ツーリング日和5(第28話)テレビ取材

 ドゥーブル・フロマージュには喫茶部もあります。そこで亜衣と知り合ったのも今となっては懐かしい思い出です。いつものように厨房で忙しく働いていると、事務職員がやって来て。

「シェフ、・・・テレビの取材の許可なんですが」

 そんな小さな声じゃ厨房じゃ聞こえないぞ思いましたが、相手は事務員ですから仕方ありません。テレビ局名はわかりませんがテレビ取材の許可の話であるのはわかります。そんなものはミチルに任せろと一瞬思ったのですが、今日は取引先回りで不在でした。

 テレビ局の取材もチョコチョコあります。いわゆる情報番組ってやつです。鬱陶しいと思う半面、広告宣伝になるのでミチルは受け入れています。ですが通常は事前に取材申し込みがあるのですが、飛び込み取材は珍しいな。どこの番組だ。

「・・・街角グルメだそうです」

 いかんまた聞き損なった。こういう取材にはボクかミチルが対応するのですが、ミチルは不在ですし、ボクも手が放せないぞ。

「店側の説明は不要で良いそうです」

 ああ、あれか。タレントが街を歩きながら、ふらっと店を訪ねるスタイルのやつだ。だったら、

『これは美味しいケーキです』

 とか、

『これが街で評判の・・・』

 これぐらいの簡単なやつだろう。許可を与える旨を伝えて、ボクは仕事に没頭。しばらくしてから、血相を変えたウエイトレスが飛び込んできて、

「シェフ、大変です。喫茶部にすぐ来てください」

 な、なにが起こった。取材トラブルが頭に浮かびましたが、とにかく喫茶部に急行です。厄介なことになりそうです。どうして、こんな日に限ってミチルが不在なんだよ。ところが喫茶部に入って見えたのはテレビクルーが大慌てで店から出て行く姿です。

 こ、これは一体何が起こったと言うのでしょう。なんらかの取材トラブルが起こったのだけはわかりますが、この状況をどう理解して良いかわかりません。すると一人の若い女性客が、

「あんたがシェフか。テレビ取材の連中が無礼を働きよったから、出過ぎたマネかと思たけど追っ払わせてもうた」

 えっ、どういうこと。テレビ取材班とこの若い女性客がもめて、テレビ取材班が出て行ってしまったになりますが、何が起こったのか見当がつきません。

「これは迷惑料や」

 パンと一万円札をテーブルに置いた時に喫茶部の主任が、

「これは頂く訳にはいきません。むしろこちらからお礼をさせて頂きます」

 どうなってるんだ。すると喫茶部主任が憤然と、

「あの連中・・・」

 許可されたテレビクルーは店に入り、ドゥーブル・フロマージュを注文したそうですが、一口食べたタレントがいきなり大声で、

『なんだこれは、こんな不味いドゥーベル・フロマージュは食べたことがない。これで商売できるなんて、ここに集まる客は味音痴か!』

 いくらテレビ取材とは言え、ここまでやれば営業妨害です。主任もそう思ったものの、すぐに警察に通報するかどうかの判断に迷ったようです。いつもならミチルに報告になるのですが、不在だったので代わりにボクを呼びに行かせたで良さそうです。

「その時なんです」

 この若い女性客が歩み寄ってきて、

『豪田はん、あんたには味覚と記憶力があらへんのか』

 こう言い放ったそうです。えっ、えっ、豪田って毒舌グルメ評論家として有名な豪田太が来てたのか。豪田なら気に入らなければ、あれぐらいの放言はやりかねません。むしろそれを売りとして人気を集めているからです。

 豪田は一言で言えば傲慢です。その場で反論とか、取りなすような発言があっても、罵声で蹴散らしてしまうのも有名です。その豪田がそこまで言われて黙っているはずがありません。ところが女性客はさらに続けて、

『二度はあらへんと言うたんを忘れたみたいやな。今日は名を聞いて帰ってもらう。この店の味を貶したってことは、龍泉院舞香に喧嘩売ったことや。よっしゃ喧嘩は買うた。覚悟しときや』

 なんだって。この女性客はあの龍泉院舞香だって。食の世界に棲むものなら知らない人がいないと言って良い有名人です。とくに和食の世界では食の絶対権威とまでされています。もっとお年を召したイメージがあったのですが、こんなに若くて可愛い女性だとは初めて知りました。

 龍泉院さんが絶対権威とされる理由は神の味覚。とにかく食べただけで、調理法だけでなく、使った食材どころか、調味料の産地やメーカーまでわかってしまうと言われています。料理の出来不出来など見ただけでわかるとも言われています。

 龍泉院さんの食への評価は途轍もなく重く、もし不評を買えば店は潰れ、料理人は二度と日の当たるところに出られなくなると聞いたことがあります。だから絶対権威と恐れられているのですが、滅多なことで名前を出しての評価はしないともされます。

 それどころか様々の料理のあり方を、いともアッサリ認めてしまうとも言われています。龍泉院さんは絶対権威でありながら、間違っても権威主義者ではないのです。食の権威主義者の多くは、自らの体験を基準にして料理を狭く考えがちですが、龍泉院さんは逆で多様性こそ食の命とされてるそうです。

