ツーリング日和8(第26話)茅ヶ崎竜王

 結衣は初出場した竜王戦で無傷の十六連勝で優勝してもてん。これは衝撃的なんてもんやなかった。将棋界ではタイトルホルダー言うだけで別格扱いされるんやが、竜王は名人と並ぶ最高権威のタイトルやねん。

「将棋界の顔みたいなもので、対局になっても殆どが上座になるものね」

 ちなみに竜王と名人が対局したらどうなるかやが、

 ・他のタイトル保持数
 ・タイトル保持数が同じなら獲得賞金額
 ・それも同じならプロ棋士になった順番

 後はタイトル戦やったらタイトルホルダーが上座や。神野名人は二冠やから結衣は将棋界の序列二位みたいな扱いになるぐらいで良いと思う。

「そんな結衣をどう扱うかで騒然となったものね」

 竜王戦は女流もアマも、ついでに言うたら奨励会三段の出場枠もある。結衣かって正式に招待されて参加しとるねん。そやから優勝したら竜王になれるのやが、言うたら悪いがアマや女流が優勝するなんて想定外もエエとこやってん。天地が引っくり返ってもあらへんぐらいの事態が起こってもたぐらいや。

「プロ棋界最強で、最高権威がアマ棋士なっちゃったものね」

 そういうこっちゃ。可能性だけはあるけど、そんな事が起こると誰一人考えとらへんかったからな。そやから結衣がボヤいとった対局料や優勝賞金の問題もドタバタの対応やったらしい。

「結衣の竜王位獲得は認めざるを得ないよね」

 そりゃ、正式に招待されて出場しとるし、どこにもアマや女流なら竜王位獲得を認めないの条件はあらへんし、後出しジャンケンで持ち出せるもんやない。

「次の問題は結衣をプロとして認めるかどうかになったのよね」

 これはトコトンもめた。どのプロ棋士も厳しい関門を血の滲むような苦労の末に潜って来とるから、ポッと出みたいにプロにいきなりなるのに強い反発があったんや。この辺は感情としてはわかる。

 竜王戦からもプロへの道はあるねん。もしアマや女流が六組で優勝出来たらプロ編入試験を受けられるし、奨励会三段が優勝したらプロになれるねん。これさえ誰一人クリアしたんはおらへんねんけど、

「アマが挑戦者決定トーナメントを勝ち上がり、あまつさえ竜王位まで獲得した時の規定がなかったのよね」

 六組優勝やからプロ編入試験の資格を獲得しとるけど、あれは四段から棋士番号から若い順に五人選出して三勝したら合格やねん。そやけどな試験する相手は竜王やぞ。棋界最高権威にプロ編入試験を受けさせるのはおかし過ぎるやんか。

「もし竜王が負け越したりしたら、そっちの方が大変な事になりすぎる」

 そやから結衣のプロ入りは決定になった。

「次に揉めたのが昇段規定との兼ね合いよね」

 これは揉めたなんてもんやない。プロ入り言うたら四段や。大昔はさておきすべてのプロは四段からスタートしてキャリアを積み上げとるねん。昇段規定もあれこれあるけど、スタンダードなのは名人戦の順位戦や。順位戦はC2級からA級まであるんやが、昇級と昇段がリンクしてるねん。

 C2級・・・四段
 C1級・・・五段
 B2級・・・六段
 B1級・・・七段
 A級・・・・・八段

 順位戦以外にも竜王戦のランキング戦や、タイトル獲得や通算勝利数もあったりするけど、

「竜王は挑戦者になるだけで七段、竜王になれば八段。ついでに言えば竜王二期で九段」

 そういうこっちゃ。この規定をあてはめたら結衣はいきなり八段になってまうねん。そやけど規定は規定やんか。

「異論が多くて驚いた」

 最後まで頑張っとったんが昇段規定はプロ棋士にのみ適用されるもんで、アマである結衣には適用されないから四段にするべきやった。これはこれで一つの理屈やけど、結衣がプロになった瞬間に昇段規定は適用されてまうんよ。そりゃ、現役竜王やからな。

 普通に考えればそうなるねんけど、結衣はアマで竜王になっとるから、アマ時代の実績は切り離して考えるべきやと頑張っとった。そやけど来年の竜王戦になったら竜王としてタイトル戦に出て来るやんか。この時にどうするかや。

「プロ入りとリンクする昇段問題は長いこと揉めてたよね」

 ああそうやった。それこその大騒動の末に、

「結衣に敗れた末松王将や蜷川二冠が潔かったね」

 ああそうやった。タイトルホルダーを番勝負で破った結衣は昇段規定通りの八段以外は考えられへんと主張して、八段竜王としてのプロ入りが認められた。あれはトッププロ棋士の意地とプライドやと思うたわ。

 竜王や王将を番勝負で負かしてしもうた相手が、たかが四段なんか許されへんぐらいやとしたんやと思うてる。この辺は世論の後押しもあったし、非公式戦も含めてプロ棋士に全勝の実績も確実にあった。

「昇段規定を厳密にやると結衣が竜王位挑戦者になった時点で七段だけど、状況が状況だったからいきなり八段になってる。新たにプロになった棋士を新四段とかよく呼ぶけど、結衣の場合は新八段でプロデビューだよ。こんなことは空前絶後になると思う」

