自殺報道

自殺報道には自殺予防メディア関係者のための手引きがWHO(世界保健機構)より出され、正式の翻訳版まであります。詳しくはマスコミの責任は此処にあるを御参照くだされば良いのですが、もっとも簡潔にポイントをまとめたものとして、

何をするべきか

  • 事実の公表に際しては、保健専門家と密接に連動すること。
  • 自殺は「既遂」と言及すること。「成功」とは言わない。
  • 直接関係のあるデータのみ取り上げ、それを第1面ではなく中ほどのページの中でとりあげること。
  • 自殺以外の問題解決のための選択肢を強調すること。
  • 支援組織の連絡先や地域の社会資源について情報提供をすること。
  • 危険を示す指標と警告信号を公表すること。
してはいけないこと
  • 写真や遺書を公表しないこと。
  • 使われた自殺手段の特異的で詳細な部分については報道をしないこと。
  • 自殺に単純な理由を付与しないこと。
  • 自殺を美化したり、扇情的に取り上げたりしないこと。
  • 宗教的、あるいは文化的な固定観念ステレオタイプに用いないこと。
  • 責任の所在を割り付けたりしないこと。

WHOの基準を念頭に置いて、5/22付の読売新聞を読んでみます。

「息できない」外へ逃げ出す患者、刺激臭に病院パニック

看護師らに付き添われ、ロビーに避難した患者(22日午前2時48分、熊本赤十字病院で)=門岡裕介撮影 深夜の救命救急センターが、パニックに陥った。熊本赤十字病院熊本市)で21日、農薬クロルピクリンを飲んで搬送された農業男性(34)の嘔吐(おうと)物から塩素系有毒ガスが発生し、患者や医師ら54人が次々に体調不良を訴えた。

 せき込んで屋外に飛びだす患者、ガスマスクと防護服姿で突入する救助隊……。「嘔吐物には触るな」「一体何が起きたのか」――。患者を救うはずの病院で起きた事故に、悲鳴と怒声が飛び交った。

 病院によると、男性が母親(60)らに付き添われ、救命救急センターに運ばれたのは同日午後10時50分ごろ。約10分後、救急副部長の高村政志医師(48)が処置室で、苦しそうな表情を見せる男性の胃を洗浄するため、口から管を差し込んで吸引を行ったところ、突然、吐いた。約40平方メートルの室内に刺激臭が立ちこめ、患者らがせきこみ出し、「患者を外に避難させろ」などという声が上がり、騒然となったという。

 重症になった72歳の女性は、男性のベッドから約10メートル付近にいて室内に充満した有毒ガスを吸い込んだ。居合わせた医師や患者は外へ逃げ出した。

 高村医師は意識が遠のき倒れそうになりながら一時処置室を出た。すぐに治療に戻ろうしたが、強烈な刺激臭に阻まれたといい、「塩素をきつくしたようなにおいで、息ができず目も開けられなかった」と振り返った。

 男性の母親は処置室で男性のそばから離れようとせず、病院職員の制止を振り切り、「何とか助けて下さい」と泣き叫んだが、引きずり出されるように避難させられた。

まず「してはいけないこと」を検証してみます。

  • 写真や遺書を公表しないこと。


      これは公表していません


  • 使われた自殺手段の特異的で詳細な部分については報道をしないこと。


      農薬クロルピクリンを飲んで搬送された農業男性(34)の嘔吐(おうと)物から塩素系有毒ガスが発生し、患者や医師ら54人が次々に体調不良を訴えた。
      明らかに報道しています。


  • 自殺に単純な理由を付与しないこと。


      これは公表していません


  • 自殺を美化したり、扇情的に取り上げたりしないこと。


      せき込んで屋外に飛びだす患者、ガスマスクと防護服姿で突入する救助隊……。「嘔吐物には触るな」「一体何が起きたのか」――。患者を救うはずの病院で起きた事故に、悲鳴と怒声が飛び交った。
      美化はしていませんが、かなり扇情的な表現かと考えられます。


  • 宗教的、あるいは文化的な固定観念ステレオタイプに用いないこと。
  • 責任の所在を割り付けたりしないこと。


      この2項目については書かれておりません。
「何をするべきか」についてはどれも為された形跡がはっきりとは確認できません。

先日の硫化水素自殺報道ではインターネットが諸悪の根源とした社説があり、私が取り上げただけでも神戸新聞毎日新聞の2紙です。硫化水素自殺については確かにインターネットの一部でくすぶっていた事は事実です。これにガソリンをかけて炎上させたのはマスコミですが、火種はネットにあった指摘だけは間違っていません。

ところが今回のクロロピクリン自殺はネットでくすぶっていたのでしょうか。私の知る限り検索出来ませんでした。前例があるかどうかは確認できませんが、おそらくマスコミが日本で初めて詳細に大々的に公表したかと考えられます。それも薬物を具体的に公表し、それによって巻き起こったパニックや被害まで念入りに報道しています。WHO基準のタブーを2つまで犯しての報道です。2つの部分に該当するWHOの手引きにはさらに、

使われた手段と、どのようにその手段を手に入れたのかということについての詳細な記述は避けるべきである。自殺のメディア報道は、自殺の頻度よりも利用される自殺手段に関してより大きな影響を与えることが先行研究によって示されている。ある種の場所(橋、崖、高い建物、鉄道など)は、古くから今に至るまで自殺と関連しており、知名度が加わることでより多くの人たちがそれらを利用しようとする危険性を増大させる。

今後にクロロピクリン自殺がもし相次いだら、この責任はマスコミにあるといえます。4/25付の毎日社説のように、「命を軽んじる風潮を背景に、自殺へと駆り立てるインターネットの魔力の不気味な広がりに、慄然(りつぜん)とするばかりだ。」みたいなまるで他人事のような事は書けなくなり、

    命を軽んじる風潮を背景に、自殺へと駆り立てるマスコミ報道の魔力の恐怖に、慄然(りつぜん)とするばかりだ。
こう評されて当然です。また4/25付の毎日社説のタイトルは「硫化水素自殺 死を誘発するサイトの罪深さ」ですが、クロロピクリン自殺が今後に続発するなら、
    クロロピクリン自殺 死を誘発するマスコミ報道の罪深さ
当然こうなります。それでも今後にクロロピクリン自殺が相次いでも、これはマスコミ報道とは関係なくネットのせいだと強弁するのでしょうか。マスコミ人、とくに論説委員クラスには難しすぎる話かもしれませんが「天に唾する愚かしさ」を少しは自覚すべしでしょう。