ツーリング日和7(第2話)迷惑な話

 日本にいてエッセンドルフの情報を得るのは難しいのよね。日本から見たら、その存在さえおぼろげな国だし、エッセンドルフから見た日本もそう。せいぜいそう言う国が地球上にあることを知ってる程度の関係。

 でもお母ちゃんは情報をかき集めてる。これはユリが種馬親父の隠し子騒動に巻き込まれないようにするため。もっとも種馬親父の正妻に息子が生まれた時点で中断していて、あの拉致監禁騒動に巻き込まれしまった。もっとも情報収集を続けていても予防は難しかったと思うからお母ちゃんを恨んでないよ。

 もっとも情報収集と言ってもエッセンドルフ人のブログやSNSを読んでる程度だけど、そんな酔狂な事をやっている人間は少ないんだ。だってドイツ語、それもエッセンドルフ・ドイツ語だものね。だからたぶん日本で一番エッセンドルフ情報に詳しいと思う。あのウィーニスが公爵位を狙って追放された事件は、

『ウィーニスの政変』

 エッセンドルフではこう呼ばれている。日本では知ってる人が何人いるかレベルのローカルニュースだけど、エッセンドルフでは歴史に残る大事件扱いになっているらしい。

「そうね、今は日本で言うなら現代社会の教科書に載るレベルだけど、そのうち歴史の教科書に載るよ」

 内容はユリが八面六臂の大活躍をしてエッセンドルフの危機を救った英雄と言うかヒロイン扱いだそう。事実と全く違うし、迷惑のこの上ない。

「それだけじゃないよ、なるべきはずの公爵位をハインリッヒに譲っただけでなく、エッセンドルフの安寧のためにあえて日本に住んでいるとなってるよ」

 だからそれも事実違う。ユリは日本生まれの日本育ち。国籍も日本の生粋の日本人だ。なにが悲しくてエッセンドルフで貴族をやらんとならないんだよ。エッセンドルフ人に近いのはハーフであるが故の見た目だけだ。ハッキリ言わなくてもエッセンドルフに愛着はない。

 ほいでもって公爵位を継いだのは異母長兄のハインリッヒ。これで一件落着のはずだったんだ。ところがまたもやエッセンドルフで問題が起きかけてるとか。

「ユリの四つ上でしょ」

 ちなみに異母次兄のヨハンは二つ上だ。年齢順だから問題なかったはずなんだけど、

「ハインリッヒは子どもがいないんだよ」

 ハインリッヒもウィーニスの政変の前は、ユリが日本に住んでいたようにドイツに住んでいた。そこでドイツ人の奥さんをもらって今は公爵夫人になってるのだけど、そう言えば会ったことないな。

「公爵夫人は心の病らしいのよ。それでね、その原因なんだけど・・・」

 はぁ。ハインリッヒは女じゃなくて男を愛するって言うのかよ。だったらどうして女となんか結婚したんだよ。

「どうもだけど、自分の性癖を押し殺していたみたいで・・・」

 世の中にはゲイもいればレズもいるし、バイだっている。トランスジェンダーはややこしくなるから置いとくけど、日本ではゲイもレズもバイも今はカミングアウトもするし、それを社会が理解するところまで来てるのは来てる。

 だけど圧倒的多数派はヘテロだ。じゃないと人類が滅亡する。だからゲイ指向があっても、そうじゃないと否定しようとするのもいるそうだ。この辺はユリがレズでもバイでもないから最後のところがわからないけど、

「エッセンドルフはかなり保守的な国だからね」

 ハインリッヒはカールの正妻の子が亡くなった頃から公爵位を意識していたらしいんだ。だから公爵になるのにゲイなどトンデモナイぐらいの意識があり、自分のゲイを否定するために結婚したで良さそう。

 だけどどうしても奥さんに恋愛感情が湧かない、ぶっちゃけ性欲が湧かなかったで良さそうだ。そりゃ、ゲイだからそうなるだろうけど、あれこれ努力の末にやっぱり自分はゲイだと自覚するに至ったぐらいで良さそうなんだ。

