ツーリング日和8(第14話)聖地巡礼

 向島から尾道は尾道水道を挟んで目の前や。どうやって渡るかやけど、

「一緒に行きましょうよ」

 向島から尾道に渡るには高速の新尾道大橋の他に尾道大橋と渡船があるねん。コトリらやったら渡船が便利やねんけど、結衣のKATANAは乗れんからしょうがあらへんか。尾道大橋を渡るのも一興や。橋を渡って国道二号線に入り山陽本線を右に見ながら走って、

「ここの信号で線路潜るで」
「栗原って方ね」

 すぐのはずやけど。

「ストップや」
「あの時計だ」

 ヒロインがタイムスリップした時に逆回転した時計があれや。映画の時に塗り替えたらしい。ここからは次の角を右に入るはずや。これは細いわ。この辺に停めさせてもらお。結衣のKATANAが邪魔やけど目を瞑ってもろとこ。

 歩いて行って突き当りが艮神社や。ここはタイムトラベル中のヒロインが、両親に連れられた幼い自分に会うとこや。

「そこで思い出すのよね」

 そうや。ここでヒロインは神隠しみたいに一時的に消え失せてまうねん。これは過去の自分に会えないの時間旅行の法則を知るシーンや。

「この大楠のとこだよね。それとこれなんだ」

 そうやここが土曜日の実験室を目指してヒロインが走った小道や。ほいでもって艮神社の隣が金山彦神社で、ここはタイムトラベルをするヒロインが降り立ったとこや。艮神社から引き返して、

「次はタイル小路ね」

 やめとく。あそこはヒロインが地震の後の夕暮れに下駄を履いて歩くシーンで有名や。聖地巡礼のファンも押しかけてたんやが、住民にしたら迷惑やんか。それこそ大問題になって今は剥がしてもたそうやねん。

「そうだったんだ。来るのが遅すぎたか。じゃあ次は深町の家」

 あれもやめとこ。あれは森谷南人子って言う日本画家の御屋敷やってん。映画では上原謙と入江たか子の老夫婦が住んでいて、タイムトラベルのカギになるラベンダーが育てられていた温室もあった。

「あの温室はセットだったのよね」

 そやけどタダのセットやない。廃病院にあったのを運び込んで組み直したものや。それとヒロインの通学路のシーンもこの家の庭なんが多いんよ。そやけど取り壊されて空き地しかあらへんねん。

 この先にヒロインと深町が一緒に歩いた竹藪の小道もあるんやけど、今は面影も残ってへんらしい。さらに言うたらヒロインの家も取り壊されてもとる。

「そうなんだ。まだ聖地巡礼の走りの時代だったものね。場所も場所だし、個人の所有物だったから何もしなかったのね」

 観光から見ればもったいない話や。まあ、観光言うても、それで儲かる人と迷惑する人がおる面がある。寺や神社やったらまだしも、民間の家だとかになると暮らしにも支障が出る。観光客が集まるだけやったっらゼニにならんもんな。

「もしかして聖地ってこれだけ?」

 まだある。学校や。このちょっと先やけど、学校には入られへんから反対側の柳水の井戸のとこに行って、

「あの学校だ・・・」

 これはコトリも調べて知ったんやが、あの学校は高校やなくて小学校やってんよ。そやからロケの時には高校生のエキストラを動員して、あの弓道場もセットでわざわざ作ったことになる。撮影期間は春休みやったから出来たんやろうけど、

