渋茶のアカネ:及川小次郎

 ツバサ先生に紹介されたのは及川小次郎氏、御年九十一。経歴も調べたんだけど、父親の急死により二十六歳の若さで社長を継ぎ、町工場に毛の生えた程度だった及川電機を今の規模に育て上げた立志伝中の人でイイみたい。

 及川氏で有名なのはカメラ関係なら及川CMOS。これが出た時にはデジカメのイメージセンサーをまさに席巻したってなってる。他にも先進的なヒット商品多数。現代のエジソンなんて呼ばれた時期もあるみたい。

 六十歳の若さで娘婿に社長の座を譲り会長に。これも業界では衝撃をもって迎えられたみたい。そうだよね、オーナー社長なんて、下手すりゃ死ぬまで社長やるのが普通だものね。

 オフィス加納が及川電機のカレンダーの仕事を始めたのが、及川氏が社長になって三年目の二十九歳の時っていうから六十二年も前のこと。そこから四十七年間も延々と続いてる。これが途切れたのは加納先生の夫が癌を発病し、これを機に加納先生が引退し、オフォスも閉じてしまったからなのも初めて知った。

 ここからは及川電機のその後みたいな話になるんだけど、娘婿が社長を継いでから業績は徐々に傾いていったみたい。そして四年前にエレギオン・グループの傘下に入り経営陣は責任を取って退陣。及川氏も会長を辞任してる。

 この時に及川氏は八十七歳になってるんだけど、なんとこの歳で再び及川電機の技術顧問を要請され、あの及川センサーの開発の総指揮を執ってる。うん、この経歴を読むだけでタダのジジイでないのはアカネにも良くわかる。


 住所を頼りに訪ねたんだけど、閑静な高級住宅街の一角にある立派なお屋敷。門のところに『及川』って立派な表札もかかってるから、ここで間違いなさそう。しかしまずったな、もうちょっとマシな格好をしてくりゃ良かった。

 つい、いつもの調子でTシャツ、ジーパン、スタジャンにスニーカーで来ちゃった。つうか、これしか持ってないし、これ以外といえばローマでツバサ先生に買ってもらった一式だけ。あれはあれで、ちょっと合わない気もする。それよりなにより、あのヒールで歩くのは拷問だ。

    『ピンポン』

 しばらくすると老人が出てきた。開口一番、

    「ほう、君が渋茶のアカネ君か。麻吹先生から話は聞いている」

 だ か ら、渋茶は余計だって。案内されたのは応接間で良さそう。

    「カレンダーの話を聞きたいのだってね」
    「はい、この度御依頼を頂いたのですが、製作意図などを確認させて頂きたくて」

 及川社長はツルっぱげ。でも九十一歳ととても思えないほど矍鑠としてる。さすがは立志伝中の人と思ったけど目は優しい。そこだけ見てるとまさに好々爺。

    「あれを初めて依頼したのはもう六十年以上前の話になる。熱い時代だったよ、とにかく一流企業にのし上がってやろうと背伸びしまくってた時期だ。カレンダーだって一流のものを出してアッと言わせてやろうぐらいだった」
    「だからオフォス加納に依頼を?」

 及川氏は含み笑いをしながら、

    「アカネ君には想像もつかないかもしれないが、当時のオフォス加納といっても無名もイイところだったのだよ。オンボロ・ビルの小さな貸事務所だったからね」

 オフィス加納もそんな時代があったんだ。

    「加納先生も売り出し中でね。ようやくその名が広がり始めたぐらいだった」
    「では加納先生を見込まれて?」

 及川氏は悪戯っぽく笑われて、

    「腕を見込んだのはウソではないが、加納先生を選んだのはコスパだった」
    「コスパ?」
    「そう、背伸びはしてたが足元は脆弱でな、わかりやすく言えばカネがなかった。限られた予算で一流のものを作れる可能性が加納先生にはあると思ったぐらいだ」

 加納先生にも苦労した時代があったのは前にも調べたけど、この頃はこれぐらいの扱いだったんだ。

    「お聞きしても良いですか」
    「かまわんよ」
    「御社のカレンダーをすべて見させて頂いたのですが、一つわからない点があります。加納が撮ったのは記録から明らかですが、あれだけ撮って、一枚も光の写真が見当たらないのです」

 及川氏はニコニコしながら、

    「たいした話じゃないんだが、依頼料を値切ったんだよ」
    「それで」
    「あんまり値切り過ぎて加納先生を怒らしてしまってな、
    『そこまで値切るなら光の写真は使わない』
    こう言われてしまったのだ」

