アカネ奮戦記:華燭の典

 式場はツバサ先生と同じで聖ルチア教会。ウェディング・プランはクレイエールの微笑む天使にした。動画はサキ先輩で、写真係はマドカさん。さすがにツバサ先生を来賓として外せないじゃない。だいたいツバサ先生に撮らせると、なにやらかすかわかんないじゃない。

    「アカネにだけは言われたくない」

 かもね。でも式では定番をやってしまった。親父とバージンロードを歩いたんだけど、きっちり裾踏まれてひっくり返った。でもこれはアカネが悪いんじゃなく、親父が悪いんだからな。次の定番の誓いの時にも、

    「汝健はこの女茜を妻とし、健やかなる時も、病める時も、常にこの者を愛し、慈しみ、守り、助け、この世より召されるまで固く節操を保つ事を誓いますか」
    「はい」
    「汝茜はこの男健を夫とし、健やかなる時も、病める時も、常にこの者に従い、共に歩み、助け、固く節操を保つ事を誓いますか」
    「はい」

 ここまでは良かったんだよ。問題はその次で、

    「今、この両名は天の父なる神の前に夫婦たる誓いをせり。神の定め給いし者、何人もこれを引き離す事あたわず」

 ここでつい神のところに引っかかってしまい、

    「神如きに二人の仲は引き裂かせるものか!」
 神父さんは困った顔してたけど、まあイイとする。神父さんだってホンモノの神がどれだけ手強い連中か知らないだろうし。だってだよ、アカネにとって神とは、すぐにアカネをマルチーズにしたがり、座興で容貌を別人に変える存在だからね、

 披露宴はこじんまりしたものにした。だってさぁ、呼び出したらゴッソリ来ちゃうんだもの。ツバサ先生たちにもこれは相談してたんだけど、

    「大賛成だ。後始末が大変になるかな」
    「ボクもそう思う。想像しただけでゾッとする」
    「マドカも賛成です。アカネ先生がどんな人かよく知っておられる方だけに祝福してもらうべきです」

 賛成してくれたのは良かったけど、賛成理由が気に入らなかった。だから式も、披露宴もまったく同じメンバーで動いた。ホントはツバサ先生に来賓祝辞はやらせたくなかったんだ。でも仕方ないじゃない。そしたら、

    「あのアカネが、ついに、ついに・・・」

 そこまで言って絶句しちゃったんだよ。披露宴会場はちょっとした感動に包まれてたし、アカネもそうだった。ツバサ先生は高砂席につかつかと歩いてきて、

    「後は伏せとく。やりだしたら、明日までかかるからな」

 ギャフン。でも助かった。やはり祝辞役はマドカさんか、せいぜいミサキさんぐらいにしておきたい。あの二人以外にやらすと、何を言いだすかわかったもんじゃないし。それでも、スタッフたちの祝辞は嬉しかった。

    「タケシ、アカネ先生を不幸にしたら珠算一級のオレが許さん」
    「それは書道初段のオレの仕事や」
    「簿記二級のオレをさしおいて・・・」
    「また逃げ出したら英検四級もオレが地の果てまで追いかけて火炙りにしてやる」

 心の籠った良い祝辞だった。でもさすがに二次会が終わってホテルの部屋に戻るとグッタリ。よくもまあ、世間の新婚夫婦は、こんなくたびれた状態で新婚初夜なんてやるもんだと感心した。アカネは寝たよ。翌日は神戸空港まで見送りにツバサ先生たちが来てくれたけど、

    「アカネ、しっかり仕込んでこい」
    「タケシ、枯れ果てるまでやってこい」
    「アカネ先生も早い方がイイと思います」
 たしかに。新婚旅行中に三十七歳の誕生日来ちゃうんだよね。アカネは、四人は欲しいから、年子でも四年がかりになっちゃうんだ。双子二セットもあるけど、それはそれで大変そうだし、一回で済むけど四つ子は論外だ。

 新婚旅行はユッキーさんたちからのプレゼントもあった。例のプライベート・ジェットを使わせてくれたんだ。もっとも成田に行くついでだったけど。タケシは目を丸くしてた。成田でやっと二人にきりになって飛行機に乗り込み席に着いたらホッとした。

    「タケシ、長かったけどやっとだね」
 そう言ったら力強く抱き寄せてくれた。これが幸せだ。やっと手に入れた幸せだ。なにがあっても手放すもんか。

アカネ奮戦記:タケシのデビュー

 アカネは溜め込んでた仕事をヒィーヒィー言いながらこなすことになったんだ。

    「ツバサ先生、なんとかしておくって話だったんじゃ」
    「おう、延期交渉は大変だった。でもスタッフも頑張ってくれてキャンセルは出なかったぞ。ちょっと増えた分は御褒美と思え」

