ツーリング日和5(第27話)ティー・タイム

 さてお茶の時間だけど、今日の紅茶はダージリンにしよう。グラグラに沸騰したお湯をまずポットとカップに入れて温めておく。ポットのお湯を捨て茶葉を入れて、そこに熱湯を注ぎ、さらにティーコジーで醒めないようにする。このひと手間だけでもお茶の味が変わるのよね。

 お茶には昔から名水が付き物だけど、神戸で有名な名水と言えば宮水。清酒作りに有名だけど使わない。宮水は清酒を作るのには良いかもしれないけど、あれは硬水、お茶には合わないの。

 お茶には軟水が最適。それがどこで手に入るかって? そんなもの蛇口を捻れば出て来るもの。そう水道水。水道水も昭和の中期ぐらいまで質が悪かった。神戸はコウベ・ウォーターが有名だけど、あれは布引の水。

 だけど足りなくなって淀川の水も使うようになったんだ。この淀川の水だけど高度成長期は汚れまくって、ドブみたいになってた。いくら浄水しても臭い水と呼ばれてたのよね。実際にも臭かった。

 それが工場の排水規制が進んで淀川の水が良くなり、高度処理水の質も上がったから紅茶を淹れるのに水道水で十分。しっかり沸騰させればカルキも飛ぶしね。そろそろかな。

「ユッキー、セカンドフラッシュやな」

 ダージリンで最も高価なのはファーストフラッシュ。日本茶なら一番摘み。これも美味しいけど、あんなに高価なのは味と言うより希少性の部分が高いんだよね。

「ボジョレ・ヌーボーと似とるとこがある」

 セカンドフラッシュの方が葉がしっかり育ってるから、味も、香りも、コクもしっかりしている。ファースト・フラッシュの爽やかさを珍重する人も多いけど、わたしはセカンドフラッシュの方が好みかな。

 お茶が美味しく入ったから、これに合わせるお菓子が楽しみ。紅茶と言えばアフタヌーン・ティーが有名だけど、日本じゃ合わないな。イギリスでアフタヌーン・ティーが広がった理由はあれこれあるけど、イギリスの夕食は質素なのよね。

「上流階級の連中は日本の夕食時間をオペラを観劇したり、、クラシックを聴きに行く時間にしとった説もあるけどな。夕食が遅くなるからムシ抑えの役割や」

 それは始まりかもしれないけど、上流階級だけじゃなく、庶民階級にも定着してるもの。たぶんだけど、上流階級は観劇中の空腹を抑えるためで、庶民階級は夕食代の節約になったぐらいの気もするけど、どうなんだろうな。

「これがカケルのドゥーベル・フロマージュか」

 どれどれ、

「美味しい♪」

 どこかかつてのドゥーベル・フロマージュの雰囲気は残されてるけど、さらに一段と良くなってるじゃない。

「カケルは本物やったな」

 負債で破産寸前のドゥーベル・フロマージュを買収したんだ。価値は落ちぶれていた看板しかなかったけど、カケルを試すにはそこが一番と思ったからだよ。少々高い買い物だったけど、カケルのためだもの。

「ちゃうで、スウィートを愛する女の夢や」

 わたしもコトリも酒飲みだけど甘いものにも目がないからね。カケルも失われた味を復活させただけもエライけど、そこで満足しなかったのを褒めてやりたいよ。

「そこで差が出るからな」

 どんな定番お菓子でも、同じ味のままでは生き残れない。生き残ってるのもあるけど、トップ・スターの地位を保てない。人の味への嗜好は時代で確実に変化する。甘さだって、強烈な甘さが求められる時代もあれば、上品な甘さが求められる時もある。

「女やから健康思想にも左右されやすい」

 ケーキってカロリー高いから、体型とか体重とかどうしてもね。だからそれに合わせた新作も登場するし、伝統的なケーキだって、その時の流行に微妙に変化させながら対応するんだよ。

 それが出来るかどうかはパティシエの天性。今のトレンドを察しながら味付けの方向性を巧みに変えて行くぐらいかな。食べ比べなんかできないから、気づく人は少ないけど、同じに見えても十年前のものとは変わってるはず。

「カケルも時間を有効活用してくれたな」

 赤字の店を買い取ったっら、すぐに欲しくなるのは結果なのよね。これはエレギオン・グループと言えども同じ。いつまでも赤字を垂れ流してもらったら困るからね。赤字の店を買い取るとは、そこに黒字に出来る可能性を計算して買ってるってこと。

 企業買収なら、すぐさま新しい経営陣を送り込んで大手術して体制を一新して、目論んでいる黒字路線に驀進させる。それが出来るから、買収してるし、そうじゃなかったら、

「長期の赤字覚悟の買収はそもそもせえへん」

 慈善事業やってるのじゃないからね。だけどカケルには時間を与えてみた。スタッフのテコ入れの提案もあったけど、その育成も含めてカケルを試してみた。

「ミサキちゃんが、経営にまで道楽を持ち込んでもらったら困るってボヤいとったけどな」

 わたしに言わせればエレギオン・グループの経営自体が道楽みたいなものだけど、ミサキちゃんがそういうのはわかるけどね。カケルはどうするかと思ってたけど、正攻法で行ったね。