 どんだけ値切ったんだろ。

    「私も若かったなぁ。光の写真を撮らない加納先生の写真なんて一文の値打ちもないも言ったんだ」

 こりゃ、子どもの喧嘩じゃない。

    「そしたら、加納先生は光の写真抜きでも、私を唸らせる写真を撮るのは簡単だって啖呵を切ったんだ」

 加納先生も喧嘩っ早いところがあったんだ。

    「撮れるなら撮ってみろってことで交渉成立」

 まさに売り言葉に買い言葉って奴だな、

    「カレンダーが出来上がった時に驚いたよ。そして加納先生に惚れこんだ。それ以来のお付き合いだった」

 ツバサ先生も光の写真はトレード・マークだけど、光の写真を使わなくても凄腕なのはよ~く知ってる。加納先生もまたそうだったのも良くわかった。だって及川電機のカレンダーを初めて撮影したのはまだ三十一歳の時だよ。その時点であれだけの写真が、もう加納先生は撮れてたんだ。

    「どうしてカレンダーの依頼を再び」
    「老人の懐古趣味と笑ってくれ。死ぬ前にもう一度、見たくなった」
 げげげげ、こりゃ厄介だ。たとえばね、評判の良いレストランがあるとするじゃない。そこのシェフが下手に神格化なんかされちゃうと、二代目はムチャクチャ大変になるんだ。評価されるには先代を明らかに上回るぐらいでやっと互角って感じ。

 加納先生が亡くなられてから十年経つけど、そんな芸当が出来る人間はツバサ先生ぐらいしかいないと思う。アカネもいずれそうなる予定だけど、今すぐは無理。

    「最初は麻吹先生にお願いするつもりだったんだが、どうしてもアカネ君にやらせて欲しいと頼み込まれてな」
    「えっ」
    「私も快く了承した。麻吹君があそこまで推すのなら間違いないだろうって」

 ちょっとツバサ先生、無茶振り過ぎる。

    「今日、アカネ君に会えるのを楽しみにしてた。期待してますよ」
    「期待といわれても、あの、その、今の限界が・・・」

 あれ、及川氏の目付きが急に変わった。

    「自分の可能性に限界を考えてはいかん。限界を考えた瞬間にそれが限界となる。いつも通過点だと考えるんだ。加納先生は偉大だったが、アカネ君、それさえ通過点だと思い給え。ワシはいつもそうしてきた」
 ビビった。なんちゅう迫力。さすがは老いても及川小次郎ってところかも。若い時はもっと凄かっただろうし、そんな及川氏と渡り合っていて加納先生も凄かったんだろうな。でもイイこと聞いた気がする。

 アカネもプロの端くれだし、これからもっともっと成長する予定。そうだよ、ツバサ先生さえ追い抜いちゃう予定なんだ。そのためには加納先生を抜かないと話にならないじゃない。もう少し先の予定だったけど、それが早まったと思うんだ。というか、そうでも思わないとシャッターすら切れないぐらい怖い。

    「ところでアカネ君、良ければカメラを見せてくれないか」

 ヤバぁ、カレンダー写真に参考になりそうな風景があれば撮っとこうと持って来てるんだよねぇ。

    「いや、まだ、えの、まだ駆け出しなもので・・・」

 おずおず差し出したら、及川氏はあれこれ触りだし、

    「アカネ君、ちょっと撮ってもイイかな」
    「かまいませんが」

 何枚か撮る度に首を傾げ、また何枚か撮っては考え込み、

    「いつ買ったものかな」
    「中二の時に」
    「八年前か」

 ようやくカメラを置いた及川氏は、スマホを取りだして、

    「ああ、及川だ・・・カメラのオーバーホールを頼む。これも悪いが急ぎでやってくれ・・・なに、バカ言っちゃいかん・・・もっと早くならんか・・・もっとだ・・・それ以上は無理なら仕方ない・・・泉茜君だ・・・よろしく頼む」

 電話を切った後に。

    「私のカメラの腕は下手の横好き程度だが、根は技術屋だ。カメラの具合がどうなってるかはわかる。今すぐ、ここに行って見てもらいなさい」
 えっ、今からって思ったけど、及川氏の好意を無にするのは悪そうだから行ってみた。

渋茶のアカネ:アカネのカメラ

 アカネのカメラは中学の時に親を拝み倒し、泣き落とした末に手に入れたいわゆる入門機。それ以来ずっと愛用してる。高校の時に東野の野郎に散々バカにされたけど、ちゃんとリベンジを果たしてくれたおりこうさん。でもさすがに買い替えの必要性を痛感してる。もっともツバサ先生は、