 ギャフン。仕事は仕事、甘くないわ。とにかくこなすためにハイ・ピッチで進めたら、

    「アカネ、何度言ったらわかるんだ。スタッフを殺す気か!」

 タケシは個展に専念した。もう合格は決まってるようなものだけど師匠としてタケシの作品を見て回り。

    「タケシ、合格だよ」
 見る見る目に涙が溢れてた。でも、そうだろうな。苦労したもの。甲陵での馬術大会の苦悩、そこから逃げてしまった後悔の日々、赤壁市でやった辰巳との対決。どれも無駄じゃなかったよ。タケシの才能を開花させるために必要なものだったんだ。

 それと赤壁市の騒動のお蔭で、城下町フォト・コンテストの話が広がっちゃったんだ。言われて見れば西川流とオフィス加納のガチンコ勝負だったし、西川流は総帥の辰巳だし、オフィスもツバサ先生とアカネがいたものね。

 そこで理由はともあれタケシが辰巳に勝ってるんだものね。写真雑誌が特集まで組んで大騒ぎしてたし、一般週刊誌やワイドショーまで取り上げるぐらいだったんだ。お蔭で個展の方が大注目されちゃって、すっごい数の報道陣が来てた。

    「じゃあ、アカネは受付に行くね」
    「アカネ、ちょっと待て」
    「なにか文句でも」
    「受付がアカネだけじゃ不安過ぎる」

 アカネだって受付ぐらい出来るって頑張ったけど、

    「アカネ、ボクも不安だから」
    「アカネ先生、マドカもお手伝いさせて頂きます」

 なんとサトル先生もマドカさんも受付に座り、

    「アカネはしゃべるな」
    「座ってるだけでいいから」
    「ちゃんとサポートさせて頂きます」

 お前らな、そんなにアカネが受付するのが不安か。

    「当然だ」
    「やはりね」
    「タケシさんの晴れの門出ですから」

 マドカさんまで、そこまで言うか。当たってないとは言わないけど。でもサトル先生が妙に嬉しそうだった。

    「そりゃ、アカネ、女ばっかりだっただろ」

 なるほど。オフィスのプロは、サトル先生以外は女だったものね。

    「仲間ができてホッとする気分かな」

 たしかに。サトル先生は社長だけど社内でなにか提案しても、女三人が叩き潰してしまうことは多かったものね。これはだいぶ前だけど、マドカさんがプロになって間もない頃に、

    『女三人展』

 これをやろうってサトル先生が言いだした事があったんだ。ちなみにカツオ先輩も噛んでた。とはいえ、みんな仕事が忙しいからストックの写真でやろうって提案だったんだけど、

    『これはマドカを引き立たせるためか。そんなモノのためにわたしを引っ張り出すというのか』
    『それよりアカネの個展やっていない。まずそっちだよ。個展やりたい、やりたい』
    『マドカのストックでは無理です。三ヶ月下さい』

 三人とも一歩も譲らず企画は流れちゃったものね。この女三人展はその後も企画として何度も浮かび上がって来たけど、

    『どうしてアカネやマドカと肩を並べなきゃならんのだ』
    『アカネの個展、アカネの個展、アカネの個展』
    『準備期間をしっかり頂けないと協力できません』
 他にもサトル先生の提案で却下されたのも多数。まあ家でも相当尻に敷かれてるみたいだし。というかツバサ先生を尻に敷けるような男はいないと思うけど。


 タケシも専属契約になったんだけど、順調に依頼も入って来てる。これでオフィスのプロも五人になったんだけど。それだけのスタッフも抱えないといけないし、撮影スタジオだってこうなってくると手狭というか、塞がってしまってニッチもサッチもいかなくて、並んで順番待ちしてる状態。後ろに並んでたツバサ先生に、

    「ツバサ先生、ちょっと狭い気が」
    「だな。四人の時でもかなり無理があったが、五人は厳しいよな」
 加納志織時代でもオフィスの所属プロは最大で二人だったみたいで、加納ビル自体もプロが二人ぐらいを想定してるで良さそう。弟子をあんまり増やせないのも、広さの問題も一因になってるところがある。まあビル自体も相当ガタが来てるのは間違いないし。

 そうなると移転するか、建て直すかだけど、これは経営者サイドのツバサ先生とサトル先生の判断になってくる。いやこのビルを加納志織時代に建てたツバサ先生の判断だろうな。思い入れもいっぱいあるだろうし。実際にも、

