運命の恋(第9話):悪夢のカイボウ

 道場でのスパルタ稽古に耐え抜けた理由として、幼馴染のマナとの会話の楽しさはある。道場のメシに胃袋を掴まれたのもある。五十鈴さんが強い男が好きだと言ったのもある。でもそれだけじゃない。

 それだけでは陰キャのボクでは続かないし、そもそも空手道場にも通わない。空手なんて習おうとも思わない。さっきあげた理由はプラス・アルファの理由に過ぎない。もっと根源的な理由として、

『復讐』

 これが大きく存在する。ボクの暗黒時代は小四から始まったが、学年が上がるほど酷くなっていった。当たり前の様にクラスでハブられ、暇つぶしのようにイジメのターゲットにされ続けた。小学校でも相当なものだったが、中学に入るとさらに苛烈になって行った。中二の時が極悪だった。

 中二まで通った学校の校区は中小の町工場が集まっているところで、その町工場で働いている子弟が多かった。気風として大人になればそこで勤めるぐらいの連中が多く、市内でも中卒の就職率が飛びぬけて高いところだった。

 さすがに中卒での就職の絶対数は少なかったが高卒就職が当たり前ぐらいの学校。高卒と言ってもそういう連中が入る学校だから察してもらえると思う。進学熱なんてどこの世界の話だみたいなところだった。

 ヤンキーはゴロゴロいたし、レディースみたいなのも同様。ヤンキーやレディースまで行かなくても、校則なんてどこの世界の話みたいに、髪を染め、パーマをかけ、派手な化粧にピアスは常識ぐらいの連中がウヨウヨしてた。

 授業中だって騒ぐのはどこのクラスにも当たり前の様にいたし、授業なんかそっちのけで大きな声で話に熱中した挙句、

『かったり~な、エスケープしようぜ』

 教師の目の前から、そう言って堂々と抜け出していたし、教師も静かになって助かるぐらいの授業風景が当たり前だった。よく荒れた学校と言うけど、あれは荒れるのが日常化しきっていた学校だと思う。

 ヤンキー連中は授業なんてそっちのけで遊んでいるわけだが、遊ぶためにはカネがいる。だから何度もカツアゲされたが、やつらなりにより儲ける方法を考え出した。やつらに取って遊びになりカネも儲かる方法だ。

 やつらが目を付けたのはカイボウ。カイボウとは無理やり下着まで脱がせて晒し者、笑い者にするイジメでボクも小学校の時に何度かやられた。だがカイボウも小学生でやられるとのと、中学生になってやられるのとでは全然違う。当たり前だが思春期に入っており、その羞恥の度合いが桁違いに跳ね上がる。だからこそ、あの連中が目を付けたと思う。

 放課後にボクは襲われた。そりゃ、抵抗したけど多勢に無勢、ひ弱なボクでは無駄な抵抗だった。そこまでならタダのカイボウだが、そこから小遣い稼ぎになる。なにをされたかってか、カイボウをショーとしやがったんだ。

 ショーの内容は無残なんてものじゃなかった。教室の床に大の字に押さえ込まれた。これだけでも羞恥の極みだが、そこであいつらの邪悪な意図をわからされた。ショーのクライマックスはボクの最後の瞬間を晒すこと。

 そんな状態になるものかとあらん限りの抵抗をしたが、自分の体の裏切りを恨む時間になった。我慢に我慢を重ねたが限界が訪れ、体はボクの意志を嘲笑うように、やつらの望む姿を晒した。

 そこまででも恥辱の極みだったが一回で終わらなかった。ボクはのたうち回らされた。泣き叫び、許しを乞うても無駄だった。やつらの望む姿を何度も晒し、精も根も尽き果てるまでやられた。


 カイボウ・ショーは裏SNSに投稿され有料で公開された。あんなものを見たがる奴がいるのかと思ったが、結構な数のアクセスがあったそうだ。SMとか変態が見たのだろうが、ヤンキーどもは結構な収入を得たようだ。そのためか手ごろなレクリエーションと小遣い稼ぎとして大流行した。そしてすぐにエスカレートした。レディース連中が女子をカイボウしたのだ。

 カイボウ動画は男子でもそれなりに売れたそうだが、女子ならかなり高値で売れたそうだ。カイボウも女子相手になるとショーでは終わらなかった。ヤンキーどもは一線を越える行為まで手を出してしまったのだ。

 男子のカイボウだけならまだ耐えられたかもしれない。別に耐えたいわけじゃないが、たとえ明るみに出ても、中学生の度の過ぎた悪ふざけ程度で、事なかれ主義の学校は臭いものに蓋程度で終わらせたかもしれない。