    「新しいの買っても言うほど変わらないよ」
 わからないでもないけど、撮影に行ったらカメラ見られて『?』って顔されることもあるし。カメラじゃなくて写真で勝負するのがプロだけど、プロだからこそ道具にこだわるとも言うじゃない。

 それにしてもツバサ先生もサトル先生も凄いカメラ持ってるのよね。イメージセンサーの革命とまで言われてる及川センサー搭載のロッコール・ワン・プロだよ。とにかく及川センサーが搭載されてるのはこれしかないから、現在のプロの定番中の定番。でも怖ろしく高い。

 レンズも凄くて、あの、あの、あのロッコールの加納志織モデルだよ。そりゃ欲しいけど、こっちになるとある程度そろえるだけで家が建つぐらい。ツバサ先生や、サトル先生なら買っても余裕でペイするだろうけど、アカネじゃローン地獄にはまり込むだけだもんね。

 何度か触らせてもらったけど、あれは感動ものだった。全然見え方が違うんだ。とにかく無茶苦茶クリア。レンズを覗いてるって感じがしなかったもの。その後にアカネの愛用機を使うとさすがに落差が強烈。

 それでも愛用機でツバサ先生を満足させる写真が撮れてるんだから、イイようなものだけど、もう一台欲しい理由もちゃんとある。とにかく使い倒してるから、そろそろ怪しくなってるんだ。

 オーバーホールもちゃんとやってるんだけど、しばらくはイイけどまた怪しくなるって感じ。とにかく一台しかデジイチ持ってないから、これが動かなくなったら仕事を直撃するのは明らか。カメラって癖があるから、馴染むまでの期間が必要だし、馴染んでないと思う通りの写真が撮れなかったりするかもしれないもの。

 そういうわけで二台目のカメラを探しまくってる。カツオ先輩にも意見を聞いてるし、サトル先生にも相談してる。でもツバサ先生にはあんまりしていない。したのはしたんだけど、

    「予備なら中古で同じクラスの後継機買っといたら。それだったら馴染むのも早いよ」
 素っ気ないぐらい現実的。後継機なら今のと使い勝手は近いだろうから馴染んで使いこなすまでは早いだろうし。アカネの財布からして中古がお似合いなのもわかるよ。

 でもさぁ、でもさぁ、カメラマンがカメラを買うんだよ。クルマ好きがクルマ買うとか、バイク好きがバイク買うとか、料理人が包丁買うとか、大工がノコギリ買うとか、たこ焼き屋が千枚通し買うとか・・・えっと、えっと、とにかくもうちょっと夢があってもイイじゃない。そりゃロッコール・ワン・プロは無理としても、入門機よりはステップアップしたいもの。

 写真スタジオ勤務だから、その手の資料は山ほどあるし、セールスも来る。誰もが一家言持ってるし、目移りしまくってもう大変。時間があればとにかくカメラ探し、カメラ選び。あれがどうだの、これならどうだの。


 でも結局あきらめた。ロッコール・ワン・プロとレンズの加納志織モデルの組み合わせを見ちゃったら、他のカメラは見劣りしちゃうのよね。予算不足が最大の原因だけど、無理に無理を重ねて、後悔が残る買い物って虚しいじゃない。

    「あれ、アカネ、カメラを新調するのあきらめたの」
    「どれも帯に短し、ベルトに長しで」
    「それを言うなら『帯に短し、襷に長し』だ」

 同じ意味じゃない。

    「カメラを見下されるのは」
    「プロの評価は持っているカメラじゃなく、撮った写真です」
    「おっ、イイこと言うじゃん」

 東野のカメラだって蹴散らしたんだ。

    「じゃあ、故障の心配は」
    「アカネがこれだけ愛情もって使ってるんです。故障なんかするものですか」
    「う~ん、それはさすがに精神論だねぇ」

 なにかツバサ先生は考えてるようでしたが、

    「風景写真撮ってみる」
    「はい、はい、はい、はい」

 やったぁ、ついにアート系の仕事だ。

    「でもこれはちょっと大きな仕事だよ」
    「そういうところで死に物狂いにさせるのがツバサ先生流でしょう」
    「よくわかってるじゃない。仕事は及川電機のカレンダー。かなり前に受けていた時代もあるから、見とくとイイよ。それ以上の仕事を期待してる」
    「頑張ります」