    「やはり潰すとなると」
    「さすがにな。こんなオンボロ・ビルでも建てる時は大変だったからな」
 当時はかなり無理して建てたみたいなんだ。今でこそ賑やかな商店街の一角だけど、当時はシャッター通りで、通り抜ける間に誰にも出会わないなんて普通だったらしい。だから土地も割安だったそうだけど、建設資金の調達も大変で、さらに設計会社や、施工業者と一円単位まで値引き交渉までやったらしい。

 でもね、当時としてはかなり写真家のために配慮した設計になっているのは間違いない。いや、写真を撮るために特化した設計だとよくわかるもの。当時の加納先生の写真家としての夢を精一杯詰め込んだビルだって。


 移転か建て替えかは、かなりもめたみたいだし、移転先の誘致合戦まであったけど、最後はツバサ先生の決断で建て替えになったんだ。そのためにオフィスは仮事務所に移転。加納ビルの解体の時にはツバサ先生が神妙な顔してたよ。

    「また加納志織が遠くなったな」
    「大丈夫ですよ。絶対にツバサ先生は忘れませんから」
    「そうだな」

 規模はドカンと二十階建てだって。工期は三年弱ぐらいらしい。設計や施工はエレギオン・グループが全面協力で順調。

    「次のビル名は麻吹ビルですか。それとも星野ビルですか」
    「あん、加納ビルだよ」

 なんだよな。オフィス加納もオフィス麻吹に変える案が出たこともあったけど、頑として譲らなかったもの。それでも一~三階にはテナントも入るみたいでアカネも楽しみにしてる。これでまた商店街が盛り上がると嬉しいな。

    「もうすぐ式だな」
    「はい新居もばっちりです」
    「しかしタケシはエライと思う」
    「そうでしょ、そうでしょ、あんなイイ男世界中探したっていませんよ」
    「まだ逃げ出さないからだ」
 そこまで言うか。でもタケシと一緒に暮らすようになってアカネの生活は変わったもの。まずだよ、マンションのドアを開く時に、ものが溢れてくる心配がなくなったんだ。アカネは玄関になんでも置く癖があって、それが積み上がってて、ドアを開けた瞬間によく崩れてきた。

 部屋だって凄いんだ。だってさ、だってさ、床が見えるんだよ。それも隅から隅まで。アカネは部屋の床に物を置くのが大好きだったから、えらい変わりよう。ぜ~んぶタケシが片付けてくれるんだ。ご飯だってそうだよ。朝から台所で、

    『トントントン』

 こんな軽快な包丁の音がして、味噌汁もちゃんと付いた炊き立ての朝御飯がアカネが起きる頃には出来上がってるんだ。タケシはご飯にもこだわりがあって、電気炊飯器は使わないんだよね。

    「アカネ、土鍋の炊き立てが一番おいしいんだ」
 アカネもそう思う。お代わりいっぱいしちゃうもの。漬物だって、ちゃんと漬けてるんだよ。とにかくタケシの調理の腕はすごくて、うどんだって,そばだって打てちゃうんだ。そういえば魚どころか、鶏だってさばけるって言ってた。

 洗濯だってキチンとアイロンまでかけてある。それがね、ちゃんと引き出しに中にしまってあるんだよ。シーツもパジャマも毎日洗ってくれてて気持イイし、お風呂もピッカピカ。アカネも手伝おうと思ったんだけど、一度やったらタケシから、

    「アカネはそんなことをしなくて良いよ」

 こう言ってくれたんだ。なんて優しい旦那さんだろう。まだ式挙げてないけど、

    「アカネ、それは優しいんじゃなくて、無駄な仕事が増えるのを嫌がってるだけだと思うぞ」

 ギャフン。でもあんたもやろが。サトル先生から聞いたことあるぞ。

    「アカネには遠く及ばない。それとアカネより料理は確実に上手い」

 そうなんだよな。どうも加納志織時代には料理教室まで開いてたみたいで、手際もイイし、盛り付けも、味付けもプロ顔負け。

    「まあ、アカネの場合は小学生、いや幼稚園児も顔負けだし」

 く、くやしい。その通りなのが一番悔しい。そのうちタケシに教えてもらおう。

    「無駄な努力と思うぞ」
 うっ、当たってる、言い返せない。

アカネ奮戦記:谷奥温泉

 得体のしれないヌエみたいな女神どもだけど。イイこともちゃんとやってる。ユッキーさんはかなりの金額を村営の公衆浴場に寄付したんだよ。ありゃ、かなりどころでなくて、目を剥くぐらいで良さそう。

