ツーリング日和9(第13話)エルトゥールル号

 朝だ、良く寝た、夜這いはやめた。さすがに相手が喬子女王様なら譲ってあげるよ。わたしだって首座の女神だけど現世ではさすがにね。コトリも、

「肇さんは喬子様の漢や。他人の漢に手を出すほど落ちぶれとらへん」

 あれこれ昨夜はあったけど今日はツーリング。まず目指すのは樫野崎、大島漁港が紀の大島の西側なら、樫野崎は東の端になる。大島の街を抜けたら後は快適だ! ここが駐車場か。これは綺麗に整備してあるな。ここからは歩きだけど、これだこれだ、これがエルトゥールル号遭難慰霊碑だ。

「今でも五年ごとにトルコ大使が来て慰霊祭やってるそうや」

 当時のトルコ皇帝アブデュルハミト二世が当時国交のなかった日本にわざわざ軍艦を派遣したのは、一八八七年に小松宮彰仁親王がオスマン帝国を訪問し、明治天皇の親書を奉呈したことへの答礼となってる。

 でもこれはあくまでも大義名分で、本当の狙いはイスラムのカリフとして東洋のイスラム教徒に威信を見せるためであったで良いと思う。

「日本なんてそもそもどこにあるかも知らんかったやろし」

 それに選ばれたのがエルトゥールル号なんだけど三十六年前に建造された老朽艦。遠距離遠征も良いとこなのに、どうしてこんな老朽艦がどうして選ばれたかは不明となってる。

「国産艦やからという説はあるな」

 トルコだけど陸軍国としては歴史的に有名だけど海軍は貧弱。老朽艦で日本を目指す航海は苦難の連続みたいな様相になり、

「途中で座礁したり、イスラム教徒の熱烈歓迎式典があったりしたけど、六か月の予定が十一か月もかかっとる」

 歓迎式典は皇帝アブデュルハミト二世の意向に副うものとはいえ、スエズ湾の座礁の修理費、航海の長期化は遠征資金の枯渇化を招いたんだよ。だから日本にたどり着いたと言うものの、長期の航海で傷んだ船の修理も覚束なかったとされてる。さらに追い打ちのように横浜でコレラ禍にも見舞われてるんだ。

「遭難の原因は船の傷みや操船技術の拙さも挙げられることもあるけど、こんなとこで夜に台風の直撃を受けたことに尽きるやろ」

 これは横浜でコレラ禍に遭って足止めされたこと、さらに日本に来るまでの航海の長期化で判断を焦らせたんだと思う。エルトゥールル号遭難慰霊碑からさらに進むと樫野崎灯台がある。ここは遭難事件当時の灯台で良いはず。ここも登れるのだけど内部からではなく、外に付いてる螺旋階段から登れるんだ。

「エルトゥールル号が遭難したのは?」
「あの辺らしい。船甲羅と呼ばれとって難破の名所らしいわ」

 あんなところで難破して嵐の海に投げ出されて、この灯台まで攀じ登って来たのか。ここから島を挙げての救難活動が行われたんだ。

「凄かったらしいな」

 それこそ島中の人が動員されて、海岸になんとかたどり着いたトルコ人だけじゃなく、嵐の海にまで入って助け出してるのよ。当時の島の暮らしは貧しく、海も荒れて船が来れない状況になってるから非常用の食料も全部出してるぐらい。

「凍え切ったトルコ人を温めるために・・・」

 女たちは裸になって一緒に布団に入って温めてるのだもの。それこそ島の出せる力をすべて絞り出して救助にあたってる。これが明治天皇の耳まで届き、最後は生存者を二隻の軍艦でトルコまで送り届けて事件はとりあえず落着したのよね。

「日本ではな。遭難事件当時は大事件で義援金も仰山集まったとなっとるが、やがて忘れられて、この辺の人ぐらいしか覚えてへん事件になったんでエエと思うで」

 ここも来たことあるし、慰霊碑も見たけど、そんな事もあったんだぐらいしか思わなかったもの。そうだね、世界に数ある海難事故の一つぐらいかな。

「あんな事ってあるんやな」

 日本では忘れられてしまったエルトゥールル号遭難事件だけど、トルコではそうでなかったんだよ。忘れていないどころか、学校の歴史の教科書に出てくるもので、トルコ人なら常識みたいな扱いになってるのだよね。

