地の語りと方言

 白くま様から役割語を教えて頂きました。まずはwikipediaより、

役割語とは、話者の特定の人物像(年齢・性別・職業・階層・時代・容姿・風貌・性格など)を想起させる特定の言葉遣いである。主にフィクションにおいてステレオタイプに依存した仮想的な表現をする際に用いられる。

 すぐに思い浮かんだのは、最近は減りましたが怪奇現象特集みたいな特番で、白人の農夫風の人のインタビューの同時通訳風に、

    とにかくトンデモなくデッカイの下りて来たんだ。おら、ビックラこいて動けなくなっただ
 田舎者の表現でしょうか。思い起こせばインテリ風とか、実直な青年風とか、主婦風とかがあったと記憶しています。白くま様からアドバイスして頂いたのはwikipediaが引用している清水義範、『日本語必笑講座』の引用部分で、

小説の中の会話は、小説用に再構成された虚構のことばである。私などは、なるべくそういう型としてのことばではなく、リアルなことばを書きたいと思っているのだが、それでも完全にそう書けるわけではない。・・・(中略)・・・


小説とは、現実をリアルに写そうとしながら、かえって記号的に語ってしまうこともあるのだ。

 wikipediaの引用部分も少々長かったので中略をさせて頂いています。すっごく申し訳ないと思いますが、清水義範氏が問題提起されているような事を悩んでいたのではないのです。それほどリアルにこだわりがある部分ではないからです。

 もちろん会話文の中に方言を入れるのは役割語的な機能を期待しています。出身地の説明とかキャラ説明が出来るからです。リアルな部分で言えば、そこの地方の人と会話をしているのに、標準語オンリーで会話するのはおかしいだろうぐらいです。


 小説を書く時に主役になるのは地の語りです。代表的な手法は一人称か三人称です。私はどうしても三人称が苦手で一人称を多用しています。

 一人称とは主役なりの登場人物そのもので、そうですね物語を自分で経験していくスタイルになります。ですから地の語りの部分は登場人物が心の中で考えている事になります。

 ここでですが、関西弁の主人公を立てたとします。当然ですが会話文は関西弁になります。それと同時に地の語りも関西弁になります。そりゃ、標準語で考えながら関西弁で会話する人は不自然だからです。

 今回の問題は広島弁で一人称で地の語りをやってもらう部分が出てきてしまったところです。そうなると会話文はもちろん広島弁ですが、地の語りも広島弁になります。

 ここで欲しかった広島弁は地の語りですから、役割語的なアクの強さは不要で、日常使うレベルが望ましいわけです。日常使うも本当は正しくなくて、本当に欲しかったのは、

    広島弁風標準語
 これは関西弁でもそうで、関西弁の地の語りと言っても関西弁風標準語を使っています。ですが広島弁風共通語など知っている訳がありません。これは広島弁風共通語を貶めている訳ではなく、自分の出身地や居住地以外の〇〇弁風共通語など自由自在に駆使できる人の方が少ないと思います。

 そうなると一人称で地の語りが出来るのは、

  • 関西弁
  • 標準語(= 漠然とした東京の方の人)
 私は関西人ですが、京都弁風共通語になるだけで無理が出てきます。こういう縛りが出てくると、登場人物の制約につながってきます。今回であれば物語の舞台の一つを愛媛に置いたのですが、伊予弁風共通語が使えないので、愛媛県人を登場させにくいというか、ほとんど登場しないものになっています。

 この問題は何作か前からネックになっていて、登場人物が関西人か無理やりの東京の方の人になってしまっています。これは逃れられない制約になり、これをクリアするには三人称による地の語りを導入しないと無理かと感じた次第です。