ツーリング日和5(第23話)佐伯さん

 天敵佐伯さんですが背は高い方で、いつも髪をしっかり結い上げて、金縁の細い眼鏡をしています。来客があれば業務用の愛想笑いこそしますが、いつも厳しい顔をしています。冗談を言っても笑わないどころか、そもそも無反応です。

 それと無駄口というものありません。口を開けば仕事のことばかり。それも簡潔明瞭です。いきなり話のキモにズバッと切り込んで来るとすれば良いでしょうが、これも他のスタッフに言わせると、

「あれは決定事項の通達ですよ」

 そんな気がしないでもありません。とはいえ、シェフは厨房の代表ですから反論も必要な時もあります。反論と言うより協議とした方が良いのですが、この時だって少しでも余計な事をしゃべれば、

「余計な飾り言葉は時間の無駄です。伝えたい事があれば、要望とその理由を明瞭にして下さい」

 どうも察してとか、そういう感じでとかの曖昧な意思の伝達は好まないどころかお嫌いのようです。提案する時にも思いつきを口にしようものなら、

「それを行う狙い、行った時の費用対効果」

 なんとなく良さそうみたいな論拠では粉々にされます。事務部門と言えば経費削減が仕事の一つみたいなものですが、そりゃもう徹底しています。口癖のように、

「この店に無駄に出来るおカネは一円たりともありません」

 とにかく無駄とか非効率は親の仇のように嫌う人で信条として、

「効率がすべて」

 事務部門もボクが前に勤めていた頃は未だに紙伝票が併用されていました。これを佐伯さんはオンラインにすべて切り替えてしまっています。紙伝票併用の頃は、その日の〆とか、月末、さらには年度末には帳票の作成が大変そうでした。

 あれは事務の仕事の特徴と思っていましたが、今ではリアル・タイムで常に集計され、月末とか年末に帳簿合わせに奔走するなんてことは、

「あるのが不思議」

 そこは光の部分ですが、佐伯さんの本当の狙いは在庫管理の徹底でした。これはもう本当に徹底していて、少しでも余剰があるとバッサリ切り捨てます。ですから買う方もドンブリ勘定は許されないの緊張感を強いられます。

 得てしてこういう経費削減主義者は見た目の支出の削減が目的化することが多々あります。やりそうなのは前年度比だとか、昨月度比とかで問答無用の削減率を設定し、それが業務にどんな影響を及ぼそうが強行して手柄顔をする類です。

 ですが佐伯さんはそうではありません。無駄をあれだけ嫌う一方で、必要な物への理解も深いのです。何を購入するにしても、その商品の価値、競合品の優劣を驚くほど知っています。

 ですから経費削減になるから喜ばれるだろうと安物の購入を提案しようものなら、それこその追及を喰らいます。そうなのです安ければよい、見た目の経費だけ削減できれば良い人種とは違うのです。

「あれはカネを産む投資。安物買いはより大きな損失を産むだけ」

 そういうことが見事に徹底してる人です。佐伯さんは経費だけでなく、店の物品のすべてに目を光らせていますから鉄の金庫番と陰では呼ばれています。それだけじゃなく店員の接客マナーも徹底的に教育します。接客と言えばマナー講師みたいなものが思いつきそうですが、

「ほとんどのマナー講師は無駄などうでも良い部分が多すぎる。欲しいのは実践のキモ」

 予算の関係もあるのでしょうが、どこで学んできたかと思うほどの接客マナーを従業員だけでなく、アルバイトにも叩き込んでいます。とにかくあのキツイ態度とキツイ口調ですから厳しかったんじゃないかと想像しています。

 ですが効果はてきめんで、なんとなくダラけたというか、緩みがちだった従業員の態度が歩き方一つから変わっているのはわかります。

「あたり前です。ケーキ屋といえでも接客業です」

 ここまで出来る佐伯さんをボクも含めて切れ者だと認めています。それも半端な優秀さではありません。あれだけの仕事を淡々と行い、着実に成果を挙げさせるには豊富な実戦経験がある以外には考えらないのです。

 考えようによっては、あれほどの切れ者が、潰れかけたこの店の事務なんかによく来てくれたものだと思うほどです。あれほど仕事が出来る人なら、どんな大きな会社の事務部門でも切り回せるはずだからです。

 そうなんです。佐伯さんの経歴も謎なのです。年齢とあれほどの仕事ぶりからして、かなりの規模の会社で働いていたはずです。そこでの評価もどう考えても高かったはずです。様々な事情で転職を余儀なくされたとしても、この店より条件の良いところへの就職は余裕だったとしか思えません。