 凄い凄い、風景写真のカレンダーだよ。毎月なら表紙も入れて十三枚、二ヶ月おきでも七枚。それがでっかい写真でドカンだよ。依頼されてるテーマは、

    『神戸の点景』
 なるほど、神戸の名所紹介的な感じで、それを新たな角度が切り取るぐらいでイイんじゃないのかな。どこにしようかな、納期からすると四季折々は無理みたいだけど、異人館とかは外せないよな。

 そうそう、かつてこの仕事を受けてた時代があって、その写真を参考にしろってツバサ先生は言ってたっけ。ヒョットすると弟子の関門みたいな仕事だったかもしんない。


 さあて、どんな写真だろ。ふ~ん、一番新しいのが十六年前か。それまでは毎年受けてたんだ。やっぱりオフィス加納の定番の仕事みたいな感じだったのかな。古いのから順番に見ていこうか。とにかく古いけど楽しみ、楽しみ。

 一番古いのはまだフィルム時代のはずだけど・・・こ、こ、これはなに。異様なまでの華やかさと美しさじゃない。夢のような写真ってこういうのを言うんじゃない。このアングルの切れ味の鋭いこと、そしてそのアングルから生み出される構図の面白さ。

 こっちのは、わかったぞ、わざとアングルを甘くしてるんだ。そんな事をすれば、普通は写真をダメにしちゃうんだけど、甘くした点を最大限に活かして、この柔らかさを演出してるんだ。アカネは時間が経つのも忘れて、次々に映し出される写真に釘付けになっちゃった。

 全部見終わった時はまさに茫然自失。全部なんだよ、一枚一枚全部がそれぞれの独特の美しさと魅力を満載してるんだ。これこそプロの仕事と心底思ったもの。それも並のプロじゃない、プロの中のプロしか出来ない仕事だって。

 これに引けを取らない写真を撮れってか。そりゃアカネだって撮りたいよ、いつかこんな写真を撮るのが夢だったんだ。でも今のアカネの腕とこのカメラで撮れるんだろうか。今まで感じたことのないようなプレッシャーをヒシヒシと感じてる。

 でもアカネにも撮れるはず。ツバサ先生は無茶と思うような事をさせるけど、あれはあれでアカネの力量を見切ってやらせてくれてるんだ。今までだって、なんのかんのと全部クリアしてきたんだ。今回だって必ず出来るはずだ。そうだ、そうだ、ツバサ先生はこうも言ってた。

    「今回のはちょっと大変だと思うから、わたしのアシスタントも、他の仕事もしなくてイイよ。この仕事だけに専念しときな」
 これが『ちょっと』ってツバサ先生も冗談きついけど、専念できるのはありがたい。まずどこから手を付けようか。そうだな、そうだな、まずクライアントに会ってみよう。でも相手は及川電機だけど誰に会えばイイのかな。

 こういうのは広報担当の仕事だろうけど、言っちゃ悪いが下っ端。もっと上の人の意向とか趣味で決まったものを事務処理させているだけよねぇ。アカネが会いたいのは、こんな凄いカレンダーを作らそうとした人。その人から話を聞けばなにかヒントが見つかるかもしれない。とは言うものの見当も付かないからツバサ先生に相談した。

    「・・・そういうわけで、クライアントの狙いを直接会って聞いてみたいのです」
    「聞いてどうするの」
    「クライアントの真の要望を写真にするのがカメラマンの仕事のはずです」

 ツバサ先生はしばらく何か考えたけど。

    「なるほど。わかったわ、この人に会ってみなさい」
 ツバサ先生は紹介してくれたけど、どんな人なんだろう。

渋茶のアカネ:商売繁盛伝説

 サキ先輩がいなくなってから、アカネはサキ先輩がやっていたオフィスの収入になる本気の仕事もかなり任されるようになってる。評判も悪くないみたいで、なんか仕事がドンドン増えてる気がする。ツバサ先生からの指摘やアドバイスはもちろんあるけど、

    「アカネの写真はユニークだし、なんとも言えない楽しさが出てるからおもしろいよ」
 オフィスへの仕事依頼は大雑把に言うと、オフォスに依頼されるものと、カメラマン個人に依頼されるものがあるんだ。ツバサ先生やサトル先生がやってるのは殆ど指名依頼だし、商店街からのものはオフォス依頼かな。

 前に柴田屋さんからアカネに個人依頼されたのは例外。個人的に良く知ってたのと、柴田屋さんの御主人好意、いや茶目っ気というか遊び心ぐらいってところだよ。ところがなんだけど、

    「ほい、これが今度の仕事、アカネへの指名依頼だ」
 ちょっとどころじゃなくビックリした。どこでアカネの名前を知ったのか、いやヒョットしたら、依頼したのはストーカーじゃないかって怪しんだぐらい。スタジオに入って、たかが三年目のアカネに指名依頼なんてあり得ないじゃない。

