ツーリング日和5(第18話)霧島神宮へ

 山頂に着いたからお楽しみのお弁当。

「ミサキちゃんもシンプルにしたね」

 お握りと焼きおにぎりに漬物の取り合わせだよ。でも高千穂峰に合ってる気がする。

「龍馬が登った時もこれぐらいやったかもしれへんな」

 お握りをパクつきながら、高千穂峰から広がる壮大な景色を楽しんだ。お弁当を食べてカケルもちょっと息を吹き返した感じ。たっぷり景色を堪能して下山だけど。

「コトリ、抜いてみないの」
「社会のマナーや。御神体には触れるなって書いてあるやろ」

 下山は登りと同じ。だけど山は登る時より下りる方が危ないもの。疲れてるし、今日の足場はとにかく良くないからね。

「どうしたのカケル」
「あの、水が切れて・・・」

 あれだけ飲んでたらペットボトル三本でも足りないか。

「ほら、これあげるからファイト」

 カケルは二回ぐらい尻もちをついたものの、なんとか高千穂河原に無事帰還。ワゴン車で着替えてツーリングと言いたいけど、

「ちょっと時間を食い過ぎた」

 カケルに合わせてスローペースだったのもあったけど、それ以上に休憩時間をコトリは長く取ってものね。口では厳しいことを言ってたけど、カケルの疲れ具合をしっかり観察してたもの。

「当たり前や。指揮官の仕事は、兵士を無事帰還させることでもあるからな」

 でも二時も回ってるし、カケルもヘバッてるから、

「そやな。せめて霧島神宮は参っとこ」

 霧島神宮は元宮、古宮址、高千穂河原と移転を余儀なくされて、一二三四年の御鉢の大噴火で今の霧島中学校の隣ぐらいで二百五十年も仮宮状態にされてたんだよね。一四八四年に今の場所に再建されてるんだけどまたも火事で焼失。

「一七一五年に再建されたのが今の霧島神宮や」

 ヘロヘロのカケルを引き連れて霧島神宮に。こりゃ派手な、

「時代やろ」

 霧島神宮も西の日光の呼び名があるそうだけど、日光東照宮の派手な装飾の流れがあるってことか。ところで霧島神宮って日向に属するの、薩摩に属するの。

「日向に決まっとる」
「でも今は鹿児島県じゃない」

 古代日向は大隅も薩摩も含めた地域だって。それが七〇二年に薩摩が分離し、さらに七一三年に大隅が分離したそう。その時でも霧島連峰一帯は霧島神宮の境内とされてたそうで日向だったで良さそうなんだ。ところが廃藩置県の時に宮崎と鹿児島の県境が霧島山の頂上に引かれて今は鹿児島県になってるそう。

「カケルの様子やったら霧島東神社は無理やな」

 これ以上無理させると事故りそう。

「宿行くで」

 まずは霧島温泉まで逆戻り。温泉街を抜けて、

「次の信号右や。湧水に行く。カケル、もうちょっとや事故せんといてや」
「関平鉱泉とか」
「いや温泉や」

 道は悪くないけどコトリは飛ばさないな。軽いワインディングを走ってたら、

「ちょっとストップ。さっきの野乃湯温泉の看板のとこ入るで」
「じゃあ、今夜は野乃湯温泉なの」
「ちゃう」

 ありゃ狭い。一車線半も怪しいような道じゃない。これ本当に合ってるの。ここで間違えたらカケルが死ぬよ。それにこれって農道じゃない。なんかクネクネ曲がっててさ、やらかしたとか。

「ユッキー、文句垂れるな。合うてるわい」
「前もそう言って間違ったじゃない」
「誰にでも間違いはある」

 なんか道がだんだんヤバイ雰囲気になってきてる。このパターンは良くないよ。ひぇぇぇ、完全に山道になってるよ。登りもキツクなってるし相変わらずクネクネじゃない。わたしは間違っても引き返すのは余裕だけど、カケルには辛すぎるよ。

「道を間違うとる前提で言うな」

 だいたいだよ。道路案内一つないじゃないの。

「一本道にあるか!」
「ちょっと確認すべきだよ」
「そやから一本道や言うてるやろ」

 久しぶりに人家が見えた。最悪、あそこに泊めてもらおう。と思ったら、へぇ、野乃湯温泉ってここなんだ。あの角からこんなにかかるとはね。とっくに見過ごしてるかと思ったぐらい遠いじゃない。それと、ここでも十分に秘湯っぽいじゃない。

 こういう道って気を遣うのよね。見通しは悪いし、たまに対向車も来るから気を抜けないもの。バイクなら走るのは余裕と言えなくないけど、これだけワインディングが続くとカケルも消耗するはず。

 もっとも、高千穂峰登るだけでカケルがあそこまで消耗するのは計算外だったし、今日の宿だってカケルと出会う前に予約してるから仕方ないのだけどね。おおっ、突然センターラインが出て来たけど、

「突き当りを左や」

 いきなり快適になった。宿まで続きますように。右に見えるのはレクリエーション・センターみたい。道も高原道路風になってきてる。と思ったら、ぎょぇぇ、また一車線に逆戻りじゃない。それも完全な森の中、

「コトリ、こんなところに宿があるの?」
「秘湯ってそんなもんやろが」

 そりゃ、そうだけど。あれっ、なんか見えて来た。あれって、

「カケル、よう頑張った。宿に着いたで」

 粟野岳温泉っていうのか。遠いと思ったけど霧島神社から四十分かかってないのよね。それでも随分山奥に来た気がする。宿の名前は西郷隆盛由来で、隆盛も湯治に来たり、狩猟の間に訪れたこともあるみたい。言われてみれば、周囲は全部山だものね。

 ここはもともと明礬の採掘をしてたようだけど、明治になり安価な海外産が入って来ると採算が取れなくなり、温泉だけ残ったそう。それでもこんなところと思ってしまいそうだけど、今と昔じゃ温泉の価値が違うで良いと思う。

 この辺は医療が貧弱だったから温泉の効果が珍重されたのもあるけど、それより何より温泉の数が違う。今のようなボーリング技術がある訳じゃないから、自然湧出の温泉しかなかったんだよ。

 今はかけ流しの温泉がもてはやされるけど、昔は自然湧出でかけ流しじゃないと温泉として成立しなかったでよいはず。温泉宿だって湧き出すお湯の量で軒数は限られちゃうものね。もっとも温泉じゃない水を沸かしてた詐欺は昔からあったとは思うけどね。

「内湯もってる湯治宿なんかあってんやろか。殆どが公衆浴場やったはずやで」

 だろうね。当時は木賃宿で自炊しながら温泉に通ってたはず。さすがにわたしもコトリもあの頃の湯治宿は行ったこと無いのよね。

「そやった。有馬さえあらへん。もっとも兵庫津から有馬に行くとなると半端やなかったからな」

 一番近いのは深江から始まる魚屋道になるのだろうけど、狼が出てくるような道だもの。有馬じゃなくても女が旅するのは大変な時代だったもの。お伊勢参りとか、金毘羅参りは当時からもあったけど、あれだって男のためのもの。

「宿かって飯盛り女がおるのが常識やったからな」

 飯盛り女って給仕じゃないし、今のメイド喫茶のメイドでもなくて、夜のお相手をする女。それを楽しみにする男ばっかり旅してた思っても良いと思ってる。

「カケルも疲れとるから行こか」
「そうね」