 事件から百年近く経った頃にイラン・イラク戦争が起こるのだけど、当時のイラクのフセイン大統領は、イラン上空での航空機無差別攻撃を四十八時間後に行うって突然宣言するんだよ。これを受けてタイムリミットまでに、テヘランにいた外国人たちはイランを脱出しようとしたんだ。

 日本も対応しようとしたけど、当時の自衛隊の輸送機をイランまで送るのに無理があり、日航に特別機を要請したけどあれこれあって断られてる。そりゃ、リスクが高いもの。日本政府はお手上げ状態になったのだけど、

「駐イラン大使の野村豊が、最後の最後にトルコ大使のビルセルに特別機を出すように頼み込んだんや」

 これが撃墜宣言の二十八時間前なのよ。それまでの間に野村大使は在留邦人の所在確認、他国の航空機のチケット確保、もちろん本国の救援機の出動がどうなってるかを睨みながら大車輪で動き回っていたんだ。

 それでも二百三十四名がテヘランに取り残されることになったんだよ。万策尽きた野村大使は、日頃から親交のあったトルコ大使のビルセルに恥を忍んで救援機の要請に行ってるんだよね。

 これはビルセルと個人的な親交もあったんだろうけど、トルコはイランの隣国だから、この切羽詰まった時間帯に救援機を送れる国はトルコぐらいしかなかったのもあったかもしれない。言うまでもないけど、他の国への要請はすべて断れてる。

 でもトルコだって自国民の救助に目いっぱいどころか、予定していた便でも積み残しが六百人ぐらいいたんだよ。こんなもの虫が良すぎるお願いに過ぎないし、野村大使だって門前払いされて当たり前と思ってた。だけどビルセルは野村の願いを即座に本国に伝え、

「ありえへんドラマが起こってもた」

 ビルセルの連絡を聞いたオザル首相はほぼ即断で日本のための救援特別便を出すことを決め、トルコ航空に要請を出したのよ。日航だって断ったのにトルコ航空はこの要請を受けることを決め志願者を募ったらしいけど、

「誰も断らんかったってなっとるねん」

 ここからも驚きのドラマが展開する。この時点でトルコ航空がテヘランに飛ばす予定だったのは救援特別便と最終定期便。あれどうなってたのだろう。

「わからんようになっとる部分がとにかく多いんやが・・・」

 ここからはイラン時刻で話すけど、二十時半が撃墜宣言のリミット。この時刻までにイラン国内から飛び出さないといけない事になる。救援特別便がトルコを飛び立ったのが十時だけど、これだってイラン側の都合で一時間半遅れなのよ。

「それも飛行ルートと飛行方法の指定があって、イランに着陸したんが十四時二十分やもんな」

 四時間二十分かかってるんだけど、そこから給油になり、さらにイラン軍の対空砲火とかあって、離陸できたのが十七時十分となってる。これだって来た時の所要時間を考えるとタイムオーバーになるけど、

「こんなもん今でも信じられへんけど、最終定期便がイランに着陸したんが十七時三十分なんよ」

 そうなった理由もはっきりしないけど、イラン軍の対空砲火もあったみたいだし、どの国も救援特別機を送り込んでるはずだから空港の管制も大混乱だったのはあるとは思う。それにしても十七時三十分だよ。

 で、で、日本人は特別救援便に二百十五名乗ってるんだよね。そりゃ日本人のために出した特別救援便だけど、トルコ人だって残っているんだよ。さらにさらに最終定期便が離陸したのは十九時半だよ。リミットの一時間前じゃない。それにも特別救援便に乗り切れなかった日本人が十九名も乗ってるんだよ。

 最後のところはわからないけど、もしかすると最終定期便のもともとの発着時刻がこの時刻だった可能性があると思っている。だけど撃墜宣言が出ちゃったから本来は欠航になってた思うんだよ。そりゃなるよ、そんな時刻にテヘランにいれば帰れなくなるじゃない。

 残された日本人をすべて救うには一機じゃ足りないのよ。だから最終定期便を復活させただけじゃ足りないと考えて救援特別便をもう一機出したんじゃないかって。

「おいおい、そこまでオザル首相はそこまでトルコ航空に要請したって言うのか」

 ここもわからなくなってる。オザル首相がそう考えたのか、それともトルコ航空のユルマズ・オラル総裁の判断なのか。でも結果として二機の救援機がこのギリギリの状況でトルコからテヘランに飛んだのだけは事実だ。