 でも、まあ嬉しいのは確かだから張り切ってやった。そしたら、訳わかんないんだけど指名依頼が増えてく感じなのよね。でも気色悪いじゃない、カツオ先輩だって指名依頼なんてないんだもの。ツバサ先生にも聞いたんだけど、

    「それだけ評判がイイってこと。プロとして素直に喜んどいたら」

 まあ、そうなんだけど。お蔭でマドカさんから、

    『アカネ先生』
 こう呼ばれそうになって、必死になって止めた。オフォス加納の先生はサトル先生とツバサ先生の二人で、アカネなんて話にならないのぐらいは、よ~くわかってるから。


 そんなアカネへの指名依頼だけど、どう見ても偏りがある。いわゆるアート系は皆無で、ひたすら商品広告。アカネのレベルなら、それ自体は変じゃないんだけど、そういう依頼って普通はオフォス依頼なんだよ。今日も、

    「ほい、アカネへの指名依頼だ」

 ドサッて感じで渡されて魂消た。内容を見たらやっぱり商品広告ばっかり。それにしても色んなところから、よくまあって感じ。

    「急ぐのばかりだから頑張ってね」
    「あの、その、不満って訳じゃないですが、ちょっと指名依頼が多すぎる気が」
    「あん、仕事が多いって幸せよ。働かざるもの食うべからずって言うじゃない」

 どうにもおかしすぎるから、カツオ先輩をつかまえて聞いてみたんだ。

    「あれっ、知らなかったの」
    「何がですか」
    「たまにはオフィスのHPでも見てみたら。ついでにググればよくわかる」

 見たら仰天。

    『商品広告は渋茶のアカネがお勧め』

 なんだ、なんだ、その下にはいわゆる成功事例ってやつか。アカネが撮ったとこばっかりだけど、

  • 売り上げがなんと三倍に
  • 注文に追い付かなくて嬉しい悲鳴
  • 支店を出すほどの繁盛
  • 潰れかけの店が奇跡の復活

 どっかの怪しい健康食品の広告みたいじゃない。ググったら、ずらっと、

    『渋茶のアカネの商売繁盛・・・』

 さすがに頭に来て、

    「ツバサ先生、これはどういう事ですか」
    「オフォスも商売だよ」
    「それはそうかもしれませんが、渋茶のアカネはひどいじゃありませんか」
    「あれ。あれはわたしが広めたんじゃないよ」

 広めたのはなんと初仕事をやった柴田屋の御主人。なんとあのアカネ極渋茶がドンドコ売れてるみたいなの。どう言えばいいのか、

    『極渋茶ブーム』
 こんな感じになってるって。極渋茶ケーキとか、極渋茶饅頭、極渋茶アイス・・・そういえば極渋茶アイスは食べたことがある。あの脳天突き抜けるような渋みが甘さに妙にマッチして美味しかった。

 柴田屋は有名茶道教室の御用達だし、御主人も茶道に堪能で、お茶会にも良く顔を出すみたい。そこで極渋茶がブームになったことが話題になり、アカネの写真の効果が抜群だったと話したみたい。

 それを聞いた他の業者の人がアカネに指名依頼したら、その商品も売れて、さらに次も、次も、次も・・・その結果があの依頼書の束って結果で良さそう。ツバサ先生は笑いながら、

    「見るたびに感心するんだけど、アカネが撮った写真を見るとわたしでも買いたくなるぐらい。それだけじゃなく、買ったらそれだけで幸せになりそう感じと言えば良いのかな。これはアカネの大事な持ち味だから磨きなさい」

 褒められたと思った途端にドサッ。

    「ドンドン来てるから、頑張ってね」
    「せめて渋茶のアカネだけでも変えてくれませんか」
    「あだ名が付くってイイことよ。一流にまた一歩近づいたって証」
 え~ん、プロにあだ名とか二つ名が付くのは売れてる証拠みたいなものだけど、選りによってどうして渋茶なのさ。それもこんなに広まっちゃったら、変えられないじゃない。せめて抹茶にしてくれ。ほうじ茶でも、煎茶でも、抹茶でも、玄米茶でもイイ。とにかく渋茶はイヤだ。

渋茶のアカネ:アカネの採用秘話

 サキ先輩の退職騒動が収まってくれて嬉しかったんだけど、サキ先輩の抜けた穴を埋めるのは大変。マドカさんはアカネも通った下働き修業過程で役に立つどころか、足を引っ張るばっかりだし。

