ツーリング日和10(第4話)北へ、北へ

 安全運転で快走。さすがは音に聞くオロロンラインだよ。

「オロロンラインは格別かもしれへんけど、北海道の道ってこんな感じなんかもな」

 それは今から経験することだよ。てな事を話しながら道の駅留萌でトイレ休憩。だってまだ八時だよ、トイレぐらいしか開いてないもの。さらに一時間もしないうちに羽幌の道の駅に到着。

「向こうに見える右側が焼尻島、左側が天売島や」

 へえ、名前は知ってたけどこんなところだったんだ。

「天売島にオロロン鳥の繁殖地があるそうや」

 ここもフェリーで渡れるだろうけど、さすがにパスだね。さらに一時間走ると、なんだ、なんだ、あの風力発電機の行列は、

「オトンルイ風力発電や。屈指のインスタスポットらしいで」

 前に電線があるのが残念だな。

「電線なかったら送電できへんやんか」

 まあそうだけど。これだけの規模の風力発電所は他にない気がする。風力発電所が終わったぐらいのところで、コトリがなにかのモニュメントの前にバイクを停めて、

「北緯四五度通過点や」

 神戸が北緯三十五度ぐらいだから十度も上がってるんだよね。思えば遠くに来たもんだ。

「男鹿半島の入道崎が北緯四十度やったもんな」

 そうだった、そうだった。ちなみに本州最北端の大間崎が北緯四十一度ぐらいだものね。そりゃ、遠いわ。

「あれが利尻富士や」

 なるほど富士だよ。もう十時か、この辺からサロベツ原野のなかを走っていく感じになる。う~ん、これこそ原野、これこそ北海道。咲いてる花はエゾカンゾウじゃない。でもこんな風景は北海道以外じゃ滅多に見れないよ。

「そやな。こんだけの平地があったら田んぼか畑になっとるもんな」

 日本の原風景と言われるのがそれになる。というか、

「稲作文化こそ日本の文化みたいなもんや」

 日本の文化や文明は、弥生時代に稲作が持ち込まれてから、これがすべての基本になり軸になったで良いと思う。だから稲作の周期に合わせて年中行事があると思っても良いと思う。

「その代わりに例外を認めんかってんよな」

 江戸時代の東北でも秋田、山形、福島、宮城ぐらいまではなんとか米が作れたけど周期的な飢饉に襲われてるのよね。今は農業技術も上がって北海道でも取れるけど、かなり無理やり感はないこともない。

「ほいでも日本一の米どころは北海道やで」

 それは知ってるけど、岩手から北ぐらいは稲作以外の方法を取るべきじゃなかったかと思っちゃうのよ。そう寒いところに合わせた農業文化みたいなもの。

「明治でやったやんか」

 でも成功したのかな。失敗じゃなかったけど、

「まあな、農業が衰退したのは誤算かもな」

 衰退は言い過ぎかもしれないけど、輸入品との競争にさらされちゃったからね。そんな事を話しながら北上。それにしてもサロベツ原野はなんて広いって感心しちゃう。さらに一時間程したところで、ここが宗谷岬なの。

「ちがう。ノシャップ岬ってなってるやろ」

 納沙布岬と名前が似てるけど、これはアイヌ語が由来のせい。岬がアゴのように突き出たところを『ノッ・シャム』て言うのよ。もっとシンプルにはアイヌ語で岬って意味ぐらいで良いはず。日本人に、

『あれはなんだ』

 こう聞かれたら、あれは岬だってアイヌの人々は答えたのが地名になってぐらい。

「北海道にカムイって地名が多いのとも似てるな」

 カムイは神で良いけど、神は神でも荒ぶる神に近いそう。それもそんな荒ぶる神が居そうな場所、つまりは地形上の難所を指す事も多いそうなのよ。

「コタンもそうやもんな」

 コタンは村って意味になるけど、カムイコタンになると荒ぶる神の住む村になり、

「高千穂峰みたいなもんやろ」

 かもね。でもさぁ、ノシャップ岬の景色も良いけどここはもう稚内市なんだよ。そう日本本土最北の町だ。稚内は市だけど、稚内より北側はオホーツク海だもの。ついにここまで来たんだ。それはそうと腹減った。お昼は稚内よね。稚内でお昼となると、