 それを知った公爵夫人は気に病むあまり心の病になってしまったのか。一人の女を不幸にしやがって。だったら離婚してやれよと思うけど、公爵位に就くのに離婚も拙いし、ましてや自分はゲイだとカミングアウトするのも宜しくないぐらいの判断があったぐらいかもしれない。

「それもあって、ハインリッヒの評判もイマイチらしいのよ」

 これはハインリッヒがゲイであるのもあるけど、ゲイじゃ跡継ぎが生まれないのもある。世襲貴族で一番重要な仕事は子作り。子どもがいないと世襲がスムーズに行かなくなる。ましてや元首の家だから国家の不安定要因になるのはウィーニスの政変でもわかるよね。

 でもさぁ、でもさぁ、そういう時のために弟がいるんじゃないか。現実にもヨハンがいる。ハインリッヒに跡継ぎが生まれなければヨハンが継いだら波風は立たないはずじゃない。ヨハンも結婚していて息子も生まれていたはずだけど、

「そうなんだけどヨハンの評判も良くないの」

 はぁ。ヨハンもウィーニスの政変でエッセンドルフに入り、タナボタみたいにデューゼンブルグ伯爵になっている。ユリからすれば、ハインリッヒがいなければ公爵になれたはずだから新たな陰謀を巡らすのじゃないかと心配していたぐらいだけど。

「そういう見方もエッセンドルフにあったけど、それだけは心配無さそう」

 だったらと思ったのだけど、ヨハンは野心家じゃないけど享楽主義者みたいなんだ。単純には贅沢が好きぐらいだ。貴族ってそんなもんじゃないかと思うけど、

「エッセンドルフ貴族のモットーは質実剛健なのよ」

 これも理由があって、今でこそ小国だけど、第一次大戦前まではドイツ、ポーランド、チェコ、オーストリアに点在する広大な領土があったそう。時代は弱肉強食だったから、常にその領土を狙われていたとか。もちろん逆もある。

 そこで戦争が起こるのだけど、貴族は常に先頭に立って戦うことを必要とされたぐらい。この辺は貴族が逃げたら兵は誰も戦ってくれない側面もあったで良いかもしれない。これは生活全般にも及んで、

「それで良いと思うよ。貴族が遊び惚けていたら国が亡ぶもの」

 そこから貴族は質実剛健でいる事が要求され、質素倹約まではないにしろ、無駄な奢侈贅沢はしないぐらいが伝統と規範になったぐらいかな。これは今でも受け継がれてるところがあって、

「ヨハンは貴族の風上にも置けないの世論が大きくなってるの」

 さらにヨハンは父親のカールの血を濃く継いだのかヤリチンみたい。カールは漁色家じゃなかったけど、ヨハンはそれこそ見境なしのところがあるそう。とにかく片っ端みたいで侍女から行きずりの庶民の娘まで手を出してるとか。

「子どもが生まれたら夫人待遇が必要になるのよ」

 エッセンドルフの貴族は第二夫人、つまり側室とか妾を置けるのだけど、今の勢いなら何人になるかわからないぐらいだとか。いくら世襲貴族の重要任務が子ども作りとは言えやり過ぎ。

「費用も問題視されてる」

 奥さんへの費用もそうだけど、子どもは正夫人からなら子爵、妾なら男爵ですべて爵位給が発生する。正夫人が子沢山ならしかたがないけど、次々に手を付けまくった量産は歓迎されないどころか嫌われるぐらいだろう。それでも継承順位一位はヨハンじゃない。

「ハインリッヒはアホウじゃないよ。保身感覚はなかなかのもの」

 ハインリッヒの公爵位はユリが支持して認めていることを良く知っているってさ。だからユリを大切に扱うことは自分の地位の強化につながるのも十分に承知しているとか。さらにユリも十分に利用しているって。