    「あれか。コトリも寄付しといたし」
 今までの公衆浴場の隣に新しい公衆浴場を建てたんだ。それも純和風でシックなやつ。モデルは道後温泉本館とか言ってた。道後温泉のより小ぶりだけど、これが、なかなか風格があって立派なもの。

 それだけじゃなく、エレギオン・グループの旅行会社も動かしたみたい。旅行会社だけじゃなく、テレビ局も動かしたみたいで、秘湯の旅シリーズで取り上げられて、福寿荘まで紹介されてた。コトリさんは、

    「ああ、あれ。あれぐらいはオマケみたいなもんや」
    「それなりに回収も出来るし」

 エレギオン・グループは観光事業も強いし、エレギオン・グループが乗り出したってだけで、便乗組がワンサカ寄って来たぐらいでも良さそう。そのためにビックリするぐらいの観光客や宿泊客が来るようになったみたい。

    「ちゃんとやったら、これぐらいは繁盛して当たり前の温泉やっただけや」
 赤壁市の観光とセットにすればヒットしたぐらいかな。今までもそういう素地はあったんだけど、とにかく市長の冷遇策に干されたのに火が着いたぐらいで良さそう。

 アカネもタケシと一緒に行ったんだけど、なんか二軒ほど新たな旅館が立ちつつあったよ。他にも土産物屋や、地元の農産物や特産品を売る店、喫茶店とか、こじゃれたレストランまで続々と出来てて、タケシもあまりの変わりように驚いてた。

 タケシがお世話になった福寿荘の御主人にも挨拶に行ったんだけど、隣に新館建ててた。民宿から旅館にするってお話だった。なんか繁盛したものだから息子さん夫婦も帰ってきて後を継いでくれるみたい。

    「タケシ、彼女だが」
    「いいえ、フィアンセです」
    「それにしても若いけど、いくつ下だが」
    「いいえ、十歳上の姉さん女房です」
    「なんだって! 世の中間違ってる」

 この時にはタケシの家にも挨拶に行ったけど、同じような会話になり、

    「あなたが、あの有名な渋茶のアカネさん」

 渋茶は余計だけど。

    「タケシを宜しくお願いします。婿に出すからには煮て食おうが、焼いて食おうが、かまいませんから。なんなら揚げ物でも刺身でも酢の物でも・・・」

 どうもタケシの家も普通じゃないみたいだ。アカネの家にも行ったんだけど、タケシがきっちり頭を下げて、

    「どうかアカネさんと結婚させて下さい」

 さすがはタケシ。よくやったと思ったんだ。この後は親父が複雑そうな顔をしながら『娘をよろしく』ぐらいになるのを期待して待ってたら、呆けたような顔になって、

    「アカネをもらってくれるなんて、これは夢か、幻か・・・」

 ウルサイわい。自分が育てた娘だろうが。さらにだよ、お袋まで、

    「どうかアカネを見捨てないでやってください。よろしくお願いします。この世に一人ぐらい奇特な人がいるとは信じてはいましたが、そんな人が二度と出るとは思えません」

 だから二人して床に頭をこすりつけるな。アカネが惚れられて結婚するんだぞ。姉ちゃんもいたんだけど、

    「アカネはバカですけど、ただのバカではありません。信じられないぐらいのバカで、この世のバカの基準を超越しています。超越しすぎてマトモそうに見えるところもありますから、どうか可愛がってやって下さい」

 フィアンセを前に『バカ、バカ』連発するな。まったくうちの家族ときたら、アカネを宇宙人か何かと勘違いしてるんじゃないかと思う時がある。そしたら姉ちゃんが、

    「でもそうじゃない、時々別人に変身しちゃうじゃない。靴のサイズまで小さくなるなんて地球人じゃない何よりの証拠」

 あれは女神どもが悪い。そうそう、やっぱりお世話になってるから挨拶には行った。タケシにも知ってもらっとかないといけないし。

    『コ~ン』

 三十階も一応ね。タケシは目をシロクロさせてた。そりゃ、そうだろ。とにかく女神どもの秘密の棲家だからな。それとコンテストの審査の時には気づかなかったみたいで、

    「えっ、木村さんじゃなくて小山社長、立花さんじゃなくて月夜野副社長、結崎さんじゃなくて夢前専務・・・」

 もう茫然としてた。気持ちはわかる。あんなに若く見える美女軍団がエレギオンHDのトップだからね。とりあえず、正体が女神なのは伏せといた。タケシが怖がってもいけないし、犬に変えられても困るから、