「どうして素直に高校にしなかったのだろう」

 そんなもん大林宣彦に聞いてくれ。あえて考えれば、時をかける少女の尾道のロケ地はこの一角だけや。撮影の手間を軽くしようとしたぐらいは言えんこと無いけど、

「あのね。時をかける少女の聖地は尾道だけじゃないじゃない」

 そうなんよな。竹原に移動や。尾道の西隣が三原で、竹原はさらに隣や。一時間もかからんぐらいで着いてくれた。ここは歩いた方がエエねん。

「この街並みって通学路の」

 いかにもって感じの古い街並みが続いてるねん。ヒロインの通学シーンはいくつかあるけど、この街並みのシーンは印象的やった。

「そうかもね。これがなかったら、ヒロインの通学路って路地ばっかりになっちゃうもの」

 それでもって、ここやな。

「そのまま堀川じゃない」

 つうかこっちに合わせたんやろ。筒井康隆の原作やったっら吾郎の苗字は浅倉やし家は荒物屋や。ここもロケに使うたはずや。ここから西方寺に行くで。

「これもヒロインが通う通学路じゃない」

 西方寺から戻ってきて、この街並みの突き当りにあるのが、

「地震のシーンで屋根瓦が落ちて来るところ」

 胡堂というらしい。大林監督が使いたくなる気持ちはわかるな。竹原だけでも映画が撮れそうなもんやけど。故郷の尾道にこだわってんやろか。

「それもあるだろうけど、ここからじゃ海が遠いからじゃない。それと路地のシーンは欠かせないよ。竹原にだって路地はあるだろうけど、大林監督は尾道の路地を撮りたかったんじゃないかな」

 かもな。それとやけど、映画のシーンからすると、やっぱりヒロインの家、深町の家、それに学校がドラマの舞台になる。竹原ロケは短期やったんちゃうかな。早めやけど昼にしょうか。

「ほり川に決まりね」

 堀川醤油の隣にあるから親戚かなんかの店やろな。映画には直接関係あらへんけど、ここで食べるべしやろ。なんか名物あったら嬉しいけど、

「純米吟醸たけはら焼だ!」

 なんじゃそれ。へぇ、生地に酒粕を練り込んでるとは初めて聞いたわ。ソースはお隣の醤油を使うとるのか。これはなかなかやな。もう一枚食べたろ。

「コトリ、ロケ地って残ってる方が良いのかな」

 そりゃ、無いよりあった方がエエやろうけど、映像とロケ地は同じやあらへん。そりゃ、撮られた絵は監督のこだわりがテンコモリ盛り込んであるものな。その辺を脳内補正しながら見て回るのが聖地巡礼やけど。

「小豆島の二十四の瞳が例外的な気がしてきた」

 あそこはセットまで保存しとるからな。そやけど、そんなとこは少ないよな。当たり前やけどセットは撮影が済んだら解体されるからな。残っとっても邪魔なだけやし。あれが残されたのは映画のヒットもあるけど小豆島やからやと思うわ。

 ロケ地は借りものやから時間が経てば変わる。これはしょうがなところがある。古くなれば建て直しやリニューアルは起こるやろうし、持ち主だって変わる。時かけのヒロインや深町の家だって、立派な洋館やったみたいやけど、維持費は半端ないやろうからな。

「映画や写真もそうだと思うけど、その時の時間と空気を写し取ったものなよね。だから同じ場所に行っても同じものを見れる訳じゃない」

 まあそうや。小豆島のセットは綺麗に保存されとったけど、もう活きとらへん。活きとったんは撮影時だけや。

「それでもあれば見たくなるのはわたしも同じだけど、ああやって映像に残された場所は幸せだよね」

 それは言えるな。場所だけやない、写された人々もや。あそこでは永遠に変わらん。

「映画ってそう言う不思議なパワーが生まれるところの気がする」

 かつて映画はテレビに押しまくられた時代がある。テレビかって動画で音声付きやから、タダで手軽に見られるテレビに観客を奪われてもたぐらいでエエと思う。そりゃ、テレビにもエエドラマがいっぱい出来たけど、

「映画は生き残ったものね。試行錯誤はヤマほどあったけど、テレビと映画では表現する世界が違うのよ」

 つうか違う道を切り開いたから生き残ったんやろ。

「でさぁ、時かけは間違いなく名画だよ」

 時代を越えたからな。今でさえアイドル映画と下に見るのは少のうあらへんけど、そんなレッテルをいくら貼られてもそうや。そもそもやで、時かけは単独公開やあらへんねん。

「そうなのよね。探偵物語との二本立てのオマケ」

 当時絶頂やった薬師丸ひろ子の主演作品の刺身のツマみたいなもんや。原田知世かってまだ無名のアイドルやったからな。予算とか撮影期間もその辺の影響は確実にあると見とる。それでも本当の意味で生き残ったんは時かけや。

「とにかく見れて良かった」

 結衣が変な顔しとるな。まあ知らんやろな。知っとるかもしれんが、せいぜいアニメ版ぐらいやろ。時かけをリアルタイムで見た熱気も今となっては伝説みたいなもんで、それを知っとるのはコトリらぐらいのもんや。