 でもサキ先輩もアカネが足を引っ張りまくっていたのを、文句ひとつ言わずに支えてくれてたんだと良くわかったもの。そうそう、サキ先輩が抜けちゃった後にマドカさんから言われたんだけど、

    「アカネ先輩はこれで麻吹先生の筆頭弟子ですね」

 マドカさんはいくら言ってもアカネを『先輩』って呼ぶから困ってる。麻吹先生も他人行儀だからツバサ先生って呼ぶように言っても、

    「それはマドカが麻吹先生に認めて頂いてからにさせてもらいます」

 赤坂迎賓館スタジオの徒弟修業って『どんだけ』って思うぐらい。オフィス加納はそんな堅苦しいところじゃないといくら説明してもムダみたい。筆頭弟子もそうで、サキ先輩がいなくなりゃ、ツバサ先生の弟子は二人しかいないんだから、筆頭と二番しかいないだけなんだけどなぁ。筆頭弟子になにか意味があるのか聞いたんだけど、

    「弟子の頂点でプロに一番近い地位です。なにより先生に直接指導して頂けます」

 撮って持ってきゃ、ツバサ先生はホイホイ見てくれるっていくら言っても、

    「それはアカネ先輩だからです」

 こういう教育もアカネの仕事なんだろうか。マドカさんから見るとアカネはよほどの扱いを受けてるように思えるらしくて、

    「だってオフィス加納に、他のスタジオ経験なしで入門を許されるなんて信じられません」
 これも言われてみて気が付いた。マドカさんもそうだけど、サキ先輩も、カツオ先輩も他のスタジオの経験者だものね。ツバサ先生はアカネの何を見込んで弟子にしてくれたんだろう。

 そりゃ、さあ、誰でもホイホイ弟子にするスタジオだったらわかるけど、ツバサ先生も、サトル先生もなかなか弟子を取らないじゃない。アカネの前だって二人だけだし、アカネの後もマドカさんだけ。昼休みの時にツバサ先生に聞いてみた、

    「一つ聞いてもイイですか」
    「なんだい」
    「アカネのどこを見込んだのですか」

 そしたらツバサ先生は笑い出し。

    「アカネは拾いものだった」
    「はぁ?」
    「あの時に面接に呼び出したのはアカネじゃなかったんだ。それがどこをどう間違えたのか来たのはアカネ」

 なんだって、なんだって、アカネは間違って呼ばれてたなんて、

    「事務の方も追い返しましょうかって言われたんだけど、さすがに失礼過ぎるんじゃないかって話になって、形だけでも面接だけはやろうって話になったんだ」

 形だけってなんちゅう扱い。そういえば部屋に通されてからエライ待たされたんだけど。

    「ああ、あれ。サトルがせめて応募の写真でも見ておこうって言い出したんだけど、とっくにボツにしてたみたいで探しても見つからなかったんだ」

 えっ、えっ、アカネは本当はボツだったってか。

    「仕方がないからロー画像を見たんだけど、サトルが妙に興味を持ってね」

 たしかにそんな感じだったけど。

    「なにか光るものがあったんですね」
    「ちがうよ。アカネも緊張してたんだと今なら思うよ」
    「どういう事ですか」
    「そっか、未だに気づいてないのか」

 ツバサ先生の部屋に連れたかれたんだけど、しばらくあれこれ探して、

    「あった、あった、これだよ」
    「これは弟子入り志願の時に持ってきたロー画像ですが」
    「そうなんだけど、いっぱい他にもあったんだ」
    「あっ、ダメ、絶対ダメ、それを見たらダメェェェ・・・」

 なんちゅうこと。USBで持って行ったんだけど、他の写真もテンコモリ。それもアカネの百面相写真じゃない。

    「笑うのをこらえるのに苦労したから、とりあえず外に撮りに行ってもらったんだ」

 えっ、えっ、あれは写真を評価したんじゃなく、笑うのをこらえるのが大変だったから、アカネに席を外させただけだとか。

    「それじゃ、アカネの採用は外で撮って来た写真が決め手になったんですよね」
    「ちがうよ。あれじゃ評価の内にも入らない素人写真」

 ギャフン。

    「決め手は百面相写真。あれってホントに百枚ぐらいあったじゃない。あれだけの百面相を工夫できる点が面白いと思ったんだ」
    「どういうことですか」
    「写真の技術ぐらいなら後からでも叩き込めるじゃない。プロが本当に必要なのはユニークな発想力だよ。それをアカネに教えてもらった気がしてる」

