続々問題の根っこ

昨日書きながら思いついた事の書き足しです。どんな業界であっても需要>供給状態であれば、「あれば」満足します。戦後の食糧難の時代であれば「食べれる」だけで満足で、質やましてや味は二の次でした。しかし復興が進み食糧が行き渡ると、「食べれる」事は当たり前になり、質や味が重視されていきます。

医療もおそらく同様の要求をされていると考えます。医者が少なく医療を簡単には受けられない時代では、医療を受けられるだけで満足していたと思います。言い方は悪いですが、結果がどうであれ「医者に診てもらった」が最終段階で、それで病気に対して万事を尽くしたと考えます。

ところが医療は進歩充実します。かつては不治の病とあきらめられた病気も治るのが当たり前になり、野を越え、山を越え通わなければならなかった医療施設も、不十分とはいえ全国各地にそれなりに整備されます。そうなると患者は「より良い医療」を求めるようになります。食糧で言う質とか味です。もう腹が膨れれば文句は言わない時代は終わったということです。

「より良い医療」として求められるものは何でしょうか。要求は多岐にわたりますが、

    「いつでも、どこでも、熟達の専門医が万全の体制をもって、十分時間をかけて懇切丁寧に診療し、絶対にミスをしない」
ぐらいでまとめればおおよそカバーできるかと思います。

医療側からすると現状では相当というか絶対無理に近い要求ですが、現状はそれを求めています。マスコミもその声を助長することに専念しています。マスコミも広い意味で患者側ですから、その多大な影響力でこの要求を煽ります。医療側は現実的に実現不可能の要求に私も含めて反発していますが、少し考え直しました。患者側の「より良い医療」の要求は、医療の進歩充実に伴って現れる必然の要求と理解できないかと言う事です。求められるものは難問ばかりですべてに応える事は不可能としても、そうなる方向に医療が進むのはやむを得ないのではないかという事です。

ただしその方向に進むには現状の医療体制では絶対に無理です。現状の医療体制は絶対不足時代からようやく相対不足時代程度にしか充足していません。よく医療への批判で頻用される「3時間待ちの3分診療」ですが、これを解消したいのであれば単純計算で、診療する医者の数を3倍にすれば「1時間待ちの3分診療」にできます。6倍にすれば「30分待ちの3分診療」にできます。3分じゃ短いと言うのなら12倍にすれば「30分待ちの6分診療」にできます。

これを医者個人の努力にしてもなんの解決も出来ません。医者が努力出来る範囲は、せいぜい「6時間待ちの6分診療」を「3時間待ちの3分診療」にするだけで精一杯です。それ以上はできる事はありません。診察とはどう頑張っても一人づつ診察する以外には進行しないからです。

「より良い医療」のために「3時間待ちの3分診療」を是正し、「30分待ちの6分診療」にするのが望むべき方向であるならば、診察する医者の数を12倍に増やす必要があると言う事です。もちろん診察室も12ヶ所が並列で必要になり、これを支える看護師をはじめとするコメディカルも大幅に増やす必要があります。

一方で病院経営を考えると医者が12倍になり、コメディカルも大幅に増員しなければなら無いだけではなく、施設の大幅拡充も必要です。それだけの予算と人件費をかけて、収入は一人で「3時間待ちの3分診療」をしていたときと同じと言う事になります。それでは現状の診療報酬体制では成り立ちません。あくまでも単純計算ですが、少なくとも現在より10倍以上の診療報酬が必要と言う事になります。その負担は当然患者側にかかってくる事になります。

非常に粗い試算ですが、患者の望むべき「より良い医療」の一つである「3時間待ちの3分診療」ひとつを解消するのにも莫大な費用が必要です。理想的な「より良い医療」を手に入れるためには、すべからく莫大な費用が発生します。間違っても費用を削りながら「より良い医療」の実現などは到底不可能と言う事です。

患者の望む医療に近づいていくためには、医師への精神論ではなく、単純至極な経済論に帰結すると言う事です。「より良い医療」を実現するために莫大な費用をかけるのを是とするか、少々不便でも「それなりのより良い医療」で満足するのか。これに対する国民的合意がこの問題の解消には不可欠であると言う事です。これは医者個人の努力の範疇を遥かに超えている気がします。