ツーリング日和(第20話)ロータリー哀歌

 松山に帰ってしばらくしてから加藤のところで話を聞いた。ガソリン・エンジンと言えばピストンが往復運動するレシプロ・エンジンが常識だが、かつてロータリー・エンジンなるものが存在していたそうだ。小型高出力の夢のエンジンとされたそうで、エンジンの模式図も見せてくれたが、

「繭型のハウジングの中を、おむすび型のローターがグルグル回るエンジンだ」
「なるほど。グルグル回るのがローターと言うからロータリー・エンジンか」

 エンジンの基本はオットーサイクルと呼ばれるが、

 吸気 → 圧縮 → 膨張 → 排気

 まずレシプロ式ではこの工程をピストン二往復で行うから、クランク・シャフトが二回転する。クランク・シャフトの回転はエンジン回転数だから二回転に一回の爆発(膨張)が起こることになる。これは良く知っている。

 ロータリーの場合はローターとハウジングの間に三つの燃焼室があり、その燃焼室がローターの回転に伴い、同時進行でオットーサイクルをやっている仕組みぐらいで良さそうだ。そうなるとローターが一回転している間に三回の爆発が起こる事になる。

 レシプロでクランク・シャフトに該当するのがロータリーではエキセントリック・シャフトだが、ローターが一回転する間に三回転する。エキセントリック・シャフトの回転数がエンジンの回転数になるから、一回転につき一回の爆発が起こっていると考えてよさそうだ。

「そういうこっちゃ。エンジン回転数から言うたら、ロータリーはレシプロに較べて一回転で二倍の爆発がおこるから、同じ排気量でも二倍の出力を得ることが出来るんや」

 ロータリー・サウンドが起こるのは、その独特の爆発様式のためでよさそうだ。どう見たってレシプロとはエンジン音の起こり方が違うのはわかるからな。それにしてもエンジンの概念を根こそぎ変えてしまいそうな仕組みだ。

「ロータリーがレシプロに勝てなかった理由は」
「あれこれあるが、政治やと思とる」
「政治って、どういうことだ」

 加藤が言うにはロータリーの出現は、世界の自動車メーカーを震撼させたとした。そりゃそうだろう。レシプロの排気量の半分で同じ出力が得られるのだからな。

「なおかつ、簡単には追随できなかったんや。それぐらい実用化の難しいエンジンやったんや」

 加藤が言うには余りにも技術的難度が高く、他のメーカーはあきらめていたぐらいだとした。そうなれば実用化に成功したマツダの独占技術になって大儲けになるはず。

「マツダもその夢を追ってついに実用化に成功したんやろうけど、一方で世界中のメーカーを敵に回したでエエと思う」

 いくら敵に回したって技術で負けたら終わりでは、

「だから政治で負けたんや。それがレシプロとの排気量換算や」

 レシプロとは根本的に構造が違うから、同じ排気量でも別物として扱ったって!

「そうやねん。最初は二倍の出力が得られるから排気量換算で二倍にしたぐらいや。そやけど、二倍になるのは理論値やから最終的には一・五倍に決めてもた」

 なるほど、

「なるほどやない。なんでロータリーだけそんな仕打ちを受けなあかんのや」

 加藤の怒りを理解するのに時間がかかったが、なんとなくわかってきた。同じ排気量で高出力を得る方法は他にもある。一番ポピュラーなのはターボとかスーパーチャージャーだ。

「そういうこっちゃ。ターボ付けても排気量換算せえへんやんか。回転数に対する爆発でも2ストやったら一回転に一回や。そやけど2ストも4ストも同じ排気量扱いやんか」

 だから政治か。革新的な新技術が登場した時に、他のメーカーが取る態度は追随するか、

「そうや排除するや。ロータリーの追随は困難と判断したんやろ」

 そういう事は技術発展史でしばしば起こりうる。既成技術の延長線上での改良なら追随するが、革新的技術ならばこれまでの既成技術の蓄積が無になるどころか、設備投資も無駄になってしまう。だからロータリーは排除されたのか。

「クルマも排気量の規制がバイクのようにあってな・・・」

 これは今ならバイクの方がわかりやすいかもしれない。たとえば一二五CCのロータリーがあったとする。これに一・五倍換算が入ると一八七CCになる。そうなると、原付二種でなくなり、中型バイクの分類になる。区分が変われば免許も変わるだけでなく、税金、保険の負担が増える。

「それだけやない。レシプロ換算で二〇〇〇CCとするやんか。馬力は一緒でも燃費は三割ぐらいどうしても劣る」

 爆発回数すなわち燃料消費は二倍なのに出力は一・五倍だからそうなるのか。

「ターボでも2ストでも落ちるけど排気量換算はないから不公平や」

 ロータリーの本当の魅力は、同じ排気量であるのに一・五倍の出力が得られるところのはずなのに、その魅力を排気量換算で無くしてしまったのか。

「マツダはハンデを付けられて競争させられたようなもんや」

 このハンデはクルマを取り巻く環境が変わるほど不利になって行ったようだ。大昔にオイルショックと言って、一挙にガソリンの値段が上がった時期があったようだ。ガソリン代が上がれば誰でも燃費に関心が向く。

