純情ラプソディ:第21話 困惑

 早瀬君は良い人よ。見た目だって悪くない。そりゃ、飛び切りのイケメンじゃないかもしれないけど、背もそこそこ高いし、体も案外締まってるのよね。これも片岡君に聞いたのだけど、大学に入ってから筋トレとランニングを続けてるんだって。

「すべて倉科さんに嫌われないためだ。ボクも付き合わされてるけど」
「そんなこと言われたって」

 サークルの雑用も進んでやってくれる人でもある。文化会だしサークルだから先輩後輩の関係は緩いけど、

「新入りの仕事でござい」

 こう言ってあれこれ動いてくれるんだ。フットワークが軽いって言うのかな、ロッカーにカーテンを付けるアイデアも、それを実行したのも早瀬君だった。新歓コンパは梅園先輩が幹事をやったけど、それ以降はすべて早瀬君がやってくれてるものね。

 でもホントに悪いけど恋愛対象として見ていなかったのよ。あくまでも同じサークルの仲間であるだけ。悪感情は無いよ。それはキッチリ言っておく。でも恋愛感情はと言われると困るのよね。

「それでヒロコはどうなのよ」
「どうなのよって言われても・・・」

 相談しているのはカスミン。カスミンが相談相手に相応しいかわからいけど、ヒロコにはカスミンぐらいしかいないもの。梅園先輩や雛野先輩じゃ無理だし、フランソワーズもちょっとね。日本とフランスじゃ感覚違うだろうし。

「聞いても良いかな。ヒロコって本当は男が怖いのじゃない」

 ずきっ、図星だ。ヒロコだって女だし、お年頃だから恋には憧れるのだけど、妄想の中の恋は出来ても、現実の男相手にはどうしても引いちゃうんだよ。こんなヒロコだって明文館時代は好きだって告白してくれた子もいたんだよ。

 でもヒロコの心にあったのは困惑だけだった。高校時代だし、別に付き合ったからと言ってキスしなければならないものじゃないし、アレだってやらなきゃならいものじゃない。恋愛の真似事みたいなものなのに、そんな事を現実の男とやる気が起こらないのよね。

 でも男性恐怖症ではないはず。だって今だってカルタ会で早瀬君とも片岡君とも普通に話せるし、法学部の男の子だってそう。合コンに行って普通に話せるもの。恋愛だってしたいし、言うまでもないけど同性に興味はない。でも現実の男を相手にするのがどうしてもダメ。

「なるほど。でも考えようね。その程度で済んで良かったかもしれない」

 カスミンが言うにはなんらかの恐怖症であるのは確実だって言うのよ。

「それって恋人恐怖症とか?」
「ちょっと違うかな」

 恐怖症はそうなる原因があることが多いんだって。あまりの恐怖体験をした時に、人は精神が壊れないように封じ込めてしまう防御本能があるそうなんだ。封じ込むことによって精神は守られるけど、それでも漏れ出るように同じ恐怖体験をしそうになると忌避してしまうぐらいとカスミンは言ってる。

「やっぱりイジメ経験」
「違うね」

 イジメも辛い経験だけど、カスミンが言うにはヒロコはイジメから逃げたのではなく打ち勝ってるって、

「打ち勝ってないよ、逃げただけ」
「里崎先生はエライよ。あの時にヒロコは自信を付けた。それと同時にコンプレックスも払拭してる。ヒロコにイジメの影はもうない」

 そうなのかなぁ、

「カルタも良かったと思うよ。明文館でしょ。あの中で一つの事にそれだけ熱中できるのは逆に難しいところもあるからね」

 良く知ってるな。そんなに有名なのかな。

「じゃあ、何よ」
「ほら、忘れてる」

 はて?

「簡単じゃない。幼児体験よ。あれだけ理不尽に男に殴られたらそうなるよ。ヒロコの男への根本的な恐怖がそこにある」

 ああ、あれか。もう断片的にしか覚えてないけど、たしかにあれは辛いというより恐怖だった。なにが怖いって、子ども相手に手加減されてる気がしなかったもの。子ども心に何度も殺されるって思ったぐらいだった。

 クソババアも怖かったけど、ババアだけあって力はマシだったというか、あれは痛いだけで殺されるような恐怖はなかったもの。それに比べるとクソ男の一発一発は恐怖そのもの。よく生き残れたと思うぐらい。

 生き残れたのはお母ちゃんが身を挺して守ってくれたから。でもお母ちゃんがいくら頑張ってもヒロコは殴られてた。そう言えば、ヒロコがぶっ飛ばされるときにはお母ちゃんは既に・・・

