ツーリング日和11(第19話)ヤクザ世界

 部屋に戻った。信じられないけど加藤さんのマドンナってエルだったんだ。そう考えると疑問はかなり解ける。そりゃ、加藤さんにしたらエルに夢中になるだろうし、大切にしてもおかしくない。でもそんなにモテてたのかな。

「なんでウソ言わなあきまへんねん。たとえばでっけど・・・」

 えっ、そうだったっけ。ちょっと待ってよ、言われてみれば多かった気がする。エルは泥棒カンナへの対策で実用一点張りの文房具でそろえてたけど、

「わても買いに行きましたわ」

 男子でアーム筆入れを持っているのがたしかに多かった。男ってあんなペンケースが好きだと思っていたけど、あれはエルが持ってたからおそろいにしてたなんて。

「鉛筆は三菱の9800で、消しゴムはラダー。みんな争ってそろえてましたわ。近所の文房具屋はすぐに売り切れになってましたもんな」

 そうだった。エルが鉛筆を買いに行ったらなくて困ったもの。まあ、定番商品だからすぐに補充されたけどね。それでもだよ、あんなに不愛想だったのに、

「そこに魂が吸われたんですわ」

 よくわからん。そもそも不愛想で塩姫なのに、気立てが良くて優しいはずないじゃない。

「ああそれでっか。園芸委員は奪い合いでしたからな」

 エルは花とか育てるのが好きなんだ。だからずっと園芸委員をやってた。ずっとなれた理由は簡単で、誰も園芸委員なんてやりたがらないもの。だって毎日の花壇の水やりだとか、季節ごとの植え替え、雑草を抜いたりの仕事があるからね。

 エルが手を挙げたら『はい、どうぞ』の世界だったもの。厄介な委員を進んで引き受けてくれたら歓迎されるもの。それが実は奪い合いってどこの世界の話だ。

「南梨さんの枠は神聖不可侵でしてん。奪い合いは男子の委員の方ですわ」

 えっと、あれはなんとなく決まっていたような。

「南梨さんの目の前で醜態をさらしたらアカンから、南梨さんのおらへんとこで争奪戦の末に決まってましてん」

 だからか。園芸の男子委員なんてサボるのが定番のはずなのに、なんかエライ熱心だったんだよね。あれは、花が好きな人だと思ってたけど、エルの気を引くためだったとか。

「たしかに教室では南梨さんは塩姫でしたけど、花の相手をされてるお姿に誰もが見惚れとりました。花を育てるのが好きな人は気立てが良くて優しいに決まってま」

 それってコジツケじゃない。でも少なくとも加藤さんはそういう想いでエルを見ていてくれたし、そんなエルを好きになってくれていたんだ。加藤さんも告白したの。

「わてなんか、無理もエエとこですわ」

 でもないと思うけど・・・ダメだ。夕食の時からずっと思いだそうとしてるのだけど、どうしても加藤さんが思いだせない。加藤なんて苗字の男の子なんていたのかな。でも同級生じゃなくちゃ、これだけ知っているはずないのよね。

 なんかヒント、ヒント、う~ん、う~ん、待てよ、加藤さんらしき人はいる。加藤さんは高校中退だけど、東高で中退したのは一人のはず。たしか苗字は・・・思いだした高宮君だ。

「思いだしてもうたんが良かったか悪かったかやけど、わては高宮ですわ」

 高宮君が中退した理由は、さすがに覚えてないけど、

「もう白状せんとしゃ~ないですな。高宮って苗字に覚えはありまへんか」

 えっ、高宮。大阪で高宮、有名なのは・・・まさか、まさか、

「そのまさかで高宮組の組長の息子ですわ」

 ふへぇ、知らなかった。だから喧嘩もあんなに強かったのか。空手とか習ってたの。

「そんなエエもんやのうて・・・」

 エルの社長の娘と言うのも色眼鏡で見られやすいけど、組長の息子となると相当なものらしい。どこに行っても特別扱い、別扱い、

「はっきり言うて除け者ですわ」

 まともな習い事に通うのはまず無理で、

「ヤクザの息子やから道場も通えまへん。そやから、ゴロマキを叩き込まれましてん」

 ゴロマキってヤクザ用語で喧嘩らしいけど、ヤクザの喧嘩術を教え込まれたのか。教えるのもヤクザだから殺伐としたものなんだろうな。ところでヤクザの組ってあれもある種の就職先みたいなものだけど、組員とかなればお給料をもらえるの。

「組は会社とは違いまんねん」

 そりゃ、違うだろうけど、高宮君が言うには暴力団も見習いと正式の組員がいるそう。見習いは古典的には組事務所に住み込みで働いて、そこで認められて正式の組員に昇格するだとか。