 これに関連するような話やけど、若手棋士のための棋戦もあるねん。新人王戦、YAMADA杯、加古川清流戦や。若手の条件は棋戦で微妙に変わるけど、どの棋戦もタイトル戦に出場したら参加資格はなくなるねん。そもそも八段が新人戦は妙すぎる。

「プロデビューと同時に新人や若手の資格がないのも異例すぎるよ」

 次に揉めたのは順位戦をどうするかやった。順位戦はA級からC2級まであるんやが、さらにフリークラスがある。フリークラスってなんやになるけど、まずベテラン棋士が順位戦を戦うのがシンドクなって宣言するケースはある。

「赫々たる実績の有名棋士が、B1級どころかB2級の維持も難しくなったケースに多いね」

 順位戦は成績が悪ければ降級になるからな。相撲で言うたら元大関が十両に転落しそうになったら引退したり、幕内力士が十両から転落しそうになったら引退するのに近いもんがある。相撲と違うのは順位戦以外の棋戦には参加できるとこやろな。

 宣言した場合のフリークラスは養老院のサンバみたいなもんやけど、もう一つの意味合いのフリークラスがある。

「C2級からの降格者」

 それも含めてやが、

「実質的なC3級みたいなものね」

 プロになれるのは三段リーグの上位二名だけやが、昇級は出来んかったが次点の棋士もおる。この次点を二回取ったら四段に進級できる規定もあるんよ。そやけど次点二回でのプロ入りではC2級やのうてフリークラスになるねん。正規の昇段との差別化やろ。

「たまにあるアマからのプロ編入試験でもフリークラスよね」

 竜王戦六組で優勝してプロ入りするのもそうや。結衣のプロ入りは形としてはプロ編入試験に近いと言えば近いねん。そやからフリークラスにしろと言う意見も多かってん。そやけどや、フリークラスからC2級に上がれるねん。

 上がれるというか、フリークラス昇格でプロになった棋士の扱いは低いねん。だってやでフリークラスに昇格して十年以内にC2級に昇格できんかったら引退させられてしまうんよ。その昇級条件が、

 ・年度の通算成績が所定の条件で六割以上の勝率
 ・直近の三十局以上の対局で六割五分以上の勝率
 ・全棋士参加の棋戦で優勝、タイトル戦挑戦

 どれか満たしたらエエんやけど。

「結衣は竜王だよ」

 そういうこっちゃ、プロになった瞬間に条件を満たしてるようなもんや。そやからC2級は認めざるを得ないぐらいになってんけど、八段竜王がC2級でエエんかの議論も出た。これも真っ当そうな意見やけど、

「あれは名人戦の特殊事情だね」

 名人戦以外の棋戦は、プロであれば誰でもその年に獲得できる可能性があるねん。結衣が獲得した竜王もそうや。そやけど名人戦はC2級から順番にA級まで昇進して、A級で優勝した者にしか挑戦権は与えられへんねん。

 昇級は年に一回やからC2級からA級になるまで最短で四年。挑戦権を得るのに五年や。この順位戦に飛び級制度はあらへんねん。

「竜王でも無理だし、それこそ名人以外の七冠を取ってもB1級以下なら挑戦権獲得の可能性すらないのよね」

 この辺は各タイトル戦の成績はその他の棋戦に原則として適用されへんのもある。そやから、これもスッタモンダの末に結衣は順位戦はC2級でデビューになってもた。

「でも二度と出ないんじゃない。新八段でのC2級昇進なんて」

 それに竜王の肩書付きやもんな。そんでもって結衣が竜王を獲得したのが去年の十一月や。竜王のタイトル戦はフルでやったら十二月までかかるんやが、四タテやったから十一月になったんよ。

「どないしてたん」
「待つしかないじゃないですか」

 結衣のプロへの待遇で小田原評定やらかしたから、プロ棋戦への参加が遅れてもたんか。どの棋戦もだいたい半年ぐらいかけて挑戦者を決めるのやが、プロになっとらへんかったら予選の参加資格もあらへんもんな。

「アマだけど竜王だから特別招待の話もありましたが、出れば出たで余計に話がややこしくなるとして消えています」

 またもや結衣が快進撃してタイトルを取ってしまったりしたら、アマが二冠とか、三冠みたいな状態が懸念されたとか、されなかったとか。

「五月にやっと決まりましたから、参加できるのは六月からの順位戦と棋聖戦、叡王戦からですね」

 八月になって王位戦と王座戦の予選に参加になるんか。王将戦予選なんか来年の一月からやもんな。

「他のは?」
「あれも予選の問題で」

 プロの棋戦は八大タイトル戦だけやのうて、一般棋戦もある。NHK杯、銀河戦、朝日杯、将棋オールスターや。これらの一般棋戦はタイトル戦と区別するためか早指し戦になっとる。

「将棋オールスターだけは出場可能です」

 なるほどな。この結衣の快進撃はどこまで続くんやろ。そやけどいきなり全冠制覇は無理やと思う。名人戦は別格としても、他の棋戦を予選の最初から出場してタイトルを獲得するには十五局以上必要のはずや。

 これだけで年間百局以上やんか。これまでの年間最多対局は八十九局やし、最近やったら六十局ぐらいやもんな。

「全部取れたらラクになるのですが」

 あははは、八冠のタイトル戦だけやったら、フルでやっても四十八局か。

「いえ二十八局です」

 全勝する気か。その意気やヨシやで。