「精神科とか心療内科に行けば治るよね」
「時間がかかるけどね」

 すぐに右から左にどうにかなるようなものじゃないよね。そしたらカスミンは、

「早瀬君はイイ男よ。待たしたら悪いじゃない」
「そうなのかなぁ。でもすぐにはどうしようもないじゃないの」

 カスミンはヒロコの手を取って、目を瞑るように言って、

「ちょっとだけ助けてあげる」

 カスミンの手から何かが流れ込んでくる気がする。それもとっても気持ちの良いもの。心が安らいで癒されてるよ。どれぐらいの時間だったのだろう。長いような気もするし、一瞬の気もする。

「じゃあ、また明日ね。今晩はこれから用事があるから」

 そう言って帰っちゃった。なんかフワフワした感じがする。でも心が晴れやかな気がする。それはバイトに行っても、家に帰っても同じ。カスミンはなにしたって言うのだろう。手を握っただけで何も変わるはずないはずだけど、カスミンなら何かしてくれそうな気はする。


 お布団に入ってから考えたんだけど、ヒロコに理想の男ってどんなんだろうって。そしたら、なんにも考えてなかったことに気づいたんだ。思い浮かぶのはオシャレなデータをしているシーンとか、抱きしめられてキスするシーンとか。

 でもさぁ、そう言う時って誰かを当てはめるじゃない。その時に好きな男でも良いし、芸能人とか有名人でも良いじゃない。なのに顔は全然思い浮かべもしていないことに気が付いた。そう、漠然って男ってだけ。

 それとさぁ、恋愛の先には結婚があるじゃない。ヒロコは独身主義者じゃないから結婚したいもの。だから恋愛の妄想の次に結婚式があって新婚生活ぐらい思い浮かべそうなものじゃない。それも今まで考えた事すらない気がする。

 やっぱりヒロコの生い立ちならそうなるかもしれないけど、今夜は違った。なぜか早瀬君だった。ヒロコとデートするのも、ヒロコとキスするのも、ヒロコと結婚するのも早瀬君なのよ。ふと気がついた時にビックリした。

 あの学祭の時の早瀬君は勇気を出したんだと思ったのよ。公開告白なんて普通じゃ出来ないよ。それだけヒロコの事を想っていないと恥ずかしくて出来るものじゃない。そうなんだよ、そんなに想われる資格がそもそもヒロコにあるんだろうかって。

 家だって貧乏だよ。昔よりはマシだと思うけど、よくヒロコを大学に進ませてくれたと感謝してるもの。それに片親。片親だって、ヒロコがもっと大きくなってから死別したのならともかく、DVクソババアとクソ男の虐待に耐えかねての幼児期の離婚だものね。

 別に実家や貧富を気にして愛する相手を選んでいる訳じゃないけど、ヒロコも大学生。やっぱり高校生までとの恋と違うはず。そりゃまだ成人式も迎えていないけど、大学生から付き合って、卒業してから結婚するパターンは割とあるものね。少なくとも高校から付き合ってゴールインするより現実的になってるはず。

 そうなったら釣り合いって嫌でも出てくるはずよね。そりゃ、上昇志向で玉の輿を狙うって息巻いてるのもいるけど、釣り合いが悪いと後が大変なのは身近に知ってるもの。そうお母ちゃん。あれだけ元姑に見下されたのは釣り合いの悪さも原因の一つのはず。それだけじゃないだろうけど。

 たとえば、たとえばだよ。ヒロコと早瀬君って釣り合ってるんだろうかって。ヒロコもブスじゃないと思ってるけど、早瀬君って何故か育ちの良さを感じちゃうのよね。ヒロコの家は貧乏だったけど、食事の作法だけはお母ちゃんにかなり厳しく躾けられた。

 その目で見ても、早瀬君の食べ方は礼儀にかなってるし、所作もどこか品があるのよね。ざっくばらんにしているように思っても、最後の一線を自然に守っている感じなんだ。あそこまで出来る人はそうはいないもの。

 それができるってことは、そう躾けることが出来る家に育っている可能性だってあるじゃない。ヒロコは食事の作法こそ教えてもらってけど、後はさっぱり。自慢できるのは家事が出来るだけ。


 でもね、でもね、なんか早瀬君の事をもっと知りたくなった気がしてる。まだラブじゃないけど、間違いなく気になってる。この延長線上に恋がありそうな予感がある。良かった、あの時に『ゴメンナサイ』してなくて。絶対もったいないよ。

 うじゃうじゃ考えずに早瀬君の事を知ろう。結婚なんてまだまだ先じゃない。付き合ったって結婚しないといけないわけじゃない。だって見合いじゃないものね。結婚はあくまでも友だちから恋人になって、この人と結婚したいと思ってからだものね。そういうチャンスを早瀬君に与えてもらったんだ。

 とりあえず何しよう。またお弁当を作ってあげようか。誕生日はいつだっけ。そうやって楽しい時間を作って、それが二人で楽しめたら新しい世界が広がるはず。なにか燃えてきた気がする。明日、会えるのが楽しみになってきた。