「他にも環境問題も厳しくなっていったからな。あれで2ストが滅んだようなもんやんか」

 出力よりも燃費や環境が重視されるのは今でもそうだからな。

「そういうこっちゃ。そやから、ロータリーを排除したレシプロもモーターに滅ぼされようとしてるやろ」

 もちろんロータリーも手放しでレシプロに優位だったわけじゃない。あれこれ欠点も多いエンジンだったようだが、

「なんでもそうや。最初から完璧なものはあらへん。改良されて発展していくものや。それが技術の進歩や。レシプロは確かにロータリーを凌ぐ性能になったけんど、どれだけの開発資金と技術研究を重ねてるんや。同じぐらいの努力をロータリーに傾けていたら変わったはずや」

 ロータリーに排気量換算のハンデがなければ、レシプロと共存した可能性もあったし、レシプロを圧倒してエンジンと言えばロータリーになっていたかもしれないか。ただ、それでも最後はモーターに負けてるか。

「まあ、長い目で見てしまえばそうやけど、悔しいやんか」
「加藤がロータリー・フリークだと知らなかった」
「ちゃうわい。阪神ファンの生き様や」

 そういう事か。オレは野球よりサッカーだが、加藤はコチコチの野球と言うより、阪神ファンだ。

「あんな球蹴りに人気が押されて悔しいやんか。まあサッカー人気は目瞑っても、なんであない優勝できへんねん。二十一世紀の間でもやぞ・・・」

 これが始まると長くなるが、加藤は弱くても頑張っている者に同情心が強い。ここも表現が難しいが、プロ野球でも圧倒的な資金力で他を圧するような強化は好きでない。阪神だってそれなりにやってるが、

「ヘタクソやねん」

 出来の悪い息子への深情けみたいなものかもしれない。それと加藤はもともとは四輪のユーチューバーだったのだが電気モーターが大嫌いなんだよな。滅びゆくガソリン・エンジンへの郷愁が強いとして良いだろう。

 電気モーター嫌いが昂じて、まだガソリン・エンジンが主体のモト・ブロガーに転じたぐらいだ。でもそういう気持ちの持ちようはオレも嫌いじゃない。

「杉田も他人の事を言えんやろ」

 まあな。オレは東京で大学を出て、東京で就職した。いわゆる一流大学、一流会社のお決まりのエリート・コースだ。そうするのがオレの人生だと信じて疑っていない時期さえあった。だがな、ある時に気が付いたのだ。それで、どうなるってな。

 どうなるかの見本は会社に幾らでも転がっていた。出世コースに勝ち残れるのは、ほんの一握りだ。それ以外は生気の無い顔して燻っていた。それじゃ、出世コースに勝ち抜いた者が幸せそうに見えたかと言うと醜くかったな。煮ても焼いても食えないとは、ああいう連中のことを言うのだろう。

 エリート・コースで勝っても、負けてもロクな末路には思えなくなったぐらいだ。そこに突き進んでいくのがオレの本当の人生だろうかってな。悩んで相談したら、笑われたな。エリート・コースに乗れるだけで幸運なのに、そんなちっぽけな事に悩む方がおかしいってな。

 それが社会だとも言われた、大人になるとはそういう事だとも言われた、そんな事に悩むのは厨二病だとも言われた。勝ち組に入れてるのに悩むのは贅沢すぎるとも言われた。あいつらの言いたい事はそれなりに理解は出来たが、オレはどうしても受け入れられなかった。

 会社を辞めたのさ。そしてオレは学生の頃から好きだったバイクに熱中し、レースまで出るようになった。レーサーとしては正直なところ、さして芽は出なかったが楽しかったよ。楽しいだけでなく、生きてるって実感を持った気がした。

 その延長線でモト・ブロガーになりユーチューバーとして食っている。だがな昔の知り合いがオレを見る目は冷たくなった。エリートから脱落者の烙印をベッタリ押されたぐらいだ。みんな去っていったよ。

 だからオレは東京を捨てた。ユーチューバーは東京でなくても出来るからな。あちこち放浪していた時に知り合ったのが加藤だ。加藤はオレの過去には関心がない。関心があるのは今のオレだ。

 これは新鮮な経験だった。どうしてもエリート世界を一番上に置いてしまうオレの見方を笑ったよ。世界はもっと広いんだってな。生き方を変えれば棲む世界が変わり、そこにはその世界に合った住人がいるって事だ。

 棲む世界に上下はない。肝心なのは自分がどの世界に合ってるかだ。今はエリート世界に棲みたいやつも認めている。それが合っている人間だって事だ。オレは単に合わなかったから、この世界に棲んでいるだけだって事にすぎないってな。

「杉田は頭がエエから、理屈を捏ねすぎるんやと思うで。好きなことやって、他人に迷惑かけずに食えたらエエやんか。オレはいつもそう思てる」