 それとこれも不思議でならないのですが、あれほど出来るのにオーナーの命令は佐伯さんにとって絶対を越えて天の声のようです。ボクにオーナーの意向を話す時には、なにかを恐れてるようにさえ感じます。

 復職してから、とにかく仕事に追われまくり、ガムシャラに無我夢中で突き進んでいて気になってなかったのですが、オーナーもまた不思議です。実は会った事も、話した事も無いのです。ボクの招聘のために連絡をしてくれたのも佐伯さんなのです。

 この辺はオーナーと言ってもこの店だけしか持っていないわけでなく、複数の店を所有している可能性はあります。つうか、そうでしょう。そうでなきゃ、こんな赤字垂れ流しの店を買えたり維持もできません。

 だから顔を見せる回数が少ないぐらいは説明出来ますが、ボクが復職してから一度もないのは極端です。じゃあ無関心かと言えば、佐伯さんへの指示はしっかり行われています。この辺は店長を任せた佐伯さんを信頼している部分があるにせよ、不可解なところです。

 佐伯さんのプライベートもまた謎です。とにかくあの態度ですから、家族の話すら聞けないのです。とにかく雑談をするのも無駄と考えておられるようにしか思えないぐらいです。もっともスタッフは、

「あれじゃ男も近づかないでしょ」
「近づいても尻尾巻いて逃げますよ」
「仕事と結婚されたんじゃないですか」

 さすがに失礼と思いはしましたが、心の中では肯定してしまいそうになります。だって、そうとしか見えないのです。有能過ぎるエリート・キャリア・ウーマンの中には、そうなる人もいるとは聞いたことがあります。

 これは男と女の差としか言いようがないのですが、言い方は拙いのですが、男は自分より能力の劣る女性でも恋愛対象に出来ます。逆に自分より能力が優る女性となれば敬遠する傾向が出て来ます。

 女は逆で自分より能力の劣る男性は好まないようです。これは能力の高い女性ほどその傾向が高くなるとも聞いたことがあります。全員がそうではありませんし、例外が山ほどあるのが男女の関係ですが、能力の高い女性はより能力の高い男性を求めますが、男性はそういう女性を必ずしも求めないぐらいでしょうか。

 佐伯さんほどの優秀さになると、これと釣り合う男性は限られますし、限られた男性が佐伯さんを選ぶかと言われると、なかなか難しいような気は確かにします。少なくとも店内には・・・いませんね。


 男が女に魅かれる要因はあれこれありますが、ボクなら容姿と性格でした。性格も言い切ってしまえば愛嬌とか愛想をひっくるめた可愛げです。少なくとも可愛げのない女性に恋愛感情を抱くのは無理でした。

 そうやって選んだのが亜衣です。ちょっと派手でワガママな点は気になりましたが美人でした。それだけでなく亜衣の可愛げに魅了され夢中になり、なにも見えなくなっていました。笑われると思いますが、亜衣こそ人生のすべて、世界のすべてと思い込んでいたぐらいです。

 あくまでも今から思えばですが、亜衣のは可愛げにも見えましたが、計算づくの媚でした。媚びられて舞い上がらされて、貢がされて、裏切られて、捨てられたってことです。ピエロも良いところです。さすがにあの失敗だけは繰り返したくありません。

 しがないフリーター時代は色恋より食うことが優先というか、生きのびるすべて状態でした。今は経済的にはフリーター時代より余裕が出来ています。ですが女性を選ぶ基準はわからなくなっています。

 亜衣との苦い経験はより性格重視に傾いているぐらいは言えます。ですがどんな性格なら良いのか見えなくなっている気がします。見た目に騙されるなぐらいは学習しましたが、どうやったら騙されないのか、どうやったら本当の性格の良さを見抜けるのかです。

 どうもある種の女性恐怖症、そこまでは言い過ぎで女性不信ぐらいがあります。どの女性を見てもボクに媚打って騙そうとしているように感じてしまうところがあります。それでもかなり緩和されつつあります。

 二年の月日も大きかったですが、より大きかったのは鹿児島ツーリングで出会ったユッキーさんとコトリさんです。あの二人も美人でした。いや、美人なんて陳腐な表現ではおさまらない桁外れの美しさがありました。

 それなのにあの気さくさ、自然な気遣い、自然に相手に伝わる性格の良さです。ボクの捻くれた女性観を覆すような人たちでした、ボクはあのツーリングで本当に性格の良い女性とはどんな人かを教えられた気がしています。