スキー今昔

小学校4年生の長女が子供のスキーツアーに昨日出かけていきました。なんでも夜8時30分出発の車中泊、現地で2泊、帰りも車中泊の強行軍だそうですが、スキーツアーってたしかにそんなスケジュールが多かったような気がします。

私も全然自慢じゃありませんし、出来たら人にも言いたくないのですが、スキー歴だけはむちゃくちゃ長いのです。幼稚園入園の年(当時の田舎は年長部分だけの1年間でした)に亡父が豊岡に転勤になりまして、その年か翌年に神鍋に行ったのが始まりです。そこから数えるとなんと40年近い事になりますが、はっきり言ってまったく本格的にはやらなかったので、行った回数は全部で片手に少し余る程度で初心者よりマシな程度です。

比較的集中して行ったのは叔父が好きだったので連れて行かれた小学生時代ですが、当時のスキー事情は今とは雲泥の差がありました。まずウェアが違います。今よりはるかに防水機能が劣るため、春のベチャ雪では溶けた雪が染み込んで猛烈に冷たかった記憶があります。手袋も同様で、これも霜焼けをおこすぐらい冷え切りました。スキーの板もそれは重くて長くての重量級で、そもそも子供用なんてものがほとんど無かったような気がします。

宿も凄かった。なんと言っても部屋に暖房がなかったのです。昭和40年代はまだまだ家庭用のエアコンなんて高嶺の花の時代で、石油ファンヒーターもガスファンヒーターも無かった時代です。暖房と言えば灯油を使ったストーブか石炭をくべるストーブが一般的で、それが置いてあるのは帳場付近と食堂、乾燥室ぐらいで、部屋の暖房と言えば電気ごたつがあるだけでした。夜寝る時はコタツに向かって八方に布団を敷いて足を突っ込んで寝るスタイルがポピュラーでした。足を突っ込めたらまだ良い方で、当時はみんな貧乏だったのでしょうね、20畳の部屋に25人なんてすし詰め状態での宿泊もごく普通にあり、そうなると冷えた布団にセーターや靴下を着込んで寝るのもありふれた光景でした。

だからなんでも持っていっていました。スキー場や民宿で買うと何でも高かったですし、コンビニなんて便利なものが登場するのは10年単位で先の時代でしたから、それこそ持てるものはなんでももって言っていました。ドライヤーや歯ブラシ、お菓子や食べ物はもちろんの事、電気湯沸しやコーヒーメーカーまで持ち込んでいました。コーヒーメーカーも今のような電動の物ではなく、アルコールランプで沸かすサイフォン式なんですから驚きです。そうそうコップも当然持ち込んでいましたし、洗濯ヒモやハンガーも必須アイテムでした。

現地までの移動も大仕事の時代でした。中央道が建設中の時代で、名神の小牧辺りからは一般道をひたすら北上するのです。野沢まで行った時なんて20時間ぐらいかかったんじゃないでしょうか。そういうスキー客相手のドライブイン不夜城のようにあった事が思い出されます。

これも野沢の時だったと思いますが、クルマも凄かった。叔父の友人のクルマで行ったのですが、クルマの中に領収書が転がっていまして、中古で20万円してなかったんじゃないでしょうか。クルマの値段は当時も今も余り変わらないもので、当時でも20万円のクルマは相当怪しいものであったのは間違いありません。

叔父もやや心配になって「大丈夫か」と聞いていましたが、返答は「ちゃんとバッテリーも買ってある」でした。当時のバッテリー性能はそんなもので、予備のバッテリーを積んでくのも一般的であったことがわかります。

今年は大雪のようですが、当時のほうが大雪になる事が多かったような気がします。記憶では野沢から斑尾に移動したはずなんですが、移動した夜がかなりの吹雪模様でして、当時の駐車する時の心得として、ワイパーを上げておくだけではなく、フロントガラスに新聞紙を貼ったり、エンジンルームのバッテリーに毛布を巻きつけておくとかをする必要があったのですが、夜だったのとあまりの吹雪にそれが出来なかったようでした。

一転して翌日は快晴。昼間滑って、午後になりかえろうとしたら、駐車場に車が無い。さすがに吹き飛ばされたわけではなかったのですが、完全に雪に埋もれてしまい、まさしく跡形も無かったのです。どうなるのかと思っていたら、そのうち除雪車が駐車場にやってきまして、通路部分だけは吹き飛ばして除雪してくれたのです。それからどうするかと思っていたら、宿から借りてきたスコップで車の掘り出し作業です。

珍しくも無い作業だったのでしょうね。みんな驚きもせず車を掘り起していました。1時間以上かかってなんとか車を掘り起こし、凍った鍵をなんとかこじ開け、エンジンルームにびっしりつまった雪を取り除きエンジン始動。ところが前日の防寒処置が不十分だったせいかウンともスンとも言いません。ここでも表情一つ変えずバッテリー交換して再び始動。

ようやく帰途につけたのですが、フロントガラスにはビッシリ層をなして雪が貼り付き、視界はほぼゼロ。当時の車にはエアコンなんてしゃれたものは無く、ヒーターでしたから、冷え切ったクルマに温風を期待してもでるはずもなく、前が見えないまま走り出すことになります。で、どうしたか。クソ寒いのに窓を開けて頭を突き出しながら、フロントガラスの雪が溶けるまで走っていました。

ちょっと長くなりましたが、娘がスキーに行くと言われて思いだしてしまいました。