ツーリング日和6(第30話)窮地

 ボクも気まツーの予定だったが、秋田の前泊だけは決めてあった。あの鶴の湯。なんとかたどりついたものの、ここでも大問題。とにかく人気旅館だから、瑠璃堂さんの部屋が取れないんだよ。泣く泣く事情を話すと、

「かまいません。竹野さんは信用できる人です」

 信用ってなんだろうと頭を過ったけど、気にしない事にする。それよりここまで来て大問題に直面している。ソロツーの貧乏旅行のつもりが美女とのマスツーになり、財布どころか貯金もピンチ。

 もちろん無策だった訳じゃなく、大阪支社の同僚に当座のヘルプの要請はしている。それぐらいは融通してくれる算段だったんだが、

「竹野、悪い事は言わんから手を引け。白羽根警備を相手にして勝てへん」

 同僚が教えてくれたのだが、白羽根警備は警備会社でありながら、暴力団さえ恐れる私設軍隊のようなところで、汚れ仕事でさえやるというダーティなところのようなんだ。ボクの同僚たちも、

『御天道さんの下を歩きたいんやったら、言うこと聞いとく方が賢いで』

 こうやって脅されてるとか。さらにいつもは悠然と構えている部長までが電話に出てきて、

「ここままだったら退職になってもおかしくない。そうならないように出来るだけ頑張るけど、相手が悪過ぎる。私だって正直なところ怖いし、会社の上層部だってそうなってる」

 ここは平和な日本のはずなのに、まるで昔のヤクザだとか、マフィアに絡まれたみたいになってしまう白羽根警備って何者なんだよ。それ以上に怖いところと思うしかないが、とにかくトンデモないところを相手にしているだけはヒシヒシと感じさせられてしまう。

 だが同僚たちの援助がないと今夜の宿代はなんとか払えても、明日の秋田の宿代は厳しすぎる。フェリーに乗るにも瑠璃堂さんのチケット代が捻出出来ないんだよ。もう完全に追い詰められている。

 なんて情けない。瑠璃堂さんほどの美人に頼られて、それさえ守れないなんて。これも女難の相か、それとも女運の悪さか。自分の不甲斐なさに泣きそうだ。困り果てた末に捻くり出したのは、あれは開き直りだろうか。

 どうしてそんな思考になったのか不思議だったが、なぜか思いついたのが二台のバイク。小型だけど大きなリアボックスを付け、それが綺麗に赤と黄色でカラーリングされ、これまたなぜか大きなオイルクーラー付き。

 あのバイクは敦賀からフェリーに乗る時に数台後ろにいたはず。それだけじゃなく秋田で一緒に下りて、フェリーターミナルの駐車場にいたのも知っている。そして乗っているのは若い女の子。

 とはいえ知っているのはそれがすべて。後はせいぜいレストランでご飯を食べているのを見たぐらいだ。そんなほぼ無縁なのに、その二人におカネを借りようだったんだ。瑠璃堂さんも、

「いくらなんでも・・・」

 まあ普通はそうなる。厚かましいのも程があるだ。でもなぜかそうすることが正解の気がしてならなかったんだ。常識外れではあるが、このままでは明日は秋田で立ち往生になるのは瑠璃堂さんもわかってくれて、

「誠心誠意で頼めばなんとかなる」

 これもボクだけでお願いに行くつもりだった。たとえ明日の朝まで粘っても借りれるように頑張るつもりだった。だが瑠璃堂さんは、

「一人では行かせない。一人より二人で頼んだ方がまだ可能性が出てくる」

 その二人の部屋だが、ボクたちが泊っている宿泊棟の前の本陣なんだ。窓から部屋に入る様子を見ていたから、場所も知っている。こう書くとすぐに訪ねたように思うかもしれないが、そうしようと決心がつくまで時間が相当かかり、夕食も済んでかなり経ってからになってしまった。

『トントン』

 ドアをノックして反応があるまで、ドキドキだった。ドアが開いた時にコトリさんと顔を会わせたのだが、完全に凍り付いていていた。後から聞いたら、

「リアルなまはげかと思うた」

 ランプの暗めの灯りに浮かび上がった顔がよほど怖かったとのこと。

「いやいや、あの決死の形相がやで」

 わかってます。そういう扱いは慣れてます。そこから温かく迎え入れてくれて、真摯にボクたちの事情に耳を傾けてくれた。あの夜はまさに運命の転換点で、

「事情はわかったからゼニは貸したる。貸したるけど、明日はどうするつもりや」

 それは秋田からフェリーに乗って敦賀に、

「アホか!」

 そこからはあれよあれよになっている。秋田から山形に宿を変え、さらにフェリーを乗るのも秋田港から新潟港に変更。コトリさんたちも大幅な予定変更になったはずなのに迷惑な顔一つ見せないんだよ。

「あんな、カネ貸して終わる話やないやろ。相手は白羽根警備やぞ」

 口では厳しいことを言いますが、逃避行の道連れになった感じはゼロで、マスツーが四台になったぐらいの感覚しかないで良さそう。鳥海山ブルーラインを楽しみ、途中でお土産物をこれでもかと買い込み、

「あんたらが追いつめられた心理になるのはわかる。追いつめられて緊張ばっかりになるのもわかる。そやけど緩められる時には緩めるのがこういう時の心得や」

 そう言えばコトリさんたちが助力を申し出てくれた時点で瑠璃堂さんの顔がホッと緩んでいる。

「まだ言えないけど、奇跡が起こったと思えば良いかな。この世でこれ以上の味方が付いてくれるなんてないぐらい。でも怖い。とっても、とっても怖い人たち」

 話が矛盾している気もするが、どうも瑠璃堂さんが知っている人のようだ。信用が出来るのはわかるのだが、怖いがよくわからない。どう見たって楽しくツーリングしてるようにしか見えないもの。

「わからない? あの人たちは白羽根警備がどういう会社か良く知っている。知っているからあれこれ策を巡らせてるけど、これっぽっちも怖がっていない。まるでゲームを楽しんでいる」

 言われて見ればそうだ。瑠璃堂さんは遠くを見て呟くように、

「女神は美しく、賢く、そして怖ろしい」

 女神ってなんだよ。

「女神は逆らう者を決して許さない。逆らう者の末路は悲惨」

 瑠璃堂さんはボクの方に振り返り、

「女神は信じた人間に恵みを与えるとも言われてる。まさかこんなところで巡り合うなんて」

 それ以上は瑠璃堂さんも口にするのも怖いようだったが、女神ってなんだよ。目の前で玉こんにゃく囓りながらラーメンすすってるのが女神と言うのか。ですが、そこからは信じられない事の連続で、なぜか今は瑠璃堂さんと神戸のホテルに泊まっているって信じられるか。