 アカネが評価されたのは写真の腕じゃなかったんだ。

    「でも、さすがに手がかかった」
    「そんなに下手だったんですか」
    「そりゃ、次の年に弟子を取れないぐらい手間がかかった」

 これまたギャフン。だから拾いものか。ちょっと待って、ちょっと待って、『拾いもの』ってことは今は良くなってるってことだよね。

    「先生、今はどうなんですか」
    「うん、わからないかなぁ。前にアカネが高校の同級生と喧嘩したじゃない」

 けしかけて写真勝負まで持って行ったのはツバサ先生だけど、

    「あの男の写真の評価は低かっただろ」
    「そうなんですよ、あんなヘタクソになってると思いませんでした」

 ツバサ先生は笑いながら、

    「それほど悪い写真じゃないよ。あの男も祝部先生のところで、ちゃんと勉強していたんだ。ちなみにあの写真教室ではダントツだよ」
    「なんちゅうレベルの低い写真教室」
    「そうじゃないよ、アカネがそれだけ伸びてるってこと」

 実感ないけどなぁ、

    「まだわかんない。マドカとあの男とどちらが上だ」
    「そりゃ、マドカさんの方がずっと上です」
    「それぐらいマドカの写真は上手いって事だよ、わたしが見込んで弟子にするぐらいにね。あれだけ撮れればどこのスタジオでも一発合格するよ。そんなマドカの写真をイマイチって感じるぐらいにアカネはもうなってるってこと」
 へぇ、上手くなってるみたい。

渋茶のアカネ:なんとかしなくちゃ

 サキ先輩は次の日も休んで来なかった。ツバサ先生には追うなと言われたけど、あれだけお世話になってるんだ、このままには出来ないじゃない。仕事が終わってからサキ先輩のアパートを訪ねたんだ。玄関に入ったらビックリした、ビックリした、部屋中段ボール箱だらけ。

    「サキ先輩これは・・・」
    「明日にも退職届を持っていくつもりだけど、この際だから心機一転で引っ越ししようかと思ってさ。ここにいると写真への未練が残っちゃうし」
    「辞めたらダメです」
    「そうだ、そうだ、イイものあげよう。えっと、どこだったっけ、あった、あった。中古で悪いけど、良かったら使ってくんない」

 出されたのはサキ先輩の愛用のカメラとレンズ、

    「いやぁ、アカネのカメラは気になってたんだ。あれも悪いとは言わないけど、やっぱり道具は大事だよ。弘法は筆を選ばずって言うけど、やっぱり少しでも良い道具を使う方が上達も早いと思うよ」
    「そんなもの、もらえません。それにカメラがなくなったら写真が撮れなくなるじゃないですか」
    「プロにならないんだったら、こんな御大層なカメラはかえって不便ってこと。もっと軽いのにするわ」

 ここまで割り切るのにどれだけかかったんだろう。串カツ屋でアカネに話をするまで悩みまくってたに違いないもの。

    「そうそう、サキもアラサーだから男を探さないとね。アカネも気を付けときなさいよ。カメラに熱中するのもイイけど、適当に見つけとかないと大変だから、あははは」
 ツバサ先生はサキ先輩に写真の才能は無いって言ってたけど、アカネはそうは思えないのよ。でも、ここまで割り切ってしまってるサキ先輩に泣き落としをしても通用しないだろうし、それでたとえオフィスに戻っても辛いだけだろうし。どうしたら、どうしたら。

 部屋の中は引っ越し準備中で、物が散らばってる状態。ふと見ると一枚のDVDが目についたんだ。なになに映研文化祭記念って書いてあるけど、

    「先輩、これは」
    「あ、それ、高校の時のやつ。片付けてたら出て来たんだ」
    「映研って、映画研究会ですよね」
    「あれ、話してなかったっけ。うちの高校に写真部はなかったんだけど、なぜか映研はあったんだよ。写真部の代わりってわけじゃないけど、似たようなもんだろうって入ってたんだ」

 映画と写真は似てるけど違うと思うけど、映研しかなければアカネも入ってたかもしれない。

    「映画も撮ってたんですか」
    「小さな部だったから何でも屋だよ。撮影が多かったけど、監督・脚本・演出から、役者もやってた。でもさぁ、なぜかヒロイン役はさせてくれなかったんだ」
    「こんなに綺麗なのに」
    「あははは、お世辞でも嬉しいよ」