「そりゃ、北海道言うたらラーメンやろ」

 どうしてラーメンなのよ。でも考えようか、日本最北の市でラーメン食べるのもシャレてるかも。当然ご当地ラーメンがあるはず。

「ラーメン屋は多いけど無いみたいや」

 ギャフン。ノシャップ岬から十分もしないうちに到着。これはまた、貫禄が入りまくった店だな。店名こそチルチル・ミチルみたいだけど、そんなオシャレな雰囲気はまったくない。店内も場末のザ・ラーメン屋って感じじゃない。

「ここは塩や」

 醤油や味噌もあるけど塩が一番だって。餃子も頼んで、来た来た、ここまで透き通ったスープは初めてかもしれない。なるほど、この透明感を味わうのだったら、醤油や塩は邪魔になるのかも。それぐらいスープに自信があるってことのはず。

 これはあっさりスープだ。こんなに寒そうなところだから、唐辛子をどっさり入れた激辛スープみたいなものが出るんじゃないかと思ってたけど、こんなに上品なものだなんて。麺との相性もグッドだ。これはアタリだよ。

 そこから稚内観光を少しだけ。まずは稚内港北防波堤ドーム。なんだこのギリシャ建築みたいな列柱は。

「これはな・・・」

 稚内は最北の町だけど、第二大戦前は最北じゃなかったんだよね。ここから樺太への定期航路があったんだよ。だけど稚内は風も強く波も高いところなんだ。つまり船に乗るまでに波しぶきが容赦なく襲い掛かることも良くあったそう。それから守るために作られたのだけど、

「当時の技術やったら、垂直にしたらもたへんかったらしい」

 だからドーム状にしたのか。これは一見の価値はある。次に行ったのが稚内駅。ここは宗谷本線の終点でもあり、日本最北の駅。そういえば本土最南端の枕崎線の西大山駅にも行ってるから、これで南北制覇だ。

「沖縄出張の時にモノレール乗ったら、本土やなくて日本の南北制覇になるで」

 でも駅は立派だな。飲食店とかが入った駅ビルになってるのだけど、物寂しいな。この寂しさ感が北の果て感を盛り上げてはくれてるけど、

「稚内の繁華街は南稚内駅の方らしいわ」

 この稚内ってどれぐらいの都市かだけど、最盛時で五万五千人ぐらい、今では三万人ぐらいの衰え行く小都市。こういう都市は日本にいくらでもあるけど、こんな最果ての地に都市が成立したのが驚かされるかな。稚内繁栄の基になったのが北洋漁業と樺太だった気がする。

「やっぱり樺太やろ」

 樺太開発を考えると稚内は中継基地として重視されたはずなんだ。だからあれだけの防波堤も作ってるし、鉄道も通したはず。でも第二次大戦で樺太を失い、さらに二百海里問題で北洋漁業も衰退したのよね。

「今の稚内は北の果てのどん詰まりやもんな」

 稚内が盛り返すにはロシアとの交易になってくるだろうけど、ロシアも極東開発は未だに後回し状態。なんだかんだと言ってもロシアの中心は西にあって、極東なんてそれこそ二の次、三の次状態だもの。

「それは、しゃ~ないで。極東かってウラジオぐらいならまだしも、樺太なんか永久に手を出すかいな。日本が持っとっても今よりマシ程度ちゃうか」

 それはわかる。もっと条件の良いところはいくらでもあるもの。日本の北海道開発だって、札幌とかはともかく道北になるとこんなものだもの。樺太なんてここからさらに北だもの。人が住んで繁栄させるには条件がシビア過ぎるよね。

「よう左遷の時に網走に飛ばすとか言うけど、稚内も相当やな」

 あははは、網走はまだ見てないけど、ここに転勤させられるのもなかなかよね。さて次はいよいよ、

「ああそうや。ちょっと寄り道しながら行こか」