 カケルは速成って自嘲してたけど、徒弟制の悪い部分を削ぎ落してのスパルタ育成だよ。スパルタだから甘くないけど求心力もあって、阿吽の呼吸で手足として使えるスタッフを育て上げた。あれで良いと思う。時間こそかかるけど、軌道に乗れば花を咲かせられるもの。

「水と肥料代はだいぶかかったけどな」

 それも計算のうちだって。ミサキちゃんを宥めるのは大変だったけど、カケルのケーキを食べさせたらきっと納得してくれると思う。

「ナガトはカケルをそこまでわかっとてんやろか」
「どうでしょ」

 カケルこそスウィートの天才で良いと思う。あれだけの才能がほんじょ、そこらに転がってると思えないもの。

「コトリ、反応はどう」
「焦っとるみたいやで」

 ナガトは高給でドゥーベル・フロマージュのスタッフを引き抜いたけど、やっぱりね。パティシエは職人だし、顕示欲もあるのよ。いつまでもゴースト・パティシエに留めておくのは無理が出てくる。

 職人はサラリーマンじゃないのよね。サラリーマンなら勤めている会社への忠誠心は絶対だし、目指すのは社内の出世競争。会社に貢献し、会社の利益をどれだけ上げられるかが評価基準のすべて。

 でも職人は違う。店に勤める目的は下積みの頃なら技術を身に着けるため。一人前になったら、その腕を揮えるところに流れて行くもの。いくらカネを積まれてもナガトのためにそこまで尽くす必要を職人なら認めないってこと。この辺はゴーストライターとの違いかな。

「独立かってありやもんな」

 そういうこと。アホらしくなって、ポロポロとナガトの主要スタッフが欠け落ちてる。その代わりに大枚はたいて補充してるけど、そうなってくると質にムラが出てくる。

「ムラっちゅうより、今までのケーキが作れんようになるからな」

 シェフが変われば味も変わる。これはどっちが美味しいじゃなくて、シェフの個性であり流儀よ。自分の個性と流儀を確立させてるから一流の職人と呼ばれるの。さらにいかにシェフと言えども得意不得意がある。

「それでもプレデンシャル・ホテルの売りはドゥーベル・フロマージュやからな」

 かつてはドゥーベル・フロマージュが日本一とも呼ばれていたけど、ナガトがスタッフを引き抜いたから落ちぶれ、代わりにプレデンシャル・ホテルが日本一と呼ばれるようになっていた。

 ここにカケルがドゥーベル・フロマージュを再生させて追い上げてきたのだけど、プレデンシャル・ホテルのドゥーベル・フロマージュの味は落ちてる。そりゃ、シェフの得意分野でなければ、通り一遍のものしか作れなくなるからね。

「これならカケルの方が上じゃない」
「上も上、一段上や」

 これは同意。

「だったら、そろそろね」
「ああ、真綿で首をジワジワ締めるようにやったるで」

 うわっ、コトリの目が細くなってる。こういう目をする時は悪だくみをしてるのよ。それもだよ、トビキリのやつ。

「シノブちゃんにもしっかりマークしてもうてる」

 やりそうなのか。

「ああいう連中がやることは、五千年しても変わらへん。まあ、それだけ効果的でもあるけど、予想さえしとったら返し技も簡単や」

 ナガトにしたら叩き潰して蹴落としたはずのカケルが復活し、さらに自分の地位を脅かしそうとなればやるよね。とにかくナガトにはお菓子を作れないから、本業で反撃なんてやりようがないから、常套手段がすぐに思い浮かぶはずだものね。

「それに昼間やからちょうどエエ」
「大阪なのもね。そんなに遠くないのよね」

 見に行けたら面白そうだけど、

「平日にやらかしそうやから無理やな。まだ顔出すには早いやろ」

 それは残念。まだ顔を出さない方が良いのもコトリに賛成。そうだよ、こんなものまだ前哨戦のはず。

「位置づけとしては前哨戦になるかもやが、この一戦は重要や。相手の手の内がわかっとるから勝つのは簡単や。そやからいかに勝つかが重要やねん。勝つからには追い打ちかけて徹底的に叩き潰す」

 そうなんだよね。どんな戦いでもチャンスがあれば勝ちに行くのは鉄則。小さな戦いでも勝つことにより士気を挙げ、流れを作れる。ましてや、相手が油断しているときは最大のチャンス。

 前哨戦とか、軽いジャブと相手が思おうとも、それをどうするかの主導権はこちらにある。コトリはこの一戦で相手に致命傷を与える可能性を見てるね。だからいきなりジョーカーを切るのだろう。

「そういうこっちゃ。銀に対して金を出すのは戦術の基本やけど、今回は銀に対して金だけやのうて飛車も使う」

 だけどあのジョーカーだけどケーキの味までわかるのかなあ。

「そんなもん小麦粉や砂糖の産地まで当てよるわ」

 どうしてわかるか不思議だけど、そういう味覚を持ってるものね。