    「アカネさんと結婚するなら全身全霊を捧げるつもりじゃないとダメよ」
    「そうや、少しでも半端な気持ちがあったらアカン」
    「イイ人なのは間違いないけど、ワレモノ注意と思って細心の注意がいるよ」

 まったくどいつもこいつも。そうそうミサキさんも復帰していて、

    「アカネさんおめでとう。あなたなら明るくて楽しい家庭を築けるわ」
 そう、そう、これが普通だろう。どうして誰も素直にそう言ってくれないんだ。やはりミサキさんは女神の中でも別格だ。というか、なんで女神なんてやってるか不思議なぐらい。普通に人やればイイのに。ミサキさんもマルチーズの脅しを受けてるんだろうか。


 さて真打だけど、オフィス加納に戻った途端にやられた。アカネだって、タケシだって挨拶やお詫び、お礼をしなくちゃと思って、あれこれ言う事を考えてたんだよ。タケシなんて長期無断欠勤を謝らないといけないから、懸命になって考えてた。なのに、なのにだよ、いきなり、

    「やっとぶち抜かれたか」

 そんなもの開口一番に言うな。タケシが真っ赤になってるじゃないか。

    「痛かったと思うが、やればやるほど良くなるから心配しなくともよい」
 余計な心配だ。ほっとけ。でも、豪快に笑い飛ばしてこれだけだった。さすがは真打だと思った。

アカネ奮戦記:女神の仕事

 フォト・コンテストの審査の舞台裏は奇々怪々だったけど、そこまでやる必要があったのかな。とくにコトリさんが市長に脅しをかけたところ。

    「あ、それ。市長がユッキーを怒らせてもたんよ」
    「はぁ」

 コトリさんたちは赤壁市に入る前に谷奥温泉に泊まってるんだ。エレギオンHDの社長と副社長がよくまあ、そんなところに泊まったと思ったけど、

    「あそこに村営の公衆浴場があるんやけど、市営じゃなくて村営なんよ」
 これはタケシに聞いた。十年ほど前に赤壁市に合併されてるんだ。つまりって程じゃないけど、自治体としての谷奥村は存在しないんだよね。

 でも珍妙と思うんだけど、谷奥村の住所は赤壁市谷奥村って言うのよね。だから地名として谷奥村は正しいんだけど、実態は本町とか、つつじ台とかの単なる地名。村営ってなってるけど、実態は町内会がやってるようなものなんだ。

 歓迎会の話の中でユッキーさんは公衆浴場があまりにも傷んでいたから、自分が入ったことを伏せながら、

    『谷奥温泉って良いところだと聞いています』

 かなり遠回しだけど改修を頼んだらしい。そしたら市長は即答で、

    『赤壁市にそんな温泉は存在しません。なにか勘違いされてるのではありませんか』
 赤壁市と谷奥村の合併だけど、原因は谷奥村の人口が減り過ぎたことなんだ。そこで総務省が仲介して、なかば強引に合併させたらしい。当時も今の市長だけど、この合併には相当な不満だったらしい。

 そんな谷奥村の始まりは源平合戦の平家の落ち武者伝説まで遡るらしいけど、大昔は温泉のある谷奥村の方が栄えてたらしい。赤壁市は秀吉の家臣の一人が所領をもらって城を作ったのが始まりだそうなんだ。

 江戸期に入って赤壁川の治水に成功して栄えたらしいけど、谷奥村は天領で別だったんだって。それが途中で赤壁藩の所領になった時期があったらしいんだ。当時の赤壁藩は御多分に漏れず貧乏で、ものすごい年貢を取り立てたらしい。この辺はコトリさんが詳しいのだけど、

    「年貢って税金みたいなものやけど天領の方が、かなり安かったんよ」
 赤壁藩は八公二民みたいな年貢を取ってたらしいけど、天領の谷奥村は三割弱ぐらいだったらしい。それがいきなり三倍近い年貢を取り立てられたから大変なことになったらしい。そりゃ、そうなるよね。

 最後に百姓一揆を起すところまで行ったんだけど、赤壁藩は大弾圧をかけたんだって。村民の五分の一ぐらいは殺されたってお話。そうやって鎮圧されたんだけど、鎮圧した赤壁藩もタダでは済まなかったみたい。

    「赤壁藩って外様なのよ。江戸幕府はなにか口実があると藩を取り潰したり、小さくするのに熱心だっだのよね。百姓一揆も起ったことが知られると領内取締不行届で叱責されるぐらい。それが大弾圧なんてやった日には・・・」

