ツーリング日和4(第3話)ヨーロッパの小国

 ここはクレイエール・ビル三十階。

「シノブちゃん、あの国はどうなってる?」

 ユッキー副社長が尋ねたあの国とはエッセンドルフ公国のこと。オーストリアとスイスに挟まれたヨーローッパの小国なんだ。オーストリアもスイスも小国と言えば小国だけど、エッセンドルフ公国となるマイクロ国家になり、世界で六番目ぐらいに小さな国になる。

「うちはそんなに深く関わっていないけど、あの国も小さい割には影響力はあるからね」

 エッセンドルフ公国は人口が五万人足らずしかいないけど、とにかく豊かなので有名。その理由の一つが古くからのタックス・ヘイブン政策をやっているから。タックス・ヘイブンも国際的に取り締まりがきつくなってはいるけど、

「ヨーロッパにあるのが有利だったかな」

 タックス・ヘイブンとこれへの対抗策はイタチごっこみたいなところがあり、複雑な国際取引による資金の移動をすべて把握するのは不可能とされている。EUではかつてペーパー・カンパニーの取り締まりの強化をやったのだけど、

「じゃあとばかりにペーパーで無くしたんだよね」

 これは国際取引がIT化したのが大きかった。IT取引となれば、どこに拠点があっても地理的な不利さは低くなるんだよ。とはいえ、あまりの僻地、たとえばツバルみたいなところに拠点を置いたら、そこに勤める人が音を上げる側面はあるのよね。

 その点で言えばエッセンドルフ公国はヨーロッパの中にあり、本来の本社との行き来にさほど問題は生じないし、生活水準、文化水準も問題は少なくなる。だったらとばかりに、少しでも租税上有利なエッセンドルフ公国に実質性もある拠点を置く企業も増えたってこと。

 エッセンドルフ公国に拠点を置く企業はペーパーも含めて十万以上とされていて、その法人税だけで国庫収入の四分の一を占めるぐらいなんだ。それだけじゃない、スイスのお隣だからわかると思うけど、

「そういうこと。スイスに隠れて目立たないけど、富裕層の資金を預かって、その運用益で莫大な収益を上げてる」

 そこからの事業税収入で国庫収入のこれまた四分の一を占めるとされてる。

「でももっと凄いのがエッセンドルフ公爵家だよ」

 エッセンドルフ公爵家は神聖ローマ帝国の財政顧問を務めたところから始まるとされる古い家。代々財務に長けた人物を輩出し、ため込んだ富は計り知れないとまで言われてる。

「その富の運用がまた辣腕なのよね」

 エレギオンHDの財務担当はコトリ社長だし、稀代の策士とまで言われるぐらい、なにか事が起こればバクチのような投機を行い、天文学的な収益をあげてるけど、このコトリ社長でさえ、

「エッセンドルフ公国は目立たへんけど、コトリも舌を巻かされることがあるぐらい、したたかやねん。コトリもエッセンドルフ公爵家の動きにはピリピリさせられるわ」

 このエッセンドルフ公爵家は国家元首の家でもあるけど、国庫の半分は公爵家からの寄付なんだ。公爵家自体は無税だけど、その収益から国庫の半分を支えてる事になる。

「今でも王国とか貴族もいるけど、財政的に自立しているところはわずかなのよね。アラブの王国とか、アジアならブルネイぐらいだよ。ヨーロッパではエッセンドルフ公爵家ぐらいじゃないかなぁ」

 公国の歳入が法人税と、金融業の事業税と、公爵家からの寄付で賄われてしまうから、国民への課税はゼロに等しいのよね。それだけじゃなく、住宅ローンも無利息で借りられるし、教育も医療もすべて無料。

「教育と医療は国ではなくて公爵家の運用なのに感心するよ。それだけじゃない、警察もそうだよ」

 国が小さいから軍隊と警察が一体化してるのだけど、これが公爵家の運用。公爵家の存在は財政上も、治安上も大きくて、議会こそあるけど、これに対等以上の拒否権があるぐらいなんだ。

