ツーリング日和13(第4話)神楽

 とりあえずお風呂に入って、お食事処で夕食。そうだな、昭和の観光地の食堂みたいと言えば良いのかな。入ってみると先客が二人。若い女の二人組だけど、ありゃツーリング客のはずだ。取材もあるから声をかけようかと思っていたら向こうから、

「あんたらもツーリングか」

 声をかけて来たのがコトリさん。もう一人はユッキーさんだけど、唸りたくなるほどの美人じゃない。歳の頃なら二十代の前半ぐらいかな。神戸でOLしてるみたいで、今日は別府からやまなみハイウェイを越えて高千穂に来たみたいだ。

「ふへぇ、東京からフェリーか」
「へぇ、それでも二十一時間ぐらいで新門司まで来れるんだ」

 聞くとフェリー利用のツーリングもよくするみたいで、

「東北も遠かったけど、北海道はまさに地の果てやったで」

 関西からどうやってと思ったけど、日本海ルートのフェリーがあるのか。

「神戸は瀬戸内海やんか。そこから日本海側の敦賀や舞鶴まで行かんとあかんやん」
「フェリーは変な時間に出航するから大変」

 それはわかる。乗って来たフェリーだって二十三時四十五分発も結構なものだけど、新門司到着が二十一時半ってなんだとしか思えなかったもの。

「小樽に行った時がそうやった。港に着いてもホテルに行って寝るしか出来へんもんな」

 話しながらちょっと驚いたのは歴史に詳しいこと。

「詳しいのはコトリよ。そりゃ、筋金入りの歴女だから」

 今夜は夕食を食べて終わりじゃない。これから高千穂神社に行くって言ったら、

「神楽を見に行くんか。コトリらも行くから一緒に行こ」

 高千穂神楽と言うのだけど、観光用に毎晩高千穂神社で演じてくれてるのよ。ところで神楽って、

「いろんな説はある」
 
 名前の通り、神に捧げる芸能で良いと思うけど、神をまず呼び出し神座を設け、そのうえで招魂や鎮魂をしたのが始まりらしい。

「神の座はカムクラって言うんやけど、それが訛って神楽になったぐらいや」

 なるほど。

「そやけどな、神楽のルーツは一つやないと思うてる。とくに高千穂ではな」

 これは高千穂が古事記神話の高天原であり、ここに八百万の神がいたって前提になるのだけど、

「アマテラスの岩戸隠れの時にアマノウズメが踊ってるやんか」

 その楽し気な様子にアマテラスが岩戸を開けて覗いてみたのよね。

「その時のダンスは強烈や」

 アマテラスが気になるほど盛り上がったのはそうだろうけど、その具体的な様子は古事記にだけ残されてるらしい。

「オッパイ放り出し、スカートずらしてアソコを見せるセクシイダンスや」

 それってベリーダンスみたいなもの。

「そうとも言えるけどストリップに近いかもしれん」

 コトリさんが焦点にしているのはセクシイダンスである点よりも、アマノウズメが踊れた点なのよね。つまりは即興ダンスであったのか、ダンサーであったのかなの。

「即興でオッパイ放り出して踊るのは、いくら古代でも不自然やんか。そやから当時のプロのダンスと見たい」

 ああなるほど。宴会は昔から飲めや、歌えや、踊れやって言うけど、宴会の余興と言うか出し物に踊りがあるのは自然よね。でもそれだけのセクシイダンスになったのは、

「今やったっらダンサー兼コンパニオンみたいなもんちゃうか。巫女が娼婦を兼業してるのも昔からやし」

 ダンサーなり歌手が娼婦を兼業しているのは今だって名残りはテンコモリある。清盛だって白拍子を寵愛してるもの。古代だから、そうじゃなかったとするのも無理があり過ぎるとも言えそう。

「カグラの名前の由来自体はカグクラかもしれんが、王宮専属ダンサーがアマノウズメで、当時のトップスターやったんちゃうか」

 現在の高千穂神楽の遠い先祖が岩戸の前で踊ったアマノウズメであり、さらにアマノウズメの前にも宴会のダンサーとしてさらなるルーツがあったぐらいか。これがやがて神に捧げるダンスになり、あれやこれやと後世の付け足しがあり現在の神楽に至るぐらいと言われたらそんな気もする。

「考えようによってはオリジナルに近いもんが残されてるのが高千穂かもしれん。つうても、オッパイ出して踊り狂うはあらへんやろうけどな」

 神楽が行われる高千穂神社まで歩いて十分足らず。神楽殿は畳敷きになっていて、正面には板敷きのステージみたいになっている。神楽の前に宮司さんの説明があったけど、ここでは十五の保存団体が順番に出演しているのだって。

 ここは観光用だけど本番は新嘗祭の夜に行われて、それこそ一晩かけて行われるもので、夜神楽と呼ばれてるらしい。本番の時には延々と三十三番も行われるらしいけど、今夜見れるのは岩戸神楽とも呼ばれるもので、朝の四時ぐらいぐらいから七時に舞われるとか。

