福島VBAC訴訟 報道編

この訴訟に関しては既に他のブログで十分に解説されていますし、今日のお話もさして新味があるものではありません。それでもあえて「報道編」として上げたのは、近日中に判決文が入手できそうだからです。判決文編を書く前に全体像と言うか周辺情報を確認してもらうつもりでお読みください。なお判決文は手に入る「予定」ですから、今後に判決文編がいつまで経っても出てこなければ、「予定」通りいかなかったと御理解ください。


VBACとはVaginal birth after cesarean sectionの略で、帝王切開の既往がある妊婦の出産を経腟分娩で行なう事を指します。古典的には一度帝王切開で出産した女性は次回も帝王切開が当然とされて来ました。これはなんと1916年に提唱されたそうで、VBACでもっとも怖ろしい合併症である子宮破裂が10%にも達していたとの事ですから、当時としてはもっともな事かと考えます。

VBACの方が子宮破裂をなぜ起こしやすいかですが、小児科医なので非常に単純に書きます。女性の子宮は一つしかありません。ある種の袋みたいなものですが、帝王切開の場合にはこの袋を切り開いて胎児を取り出します。もちろん切った後は塞ぐのですが、一度切ったところはどうしても子宮の弱点部になります。妊娠すると子宮は大きく膨らむのですが、前回切ったところが他の部位より弱く、そこから破裂しやすくなるとされます。

ところが1980年代からVBACがアメリカで推奨されるようになります。古典的時代に較べて帝王切開手術法が進歩して、VBACの成功率が上がったことと、保険会社が帝王切開よりVBACの方が安上がりのために広まったと言われています。ところがアメリカでもデータを蓄積させ分析すると、思われていたほどVBACの安全性が高くないことが分かるようになり、1996年をピークとしてVBACは減少に転じているとされます。

現在どれぐらいの子宮破裂の頻度があるかですが、VBACは帝王切開の手術法が子宮下部横切開という方法を取る事によって安全性が高まったとされます。この子宮下部横切開後の帝王切開で約0.6〜0.8%とアメリカでは報告されています。だいたい150件に1回ぐらいでしょうか。一方で全妊娠の子宮破裂の頻度は1000〜3000人に1人とされていますから、約10倍の危険性があるとしても良いでしょう。

子宮破裂が起こるとどうなるかですが、これは想像がつくとは思いますが、データにムラはありますが母体死亡率は1〜2%、胎児死亡率は20〜80%とされています。胎児死亡率に関しては完全に施設依存性が高く、子宮破裂から緊急帝王切開から娩出するまでの速度、新生児科医およびNICUの充実度が大きく左右しますが、生存しても重篤な後遺症がほぼ全員に残るとされます。

荒っぽいですがVBACのほんの基礎知識です。VBACの危険性は良識ある産科医なら十分認識しており、VBACにトライするなら家族への十分な説明と納得、緊急帝王切開及び麻酔科や新生児科の万全なバックアップの下に行なうべきものとしています。もちろん無謀にも条件を整えずトライする産科医もいるようですが、その辺は産科事情で「ヤブでもカルトでも貴重な戦力」時代に突入していますから、これは致し方ないところかと考えます。そう言えばVBACを請け負う助産師もおられるそうです。

ここからは僻地の産科医様の裁判は公正? ― VBACと30分ルールをめぐって 現場との乖離から御友人が経験されたVBACによる子宮破裂の10年前の経験談です。舞台は福島県立医科大学付属病院、おそらく福島県内でここ以上にVBACを行なえる条件が整っている病院はないかと考えられます。

    排臨のタイミングで人工破膜後、突然の心音低下、
    吸引を即準備し、人手を集め、隣のNICU医師立会いで、
    吸引するも滑脱して胎頭が急上昇してカップ届かず。
    胎児は横位で児心拍が臍上で除脈でした。

    子宮破裂かも?と直感し、当直医師に患者を任せ、
    患者さんに「今すぐ切るよ!」と許可をいただき、
    上司に電話して 「破裂です!今すぐ来てください!」

