らすなんて狂気の沙汰や」
「オレだって公道でやろうとは思わん。命が惜しいからな」

 ドリフトはコントロールを少しでも間違えばバイクでは転倒になり、公道では死に直結しかねない。

「そんな二人が激突したのが一九八三年のWGP」
「夢のシーズンだよ」

 一九八三年は全十二戦で行われ、ケニーが六勝、フレディが六勝でこの二人しか優勝していない。

「ポールポジションも六回ずつだものな」

 バリ伝は一九八三年のシーズンを下敷きに描かれていて、マンガらしい奇跡の逆転劇で話を盛り上げている。だがマンガの世界であっても、

「グンとラルフの二人舞台に完全には出来なかったな」
「あんなもの実話だから成り立つもので、マンガでやったらウソくさいだけだ」

 ケニーとフレディのテクニックは完全に時代を先取りしていた。他のライダーでは同等の戦闘力のマシンを与えられても追いつけもしなかった。それぐらいの差があったのが一九八三年だ。

「それぐらい扱い難いマシンだったとも言えるな」

 加藤の言う通りで良いと思う。スペック上の馬力でこそ百六十馬力でも、パワーバンドは極端に狭いガチガチのピーキー・エンジンだったらしい。

「それこそパワーバンドを少しでも外せばパワーはだだ下がりだったらしいで」
「ダンパーやサスだって今と比べ物にならないだろうしな」

 それだけじゃない、タイヤだってウソのようの細い。もちろんタイヤの質も今とは大違いのはず。ちょうどバイアスからラジアルへの移行期だったはずだ。扱いにくいエンジンと貧弱な車体とタイヤ、

「あの頃は人が占める部分が今よりもっと大きかったんやと思うで」
「だから他のライダーとあれだけ差がついたのだろう。古き良き時代だよな」

ツーリング日和(第25話)やりやがったな

 エレギオンHDの肩書上の序列は、

 社長 → 副社長 → 専務 → 常務

 こうなっています。コトリ社長とユッキー副社長が代表取締役で、シノブ専務とミサキが取締役です。実は取締役もこの四人しかおらず、常務もミサキだけです。かつては取締役常務も複数おり、社外取締役もおられました。

 これが四人体制になったのはツバル戦の後です。あの時は大学院生であったユッキー副社長がコトリ社長の不在をカバーするために急遽復帰したのですが、定番の問題が起こったのです。見ず知らずのユッキー副社長の代表取締役就任です。

 ユッキー社長が小山恵時代は、その威風と睨みで取締役会を抑え込んでいましたが、ツバル戦の時はコトリ社長まで不在で、シノブ専務とミサキは対応に苦慮させられました。コトリ社長がツバル戦から戻られた後に、

「取締役は四女神に限定」

 こう決定されています。取締役は三人以上であれば良いので法律的にはクリアですが、この規模の会社としては異例かもしれません。


 ミサキは取締役会で監査役にもなっています。監査役の仕事は取締役の経理上の不正や会社の運営に不利益をもたらしていないかを監視する役割です。他の三女神への信用は絶大ですし、普通の会社で起こるような横領とかの懸念はありません。

 ただ暴走はあります。とくに上の二人。ちょっとでも油断すると何をしでかすかわからないところがあります。というか、ミサキの目を盗むのが楽しみで仕方がないぐらいとして良いかと思います。

 ミサキが気になっていたのは、なんでも経費にするのが生きがいみたいなあの二人が、バイクの購入費を経費にしなかった点です。出張のお土産でさえ経費として落とすように一度は必ず振ってくるあの二人がですよ。

 どこかで、なにかをしでかしているはずだとチェックしていたら、怪しいのをついに見つけました。

「コトリ社長、科技研のサークル費が多すぎませんか」
「ああ、それか。キャンプ・グッズの開発費用のために・・・」

 ウソ丸出し、

「それはこっちです。ミサキが聞きたいのはライダーズ・クラブの方です」
「あ、ホンマや。コトリとしたことが・・・」

 見落としなんか絶対にするはずがないじゃありませんか。

「この追加で二億ってなんですか」
「いや、コトリとユッキーのバイクをちょっと見てもらったから色を付けただけや」
「どんな色ですか」

 まさかこいつら、

「カスタムしてもろたら年間予算では足りへんかったから、バーターみたいなもんや。色やったらコトリが赤で、ユッキーが黄色やで」
「リア・ボックスの色塗りが二億ですか!」
「いや、ボックスから作ってもろた」

 オリジナルで作らせて研究開発中の特殊素材を使ったですって!