「なかなか見ることは出来ません」

 見れないとは見るのに特別の資格が必要とかじゃなく、オールナイト興行だから寝てしまっているのが殆どになるからだそう。それでも今から見れるのは高千穂神楽でももっとも重要なものになるそう。宮司さんの話は手慣れていて面白かった。

 神楽って鳴り物入りで、太鼓と笛の伴奏が入るんだ。それと仮面をして踊るんだ。披露されたのは手力雄の舞、鈿女の舞、戸取の舞、御神体の舞だったけど、

「岩戸神話ゆかりの舞やな」

 岩戸神話では手力雄が岩戸の扉に待ち受け、岩戸の前で鈿女が舞い、これが気になったアマテラスが岩戸を少し開けて覗いたところを手力雄が扉を開け放つものね。さすがに鈿女のストリップはなかったけど初めて見る神楽は興味深かった。

 宿に帰ったら部屋にコトリさんとユッキーさんが遊びに来たんだ。ビールとつまみを抱えてね。先輩も呼ばれたみたいで四人で酒盛り。双葉もそれなりに飲むほうだけどコトリさんたちになるとまるで水でも飲んでるみたいだ。

 ここで気になる事を聞いてみた。高千穂も高天原の候補地の一つだけど、実際のところはどうなんだって。古い神社はあるし、神楽まで残されてるから可能性は高いのじゃないかな。

「神楽とか神社は後付け可能やからな」

 コトリさんに言わせると日本の古代史は古事記と日本書紀が伝えられてる点で素晴らしいとまずしてる。世界的に見てもこれだけの古代歴史書が伝世で残るのは珍しいとか。言われてみればそうで、文字と紙がなければ残しようがないものね。

「国家事業として取り組んだのは大したもんやで」

 その代わりに古事記と日本書紀以外はまったく残らなかったとしてる。古事記や日本書紀の編纂のために他の記録も集められてるけど、一切合切失われてる。だから日本の古代史は遡れば古事記と日本書紀で行き止まりになってしまうとか。

「他に参照できる記録があらへんから、古事記に沿って伝承が形成された部分はある」

 だから後付けか。古代史を俯瞰的に考えると、やはり文明は大陸からもたらされた部分は大きいとしてた。古代日本と大陸の文明格差は大きいものね。

「大きいなんてもんやないで。卑弥呼の時代は大陸やったら三国志の時代や。卑弥呼と諸葛孔明が同時代人と思うたら、ため息どころの差やあらへんやんか」

 言われてみればそうだ。そんな大陸文化の導入ルートは、

「メインルートは半島経由やろ」

 卑弥呼への使者もそうだものね。半島から対馬、隠岐、そして北九州のはずで、吉野ケ里みたいな都市と言うか国が形成されてたはず。

「だから困る部分は多いんや」

 どういうこと。

「神武はどう考えても日向から東征してるやんか」

 神武神話のキモは九州から近畿への遠征記録としか読めないのは同意だ。九州であっても北九州からなら良いのだけど、神武と神武の祖先の足跡は日向なんだよね。

「そもそも論やが、なんで日向を捨てて大和に遠征せなあかんねんって話になるやんか」

 コトリさんに言わせるとあんな大遠征が行われるのは、日向になんらかの理由で住めなくなったからのはずだって。言われてみればそうで、日向で豊かに暮らしていたら畿内に遠征軍を送る必要性は出てこないはず。

「まあ豊かでもフロンティアを目指して冒険の旅に出るのもいるやろうけど、問題は日向やんか」

 古代史もそんなに詳しくないと言うか、今度の取材旅行のための泥縄式の付け焼刃程度だけど、日向の漠然たるイメージとしては温暖で豊かなところぐらいかな。だけど古代王権が存在していたかと言われると疑問だ。

 古代王権の主なところは畿内、吉備、出雲、北九州だよね。九州なら北九州になるけど、もし日向に強力な古代王権があれば目指すのは、

「九州統一やろ。お隣さんやもんな。ほいでも古代九州で南北戦争なんか聞いたことあらへんし、神武の東征で北九州を気にした話はあらへんはずや」

 えっと、えっと、話が混乱しそうだけど、それって、

「コトリはやっぱり神武は九州に居場所をなくしたからやと思う。そやけど夜逃げみたいに日向から逃げたとするのは恥しいから伏せたんやないかと思うてる」

 じゃあ高天原は、

「コトリの仮説やで。神武は高い文化を持っていたはずや。そやから畿内に王権を築いけたんやろ。それだけの文化を持っとっとたんはやっぱり北九州や。神武の先祖は北九州から追われて高天原に逃げ込んだんちゃうか」

 北九州は卑弥呼の時代でも戦乱が絶えないところだ。そんな北九州のどこかの国が亡国の憂き目を見て南九州に逃げたって不思議無いよな。そういう目で見ると高千穂は山の中の天然の要害に見えないことも無い。

「今夜はこれぐらいで寝よか。明日もあるし。ところで明日からやが・・・」

 さすが歴女だ。このネタは番組にも使えそう。