 お取り潰しこそ逃れたもの、所領の三分の一ぐらい削られちゃったらしいの。この時に谷奥村も天領に戻るのだけど、

  • 山奥村には大弾圧による虐殺の怨みが残る
  • 赤壁藩には所領が削減され、より生活が苦しくなった恨みが残る

 でもさ、でもさ、大昔の話じゃない。だって谷奥温泉には赤壁市の人間もたくさん来るし、タケシだって谷奥村から赤壁市に来たようなもので、それをとくにとやかく言うのもいないし。

    「そうなんよ。でも執念深いのもおるんや」
 市長の家は赤壁藩の筆頭家老だったんだってさ。谷奥村の大弾圧の時も指揮を執ったんだけど、結果として所領削減になっちゃったじゃない。責任はすべて筆頭家老が被らされて、詰め腹を切らされてお家は断絶ってやつ。

 だけどね、筆頭家老だけあって領主家や他の有力家臣の血縁がたんまりあったんだ。お家の復活の嘆願が繰り返されたんだって。ただ、余りにも事が重大過ぎて、殿様も他の家臣もなかなかウンといわなかったらしい。

 それでもやっと息子にお家復活が許されたらしいけど、ついに士分としての復活は認められなかったらしい。士分ってなんだとコトリさんに聞いたんだけど、

    「武士も階級があるんやけど、大雑把には正規の武士が士分で上士とも言うんや。戦国時代やったら馬に乗ってた連中ぐらいや」

 ほんじゃ、その下は、

    「徒士とも呼んどったけど、要するに中間とか足軽階級や」
 上士と徒士の差はいろいろあるらしいけど、単純には上士からは徒士は見下されていたぐらいでも良さそう。とにかく上士に挨拶する時に徒士は土下座っていうからね。上士の中でも最上席だったのが徒士に落とされた屈辱は相当だったみたい。

 さらに所領削減を恨みに思う藩士も多いから、相当なイジメにあったとしてもイイみたい。それが何代も何代も続いたんだってさ。幕末のドサクサの頃に士分に復帰はしたらしいけど。

    「家系伝承で谷奥村一揆と徒士での冷遇がリンクして怨念として語り継がれているぐらいで良さそうや」

 そこまでやられれば、そうなるかもしれない。もちろんそれからも歳月はたんまり経ってるんだけど、

    「そうやねん。市長もさすがに『そんな話がある』ぐらい状態やってんよ。その証拠に市長に当選してるやんか」

 そうだった、そうだった。

    「ところがね二回目の市長選の時に、そんな古い因縁を蒸し返されたんよ」

 選挙にはネガティブ・キャンペインは良く使われるけど、相当エゲツナイものだったらしい。これで市長の怨念の血が燃え上がってしまったぐらいで良さそう。

    「だからあれだけ地元業者の排除に熱心だったんだ」
    「谷奥村のあつかいもひどいもんや」
 だから合併話もあれだけ嫌がったで良さそうだけど、合併後もすごかったみたい。温泉の公衆浴場も合併の時の約束では市営に移管する約束だったのだけどあっさり反故にしてる。また下水道や都市ガスの整備も合併時の約束だったけど、十年経っても長期計画の端っこにも載らないそうなんだよ。

 その代わりにやったのが、生徒数減少を理由にした幼稚園・小学校・中学校の廃校と解体。それだけじゃなく、老朽化を理由にした旧村役場、集会場の解体。これらは合併して一年のうちに、あっと言う間に行われたらしい。集会場についても再建の約束だけはあったそうだけど、未だに計画すらなし。

 さらにだよ。あれだけ観光に力を入れてるのに、谷奥温泉の宣伝は一切してないんだ。市の観光案内にも、市内の名所とかのパンフレットやガイドマップにも一切書かれてないぐらい。アカネもそこまでやるかと思ったもの。これを知ったユッキーさんが憤慨したぐらいかな。

    「その辺はユッキーの温泉好きもあるけどな」
    「だってあんなに良い温泉なのよ。それの存在さえ認めないって許せないじゃない」

 ユッキーさんは仕事では氷の女帝って呼ばれるぐらい、冷徹過ぎるほどの計算尽くで仕事をするので有名で、決して情で動いたりしない人なのはアカネでも知ってる。ユッキーさんが情で動く時は、女神の仕事ぐらいの気がする。

    「まあ、そうとも言えんことないわ。今回はエレギオンHDの仕事と言うより、女神の仕事に近いかもしれん」

 でもさぁ、でもさぁ、フォト・コンテスト一つ取ったからと言ってなんにも変らない気がするけど、

    「市長に対する市民の不満は大きくなってるんよ。観光客は増えたけど市民にはあんまりカネ回らんからな」

 コトリさんによると観光客が増えれば増えるほど、観光客から地元住民が遠ざけられ、市長が引き込んだ市外の業者ばかりが潤うのが誰の目かも明らかになったんだって。そりゃ、観光写真まで取り上げてるぐらいだし。