    家族に電話し緊急オペの許可、
    オペ室からの入室許可を待たずに、
    ストレッチャーでそのままオペ室に走ったら、
    オペ室の鍵がまだ開いていなくて前で
    「早く開けろ〜!!!」とドアをたたきました。

    そこに虫垂炎の緊急オペのために、
    たまたま起きてきた麻酔科医が通りかかり、
    捕まえて「こっちが先!!」と叫び、
    鍵を開けてもらい、
    アッペの手術準備のために電話に出られず、
    緊急帝王切開を知らなかったオペ室の看護師に、
    ストレッチャーの患者を押し付け、
    駆けつけた医師に後は任せ、着替えて手洗いし、
    全身麻酔
    イソジンぶっ掛けて緊急帝王切開

    麻酔科医2名、産婦人科4名、NICU2名で立会いでした。

    前回創部がバックリ裂け、
    頚から下が腹腔内にあり、
    頭が子宮内で臍帯圧迫していたのが、胎児虚血の原因だったようです。

    深夜2時の事件で、子宮破裂後42分で胎児娩出で
    (NICU2名立会いの帝王切開)です!!
    これ以上のタイミングのC/Sはありえないし、
    日中でも普通は許可なしでは
    絶対入室できない大学ですから新記録なのです。

    患者の目の前で、「鍵開けろ〜」と叫んだのが、
    手順ミスのようで心象悪かったのだと思うけど、
    正式のルートで連絡していたら30分はかかるし、
    アッペが入っていたら1時間では済まなかったでしょう。

凄い臨場感がある話ですし、医師を始め医療スタッフが救命のために努力を行なったかがよく伝わります。しかし母児とも救命が出来ましたが、子供には重い脳障害が残り4年9ヵ月後に死亡しています。さらに家族は子供の死後に病院を訴えました。訴訟に関しては5/20付のAsahi.comを読んで頂ければと思いますが判決の概要は、

 過去に帝王切開した妊婦が自然分娩(ぶんべん)するのは危険性があるのに十分な監視を怠り、子どもに重度の障害を負わせたとして、福島市内の夫婦が福島県立医科大学付属病院(福島市)に1億円の損害賠償を求めた裁判の判決が20日、福島地裁であった。病院側の過失を認め、同大に約7300万円の支払いを命じた。

また理由部分は、

 森高裁判長は、帝王切開した女性が自然分娩する危険性について「当時、具体的な指針はなかったが、病院側は説明義務を果たしていないと言わざるを得ない」と判断。「美江さんが痛みを訴えた時点で診察していれば、子宮破裂が迫っていると診断できた可能性があった」と、監視の不十分さを指摘した。

 そのうえで、胎児も大きめで美江さんには自然分娩の経験がなかったことなどから「緊急の帝王切開に至る可能性は高かった」とした。しかし、手術室に鍵がかかっていてすぐに使える状態になっていなかったことなどから、病院側は緊急事態への準備をしていなかったと判断した。

そうなんです、VBACによる子宮破裂はこの程度の対応では病院側に注意責任義務が課せられます。これは10年前の事件ですが、VBACで胎児を無事救命するには、1993年にLeung ASらがAm J Obstet Gynecol 169:945,1993に、

瘢痕性子宮破裂による胎児機能不全が生じてからの児の安全限界は最短17分と報告

私の調べた範囲ではどこもこの数字をVBACによる胎児を無事救出できる目安時間として引用しているようです。「最短17分」ですが日本の医療訴訟で重きを成している「30分ルール」は最低限満たさないと難しいかと思います。10年前の事件より医師の注意責任義務は格段に重くなっていると考えるのが妥当です。

最後に事件に関った産科医の言葉を紹介しておきます。

    これで
    「慎重に経過を見て、
     緊急C/Sの準備をすべし」
    と言われたら、
    10年後の今でもそんな施設はないとおもいます!