「まあとにかく豊かだし、小さいから国民は納得してるかな」

 政治と言っても日本で言えば地方小都市ぐらいの規模だし、国際政治も、

「とりあえず永世中立宣言してるから、国連にも、EUにも加盟していない。外交もスイスに委任していて、独自の海外公館もスイスにしかない」

 ついでに言えば通貨はスイス・フランだし、電話回線だってスイスのものと共用。そう、スイスからなら国内電話としてかけられるぐらい。国際交易と言っても、

「農産物は完全に自給自足で、余ったのが輸出に回されるけど、これがプレミア付きの特産品なのよね。それと電力も水力発電で自給自足。小さい国のメリットをフルに活かしている国だよ」

 紹介が長くなったけど、エッセンドルフ公国では公爵家が支配している。公爵家は世襲制なのだけど、この世襲に問題が生じてる。世襲法は長子相続なんだけど、

「建前上は男女平等だけど、娘が上なら辞退するのが慣例になってるぐらい」

 なんか腹立つけど、それぐらいは今でもあるか。

「シノブちゃんの気持ちはわかるけど、もし当主になったら大変だよ」

 公爵の仕事の中で最も重要なものの一つが世継ぎ作り。これは男が継いでも、女が継いでも同じだけど、相手選びが大変で男女の差は確実にあるそうなんだ。男なら相手の身分はそれほどうるさくないそうで、

「だから海外留学中に見初めてなんてのもあるぐらい」

 だけど女となると、

「いなくなるのよ。誰が種馬になりたいかってね」

 日本の皇室でもあったものね。女帝容認論争があった時に旦那はどうするの現実論でいつしか消えちゃったぐらい。日本じゃ貴族はいないから民間人からの旦那になるけど、なったところで種馬扱いにしかならないって。

 お后様ならシンデレラ・ストリーに憧れる女はまだいるけど、女帝の旦那を逆玉と憧れる男性となると特別天然記念物並の希少価値ぐらいになるものね。日本の皇室はともかくエッセンドルフ公国でも、

「残っている王室や公室から王子や公子を迎え入れる手もあるけど・・・」

 あんまりなり手がいないそう。それだったら、辞退して普通に相手を探す方が幸せみたいな感じかな。そんな事はともかく、

「エッセンドルフ公爵家の場合は、先々代が息子一人だけ、先代も同じなんだよね」

 二代続きで息子が一人か。さらに言えば先々代も妹が一人だけで、これが結婚もしていない。現在の当主はカール六世になるけど、このカールに子どもがいないのだよ。たしか四十代になってたはず。

 そこで出て来た問題がお世継ぎ問題。こういう古い家のお世継ぎはもめるのが相場だけど。他の公爵家の一族は、

「あそこは貴族の量産をセーブしてるからね」

 公爵家で言えば公爵の息子は子爵、孫は男爵、ひ孫はナイトになり、相続権を有するのは男爵までになる。公爵家の継承権利者となれば先々々代の兄弟姉妹の子孫になるけど、すでにナイト世代になっている。

 男爵も生き残ってるのはいるけど、はっきり言わなくとも高齢で実質的に対象外になっている。もう認知症なってもおかしくない歳だものね。

「血統保持の保険が生きることになるけど」

 エッセンドルフ公国には公爵家の外に二つの伯爵家が存在する。デューゼンブルグ伯爵家とマウレン伯爵家。立ち位置としては江戸幕府の御三家とか御三卿みたいなもので良いと思う。宗家であるエッセンドルフ公爵家に世継ぎが枯渇すれば供給する役割になってるぐらい。そうなると後継者として候補になるのがそれぞれの伯爵家の当主になるけど、

 デューゼンブルグ家 ウィーニス伯爵
 マウレン家 ソフィア伯爵

 どちらが有力かだけど、ウィーニスは男性でソフィアは女性。男性が優位とは言いたくないけど、この手の古い家なら優位よね。それより何より年上なのが大きい。さらに二つの伯爵家の序列でもデューゼンブルグ家の方が少しだけ格上らしい。

 年功序列ですんなりウィーニス伯爵になりそうなものだけど、エッセンドルフ公国で起こっている問題の源泉がそこなのよね。