 しかし、そこまで行けば完全に犯罪になり、被害届と告訴を受けた警察は明らかな証拠が裏SNSにあるのも確認。学校に直接介入してきた。そして中学生であるにも関わらず、逮捕者まで出る大スキャンダル事件になった。

 ボクは中三で転校したので、その後はどうなったのかは知らない。中三の転校が嬉しかったのは、県を五つも六つも越えた引っ越しだったから、あの悲惨すぎる姿を知る者がいないのは本当に嬉しかった。これはマナにも話せないボクの絶対の秘密。


 この悲惨すぎる経験は、後ろ向きのボクに強くなりたいのモチベーションを与えてくれた。あれに従わざるを得なかったのは自分の非力さでしかないからだ。マナの道場に出来心でも足を運んでしまったのもそうだし。マナの強引な勧誘を断り切れなかったのもそうだ。

 マナに受けた地獄の特別コースに耐え抜けたのもまたそうだ。あれだけマナにぶん殴られ、蹴り飛ばされても続いたのは、二度とあんな思いをしたくない悔しさがあったからだ。これを乗り越えればイジメを跳ね返す力が手に入るのと、あの連中に復讐できるの思いで良いと思う。

 そして力は手に入れたと思う。でも復讐する気になれなかった。この辺はお礼参りに行くにも遠すぎたのもあるけど、波濤館流の教えも大きかったと思っている。波濤館流は実戦に特化しているが、あくまでも護身術としてある。波濤館流では脚力が重視されるが、

「走って逃げちゃえば身を護れるでしょ」

 身も蓋もないほど実戦的だ。だが実戦では逃げられない時もあるし、自分だけではなく他の人を護るべき状況も出てくる。

「人はね、暴力が怖いのよ」

 イジメの原理でもある。ボクがイジメられたのも、ボクが非力であり相手が強かった力関係があった。もっと単純にはイジメに逆らうと暴力で屈服させられるのもあったと言う事だ。

「強さはね、心の余裕をもたらすの。素人のパンチやキックなんてお遊戯にしか見えなくなるよ。ジュンちゃんだって子ども相手にマジで戦おうとは思わないでしょ」

 そんな力を手に入れようと空手を学んだのだけど、マナの言う通り暴力を揮いたいとは思わなくなっている。

「それが極意の醒めた心なんだ」

 マナが言うには人を殴ったり、蹴ったりする行為は大きなエネルギーを必要だと言う。だからこそヤンキーたちは常に怒声を挙げて人を脅すそうだ。あれは怒声で威嚇しているのもあるが、次にすぐ手を出せるようにテンションを高めていると言うんだよ。

「醒めた心を持てば心のテンションを高めずとも人を殴ったり、蹴ったりできるんだ。ここも極意を誤解されやすいけど、無暗に殴ったり、蹴ったりできるって意味じゃないよ。相手の力量を醒めた心で見切れるぐらいが本当の意味の極意だよ」

 自分より力の弱い者に力を揮うアホらしさが拡大して行くぐらいとマナはしていた。

「そういうこと。ヤンキーだってヤーさんだって、そう見えちゃうのが醒めた心の極意。強くなればなるほど戦う気が乏しくなる」

 暴力を揮うのは良くない。良くないが使う人は必ず存在する。暴力で会話し、暴力で解決しようする人がいるので護身術が必要になる。だが暴力に暴力でのみ対抗すると破壊しかもたらさない。

 暴力に対抗するには力が必要だが、その力を使うのに醒めた心を極意にするのが波濤館流なんだ。必要に応じた最小限の力で相手の暴力を封じ込めてしまうぐらいの意味でも良いと思っている。

「醒めた心を持てば争いごとは無駄にしか見えなくなる。究極は誰とも戦わなくなるぐらい。そこまで行けた人は見た事ないけどね」

 ここでマナはニコッと笑って、

「ジュンちゃんはイイ線行ってるよ。マナより心は醒めてると思うぐらい」

 マナは熱くなるからな。悪い意味じゃないけど、純粋なんだよな。

「どうしてもね。まだ修業が足りないって爺ちゃんにいつも怒られるもの」

 波濤館流は体も技も鍛え上げるが、心もまた醒めた心を持つように鍛え上げる流儀なんだ。ボクもトコトン鍛え上げられた。学校では陰キャのボッチだけど、以前のボクとは違う。どこかで生まれ変わっていると実感している。