 高校とはいえかなり熱中してたみたい。

    「おもしろかったですか」
    「そりゃね。おもしろくなければ、トットと辞めてたよ」

 そこから高校時代の映研の話で盛り上がり、

    「・・・でさぁ、でさぁ、編集はパソコンでやるんだけど、あのソフトってムチャクチャ重いのよね。部室にあったパソコンじゃ能力が低すぎて、何回フリーズしたことか。フリーズしたら、そこまで編集した分がパアになっちゃうじゃん。文化祭の前日に三回もフリーズしやがって、徹夜でやってたよ」
 なるほど、大昔みたいにフィルムで録ってる訳じゃないから、ビデオとパソコン編集だけでもかなりのものが作れた感じかな。せがんで見せてもらったんだ。これがね、良く出来てるの。

 高校生の作ったものだから手作り感に溢れてるけど、ストーリー展開が意外性に富んでるし、演出だってオーバーアクションでおもしろいと思うのよね。なによりその映像。どう言えばイイのだろう、写真で言うなら構図が秀逸。写真と違って動画は動くんだけど、登場人物が活きてるんだ。

    「先輩が撮ったのですか」
    「さっきヒロイン役が当たらなかったって言ったけど、撮影役を押し付けられちゃったからなのよ。ついでに演出もね。脚本だって結局サキが書いてたようなものだし」
    「じゃあ、ほとんど先輩が作ったようなもの」
    「所帯が小さかったからね」
 この時にアカネは閃いたの。これはまだまだ構想段階なんだけど、オフォスでも動画部門に進出すべきじゃないかの意見があるのよね。IT時代に写真一本で食べていくのは厳しいんじゃないかって。

 メインはあくまでも写真というか静止画だけど、動画や音響を組み合わせていくのも今後は必要になっていくんじゃないかって。それって映画じゃないかと思わなくもないけど、動画的な要素が求められていくのはなんとなくわかる。

 ただやるとなると機材もそうだけど、人がいないんだ。そりゃ写真スタジオだから、写真の専門家はいても動画の専門家はいないもの。ツバサ先生ぐらいなら出来ちゃいそうだけど写真で手いっぱいだし。

    「サキ先輩、辞めないで下さい」
    「明日にも退職届持っていくつもりだけど」

 そりゃ必死になって宥めまくった。

    「サキ先輩には絶対に才能があります。アカネを信じて下さい」
    「アカネがそこまで言うなら、ちょっとぐらいは待ってもイイよ」

 拝み倒すようにDVDを借りて帰った。翌日の仕事が終わった後にツバサ先生のところに、

    「先生、見てもらいたいものがあります」
    「写真か」
    「いえ、動画です」

 『?』って感じだったけど、アカネの気迫に押されたのかそれ以上は何も言わずに見てくれた。どうもパロディーらしいんだけど、アカネじゃモトネタ知らないのが多くて、どこが面白いかわかんなかったけどツバサ先生は涙流して笑ってた。

    「そうそう、こんな感じ」
    「いやぁ、このシーンはよく再現できてるね」
    「おっと、こう来たか。あの頃はこれで泣いてたんだよね」
    「いやぁ、懐かしい。みんなこれやってたものね」

 ムチャ受け。映画が終わって。

    「サキが撮ったものだね」
    「はい」
    「アカネは行ったんだね」

 背中に冷汗がベットリ。追うなって言われたのを破ってるから怒鳴られるのを覚悟していたら、

    「わたしとしたことが、この才能は見抜けなかった。サキの才能は静止画じゃ死んじゃうんだ。動いてこそ生きて来るんだ。サキの写真に対する違和感の原因はこれだったとやっとわかった」
    「ツバサ先生、サキ先輩に動画を担当させて下さい」

 アカネは土下座して頼んだんだ。そしたら、

    「アカネの目はユニークだよ。人が思いつかないものが見えるんだ。いや、見ようとしないものが自然に見えるとした方がイイかもしれない」
    「ではサキ先輩は」
    「ああ、頑張ってもらう」

 サキ先輩はオフィス加納の動画部門の担当者になったのだけど、

    「とりあえず専門学校で勉強して来い。知識と技術のアップデートをしないと始まらない。ここでするには機材が無さすぎるし、わたしも指導まで手が回らない。楽しみに待ってるよ」

 サキ先輩は留学扱いになって専門学校で一年間ほど勉強して来ることになったんだ。しばらく会えなくなるのは残念だけどサキ先輩は、

    「アカネ、イイ機会だから男も捕まえてくるね」

 そういって颯爽と出て行かれました。それを見送りながら、

    「サキ先輩なら必ず期待通りの働きをされます」
    「そればっかりは、やってみないとわからないけど、イイもの持ってるよ。あれだけの才能はそうそうは転がってないぐらいは言える」
 ツバサ先生もサキ先輩を相当買ってるよう。