日本三奇と呼ばれるものがありまして、
- 石の宝殿
- 天逆鉾
- 塩竈
ただし見に行くのは容易ではありません。鹿児島まで日帰りが無理なのは置いといても、観光のついでに見に行けるところではないからです。天逆鉾があるのは高千穂峰の山頂で標高にして1574m、登山基地にもなっている高千穂河原が標高500mですから、標高差は1074m、六甲山より高くなります。
クルマで登れるとか、ロープーウエイとかケーブルカーなどないので歩いて登る必要があります。それだけでハードルが跳ね上がるのですが、そんな簡単な山ではなさそうです。
快適なハイキング・ルートをスイスイなんてものじゃなく、ルートはあっても相当なもので良さそうです。調べる限りガレ場の連続で、足元がかなり悪そうです。つまり登るには、それ相応の登山装備が必要です。まだ登れるぐらいの体力は残っているはずですが、登山込みで鹿児島旅行のハードルはかなり高くなります。
この天逆鉾ですが、調べてみるとかなりミステリアスな代物です。結論だけ言うと、いつ誰が作り、誰が立てたのかもまったく不明です。あれだけのものですから、なんらかの神話に基づいてとなりそうなものですが、それさえなし。
高千穂峰は活火山で何度も噴火を繰り返しており、その時に天逆鉾も失われたはずですが、誰が再建したかも不明です。どれだけ不明かと言えば明治期の写真には刃がないのですが、いつ刃が修復されたのかさえ不明です。
それでも厳然としてあるので、諸説が立ちまくっているぐらいです。
天逆鉾に関する唯一の実際に手に取って記録はひょっとして一つだけかもしれません。寺田屋事件の後に坂本龍馬がおりょうと日本最初とされる新婚旅行の時に、姉の乙女に出した手紙です。手紙は現存し公開もされていますが原文は、
こんな感じで詳細な登山記録も残されています。ルートは現在でもポピュラーな高千穂河原から御鉢の北側の馬の背を越え背戸丘から天逆鉾に至っている事が確認できます。この時に竜馬は天逆鉾を抜いているのですが、その時の描写は、此サカホカハ少しうごかしてみたれバ
あまりにも両方へはなが高く
候まゝ両人が両方よりはなおさへて
エイヤと引ぬき候時ハわずか
四五尺斗のものニて候間又々本の通り
おさめたり
おりょうと二人がかりで抜けたとなっています。これだけ謎に満ちていればあれこれ歴史ムックが楽しめました。実際に登って見れる日は・・・体力の衰えとの競争になりますから、ここ五年ぐらいの間に行けないと見果てぬ夢になりそうです。