「ヨハンの上の侯爵にしてるのも宮廷政治だね」

 もしハンリッヒが亡くなった時に後継者を決める話になった時に、生きていればユリが宮廷序列のトップになるのか。継承順位一位のヨハンと言えども、ユリの同意なしには公爵位に就けないことになるらしい。

「それだけじゃない」

 ハインリッヒがそれなりに長生きしたら、当たり前だけどヨハンも高齢になる。これはエッセンドルフ公爵家の慣例みたいなもので、高齢公爵の就任は避けるというのがあるのだって。これも弱肉強食時代からの慣例で、高齢では非常時への対応が不十分になる可能性があるだけでなく、短期の在位になってしまうからだとか。

 今だって高齢公爵の短期在位は就任式典や葬儀費用がかかるから、財政的にも嬉しくないのは確実にあるそう。だから後継者がある程度以上の高齢であれば、一代下げてのものにするそうだけど、それでもヨハンの息子じゃない。

「だからハインリッヒはアホウじゃないって」

 今の継承順位一位はヨハンだけど、一代下がれば話が変わるってなんなのよ。

「傍系継承になれば侯爵家の方が伯爵家より上になる」

 はぁ? 待ってよ待ってよ、ユリは侯爵だけど別に世襲家じゃないはず。

「そうじゃないとも聞いていないでしょ。国民は今でもユリが公爵になるべきと考えてるし、一代継承が下れば、英雄のユリの子どもが継ぐのが当然ぐらいになってるよ」

 め、迷惑だ。でもだからあれだけユリの地位を高くしてるのか。宮廷序列は二位だけど、ほぼ公爵のハインリッヒと同格だものね。

「そういうこと。ユリをいかに良く遇しているかのデモンストレーション。これをすればするほどハインリッヒの地位は安泰になるってこと。同時にヨハンも抑え込める」

 あの狐野郎。そこまで計算していたなんて。でもだよ、でもだよ、ユリが日本人と結婚してお嫁に行ってしまえば無関係になるじゃない。

「ならないよ。日本の戸籍がどうなろうと、ユリはエッセンドルフでは永久にユリア・エッセンドルフだし、ユリの子どももユリア侯爵家の子どもになる」

 どんな戸籍だよ。そしたらハインリッヒが長生きしてしまったら、ユリの子どもがエッセンドルフに連れていかれて公爵にさせられてしまうとか。

「そうなるようにハインリッヒはレールを敷いてるし、国民の支持もそう。このレールがあるからハンリッヒの地位も強化される」

 大、大、大迷惑だ。もし一人息子だったり、一人娘だったらどうなっちゃうのよ。

「良いじゃない。就活が不要になる」

 違うでしょうが。ユリはエッセンドルフにも、そこの公爵位にも興味も関心もない。

「まあまあ、ハインリッヒはアホウじゃないけど、ハインリッヒの敷いたレールは、あくまでも自分が公爵位に留まりたいが故のもの。ハインリッヒが亡くなればユリが好きなように決められるってことになるじゃない」

 ハインリッヒが亡くなる、もしくは退位となった時にはユリがエッセンドルフのトップだ。その権限は強大のはずだって。

「だからその時点でユリが好きなように決めれるのよ。エッセンドルフの継承順位は日本の皇室みたいに絶対じゃないから、英雄でありヒロインであるユリの意見は決定に等しくなるってことよ」

 なるほどって言いたいけど、それはそれで猛烈にメンドクサそうじゃない。

「ユリも偶然とはいえ公爵家の血筋を引いてしまっているから、それぐらいは逃れられない宿命と思うしかないよ」

 あのねぇ、そんな血を引っ張り込んでしまったのはお母ちゃんだろ。それも避妊のし損ないの結果じゃないか。どうしてもっと相手を選ばなかったのよ。お蔭でユリは余計な迷惑を次から次へと、

「あらいけない、締め切りが迫ってるのがあるから、この話はこれぐらいでね」

 こらぁ、エッチの妄想部屋に逃げ込むな。どこまで行っても腐れ縁が切れないじゃないか。あんなややこしいのを父親にするな。