「見習いのうちは組を辞めても単なる不合格やから、それで組との縁が切れるぐらいでよろしおまっさ」

 ああそうか。正式の組員が抜けるとなれば半殺しの制裁が待っているものね。

「昔ほどやあらへんけど、まあ、そういうことですわ」

 見習いと正式の組員の関係はあれこれややこしいみたいだけど、正式の組員になればやっぱりお給料が、

「出まへん。代わりに上納金の義務が課せられます」

 はぁ、おカネを払わないといけないの。

「ヤクザのシノギってのは・・・」

 シノギはヤクザ用語でおカネを稼ぐらしいけど、

「わかりやすく言うと、組員になるというのは、シマでシノギを許されるってことですわ」

 わかりにくい。シマはもともと賭場の意味だったらしいけど、今ならナワバリと同じような意味で良さそう。ヤクザのシノギって、用心棒代だとか、みかじめ料とか、カツアゲとか、ヤク売ったりとか、

「今は変わって来てまっけど、まあそんなとこでんな。そやけど、あれかってどこでも出来るもんやおまへんのや。出来るのは組のシマの範囲内だけでんねん。組員になるというのは、その組のシマでシノギを許されるライセンスみたいなものですわ」

 営業許可をもらえる代わりにライセンス料として上納金を支払うぐらいの関係で良さそうだ。上納金はその名の通り下の身分の者から上の立場の者に支払われるから、

「上に行くほど潤います。そやから成り上がりのモチベーションが常に働く仕組みになりますねん」

 下っ端なら月々の上納金を払うだけでカツカツの生活になるらしいけど、上に行くとベンツを乗り回すぐらいはエルでも知ってる。その頂点が組長か。

「組長言うてもピンキリでしてな・・・」

 小さな組は大きな組の傘下に入り、大きな組に上納金を納めるんだって、これが何階層も積み重なっていて、

「一番トップがたとえば神戸におりまっしゃろ」

 あそこか。城塞みたいなお屋敷に住んでるぐらいはテレビで見たことある。そのナワバリだけど、どこもビッシリ張り巡らされてようなもの。だけどナワバリの大きさがシノギの大きさを決めるからナワバリの争奪戦が起こる。

 生活がかかっているから血の雨が降るのだけど、ナワバリを奪うにしても守るにしても数が多い方が有利。だからナワバリに対し筒一杯の規模で組員を抱えようとするから、下っ端の生活は苦しくなる循環にもなるんだって。

 そっか、そっか、だから小さな組は大きな組に上納金を納めて庇護してもらうのか。そうしないと小さな組は生き残れないものね。でもさぁ、でもさぁ、それでも抗争は起こるじゃない。

「上の組かって慈善事業やおまへんねん。同じ系列の組同士で抗争が起こった時でも、いかに多くの上納金をせしめられるかが基本判断でんねん」

 たとえば同系列の組同士が抗争を起こして、一つの組が潰れても、それで大きくなった組からの上納金が大きくなればOKみたいな世界だそう。

「上の組かって、下の組が弱れば潰しにかかって吸収しようとするのは日常でっせ」

 まさに弱肉強食、暴力が支配する世界だ。

「ヤクザは統制主義でっけど、統制の原理は力の支配でっから」

 ヤクザ組織も組長以下の階級がビッシリあるけど、その地位の裏付けが力。ハッキリ言えば暴力。だから暴力団と言うのかもしれないけど、上が弱いと見れば下が食い殺しに来る殺伐とした世界。

「モロの弱肉強食の世界で、自分のことしか考えへん狂人の集団ですわ」

 それなのに任侠とか義理人情をあれだけ打ち出すのは、

「妙な憧れを持っとる奴がおるさかい、便乗してのイメージ戦略もありまっけど、それぐらいのルールがあらへんかったら殺し合いしかあらへん世界になりますやんか。ヤクザかって死ぬためになってまへんからな」

 上を排除したら繰り上がるとはいえ、無制限にやっていたらキリがなくなるから、ヤクザ世界なりのルールを定め、ルール破りにはこれまた暴力の制裁を加えるのか。あれだろうな、指を詰めるとか、

「指で済むなら平和でっけど、すぐタマのやり取りになるのがシンドイ世界ですわ」

 タマはヤクザ用語の命だけど物騒過ぎる世界だ。じゃあ、映画とかドラマに出てくる義理人情に溢れるヤクザは、

「メルヘンですわ。まあ、ホンマに上の方におる奴はカネに余裕がありますやん。そやから、表向きだけは南梨さんのイメージに近い事もすることがありまっけど、一皮剥いたら全部カネの亡者やし、それが出来る奴が上に君臨してまっさ」

 高宮君の話を聞く限り、そうしないと生きていけない構造になってるものね。映画やドラマに出てくるような甘い考えだったら、すぐに潰されてしまいそうだもの。そんなこところの組長の息子として生まれたら、普通の生活なんてできないのはわかる。

「裏世界とはよう言うたもんですわ」

 表だって弱肉強食のところはあるけど、ここまであからさまじゃないのと、すぐに命のやり取りに発展するのが根本的に違う世界ぐらいはわかった。