 そんな龍泉院さんが自ら名乗り、豪田を名指しにして、あそこまで言い放ったとなるとタダで済むはずがありません。

「ごめんな。ここのドゥーブル・フロマージュは子どもの頃から好きやってん。最近評判落しとったから避けとってんけど、久しぶりに来たらビックリしたわ。こんな美味しいケーキやのに、あないなこと言われて我慢できんかってん」

 あの味の龍泉院に認められたって夢なのか。

「それにしても上手に和三盆を合わせてはる。それも讃岐と阿波の差をよう知ってはるのに感心してもた。岡田さんのとこやけどピッタリや」

 聞きながら震えていました。ドゥーブル・フロマージュのポイントの一つに二層のチーズケーキの味の対比があります。味の改良の時に気になったのが洋砂糖のキツさです。これを和らげるために、隠し味のように和三盆を使っています。讃岐と阿波の差と言っても、殆どないとして良いのですけど、それでも微妙に風合いが違います。

 何度も試作を重ねましたが、最終的によりマッチしたのが阿波和三盆です。それも岡田製糖所のもの。パティシエなら、和三盆が加えられてるぐらいはわかるかもしれませんが、阿波と讃岐の差まであっさりわかってしまうなんて冗談みたいです。これが味の龍泉院の神の味覚なのでしょうか。

「お詫びやないけど、そこに並んどるだけ全部もらえるか。うちだけ楽しんだら、店の連中に怒られてまうわ」

 そう言われてあれこれゴッソリ買って帰られました。ミチルも帰って来てこの事件を聞き、あの豪田がどんな報復をしてくるか心配していました。世間一般では龍泉院さんより豪田の方がはるかに有名ですからね。ボクもその点は懸念していました。

 ところが事態は思わぬ方に展開します。あの事件の日に居合わせた客の中に超人気モトブロガーのカトちゃんがおられたのです。ボクもバイク乗りの端くれですから、カトちゃんは良く知っていますし、チャンネル登録もしています。

 カトちゃんのユーチューブはバイク乗りにも面白いのですが、そうでない人でも十分楽しめる内容が特徴でしょうか。ですからあれだけの人気ユーチューバーになっています。あの日に気づいていればサインぐらい貰えたのにと残念です。

 そんなカトちゃんが、あの騒ぎをユーチューブにアップしてしまったのです。さすがに豪田の顔や姿にはモザイクをかけ、声も変えてはいましたが、あっと言う間に特定されて豪田は大炎上。

 さらに喧嘩を買われた相手が食の龍泉院だった事実も飲食業界に瞬く間に広がりました。豪田にとってはそっちの方がより痛かったかもしれません。グルメ評論家なのに一流店だけでなく、ほとんどの店に取材はシャットアウト状態のようです。

 さらなる追い打ちが豪田にかかります。弱り目に祟り目と言うか、これまで人気で抑えてきた影の部分の暴露合戦が行われてしまったのです。豪田の毒舌は忖度がないのが最大の売りでしたが、実は忖度どころか賄賂を受け取ってのものだったのです。

 単純なのは取材店に賄賂を要求して、断られた毒舌爆発です。それだけでなく買収されてライバル店の蹴落としまでやっていたのです。もう完全にお祭り状態でユーチューバーとしての再起もあれじゃ無理でしょう。


 豪田はそうなりましたがネットは怖いと思いました。うちの店への毒舌を誰が仕組んだかの犯人探しが行われたのです。その過程でボクとナガトの因縁まで出て来たのにビックリさせられました。

 そこまで掘り出されれば疑惑はナガトに向かうのは勢いです。ボクも仕掛けるならナガトと思いましたし、あの番組のスポンサーの一つが平野ビルですからね。ここまででも結構なものでしたが、

『パティシエ界の貴公子、平野長人のゴースト・パティシエ疑惑』

 これが出て来たのにはさすがに驚きました。この話はネットから週刊誌に飛び火し、プレデンシャル・ホテルで記者会見まで行う騒ぎになっています。その記者会見ですが、肝心のナガトが出席せず、さらにホテル側の説明が、

『事実無根、これ以上の報道は誹謗中傷として訴訟も辞さない』

 こう出た上に質問を受け付けないでしたから、これまた大炎上です。そこまでの真っ向否定は、

『やっぱり何か隠している』

 こういう疑惑だけ広がったのです。あははは、あれは疑惑じゃなくて真実なのですけどね。記者会見を開いたにも関わらず、疑惑の払拭どころか、余計に火に油を注いだようなものです。それでもプレデンシャル・ホテルの対応は、

『説明責任は果たした』

 これで押し通し、人の噂も七十五日作戦に徹していると言うのがもっぱらの噂になっています。でも思い返せば危なかった。あの場に龍泉院さんがいなければ、どうなっていたことか。

 おそらく、ボクと豪田の押し問答になり、その挙句に店からボクが豪田を店から追い払うぐらいになっていたはずです。形は似ていますが、テレビ取材はとにかく怖くて、あちらは自由自在に編集できますから、出来上がった番組は、

『正論を主張する豪田に、屁理屈で営業妨害まで持ち出し警察まで呼んで追い出した卑劣なシェフ』

 こんな構成にされてしまっていたはずです。それが豪田のやり方で、何軒もの店をこの手口で潰しているからです。そんな豪田の手口もこの騒動で明らかになってますからね。一つ対応を間違えれば窮地に陥っていたのはナガトじゃなくボクだったかもしれません。