 でも、でもだよ。いくら一機だけでは積み残しが出ると言っても、それだけでも大英断としか言いようがないじゃないの。残された日本人だって文句を言える筋合いなんかあるものか。トルコ航空の決断がなければ全員がテヘランに取り残されたんだから。

「あれかもしれん。日本人ためのだけに一機出したらトルコ人の怒りを買うと考えたとか」

 その可能性も無いとは言えない。トルコ人だってイランからの脱出を焦ってるから、目の前でトルコの旅客機が日本人だけ運んで行ったら暴動が起こりかねないものね。いや、一機だってそんな事をやれば起こっても不思議無い。

「残されたトルコ人の反応の記録もはっきりせえへんもんな」

 残された記録も創作部分が入り混じってる感じがあって良くわからないのよね。これも結果だけど救援特別便と最終定期便にすべての日本人を収容し、残りの座席にトルコ人を乗せてテヘランを飛び立っている。

「最終定期便の帰りのフライトはギリギリなんてもんやないからな」

 もう一度言うけど撃墜宣言が二十時半でテヘランを離陸したのが十九時半なんだよ。さらに来る時は四時間以上かかってる。この状況自体が絶体絶命みたいなものじゃない。

「さらに言うたら、最終定期便はスケジュール的にそうなるのを覚悟して飛んできたことになる」

 トルコから来る時はイランの指示でかなり遠回りのルートだったのだけど、帰りは一直線にトルコを目指してる。これが誰の指示なのかも不明だけど、ここまで来たら誰の指示も何もなく、唯一の生き残れるルートを選んだと思う。

 最短ルートはテヘランからアララト山を越えるのになるそうだけど、これでさえ通常なら国境を越えるまで一時間半ぐらいはかかるそう。

「機長のアリ・オズデミルは飛ばしに飛ばして撃墜宣言の十分前にアララト山を越えてるわ」

 こんな事が起こったって信じられる? トルコは日本にとって遠い国だよ。仲は悪くはないけど、日本人がどれほど今のトルコを知っているかと言えば疑問だもの。今だけじゃないよ、昔からずっとだよ。

 そんな日本人のために、自国民の救助を後回しにし、命懸けのフライトを敢行するってありえないじゃない。それもだよ、日本の首相の要請じゃないよ、駐イラン大使の要請だけですぐさま動いたんだよ。

「そういうこっちゃ。どうして動いてくれたのか不思議に思った政府関係者が聞いたそうやが・・・」

 これも今となってはどこまで正しかったかは確認しようもないけど、尋ねられたトルコの高官は、

『エルトゥールル号のささやかな恩返しに過ぎません』

 尋ねた日本人は、エルトゥールル号と言われても、さっぱりわからなかったとされてるぐらい。そうなっても不思議無いと思うよ。だってだよ明治の話だもの。

「世の中に忘恩の徒は数えきれんぐらいおるし、施した恩をカタにせびり続ける奴はナンボでおるやんか」

 そうなのよ。恩を施した方がすっかり忘れてしまっているに、受けた方がいつまでも覚えているなんて滅多にないことだよ。

「それかって個人の話ならありうるで。そんな恩返しの話も多いからな。これを民族さらに国家として覚えとって返してくれるなんて聞いたことあらへん」

 でもさぁ、日本人がすっかり忘れていたからこんな劇的なドラマになった気もする。

「そやな。日本の首相がエルトゥールル号の話を持ち出して要請なんかしよったら、面汚しもエエとこやもんな」

 同じ話でも受けとり方は人によって違うもの。一方にとっては生涯忘れられないものであっても、もう一方にとっては大した話ではないことも多いのよね。それで揉める事もあるけど、日本とトルコの間で起こった二つの事件は爽やかさしか感じない。

「コトリかってイランの事件があるまでエルトゥールル号の話は知らんかったようなもんやねん。あの遭難事件がトルコで延々と語り継がれる話になっとるだけやなく、あんな土壇場の修羅場で、ついにこの時が来たとばかりに勇んで立ち上がってくれるなんて、これはもうお伽噺みたいなもんや」

 ノンフィクションとは思えないようなドラマチックな要素に満ち溢れたお話だけど、これを語り継げる小説や映画は結局出来なかったな。いくつか書かれたり作られはしたけど、後世に残るような傑作にならなかったのよね。そこだけは残念だ。

「あまりに実話が劇的すぎて、かえって出来へんかった気がするわ。手を加えたら、加えた分だけ質が下がったと思うてる」

 あれこそ事実は小説より奇なりを地で行った事件だった。