「それ以外にもエンジンとか、フレームとか・・・」

 あのねぇ、それはカスタムとは言いません。バイクを作ると言います。

「結果的にはそうなってもてんよ。ノリノリでやってくれてるのに水差すのは悪いやんか」
「全部経費だったんですか!」

 そこにユッキー副社長も現れて、

「全部じゃないよ、御褒美の意味」
「そやで。今後のライダーズ・クラブの発展を祈ってのものや。ほとんどは自腹や」

 へぇ、珍しいな。お二人が自腹を切られてるんだ。

「どれぐらい自腹を切られたのですか」
「コトリとユッキーのボーナスともうちょっと」

 なんだって!!

「純金のバイクを何台作る気ですか」
「二台やけど。そうそう、ちょっと変わってるさかい、今後のメインテナンス費用も入ってるねん」

 め、めまいが。お二人のボーナスですよ。それを全部注ぎこんでも足りないぐらいって、あのバイクは一体いくら・・・

「だから経費にしないって言ったじゃない」
「さすがに完全に趣味やから、ユッキーと自腹にしようっと決めたんよ」

 お二人が遊びになると暴走するのは良く知っていますが、

「あれだけの連中が協力してくれたから、あれぐらいのサークル費は出したらんとバランスが悪いやんか」
「士気が下がったら大損失じゃない」

 なになにサークル連合バイク制作委員会だって! これって科技研の叡智を結集したようなもの。

「これでもわたしが副社長で、コトリが社長でしょう。そのバイクだものだから、みんな調子に乗り過ぎちゃったみたいなの」
「ああなってもたら、ブレーキかけられへんかってん」

 言わんとするところはわかります。科技研のサークル活動は、科学者の息抜き、気分転換、頭のリフレッシュのためだとも言えます。だから、二式大艇が大阪湾に沈もうが、マウス戦車が道にめり込もうが所長であるコトリ社長は不問にしています。

 不問どころか、見に行ってますし、見に行ってるどころか、ユッキー副社長と共にポケットマネーの援助もしています。ある種のイベントのようなもので、科技研の職員全員が楽しみにしているぐらいです。
それが二人のバイク作成の依頼となれば、そりゃ科技研全体が燃え上がらない方が不思議です。で す が、

「これはやり過ぎです! こんな先例を作ってしまうのはよろしくありません」

 これでは科技研の私的利用です。

「そういうけど本業やないやんか」
「そうよ、サークル活動じゃない」

 ええい、ぬらりくらりと。あんな研究所レベルのサークル活動があるから、ややこしいのです。それもですよ、サークル費用だけで並の研究所の年間費用になってるのですよ。

「全部持ち出しちゃうやんか」
「今回だって、サークル費全体からしたら、ちゃんとキャンプ用品で帳尻合わせるし」

 そのためにわざわざアコンカグア社の買収までやってたのか。どこまで用意周到なんだこいつら。あの買収もなにか唐突な気がしていましたが、まさかバイクに連動していたなんて油断だった。それ以前にまさか科技研を使うのを気づいてなかったミサキの油断。

 コンコンと説教させて頂きました。そうなんですよ、そこまで社長や副社長のバイクに力を入れたら、本業の研究の方に支障が出てしまうではありませんか。何事も限度と言うものがあります。

 ここでミサキが釘を刺しておかないと、次は何十倍にもなって必ずエスカレートします。それを誰より身に染みて知っているのがミサキです。お二人はシュンとなっておられましたし、

「わかった、さすがに今回はコトリもやり過ぎたと思とる」
「わたしも反省してるから」

 もう一つ、ミサキは知っています。いくらミサキが説教しても、お二人には無駄なこと。古代エレギオン時代の三座の女神って三千六百年もこんな事やってたのだろうか。