    「ちょっと火を着けるぐらいで十分やと思てる。だってやで、あれで市長が審査員を買収してたんはチョンバレやんか」

 な~るほど。辰巳は審査の無効を主張した上に審査員を破門にまでしてるから疑われないし、逆に市長は審査結果にあれだけこだわる姿勢を見せちゃったし。でもさぁ、立木さんが言ってたけど市議会は市長派が占めてるって言うから、

    「市長派いうても、これぐらいも規模の市やで。市長の旗色悪なったら、すぐに掌返しよるわ。誰も市長と一蓮托生なんて思わへんよ」
    「冷たいですね」
    「市議は地元の人間しかなれへんし、市議を選ぶのも地元の人間。あれだけ地元の人間を冷遇したら、落ち始めたらあっという間や」
 その後だけどコトリさんの予想通り、市議会は大荒れになったみたい。市の提出した予算案が否決されちゃって、その後もスッタモンダの大騒ぎ。マスコミも赤壁市の騒動として取り上げてたし、ワイドショーまで解説付きで喧々諤々やってた。

 ああなったら市長の国政進出は難しくなるだろうな。つうか市長の座もどうなるかわかんないな。それとシンエー・スタジオも赤壁市から撤退しちゃったのよ。なんでだろうと思ってツバサ先生に聞いたんだけど。

    「辰巳にだって見えるよ。市長と組んでも、傷口を深くするだけと判断したのだろう」
    「じゃあ築田は」
    「シンエー・スタジオから離れて独立したそうだ。独立とは言うものの、事実上の追放で良いと思う」
 辰巳も赤壁市を見切ったんだろうな。それにしてもコトリさんもユッキーさんも、どこまで計算してたんだろう。女神がその気になって動くと、これぐらいの事は簡単に出来てしまうんだよね。やっぱり関わるとロクなことはなさそう。

 だってさ、市議会で市議が出して来る資料がまさに衝撃物というか爆弾物、あんなもの普通は出て来ないよ。あれはシノブさんが調べ出してものに違いない。世間でエレギオン・グループだけは絶対に敵に回したくないとするのが良くわかったもの。

 でもさぁ、でもさぁ、女神が動いた最後の引き金が温泉だったなんて誰も気づかないだろうな。そんなところに女神の古傷があるなんて想像できないものね。

    「アカネ、それを言うなら逆鱗だ」
 似たようなもんやんか。どっちも触ると怒るんだし。

アカネ奮戦記:勝負の綾

 でも、あの審査結果がひっくり返ったのは辰巳が動いてくれたからだけど。あれはどういう事なんだろう。そしたらツバサ先生が、

    「アカネ、辰巳は慌てたんだよ。辰巳の目的は自分がグランプリを正々堂々と勝ち取ること」

 そのために辰巳は参加してるんだけど、

    「辰巳は築田も、それ以外のシンエー・スタジオの提出作品を知ってるんだよ」

 そっかそっか。でもタケシの作品は知らないはず。

    「アカネも翌日に展示された写真を見ただろう。あれを見てどう思った。とくに築田の作品だ」

 グランプリ部門は応募作品がすべて展示されてたんだけど、築田の出来はかなりどころでなく悪かった。

    「築田の作品では他のシンエー・スタジオの作品にも劣る。それも明らかに劣る」

 たしかに、そうだ。

    「それでも築田は準グランプリだ。そういう結果になるのは買収以外にありえない」
    「審査員のせいで逃げるとかは」
    「審査員は全員西川流だし、辰巳はその総帥だ。追い詰められるのは辰巳になる」

 とにかく展示されればアカネもツバサ先生も見るから、買収の首謀者にも思われるし、そうまでして勝ちたいかの悪評まで流されるよね。

    「だからあの場で破門のパフォーマンスまで必要になったと見て良い」

 だからあそこまでやったのか。たしかに即時破門までやれば、辰巳への疑惑は打ち消せる。

    「だがそれによって辰巳の最後の保険を失うことにもなる」
    「生命保険ですか」
    「違う。辰巳の勝利のための保険だ」

 そんな保険があるのかな。

    「失いたくなかった辰巳は最後に粘ってる」

 なにかやったっけ。

    「辰巳は最初に再審査ではなく、やり直しを求めてるんだよ。これは審査員を集め直す時間が欲しかったんだ」

 アカネでもわかったぞ。審査員はシンエー・スタジオとも立木写真館とも関係のない第三者ってのが建前になるけど、どう集めて選んでも西川流の息のかかった者が多数派になるんだよ。

