ツーリング日和8(第21話)庭先の決闘

 朝起きて旅館の庭見たら、あの五人組が掃除しとるのが見えた。

「ユッキー、あいつらホンマにやる気やぞ」
「おもしろくなって来たじゃない」

 完全に楽しんどるな。結衣は浴衣を着替えて、

「検分宜しくお願いします」

 マジでやる気か。たしかに酒乱で下品やったけど、剣道の腕はブラフやないで。酔っ払った状態ならまだしも、シラフでやったらガチの勝負になってまう。そやけど結衣はさっさと庭に向かうてしもた。コトリらも付いて行かなしゃ~ないやんか。

 庭の一角が綺麗に掃いてあるわ。ここが試合場ってことやろうけど。どんな試合をやろうっていうんやろ。つうのも剣道の試合は面、胴、籠手を着けてやるもんやんか。そりゃ、いくら竹刀でも生身でぶん殴られたら大怪我するもんな。

 そういう道具はあいつらは持っとるやろうけど、結衣は持ってへん。つうか竹刀さえ持ってへん。あんなもん担いでツーリングなんか出来へんからな。貸してもうて試合するのもありやけど、あんな経緯の試合で借りるのは妙やし、あの連中と結衣やったっらサイズ違いがかなりある。

「結衣が無手だったら異種格闘技戦になっちゃうものね」

 無手とは武器を使わん格闘技で空手とか、柔道のことや。そやけど異種の格闘技戦になるとルール設定が厄介になる。無手で国技ともされるのに相撲はあるが、あれの勝敗ルールなんか土俵の外に押し出すか、足の裏以外が地面に着くかや。

 そんな相撲と他の格闘技が戦うとなったら、どこで勝負を決するかだけでもめる。そりゃ、寝技がある格闘技もあるからな。

「ルール設定交渉で細工するのもアリだけど、この状況では難しいよ」

 勝敗判定やけど武道はスポーツやから難しいが、武術となると共通ルールはある。要は喧嘩と一緒や。戦闘継続意思がなくなった方が負けや。極端な話、生き残ってる方が勝ちになる。そやけど、そこまでになれば試合やのうて殺し合いの決闘になる。相手は昨日の酒乱オッサンか。当たり前やけど竹刀もって出て来とる。結衣は、

「防具は無しで良いですか」

 今のところ結衣は無手や。この状況で防具は付けられへんやろな。

「お前は空手か?」
「いえ」

 そういうと結衣は庭にあったホウキを取り上げ、

「これでお相手します」

 一本取ったな。酒乱オッサンの顔が見る見る真っ赤になりよった。普段から気も短いほうみたいや。

「審判は」
「不要です」

 相手を怒らせたんは心理戦として有効やけど、竹刀とホウキやったっら竹刀が有利やろ。これは審判なしやったらいかに相手を強く叩けるがポイントになるからな。

「でもないかも。あのホウキの柄は木製じゃない」

 そのまま試合に雪崩れ込んだ。酒乱オッサンはいきなり上段や。結衣は、ありゃ、あの構えはなんや。えらい低く構えるやんか。低いつうより、かがみ込むような構えで、ホウキの中程と先っぽを持っとるけど、

「わたしも初めて見るけど」

 コトリもや。酒乱のオッサンが上段に構えたんは、そうしたかったんもあるんやろうが、あれだけ結衣が地を這うように低く構えたら上段から面を狙いたくなるよな。つうか、面ぐらいしか狙えへんと思う。

 酒乱オッサンは気の充実を待っとるみたいや。それと面しか狙えん代わりにガラ空きやけど、あそこまで『打って下さい』状態にされたら、なにか罠があると疑っとるのかもしれん。とはいえ他は狙いにくいもんな。酒乱オッサンはジリッ、ジリッと間合いを詰めよった。

 結衣はピクリと動かず酒乱オッサンが間合いを詰めるがままにしとる。こりゃ、剣道の試合やあらへんな。剣道の試合でこんだけ動きがあらへんのはあり得んやろ。場の空気がピリピリと緊迫しとるで。

 勝負は一瞬やった。酒乱オッサンが面を打ち込もうとした瞬間に結衣が飛び込むようにホウキを伸ばした。あれは鳩尾や。それも前に踏み込みかけたタイミングで突かれとるからカウンターになっとる。

 たまらず酒乱オッサンは前かがみになってんやが、結衣は機敏や、ホウキを一閃させると酒乱オッサンの右側のコメカミをぶっ叩いた。それで左側によろけたところを今度は膝裏に一撃や。

『バタン』

 膝を折られた酒乱オッサンは前かがみに倒れよった。そこにすかさず距離を詰めた結衣は裂帛の一撃を頭に放ちよった。

「参った」

 ビタっと寸止や。あんなもんが入ったら昏倒で済まんかもしれん。結衣は、

「見事な棒振りダンスでした」

 酒乱オッサンはなんもさせてもらわへんかった。上段の構えから撃ち込む瞬間に強烈な一撃を鳩尾に喰らい、あとは結衣の思うがままに振り回されて踊らされただけやもんな。あんなに強かったんや。結衣は息一つ乱さず、

「お待たせしました。朝風呂に行きましょう」

 今朝は町の湯にした。気持ちのエエ湯や。宿に帰れば朝飯。なかなか豪華版やな。腹ごしらえも終わったら出発や。

「今日はどこに」
「地の果てや」
「そうよ、そこで愛を叫ぶの」

 ちゃうやろ。愛を叫ぶのは地の果てやのうて、世界の中心やろうが。まあ世界の中心なんて正確にはあらへんからな。

「日本なら西脇じゃない」

 あそこは子午線の東経百三十五度と北緯三十五度が交わるとこや。そやけど感覚的に西により過ぎるよな。そやから宗谷岬と佐多岬の中間である群馬の渋川も日本の中心やと主張しとる。

「それだったら栃木の佐野もでしょ」

 あそこは宗谷岬と佐多岬を結ぶ線と、日本海側と太平洋側の中間点を結ぶ線が交わるとこになっとる。どこもそれなりに根拠はあるんやけど、問題はそこにわざわざ行って愛を叫びたいかや。

 悪いがコトリはそんな気になれん。理由ははっきりしとる。その地点に思い入れがあらへんからや。

「それは言えてる。せめて純愛映画とかドラマで大ヒットがあればね」

 そこに尽きるわ。いわゆる『あやかる』ってやっちゃ。そやけど映画やドラマのヒットはブームを起こすけど、これが定着するかどうかになるとまた別の問題になる。時かけみたいに定着して聖地扱いになってくれるところは少ないねん。

「そもそもだけど、コトリが愛を叫びたい相手なんていないじゃない」

 うるさいわい。