    「それが辰巳の保険ですか。それじゃあ、買収と同じでは?」
    「辰巳は総帥だよ。そこまではやらせないさ。あくまでもある状況になった時の保険だ」

 ある状況ってなんだ。

    「話を順番に進めるとな・・・」
 辰巳のやり直しの提案はさすがに無理があったみたい。ここは市長の言う通り予算とスケジュールが絡むから。だから予算にもスケジュールにも影響の少ない再審査に意見が傾けば、それ以上の角を立てるのは避けたで良さそう。まあ、そうなるよ。

 次は再審査となると誰が審査員になるかの問題が当然出てくる。辰巳が破門にした連中を使うのは無理があり、集めるにも時間がない。辰巳はツバサ先生を担ぎ出したけど、あれってどういう事だったんだ。

    「辰巳は賭けに出たんだよ。自分の作品ならタケシの作品にわたしが審査しても勝てるはずだって。これ以上、完全な勝利はないだろ」

 あの作品なら辰巳がそれぐらい自信を持つのはわかるけど、それのどこが賭けなんだ。

    「辰巳とタケシの作品をアカネならどう審査する」

 う~ん、難しいな。それぐらい差はなかったと思う。出来れば引き分けにしたいぐらい。

    「そうだよな。わたしもタケシの作品を見て驚いたぐらいだ。もっと驚いたのは辰巳だと思う。だが今回のコンテストで引き分けは無しだよ。とにかく利権絡みだからな」

 その上での審査判定となると、

    「それが辰巳の保険だったんだよ。互角であるのにあえて判定を下さなければならないのなら、審査員の好みぐらいになってしまう。それより何より辰巳は西川流の総帥だ。互角であると判定した時点で辰巳の勝ちになる」

 なるほど!

    「もちろんこれは最後の最後の奥の手だ。これを使わず勝つのが辰巳の目論見だった。だからあれほどの撮影体制を組んだんだよ」

 辰巳はそこまで本気で勝ちに来てたんだ。

    「ツバサ先生が最後に辰巳に意見を求めたのは?」
    「確認さ。互角ならわたしが決めるよってね。もう少し言えば、辰巳の使うはずであった奥の手を使わせてもらう宣言かな」

 たぶん辰巳にすれば、まさかの互角であった時点で観念したぐらいと思う。

    「でも辰巳もしたたかだよ、もう一つ最後の保険を掛けてる」
    「まだあるのですか」
    「あるよ。わたしを審査員にしたことさ」

 そっかそっか。審査を下したのが明らかにタケシ側だから、ああいう場合はやむをえないぐらいの見方をしてもらう計算か。それでも辰巳にとって痛手だろうな。辰巳なら一蹴して当然の相手に互角まで持ち込まれた末に、理由はどうあれ負けたんだから。

    「じゃあ、市長が買収工作をやらなかったら辰巳の勝ち」
    「当然そうなる。それだけじゃない、市長の余計な工作は騒ぎを大きくしてしまった。平穏に辰巳がグランプリを取っていれば、タケシがいかに健闘していようが、辰巳に次ぐ二位の結果の評価しか残らなかったはずだよ」

 かもね。翌日に作品を見ればアカネも、ツバサ先生も二人が互角であったことはわかるけど、それを世間が知ることは殆どないものね。辰巳の勝利への準備はそこまで行われたんだ、さすがにタダ者じゃないよ。

    「それでも、あの時に辰巳がタケシの勝利に異議を唱えていたら」
    「そんな醜態はさらさないよ。辰巳もプライドの高い男だ。退く時の潔よさぐらいは心得てるさ」

 やれば恥の壁塗りだもんな。

    「違う! それは恥の上塗りだ」

 似たようなものじゃないか。まったくツバサ先生は細かいところにウルサイんだから。それでも、ここまでの勝負に持ち込むことが出来たのはタケシの写真だよ。タケシはそれだけの仕事を成し遂げたんた。

    「その通りだ。すべてはタケシが辰巳と肩を並べてくれたからの話だ。それも全力で来た辰巳にだ。タケシはよくやったよ」

 それとだけど、

    「ああ、タケシみたいなタイプがいた事も発見だったな。でもなアカネ、サトルやマドカもそうだったが、やはりプロになれるのは例外だ」

 だよねぇ。タケシみたいに重圧を掛けるだけかけたら万事OKじゃなさそうだもの。実際のところはタケシより遥かに軽いプレッシャーで悉く潰れてるし。

    「また手探りの日々が続くな」
    「はい」